読みもの
2020.03.07
林田直樹の越境見聞録 File.13

自然・人間・芸術が一致する場所には、最高の音楽がある~シドニー・オペラハウスとオーストラリア室内管弦楽団

ONTOMOエディトリアル・アドバイザー、林田直樹による連載コラム。あらゆるカルチャーを横断して、読者を音楽の世界へご案内。
今回は、年間定期会員数7000人以上を誇る、オーストラリア室内管弦楽団を紹介します。海と自然に囲まれたシドニー・オペラハウスの魅力と、世界最高レベルのアンサンブルを誇る楽団の魅力を、じっくりと見てみましょう。

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林田直樹
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林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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なぜシドニー・オペラハウスは世界遺産なのか

オーストラリアに行ったことがないという人にも、シドニー・オペラハウスのあのユニークな形状だけは知られている。1973年のオープン時には英国のエリザベス女王も訪れた、世界遺産にも登録されている名所である。歴史ある港で街の中心部にあるサーキュラーキーという地区にあり、繁華街からそのまま続く、岬の先端にそびえ立っている。

港のにぎわいの中にあるシドニー・オペラハウス。
建築家ヨーン・ウツソンによる独創的なデザインは、シドニーの象徴のひとつとなっている。1959年の着工から14年の歳月を経て、1973年に完成。2007年に、世界遺産登録基準「人類の創造的才能を表現する傑作」を満たしたとされ、世界遺産に登録された。

訪れてみて驚いたのは、サーキュラーキーが、1日に大小何百隻という無数の船が行き交う、生きた港であるということだ。

かつて、船は人類にとって最も重要な交通手段であり、遠方に出かけるためにはなくてはならないものだった。だが、その主役の座を、いつの間にか鉄道や航空機に奪われてしまったといえる。

ところがシドニーでは、いまも船は人々の主要交通手段であり、サーキュラーキーではまるで19世紀のように、港が人々にあふれて活気づいているのだ。

この風景は不思議になつかしく、ジブリ映画の1シーンのように美しい。

カフェに座って、いつまでも船の出入りを眺めていても飽きないくらいだ。

シドニーの中心部サーキュラーキーから海を眺める。フェリーやクルーズ船などが行き交う活気ある港。

世界に美しい劇場はたくさんある。歴史的建築という点でも、斬新なデザインという点でも、シドニー・オペラハウスに匹敵する劇場はいくらでもあるだろう。では、なぜここが世界遺産なのか?

朝、昼、夜とこの建物を内側と外側から体験してみて、初めてその理由がわかる。すぐ横には王立植物園(ロイヤル・ボタニック・ガーデン)の緑が豊かにあり、周囲は船の行き交う海に囲まれ、輝くような大空のもと、活気ある港が背後に控える。そして内部では、日夜オペラやバレエやコンサート、演劇やミュージカルが開かれている。

上演のないときも、営業時間内なら誰もが出入りでき、ショップやレストランや見学ツアーだけでも面白いので、人がたくさん集まってくる。

つまり、このオペラハウスは、自然と人間の暮らしと芸術が、こんなにもダイナミックに、一点のうちに凝縮された場所なのだ。それが、一日の時間帯の移り変わりとともに、太陽と、空と、海と、空気とともに、さまざまな表情を見せてくれる。

 

海と空を感じられるシドニー・オペラハウスのホワイエで行なわれていた、コンサートのプレトークの様子 撮影:著者

ここに通う職員の一人はこう語ってくれた。

「毎朝私はここに通勤していますが、陽光を浴びて、海の中に輝いているオペラハウスを見ると、まるでダイヤモンドのように美しいんです」

シドニー・オペラハウス、マチネ(午後公演)の休憩時間は、バルコニーに出て海と空を見渡すことができる。
王立植物園からシドニー・オペラハウスを眺める。珍しい姿の鳥たちが芝生の上を歩き回る。
王立植物園には1メートルくらいのトカゲもうろうろしていて、街中にも出没するそうだ。

世界最高クラスのアンサンブル、オーストラリア室内管弦楽団

シドニーに本拠を持つオーストラリア室内管弦楽団(ACO)は、ヴァイオリニスト兼指揮者のリチャード・トネッティが1990年に音楽監督に就任。2020年にちょうど 30周年を迎える。

チェロ以外の弦楽セクションは全員立って演奏し、曲ごとに立つ位置も変わる。自由度と集中力の高い演奏は、世界最高クラスといっても過言ではない。

立奏ということでは、近頃クルレンツィスとムジカエテルナが話題となっているが、それよりもはるか以前からACOが実践していて、音楽的にも大きな成果を収めていることは、もっと知られてよい。

ほぼ全員が立奏というスタイルのオーストラリア室内管弦楽団。中央は、正団員として22年目のヴァイオリニスト後藤和子(ごとうあいこ)さん。日本とオーストラリアとの架け橋ともなっている中心的メンバーである。

ACOの驚くべき点のひとつが、オーストラリア大陸全土におよぶ、その活動範囲の広さである。

ひとつのプログラムで平均10公演。教育プログラムやアボリジニの住む地域へのアウトリーチも積極的におこない、東海岸だけでなく西海岸も含め、オーストラリアの各都市をぐるっと巡回する。年間定期会員は7000人以上。

コンサートで私が聴いたのはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と交響曲第5番だったが、弦は全員ガット弦(羊腸弦)、管楽器や打楽器も古楽器を使い、ピッチもA=430と19世紀初頭の演奏様式を意識したもの。気迫のこもった、みずみずしい、しかもユニークな響きに満ちた演奏であった。

当たり前の話だが、南半球のオーストラリアに来ても、ベートーヴェンがこれほど真摯に演奏され、人々が熱狂的に耳を傾けているという事実に今更ながら心を打たれた。これが世界音楽でなくて何だろう?

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
2018年11月、リチャード・トネッティ指揮/ヴァイオリン。シドニー・オペラハウスでのライヴ映像

この演奏会のために特別に用意したピリオド楽器(作曲家が生きていた当時の時代のスタイルによる楽器)の音色が美しい。トネッティのソロの求心力も素晴らしく、第1楽章では、過去のさまざまなカデンツァからの合成を含む、ユニークなカデンツァを披露。

ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調
2018年11月、リチャード・トネッティ指揮。シドニー・オペラハウスでのライヴ映像。

ピリオド楽器と奏法の音色の美しさ、細部の表情の新鮮さ、たたみかけるような迫力。ヴァイオリンを手にしたまま指揮しているトネッティにも注目。状況に応じて自らも第1ヴァイオリンに加わって演奏するスタイルは、世界でもほとんど例を見ないのでは?

ACO芸術監督リチャード・トネッティにインタビュー!

ヴァイオリンを持ったまま指揮するリチャード・トネッティ。1743年製グァルネリ・デル・ジェスの名器を使用。

——何がACOを特別で、ほかの楽団とは違うものにしているのですか?

トネッティ 世界にはプロの室内管弦楽団はそれほど多くは存在していません。ましてや、フルタイムとなるともっと少ないです。継続的・安定的に演奏活動ができるということこそ私たちがひとつのチームとしてまとまっている理由だと思います。

私たちは独自のサウンドを持つオーケストラです。早い段階から、いわゆる古楽の革命的な精神を受け入れてきました。私は常にアンナー・ビルスマやニコラウス・アーノンクールのような首唱者に勇気を与えられ、ヘルベルト・フォン・カラヤンや大きなオーケストラの支配する既存のクラシック音楽に挑んできました。

音楽史の開拓者たちが使ってきた「ハードウェア」を私たちは好んで使用しています。例えば、ガット(腸線)、天然の真鍮、作曲家の当時の時代に存在した吹奏楽器を模倣したもの。フォルテピアノの軽さや順応性も好きです。

この感性は私が師のウィリアム・プリムローズ(1904-82、ヴィオラ奏者)から吸収した音と調和するものです。プリムローズは私が9歳から11歳になるまで、オーストラリアのウーロンゴンで教えてくれました。彼はそこで日本人の奥さんと住んでいたんですよ!

プリムローズとの経験が、私がACOに求めているサウンドへとつながっています。柔らかいポルタメント、つまりひとつの音から次の音へと移る技法の美しさ、独特に揺れるヴィブラートに、それは表れています。

その一方で、ACOは常にクラシック音楽の枠を越えたアーティストとコラボしてきました。ACOは、電子楽器にもガット弦使用の楽器にも熟練している、21世紀最初のハイブリッドなオーケストラの一つなのです。

ACO芸術監督リチャード・トネッティと筆者。

――プリムローズとの思い出について、何か具体的なエピソードをお教えください。

トネッティ プリムローズから学んだことは、私の演奏に深い影響を与えています。彼はさまざまな物語を聞かせてくれ、私のために演奏し、そして、音についてすべてを教えようとしてくれました。ハイフェッツやトスカニーニ、ビーチャムなど、伝説的な音楽家たちと一緒に働いたときの逸話もです。すべてが驚きに満ちて素晴らしかった。

特に今でも印象に残っているのは、プリムローズがグァルネリ製のヴィオラから奏でてくれたサウンドです。彼の演奏を聴くということは、彼から音について教わることでした。重要なのはいわゆるポルタメントで、それは現代の弦楽器演奏において失われつつあるものです。彼のおかげで、早い段階からこれを私の言語として身に付けることができたのです。

オーストラリア室内管弦楽団(ACO)とトネッティへの取材を振り返って

ウィリアム・プリムローズといえば、伝説の輝かしいオーケストラ・コンビである、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮するNBC交響楽団で活躍した、首席ヴィオラ奏者でもあった人物である。その偉大なDNAを継承しながらも、古楽の精神と、実験的でボーダーレスな挑戦を続けているのがACOなのである。

 

トネッティの指揮は極めてユニークなもので、普通にタクトを振るときもあるが、たとえばベートーヴェンの交響曲の場合、ヴァイオリンを持ったまま指揮し、状況に応じて第1ヴァイオリンにしばしば加勢する。全員が一丸になりながらも、一人ひとりが決して埋没せずに、前のめりに個性を発揮する。そんなアンサンブルの活気を作り出すのだ。

 

2020年はリチャード・トネッティの芸術監督就任以来、30周年の記念シーズン。中世のヒルデガルト・フォン・ビンゲンから始まり、バロック期のバッハやヴィヴァルディ、クラシック王道のベートーヴェンやマーラー、20世紀の重鎮ヴォーン=ウィリアムズやショスタコーヴィチ、現代のアルヴォ・ペルトまで、彼ららしい刺激的なプログラムが組まれている。

 

この秋は、ACOの紀尾井ホールでの公演(10月7日)はもちろんのこと、トネッティが客演指揮者として紀尾井ホール室内管弦楽団の定期演奏会への登場(9月11、12日)も楽しみである。紀尾井ホール室内管弦楽団は、ACOのように、チェロ以外は立奏というスタイルをとるのだろうか?

「エロイカ・シンフォニーに動かされて」(Be Moved “Eroica”Symphony)
コンテンポラリー・ダンサーのトーマス・ケリーとキャス・エイッパーを、オーストラリア室内管弦楽団が招聘して制作。

来日公演情報
紀尾井ホール室内管弦楽団第123回定期演奏会

日時: 2020年9月11日(金)19時開演

会場: 紀尾井ホール

指揮、ヴァイオリン: リチャード・トネッティ

曲目: ハイドン/交響曲第104番ニ長調 《ロンドン》、キラル/オラヴァ、武満徹/ノスタルジア~アンドレイ・タルコフスキーの追憶に、モーツァルト/交響曲第41番ハ長調 《ジュピター》

詳しくはこちら

リチャード・トネッティwithオーストラリア室内管弦楽団

日時: 2020年10月7日(水)19時開演

会場: 紀尾井ホール

指揮: リチャード・トネッティ

曲目: ベートーヴェン、トネッティ編/ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調 Op.47《クロイツェル》、チャイコフスキー/アンダンテ・カンタービレ~弦楽四重奏曲第1番(弦楽合奏版)、ヤナーチェク/弦楽四重奏曲第1番ホ短調《クロイツェル・ソナタ》

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写真で見るシドニー旅日記

美しすぎる図書館として有名な、ニューサウスウエールズ州立図書館。1910年完成。自然光が入る壮大な閲覧室が美しい。図書のみならず美術品も多く、総計600万点もの所蔵があるという。
ニューサウスウエールズ州立図書館では喫茶室も安くて充実しており、ランチにおすすめ。
ニューサウスウエールズ州立美術館にはアボリジニやポリネシアンのアートも多く展示されている。
シドニーはアジアのエスニックなグルメも多い。肉も野菜も素材がいいから美味しい。
王立植物園の見上げるように巨大なゼンマイ。オーストラリアのシダ植物は多彩で、原始時代を思わせる
夜のサーキュラーキーからシドニー・オペラハウスを眺める
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林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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