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2020.09.25
林田直樹の越境見聞録 File.15

ピーター・ドイグ展——多様なモチーフを用いる絵画の舞台美術や日本とのつながり

2月、コロナ禍で開かれた東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」は、緊急事態宣言下で閉鎖していた頃からインターネット上で積極的に展開したこともあり、話題を呼んでいる。古典的と見られがちな油絵を中心とした絵画作品には、何が描かれているのか。音楽の世界にも参考になる作品づくり、個展の在り方を、音楽ジャーナリストの林田直樹さんがナビゲートする。

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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音楽にも関わりのあるピーター・ドイグの作品

「英国の現代アートのフロントランナー」「いま最も重要な画家」として知られるピーター・ドイグの展覧会(東京国立近代美術館で開催中、10月11日まで)は、美術だけにとどまらない、音楽にも多くのヒントを与えてくれる、刺激的なイベントである。

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初期の油絵に「30億円」という値がついたという事実からも、どれほどドイグが美術界のスーパースターであるかが想像がつく。東京国立近代美術館も、日本初の個展となる今回にあたっては、5年がかりで準備に取り組んできた。ドイグ自身も開催前に来日し、展示のレイアウト(大型の絵を余裕たっぷりに配置)にもこだわったのだそうだ。

「ピーター・ドイグ展」会場風景 Photo: Kioku Keizo

ドイグは、1959年スコットランド生まれ(今年61歳)。ちなみに同じ世代の英国のクラシック音楽家としては、指揮者ではサイモン・ラトル(1955-)やアントニオ・パッパーノ(1959-)、作曲家ではジェイムズ・マクミラン(1959-)やジョージ・ベンジャミン(1960-)といった強力な顔ぶれが並ぶ。

実は、ドイグは学生時代、イングリッシュ・ナショナル・オペラで衣装係のアルバイトをしていた。あるときドイグは勝手に舞台衣装を着るばかりか、そのまま舞台にも出てしまい、大目玉を食らったことがあるのだという。

ピーター・ドイグ
1959年、スコットランドのエジンバラ生まれ。カリブ海の島国トリニダード・トバゴとカナダで育ち、1990年、ロンドンのチェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで修士号を取得。1994年、ターナー賞にノミネート。2002年よりポート・オブ・スペイン(トリニダード・トバゴ)に拠点を移す。テート(ロンドン)、パリ市立近代美術館、スコットランド国立美術館(エジンバラ)、バイエラー財団(バーゼル)、分離派会館(ウィーン)など、世界的に有名な美術館で個展を開催。同世代、後続世代のアーティストに多大な影響を与え、過去の巨匠になぞらえて、しばしば「画家の中の画家」と評されている。

そうした舞台美術との関わりから生まれた代表的名作が《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》である。

イングリッシュ・ナショナル・オペラでの衣装係の体験から生まれた作品《ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ》 2000-02年、油彩・キャンバス、196×296cm、シカゴ美術館
©Peter Doig. The Art Institute of Chicago, Gift of Nancy Lauter McDougal and Alfred L. McDougal, 2003. 433. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120

まるで夢の世界への案内人のように、中央に立っている2人の男性。かつて学生時代に撮影した、バレエ《ペトルーシュカ》の端役の舞台衣装を着たときの写真がもととなっている(左側は作家自身、右は友人)。

ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ペトルーシュカ》

周囲の風景は、ドイツのダム湖の古い白黒の絵ハガキを参照して描かれている。

つまり、何の変哲もない素材ふたつを関連なく組み合わせることで、時間も場所も越えた不思議な世界を作り出しているのだ。

クラシカルな油絵に大衆的・商業的な風景を

インスタレーションのような空間的美術が主流となっていた現代アートの世界で、ドイグがあえて油絵にこだわったというのも、興味をそそられるところだ。

油絵とクラシック音楽は、よく似ている。

写真や映画やアニメーションは、現代の工業技術によって生み出された新しいジャンルだが、油絵とクラシック音楽は、どちらも近代以前から脈々と続いてきたヨーロッパ由来の古典的芸術だ。大きな油絵はシンフォニーのように全体で語り、静物画や肖像画は室内楽やソナタのように語りかけてくる。油絵が実物であることの価値、音楽がライブであることの価値も、同じである。

ただ、ドイグの油絵の面白さは、ブリューゲルやセザンヌ、ボナールやムンクといった絵画の歴史を踏まえながらも、不思議にサブカルチャーとも響き合っているところだ。

たとえば、素材の選び方。あえてチープでB級なものにこだわることが多い。

ホラー映画「13日の金曜日」のラストシーンに出てくる湖の小舟は、さまざまな作品に登場するし、日本のスキー場(ニセコ)の新聞広告を元に壮大な樹木と雪景色を描いたものもある。大衆的・商業的でありふれているもの、個人的でささいなものや平凡な生活環境を排除することなく、積極的に受け入れながら、油絵というクラシカルなものへと昇華していく。 

「13日の金曜日」からモチーフが得られている《のまれる》 1990年、油彩・キャンバス、197×241cm、ヤゲオ財団コレクション、台湾
©Peter Doig. Yageo Foundation Collection, Taiwan. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120
日本のニセコスキー場の新聞広告をもとに描かれた《スキージャケット》 1994年、油彩・キャンバス、295×351 cm、テート
©Peter Doig. Tate. Purchased with assistance from Evelyn, Lady Downshire's Trust Fund 1995. All rights reserved, DACS & JASPAR 2020 C3120

SNSやバーチャル鑑賞、ニコニコ動画にも積極的に公開

今回のドイグ展では、作家自身の理解もあるのだろう、いままでの日本国内の美術展からは考えられなかったほどに、あらゆる人たちに「公開する」という意識が強く働いている。フラッシュや三脚を使わないなど一定の条件のもとであれば、どの作品だろうとスマホで撮影した写真をSNSでシェアすることが、積極的に推奨されているのだ。

美術館内には、SNSへのシェアを促す掲示!

美術館を訪れることができなくとも、公式サイトでは、会場の隅々までバーチャル鑑賞体験(3DVR)が無料で可能だし、ニコニコ美術館では学芸員による気さくでためになるガイドと、コメントの盛り上がりがオンデマンド動画で楽しめる。ドイグについて何の知識もない素人の感想やツッコミを面白がる学芸員のおおらかな反応は、現代アートの敷居をいい意味で取り除き、親しみやすいものにしてくれる。

最後に、ドイグの言葉の一部をご紹介しよう。

絵画というものは、特定の場所にだけ焦点を当てる必要がある。それはマティスにもセザンヌにもある。彼らは何らかの仕方で焦点を仕掛けとして利用しています。その仕掛けなしには、ゲームにはなりません。

(ニコニコ動画の中での解説より)

「芸術にはなりません」と言わずに「ゲームにはなりません」と言っているところが、非権威的な態度を感じさせて面白い。それにしてもこれは、楽譜の中のどの音を浮かび上がらせ強調するか、といった演奏解釈についても応用できるような考えではないだろうか? 

音楽の今後へのさまざまなヒントをたもらえる「ピーター・ドイグ展」、ぜひ注目しておきたい。

ニコニコ美術館「ピーター・ドイグ展」(動画)でのコメント

初期のドイグの作品に描かれている半裸の男性に対して、「鍛える前のケンシロウ」「若き日の高倉健」「ブルース・リー」「塩こん部長に似てる」と楽しいツッコミが。
クイズのあとに正解が「30億円」の絵だとわかったときの反応がお祭り状態。

関連企画の動画:ピーター・ドイグが現在アトリエを構えているトリニダード・トバゴ生まれの国民楽器、スティールパンを習ってみた

展覧会情報
ピーター・ドイグ展

会期: 2020年2月26日(水)~10月11日(日)月曜日休館

開館時間: 10:00~17:00 金曜・土曜は20:00まで(入館は閉館30分前まで)

会場: 東京国立近代美術館 1階 企画展ギャラリー

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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