禁断の「恋人交換」を通してモーツァルトが謳った女性賛歌、オペラ《コシ・ファン・トゥッテ》
ワイドショーにネタを提供しそうな「禁断の愛」がオペラの物語にはチラホラ......。恋のトキメキや愛の語らいを音楽で補強できるという強みがあるオペラだけに、描かれる恋愛もさまざま。私たちがマネしたら破滅しそうな「禁断の愛」も、オペラを通してなら体験し放題で、案外、人生の勉強になったりするようです。
そんな選りすぐりの「禁断の愛」を、オペラ評論家の香原斗志さんが紹介してくれました。特別講師は「不倫は文化」の発言で話題となった石田純一さん。その発言の真意とは? 石田さんが考える「芸術の中の女性論」にも注目です。
不倫の常習犯ワーグナーも酷評
最近、「いい子症候群」が問題になっています。親が期待しすぎるあまり、子どもが親の顔色ばかりうかがって自分を抑え込んでしまう状態を指すのだそうです。でも、人間は感情の動物ですから、自然な感情が抑圧されるとどこかで爆発して、むしろ「悪い子」になってしまうこともあります。
恋愛感情も一緒で、抑え込めば爆発するかもしれません。モーツァルトのオペラ《コシ・ファン・トゥッテ》に描かれているのも、女性たちが「箱入り」だったばかりに爆発した恋情のように見えます。それが女性の貞操観念のなさと結びつけて語られたりするわけですが、作曲したモーツァルトは、傍から見たら「ふしだら」だと指弾されかねない女性の行動や感情を、賛美しているとしか思えないのです。
ふしだら礼賛! ちょっとヤバい雰囲気になってきましたが、このオペラ、昔からヤバいと思われていました。1790年に世に問われた当初から、不道徳だ、ハチャメチャだという非難が絶えなくて、堅物のベートーヴェンが嫌ったのはわかるとしても、不倫の常習犯だったワーグナーまでが酷評しました。その結果、19世紀の間はほとんど無視されていたという、いわくつきのオペラなのです。
実際、あらすじだけでも、ハチャメチャ感は十分に伝わるはずです。
場所は18世紀末のナポリ。二人の若い士官、グリエルモとフェッランドはそれぞれ、若い姉妹フィオルディリージとドラベッラと婚約しています。士官たちは自分のフィアンセが自慢ですが、老哲学者のドン・アルフォンソに「女が心変わりしないなんて、なにを根拠に!」とけしかけられ、姉妹が貞節を守るかどうかをめぐって賭けをすることに。士官たちは急に出征したことにしてアルバニア人に変装して現れ、自分の恋人でないほうを口説きます。最初のうちは、どんなに口説いても姉妹はどちらも取りつくしまがなく、“アルバニア人”たちも安心しますが、最初に妹のドラベッラが、続いて姉のフィオルディリージが陥落。そこに急に二人の士官が帰ってきて茶番だったことが告げられ……。
甘美に描かれたふしだらな心
散々だまして最後は梯子を外して、ひどい女性蔑視だ、という見方もあるし、複数のカップルがパートナーを交換し合うなんて、際どすぎる、という声もあります。そんな異常な恋愛の世界も、「高尚なご趣味ですね!」なんて言われながら楽しめてしまうから、オペラ鑑賞はやめられないのですが、モーツァルトはいったいなにを描きたかったのでしょうか。
オペラの第2幕で、フィオルディリージは「どうか許して、いとしい人」とアリアを歌います。彼女はまだグリエルモへの愛を捨てていませんが、自分の心に「よこしまな気持ち」が芽生えたのを認めて、心を乱しながら歌うのです。その心の揺れが大きな跳躍や華麗な装飾で表され、華やかなオーケストレーションにも彩られて、このオペラのなかで一番歌うのが難しく、そのぶん美しい曲になっています。ふしだらな心の芽生えを、こんなに美しく描いちゃっていいのかしらん。
それでも貞節を守る、と決めたフィオルディリージでしたが、結局、フェッランド(が扮したアルバニア人)に口説き落されます。
その場面の二重唱がこれまた甘美で、何度も繰り返し聴きたくなるほど魅力的です。ただし歌われているのは、つい何時間か前まで婚約者に愛を誓っていた女性が、怪しい異国の男に口説かれて陥落する場面、というわけなのです。
でも、たぶんモーツァルトは姉妹を「ふしだら」だとは思っていませんでした。
人間賛歌、女性賛歌
そろそろ「解答」を述べましょう。
姉妹は貴族かそれに近い身分でしょうから、婚約者は親があてがったものと思われます。彼女たちは恋愛を経験せずに、ある意味「いい子症候群」の子どもたちと一緒で、社会のしきたりのもとで自分を抑えたまま、あてがわれた婚約者こそ理想の男性だと信じていたのでしょう。18世紀末は理性によって人間生活を進歩させるという啓蒙思想に支配されていたから、なおさら道徳に反したことはできません。
でも、籠に閉じこめられた感情が自由に飛び立ったら、空の上からの新鮮な景色に、たった何時間かで心を奪われても不思議はないと思いませんか。《コシ・ファン・トゥッテ》に描かれているのは、社会の規範から解き放たれた人間の感情です。相手が「アルバニア人」だろうとなんだろうと、彼女たちは初めてトキメキを感じました。そうして自発的に手にした愛こそが本当の愛で、それを獲得したときこそが人間らしい瞬間なんだ――。モーツァルトはそう言いたくて、その場面に美しすぎるほどの音楽を書いたのでしょう。
オペラのタイトルはイタリア語で「女はみなこうしたもの」という意味ですが、実はそれは「女とはこれほど人間らしい」という、女性への最大限の賛辞なんですね。
石田純一さんが語る、芸術の中の「女性の生命力」
ところで、俳優の石田純一さんが「不倫は文化」と発言したとして、叩かれたことがありました。でも、本当は石田さんは記者に、不倫はいけないと認めたうえで、不倫してしまうどうしようもない感情というのがあって、それは音楽や文学にもなっている、と伝えたのだそうです。少し《コシ・ファン・トゥッテ》に近いので、石田さんに聞きました。
そうです。人間賛歌。人間の生命力を歌いあげていますよね。そこに人生の美しさがある、とモーツァルトは思っていたのでしょうね。
トルストイの『戦争と平和』のナターシャも、生命力があふれ出すと止まりません。実は、『戦争の平和』の隠れたテーマは、女性が恋をすると止まらないけど、それでいいんじゃないの、ということだと思うんです。
それは女性蔑視ではなくて女性賛歌。《コシ・ファン・トゥッテ》も同じですよ
石田純一
モーツァルトはだれよりも、ふしだらだと非難されがちな女性たちの味方だったんですね。
右:絵葉書に描かれた『戦争と平和』第2部に登場するナターシャ・ロストワ。婚約者がいるにも関わらず、その相手が既婚者と知らず駆け落ちをする。
モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》KV.588
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