生粋のオペラ・ファン! 宮崎県知事の河野俊嗣さんに藤木大地さんが訊きたい10のこと
カウンターテナー歌手の藤木大地さんによる連載。テナー歌手の夢を諦めかけたとき、風邪を引いて、ふと裏声でうたってみたことからカウンターテナーに転向した藤木さん。そこから6年ほどの間に、日本音楽コンクール第1位をはじめとするコンクールでの快挙、ボローニャ歌劇場でのデビューや数々の主要オーケストラとの共演などを経て、ついに2017年4月、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場にデビューした。それからも破竹の勢いで活躍している、今、日本でもっとも注目される歌手のひとりだ。
連載では、藤木さんと同様、“冒険するように生きる”ひとと対談し、ジャーナリストへの道も考えたことがあるという藤木さんにエッセイを綴っていただく。
第2回は、藤木さんの地元、宮崎県で知事を務める河野俊嗣(こうの・しゅんじ)さん。東国原英夫元宮崎県知事の時代に副知事に就任、その後、政治家に転身、県知事として3期目になる。2009年副知事時代に「のべおか第九演奏会」に合唱団員(テノール)として参加し、ソリストで参加していた藤木さんと出会う。「みやざき大使」も務める藤木さんから河野知事へ、趣味のオペラや、県が主催する宮崎国際音楽祭など、10の質問を投げかけ答えていただいた。
川をくだり、川を渡る
僕は川のある町が好きだ。
ウィーンにはドナウ川、フィレンツェにはアルノ川、ロンドンにはテムズ川、京都には鴨川、そして宮崎には大淀川。
中学から高校までの6年間は、毎日チャリンコで大淀川を渡って通学をしていた。南国といえど、冬の橋の上の風は冷たくて、耳がちぎれそうで、そこは最大の難所だった。
ひとの一生を川にたとえてみるならば、源流から旅立ってひとに出会い、経験を積み重ね、だんだんと広くなってくる。いくつもの運命と合流し、時に向こう岸に渡り、最期に大海にたどり着くとき、自分はどんな川になっているだろうか。
幼いころや青春期の思い出や経験は、淡くも甘酸っぱくもあり、いまだ色あせないものでもある。その頃にいろいろな選択肢を与えてくれ、体験をさせてくれた大人のみなさんに今は感謝するばかりだけれど、そのときにはそれがどんなにありがたいことなのか、気づかないことも多い。
一見無関係にみえる事柄が、実は必然性をもって関係し合っていて、よい流れに乗せてくれることもあるだろう。訪れる結果は、流れの速さや遅さ、激しさやゆるやかさにではなく、「どんなゴールを目指しているか」によるのかもしれない。そしてそれは、たぶん自分にしかわからない。
さあ、令和。
これから僕たちは大きな海にむかって、どのように川をくだるのか。
だれも知らないから、楽しみだよね。
——藤木大地
対談:今月の冒険者 河野俊嗣さん
昭和39年9月8日広島県呉市生まれ。
総務省からの出向で宮崎県総務部長、副知事を務め、その後、知事に就任。子どもが所属するサッカー少年団で保護者会の会長を務め、 のべおか第九演奏会に合唱団員(テノール)として参加するなど、「第2のふるさと」宮崎で公私ともに充実の日々。
趣味は、トライアスロン、オペラ鑑賞、映画鑑賞。座右の銘は一期一会。
藤木大地が訊きたい! 10の質問
Q1. 広島県のご出身です。自治省に入られてから、宮城県→アメリカ→春日井市→国土庁→埼玉県→総務省→そして宮崎県に当初は総務部長としていらっしゃっています。この30年あまりの土地名と経歴を拝見しても「冒険」を感じます。出身地でないところで活躍を続ける上で苦労されたことはありますか?
河野 活動の場が広がること、それと、ステージが変わること、2種類の冒険があったなと思っています。中学校までは呉市内にいましたけど、高校は広島市内、そして大学は東京に出ました。それから自治省という役所に入って、いろんな地方を行ったり来たり。留学も経験したので、呉市から始まって広島市、東京、さらに日本、世界というように、活動の場が広がってきました。
ステージという意味では、もともと外交官志望だったんですが、自治省という役所を選んだことで、さまざまなめぐり合わせもあり、国家公務員がいつの間にか政治家になっていた。そこが一番のチャレンジですね。
藤木 職業的な冒険と、場所の冒険ですよね。
河野 やはり公務員と政治家には大きな違いがあります。選挙を経るか経ないかはものすごく大きな違いで、知事と副知事というのは、仕事は近いように見えますが、そこに大きな川が横たわっている。簡単に越えようにも越えられない川。それを越える決断をしたのは、私にとって大きな「冒険」でしたね。
テノールからカウンターテナーに転向した藤木さんと同じように、地方自治という同じ志を保つ中で、少し違う立場に身を置いたということになります。
藤木 そうですね。その冒険のお話を伺ってすごくすっきりしたというか、もちろん川を渡ったりしたのかもしれませんけども、やっぱり大きな流れの中にいらっしゃるんだなと思いました。
Q2. ハーバード・ロー・スクールへの留学時代の思い出、そして「アメリカ」での思い出深い「音楽経験」はありますか?
藤木 ハーバードに2年行ってらっしゃいましたが、それは何歳のときでしたか?
河野 25~26歳です。ハーバード・ロー・スクールでは、同じ年にオバマさんが卒業されています。会ったことはないですし、話をしたこともないんですけど、同じ卒業アルバムに載っています。1991年卒業ですね。
藤木 僕もちょうどイタリアに最初の留学をしたのが25歳なんです。1年間奨学金をいただいて、文化庁の新進芸術家の海外研修制度で。その若さでの留学って想像ができるんですけども、限られた時間の予定で行かれたんでしょうし、僕もいろいろなオペラを観たいと思って、劇場にも通いましたし、違う都市にもわざわざオペラを観るためだけに行ったりしていました。
留学時代に鑑賞した舞台で印象に残っている経験はありますか?
河野 ミュージカルも結構観に行きました。9月に授業が始まる前、ワシントンDCでふらっと《レ・ミゼラブル》を観に行ったら、当日券でたまたま一番前の席のど真ん中。大感動しました。《レ・ミゼラブル》はアメリカに2年間いる間に6回、《オペラ座の怪人》は5回観ました。アメリカでの最初の音楽体験は、とてもインパクトのあるものでしたね。
クラシックで思い出すのは、オペラもいろいろ観に行ったなかで、パヴァロッティを1回だけ聞いたことがあるんです。《エルナーニ》だったんですが、パヴァロッティの声の音圧がすごかったです。座席にグッと押し付けられる感じで。
藤木 劇場はどちらだったんですか?
河野 メトロポリタン歌劇場(MET)です。そのほかにも、METでアルフレッド・クラウスの《愛の妙薬》を聴いたんです。「人知れぬ涙」で、終わったあとに拍手が起こりますよね。それが1回の挨拶では拍手がなりやまず、2回目の挨拶をされました。そういう場面を見たのはそのときだけでしたね。
相当みなさんに感動を与えましたし、そういう場に居合わせたというのは、私にとって印象深い出来事でした。
ヴェルディ《エルナーニ》/ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)
ドニゼッティ《愛の妙薬》より〈人知れぬ涙〉/アルフレッド・クラウス
Q3. 藤木大地との出会いは、2009年、副知事時代の河野さんがテノールの合唱団員として参加された、九州交響楽団が宮崎県延岡市にやってきた「第九」の公演でした。ズバリ、ファーストインプレッションは?
藤木 河野さんと出会ったのは2009年、副知事を務めていらっしゃったときです。宮崎県の延岡市に九州交響楽団がきて、「第九」の演奏会をするっていうときに、地元の合唱団の一員としていらっしゃったんですね。
そのときの打ち上げあたりで初めてお話をしたと思うんですけども、河野知事もそのときテノールでしたし、僕もテノールのソロで行っていました。そのとき僕は29歳で、10年前ぐらいなんですが、どのような印象をお持ちでしたか?
河野 端正なテノールで、音の響きが美しくて素晴らしいなぁと。
藤木 ありがとうございます。あのとき指揮者は……
河野 ヤマカズさんでしたね。
藤木 そうですね、山田和樹さんが指揮者。
河野 ご一緒できたのは本当に光栄です。10年も経ってしまったというのが信じられないですね。
Q4. 公式プロフィールにも、趣味のひとつに「オペラ鑑賞」をあげていらっしゃいます。オペラをお好きになられたきっかけは?
河野 私も藤木さんと同じで、アメリカにはオペラの留学に(笑)。
藤木 ハーバード・ロー・スクールに!(笑)
河野 それまでは確かオペラは聴いたことがなかったと思います。
藤木 ライブでということですか?
河野 はい。ロー・スクールの日本人の友人に誘われて、METに行ったんです。最初に観たのが《ポギー・アンド・ベス》。そのときにオペラが好きになったわけではないんですが、感心したのが、「あっこういう大人の文化があるんだ」ということ。オペラだから着飾っていかなきゃいけないと彼が言うので、最初は反発してジーンズで行ったのですが、大人の文化や社交の世界が、オペラやクラシックのコンサートを中心としてあるんだということに気づき、そこに最初ぐっと惹かれるものがあって通いはじめ、次第にオペラも好きになり、結局年間会員になりました。
藤木 METの会員になったんですか? 留学中に。でもお住まいニューヨークじゃなかったですよね?
河野 ボストンですから、車で4時間。宮崎と福岡のような感覚ですかね。1年目は独身で、2年目は結婚して妻と。2年目は通い詰めでしたね。時には毎週のように。
藤木 ボストンはオーケストラもあるし、文化的なことが行なわれる街でしょう。
河野 ボストンは当時、小澤征爾さんがおられましたから、ボストン・シンフォニーも年間会員になって。
藤木 ボストン・シンフォニーとMETの会員でいらしたと。
河野 そうですね。
藤木 大好きですね。勉強してましたか?(笑)
河野 勉強してましたよ。熱心に(笑)。
藤木 一番好きなオペラはなんですか?
河野 一番好きなオペラですか……藤木さんは?
藤木 僕は《ラ・ボエーム》なんですよ。僕は《レ・ミゼラブル》と《ボエーム》では必ず泣けるんです。
河野 《ボエーム》で! へぇ~! そうなんですね。
でも《椿姫》のほうが泣けるのではないですか?《ボエーム》も大好きですが、まぁ若気の至りですよね。幸せをつかみかけたヴィオレッタが、身を引いて我慢して、そう展開するのか~! と。《椿姫》は、私が最初に好きになったオペラですし、先日もライブビューイングを見て、ポロポロ泣いてしまいました。
好きなオペラ、ひとつには絞れないんですけど、私が好きなのは《カルメン》、《トゥーランドット》、《ホフマン》ですね。
藤木 《カルメン》と《トゥーランドット》はわかるんですが、《ホフマン物語》ってわりと複雑じゃないですか? 話がいっぱいあって。
河野 3つの話がバラエティに富んでいて、あれがおもしろいんですよね。3人のソプラノが歌ったりしますし、1人が歌い分けるおもしろさもありますし。また、悪役も魅力的です。
アントニアの場の三重唱があるじゃないですか。あれを、鎌倉に住んでいた頃、出勤前に聴いていましたね。毎日。あの三重唱で気持ちを盛り上げて、こう「よし! 行くぞ!」みたいな。
オッフェンバック《ホフマン物語》のアントニアが登場する第3幕の三重唱
藤木 でもあれって、あのあと天に召されちゃいますよね?
河野 そうです、天に召されちゃうんですが、なんか好きです。異様なテンションの盛り上がりが。
藤木 僕、とある筋から「知事の一番好きなオペラは《ヘンゼルとグレーテル》である」っていう情報を得てここに来たんですけど、それは違うんですか?
河野 そうですね、その次に好きなグループには確実に入りますね。その次のグループに入るのが、《ボリス・ゴドゥノフ》、《イドメネオ》、《ヘンゼルとグレーテル》、《魔笛》あたり。合唱や重唱が好きなんですよね。
藤木 たぶん僕よりオペラ観ていらっしゃいますね(笑)。
河野 仕事でこれだけオペラの話ができて幸せです(笑)。
Q5. もっとも心をゆさぶられた音楽体験はどのようなものですか?
藤木 いろいろな経験について伺いましたが、一番忘れられないとか、子どもの頃に行ったコンサートとか、ずーっと覚えてるものはありますか?
河野 そうですね。小学校の頃、少年合唱団に所属していたんですよ。最初は親に促されて入団したのですが、5年生の頃だったか、ハーモニーの美しさに目覚めて、合唱の楽しさがわかるようになりました。振り返ってみると、それで音楽が好きになったこともあり、やっぱりクラシックの中でも、自分は歌や合唱が好きなんだというのを最近自覚するようになりました。
それと、ちょっと変わった音楽体験といえば、この前、宮崎のサル・マンジャーというホールで、メゾ・ソプラノ山田美保子さんの日本歌曲のコンサートがありました。その中に、藤井清水(ふじい・きよみ)さんの歌があって、私と同じ呉出身の作曲家で、その名前は懐かしいなと思ったのですが、プログラムにあった「篠田の薮」という曲名にはまったくピンときませんでした。
ところが、山田さんの歌い出しを聴いた瞬間、1番の歌詞とメロディがバーッと頭の中に浮かび上がってきたんです。自分でも驚きました。たぶん子どもの頃、合唱団で歌ったんだと思います。音楽って、自分のどこか奥底に刻み込まれていて、それが何かの弾みで一気によみがえってくるんですね。そんな音楽のもつ力を感じて、ゾクゾクっとしましたね。
藤木 いいお話ですね。
ご覧になっている舞台からしても、ミュージカルにしてもオペラにしても歌を中心にしてらっしゃる感じがして、親近感がわきます。
Q6. 県が運営の大部分を担う、「宮崎国際音楽祭」は24回目ですね。この「国際」音楽祭が宮崎にもたらしている有形無形のものはなんだと思われますか。
藤木 宮崎国際音楽祭は、今年が24回目、来年で25周年ですね。宮崎国際室内楽音楽祭という名称で始まり、2002年の第7回目から宮崎国際音楽祭へと名称が変わりました。この宮崎という地方都市で国際的な音楽祭をやる一番大きな意義、地域社会にもたらしている利益というものはなんだとお考えになっていますか?
河野 やはり宮崎の芸術文化のひとつの核であることは間違いないですね。よくハコだけ作って中身が……ということがありますけど、併せてソフトもちゃんと用意したのが非常に素晴らしいところだなぁと思います。宮崎県立芸術劇場という拠点を作って、しかもアイザック・スターンさんという超一流の演奏家を音楽監督としてお招きし、その後の人脈もできましたし、すっと軸が通っている感じがするんですよね。
藤木 音楽祭に来られるお客さん以外の県民の人たちにも、なにか良い宮崎のイメージ、文化のイメージを与えているという実感はありますか?
河野 よくみなさんがおっしゃるのは「聴衆も育っていますね」という話です。音楽祭を開くことによって、単にホールがあってときどきコンサートを開催するだけでなく、定期的に行なうことによって、聴衆もどんどん育ってきている。裾野を広げるという意味ではまだまだ課題はありますが、音楽ファンは確実に育ってきている感じはします。
Q7. 一方で「宮崎国際音楽祭」の今後の課題には一体どのようなものがあげられますか?また、音楽家の立場でわれわれになにかできることはありますか?
藤木 今後の課題はオーディエンスの裾野を広げるということだと、今お言葉がありました。
ちょうど気候も良い季節ですし、宮崎の良いところがいっぱい楽しめて、そして演奏もできるということで、宮崎国際音楽祭に参加したことのある音楽仲間としゃべっていると、宮崎に行くのをみんな楽しみにしていると感じます。
そういう招かれていく音楽家の立場でなにかできることはあるとお思いになりますか?
河野 宮崎の良さを発信してもらうことですね。地鶏やマンゴーなど美味しいものもたくさんありますし、観光地もいろいろありますから。国内外で活躍する音楽家の方に宮崎の良さを伝えていただくというのは、大変貴重な機会です。
藤木 いわゆる口コミで宮崎の良さが発信され、それを見た人がさらに宮崎に行きたいと思うモチベーションにつながるということですよね。
河野 コアなファンは東京からでもわざわざいらっしゃっていますが、もっともっとファン層を広げていくための中身を考える、そこが大切だと思います。
藤木 だいたい2万人前後、毎年いらっしゃると思うんですけども、それからまた今まで来た人、それ以外の人たちに普及するために、何か考えられる方法はありますか?
河野 佐藤寿美館長になられてから、新しいメニューが始まりましたよね。「500円コンサートの日」(5/3 全7公演)だとか、「Oh! My! クラシック」(4/30)だとか、「ポップス・オーケストラ」(5/18)だとか。これらが、高い質を保ちつつ、音楽ファンの裾野を広げる取り組みになっていると思います。
それから、なるべくコンサートの中で、曲目の解説などのトークを入れていただくよう、演奏家のみなさんにお願いしています。いくつかのプログラムではプレトークを行なっていただいていますし、「エクスペリメンタル・コンサート」(5/10)は必ず野平一郎さんがマイク持って話をされますね。現代曲のわかりにくさを補っていただき、とても親しみがもてます。
藤木 それを入り口に音楽を知った人が、次にちょっと敷居の高そうに見えるものにきてくれるというのは、僕もベストな道だと思っていて、とにかく最初の入り口というか、最初の第一体験を作るのが大事ですよね。
河野 生演奏の魅力を、自分もメトロポリタン・オペラなどで感じました。そこまでにいかに関心を引き付けて、足を運んでもらえるかがポイントですね。
藤木 昔ウィーンで経営学を勉強して、そのときに学んだ概念に「アイーダ」というものがあります。Aが「attention(気づく)」、Iが「interest(興味をもつ)」、Dが「desire(望む)」、次のAが「action(行動する)」なんですよね。その順番で人は動く。だからまず気づかせる、次に興味をもたせる、そして欲求をもたせて、足を運ばせる、というこの4段階が必要で、この順番のストラテジー(戦略)っていうのは非常に大事で、入り口を作ってなにかまず情報を与えて、最後のチケットを買ってホールに行くってところまでつなげていかなければいけない。
河野 やっぱり行ったことのない人にとっては、コンサートホールまで行くのが敷居がずいぶん高く感じられたりするのでしょうね。
藤木 でも現代は幸いいろんなツールがあって、今まで以上に情報を得る方法がある。最初に興味をもってもらうというのがすごく大事なことだと考えますね。
河野 YouTube、面白いなと思います。家に帰ると、パソコンでYouTubeを開いて、どちらかというと声楽系の宗教曲をずっと聴いているのですが、すると「あなたへのおすすめ」が出てくるじゃないですか。そこからまた広がっていくんですよね。知らなかった曲が好きになって、何枚もCDを買ったり、そのような曲のコンサートに行くようになったりしました。
だからYouTubeというツールがあることによって、音楽に接する機会が増え、音楽ファンを増やす可能性も広がっていると思います。今の時代は、ネット上にそういう場があるなぁという感じがしますね。
藤木 サラ・オレインさんとの対談でも話題になったんですが、無料で聴けるツールも今増えてきていて、だけど、そこでみんなの欲求がすんでしまうと、その先に進まない。切符を買ってコンサートホールに行って聴いてもらうというところまでつなげたいと僕は思っていて。答えはまだないんです。課題の一部でもあると思っているんですね、YouTubeに関しては。
Q8. 特に音楽の未来ともいえる、より多くの若い聴衆をコンサート(音楽祭)会場に集めるアイディアについてもディスカッションしてみたいです。
藤木 若い聴衆って言ってもカテゴライズにいろいろあると思うんですよ。たとえば、赤ちゃん、それから小学生になる前の未就学児で普段はコンサートに入れない人、それから小中高校生とか、大学生も含めて、割引券がある人たち。そのあと、25歳以上30歳未満で自分の意志で切符を買える人。そのカテゴリーの分かれ目というのは、自力で切符を買えるかどうかだと思っています。
自力でチケットを買えない場合は、お家の方にお願いするか、主催者からの招待プログラムや入場無料のコンサートを探すなど、大人の手助けも必要になってくると思います。
河野 今チケットを買える買えないというお話がありましたけど、あまりそこは関係ないのではないかという気がします。みんながみんなオペラの公演のような5万6万のコンサートというわけではないですし、好きだったら、みんないろいろなものにお金を使いますよね。いくらお金がない人でも、自分の好きなものであれば使うし、そのための時間も作ります。
だからやっぱり、音楽を好きになってもらうことに尽きるという気がします。そのためにいろんな入り口を用意するというのが大事なのかなと思います。
Q9. 政治家としての河野さんが、(一般的には何かあれば真っ先に予算を削られる対象になってしまってきた)文化事業の価値を認めてくださることは、音楽ファン、われわれ音楽家にとってとてもありがたいことです。人間の日常生活における「音楽」の重要性についてディスカッションしてみたいです。
藤木 いいお話を聞かせてくださってありがとうございます。
行政のトップに立っている方が、こんなに音楽のことを愛していて、文化を愛している、というのは本当に稀有なケースだと思います。それが自分の出身地である宮崎県のリーダーが河野さんで本当に良かったなぁと思います。
行政において災害が起こったりとか、お金に困ったりしたときに、削られる予算の一番最初が文化だったりという経験が結構あったんですよね。それでも文化、芸術というのは大事なんだよって思ってくださっているからこういう音楽祭が成り立っているわけで、それは僕たちにとってすごくありがたいことだと思います。一般的な市民や県民に音楽の重要性を伝えたいと思ったときに、音楽というのはどういう価値があると思われますか? 人間の生活において、あるいは人間の人生において、音楽はなにをもたらしてくれると思いますか?
河野 災害対応など重要な課題はいろいろありますが、困難に直面したとき、私たちに立ち上がる力を与えてくれるのは音楽だと思います。いろんな芸術文化があるなかで、絵画とか小説にもそういう力はありますが、一番ぐっとくるのは音楽なんですよね。東日本大震災もそうでしたよね。音楽の力というのは、本当にすごいものがある。やっぱりそこは伝えたいなぁと思いますね。
Q10. あなたにとって音楽とは?
河野 やっぱり「生きる力」でしょうね。私にとってはそうですね。「生きる力」そのものだと思います。
僕がかねてより持っていた「政治家」のイメージをやすやすと超えた、しかし行政のリーダーとして明らかな魅力のある河野さんの言葉からは、特に「軸」というワードが印象的でした。
地方自治というミッションとゴールを貫き、ぶれない軸で僕たちのふるさとのために力を尽くしてくださる一方で、僕の職業であるオペラの話になると、人生の宝物を語る少年のようにお顔が輝いていました。
好きなものを好きと言いたい! 自分が大好きなもののよさを伝えて、まわりのみんなにも好きになってもらいたい! みんな、コンサートにこんね! そんな気持ちでお見送りしました。知事、また一緒に歌いましょう!
藤木大地
住所: 東京都渋谷区代々木2-2-1 新宿サザンテラス
1階 アンテナショップ
2階 宮崎風土 くわんね quwanne
営業時間:11:00~15:00(LO14:00)、17:00~23:00(LO22:00)
※年中無休。年末年始を除く、他KONNE に準じた定休あり
問い合わせ:Tel. 03-5308-5200
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