シューマンの華やかさだけでなく、“優しさ”を感じさせるフォルテピアノの室内楽
林田直樹さんが、今月ぜひCDで聴きたい3枚をナビゲート。3月は、メルニコフのフォルテピアノを中心に豪華な弦楽奏者が集ったシューマンの室内楽、コパチンスカヤのヴァイオリンとクラリネット、ピアノの三重奏による旅の雰囲気に溢れたアルバム、飯森範親指揮パシフィックフィルハーモニア東京によるモーツァルトの比較的初期の交響曲の録音が選ばれました。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
DISC 1
どこまでも内面的で、調和のとれた、美しい室内楽の響き
「シューマン:ピアノ四重奏&五重奏」
収録曲
シューマン:ピアノ四重奏曲 変ホ長調 op.47、ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44*
[キングインターナショナル KKC-6776]
淡い、くもった、夢のような、繊細なシューマンだ。
いまピアノ界を席巻しているフォルテピアノ、すなわち第一次世界大戦以前の、大量生産の規格化された工業製品になる前の、一つひとつが異なる手工芸品として制作されていた時代の昔のピアノは、ソロでも素晴らしいが、室内楽になるとさらに別種の魅力を発揮するということが如実に伝わる、これは画期的な名演である。
フォルテピアノの第一人者でもあるロシア出身のメルニコフを中心に、ファウスト、タメスティ、ケラス……何と豪華な弦楽奏者たちが揃ったことだろう。みなシューマンについては特別な思いを抱いている人たちばかりだ。そんな彼らが心を寄せ合って作り出す室内楽の響きは、この作曲家ならではのデリケートで親密な雰囲気にあふれ、単に華やかであるだけでない、“優しさ”の感じがあるところがいい。
外面的な刺激よりも、どこまでも内面的で、調和のとれた、こんなにも美しい室内楽の響きは、たった一度表面を撫でるようにBGMとして聴くだけではもったいない。演奏者と同じくらいに心を込めて耳を傾けるほど、この演奏の真価がじわじわと響いてくる。
なお、ジャケットに印刷されているのはパウル・クレーの描いた家の絵である。クララとロベルトが営んだシューマン一家の愛と翳りを思わせるこのデザインも、アーティストたちのメッセージの一部として、手に取って味わいたい。
DISC 2
野性的なヴァイオリニストが三重奏で旅するアルバム
「Take3~プーランク、バルトーク、シェーンフィールド、ニキフォル」
*イリヤ・グリンゴルツ(ヴァイオリン)、*ルスラン・ルツィック(ダブルベース)
収録曲
フランシス・プーランク(1899-1963):IV. ためらいのワルツの動機 ~『城への招待』 F.P. 138
ポール・シェーンフィールド(1947-):クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲
プーランク:VIII. ボストンのテンポで ~『城への招待』 F.P. 138
プーランク:ヴァイオリンとピアノのためのバガテル ニ短調
プーランク:XVI. 狂おしく速く陽気に ~『城への招待』 F.P. 138
プーランク:クラリネット・ソナタ FP.184
プーランク:XIII. タランテッラのテンポで ~『城への招待』 F.P. 138
ベラ・バルトーク(1881-1945):ヴァイオリンとピアノのためのブルレスク Op.8c-2
プーランク:XII. 非常に速く、非常にいたずらっぽく ~『城への招待』 F.P. 138
バルトーク:ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのためのコントラスツ Sz. 111
プーランク:XI. タンゴ ~『城への招待』 F.P. 138
シェルバン・ニキフォル(1954-):クレズマー・ダンス*
[ナクソス・ジャパン NYCX-10446 ]
ウクライナとルーマニアにはさまれたモルドヴァに生まれたコパチンスカヤは、野性的なキャラクターを持ったヴァイオリニストとして、強烈な存在感を放ち続けている。昨年大野和士指揮都響に客演してのリゲティでは、新聞紙で作った衣裳で全身をパロディ化し、その姿はいまもなお目に焼きついている。
彼女がいつも舞台上で裸足で演奏するのは、その方がしっかりと足を踏ん張れるということもあるかもしれないが、それ以上に足の裏から伝わってくる木や石や土の感覚を大切にしたいということがあるのだろう。それは彼女の音楽の本質と関連している。
今回のアルバムはクラリネットとピアノとの三重奏によるものだが、旅の雰囲気にあふれ、泥臭いところがたまらなく魅力的だ。ピエリのクラリネットは、ときに声を荒げながら妖艶さも持ち、東欧のユダヤ人たちのクレズマー的な要素を体現する。この流れの中だと、プーランクもバルトークも、アクの強い音楽としてまったく別物のように響く。
コパチンスカヤ自身のライナーは興味深く、詩的なイメージにあふれている。「私自身がそうであるように、根を失った音楽家にとって、故郷とは記憶と夢の中だけに存在するものである。それは大きくて実り豊かな傷なのだ」という一節はとりわけ印象に残る。ジャンルを超えて多くの人に聴いてほしいアルバムである。
DISC 3
モーツァルトの交響曲の後期だけしか聴かないのはあまりにももったいない
「モーツァルト:交響曲第31番《パリ》、第23番、第16番、第17番」
収録曲
モーツァルト:交響曲 第31番 ニ長調 K.297 (300a)《パリ》、交響曲 第23番 ニ長調 K.181 (162b)、交響曲 第16番 ハ長調 K.128、交響曲 第17番 ト長調 K.129
[オクタヴィアレコード OVCL-00830]
何と輝かしく、まぶしいモーツァルトだろう。
飯森範親を音楽監督に迎え、2022年4月から新しく船出したパシフィックフィルハーモニア東京(PPT)が、こんなにも見事な演奏をやってのけているという事実を、声を大にして多くの人々に伝えなければならない。
モーツァルトの交響曲の比較的初期の作品(すべて3楽章制)を中心としたこのアルバムは、みずみずしく覇気にあふれ、またしっとりとしたエレガントな雰囲気にも満ちている。後期だけしか聴かないのはあまりにももったいないと改めて実感させられる。
オーケストラの基礎を作るためには、古典派の作品にしっかり取り組むことが何より重要だ。それを飯森はこれまでのオーケストラでも実行してきた。ここにはその見事な成果がある。
特筆すべきは、たっぷり6日間も時間をかけて組んだセッション録音であるということ。レコード会社が本気で制作すると、こんなにもいいものができるという証明がここにはある。続編も楽しみに待ちたい。
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