読みもの
2020.05.08
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.20

マノンのキャラが違う! 《マノン・レスコー》原作とオペラの差

音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第20回は、プッチーニのオペラ《マノン・レスコー》の原作小説について。オペラと原作ではキャラクターの印象が正反対?

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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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オペラの原作となった、当時の人気小説『マノン・レスコー』

前回、アンリ・ミュルジェールの『ラ・ボエーム』の話題を取り上げた。原作の持つさまざまな要素をプッチーニがどう取捨選択し、いかに最強の「泣けるオペラ」を創造したかという点で、この原作は実に興味深いものだった。

おもしろいことに、アンリ・ミュルジェールの『ラ・ボエーム』には、アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』についての言及が出てくる。それだけ当時の人々にとってはよく知られた作品だったわけだが、『マノン・レスコー』もまたプッチーニがオペラ化した作品である。というか、順番としてはプッチーニは先に《マノン・レスコー》を書き、次いで《ラ・ボエーム》を書いた。

アベ・プレヴォ(1697年4月1日~1763年12月23日)
フランスの小説家。カトリック教会の聖職者だった。

ではアベ・プレヴォの原作『マノン・レスコー』とプッチーニのオペラ《マノン・レスコー》はなにが違っているのか。人物造形や根幹のストーリー部分は、『ラ・ボエーム』ほどには変わっていない。

しかし、オペラはオペラである以上、原作を大幅に省略しなければならない。特にこの作品ではその省略っぷりが半端ではなく、幕と幕の間にヒュン! とストーリーがすっ飛んでいる。「別に説明しなくても、この話だったらみんな知ってるよね?」と言わんばかり。だから、原作を読むことで腑に落ちる点がたくさんある。

マノン・レスコー


プレヴォ(著)、野崎 歓 (翻訳)
出版社: 光文社 (2017/12/20)

オペラでは遭難死したと思われるデ・グリューだが……

たとえば結末。プッチーニのオペラ《マノン・レスコー》では、最後の場面でデ・グリューとマノンはアメリカの荒野をさまよい歩き、水一滴もなくなってマノンは死ぬ。デ・グリューはマノンの亡骸を抱き、慟哭して幕が下りる。私の理解ではこれは遭難死である。デ・グリューも飢えと渇きでまもなく死ぬはず。なんの準備も装備もない人間が、荒野で生き抜くことはできない。

しかし、オペラを先に知った人が原作を読むと、冒頭でいきなり度肝を抜かれることだろう。なにしろこの小説は語りである老貴族の「私」がデ・グリューの身の上話を聞いて書き留めたという体裁をとっているのである。

「えっ? ってことはデ・グリュー、生きてるの? てっきりアメリカの荒野で野垂れ死んだと思ってたら、ヨーロッパに帰ってたの!?」

マノンは死んだが、デ・グリューはピンピンしてるのだ。

Vespasiano Bignami (1841~1929)による、ミラノ スカラ座での《マノン・レスコー》公演のポストカード。荒野で倒れるマノンと、寄り添うデ・グリュー。

原作でもオペラでも、デ・グリューがマノンと同行してアメリカへと赴くのは同じである。ただ、そこから先の話がオペラでは省略されている。

ふたりはなんにもない貧しいアメリカの植民地で質素な暮らしを送る。マノンはもはや浪費家でも浮気性でもなく、ついにデ・グリューと真実の愛で結ばれる。ふたりは既婚者と偽ることで、アメリカでも生活を共にできたのだが、あるとき、やはり神のもとできちんと結婚しようと思いつく。

これが運の尽きで、結婚すると言い出したばかりに本当は結婚していなかったことがバレてしまう。植民地の総督が「だったらマノンは別嬪さんだからウチの甥っ子の嫁にしよう」と決めて万事休す。ふたりは植民地から逃亡する。そして、現地の未開人たちに道案内をさせて、はるか遠方にあるイギリス人たちの植民地に向かおうとしたのである。少し考えればそんなことができるはずはないとわかりそうなものだが、このふたりはいつも見通しが甘く、行き当たりばったりなのだ。

荒野に出てすぐにマノンは死に、デ・グリューは捜索隊に見つけられて、命を失わずに済む。それどころか友に助け出されて、フランスに帰る。

フランスで無茶苦茶な狼藉を働いて新世界まで流れ着いたにしては、男は案外と無事にもとの生活に戻り、女は無残に死ぬ。現代的視点からすると、いささか居心地の悪い結末ではある。

マノンとデ・グリューのキャラクターがオペラでは逆転?

もうひとつ大きな違いを感じる点がある。プッチーニのオペラを観ると、デ・グリューはマノンへの愛を貫いているのに、マノンは口では「愛している」と言いながら、享楽的な暮らしを捨てられない身持ちの悪い女に見える。デ・グリューには一貫性があるのに、マノンはふらふらしている。

ところが、原作からはむしろ正反対の印象を受ける。ふらふらしているのはデ・グリューだ。彼は神に仕えることとマノンへの愛の間でふらふらしている。一方、マノンの行動原理には一貫性がある。彼女にとっての優先順位は第一が享楽に耽ること、第二が愛。デ・グリューのことはずっと愛しているけど、ただ金持ちの愛人になることのほうが優先順位が高いだけで、価値観にブレがない。もしマノンの人生にデ・グリューが割り込んでこなければ、彼女は望み通りの人生を送っていたにちがいない。

プッチーニ《マノン・レスコー》

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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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