第6回ヴェルディ《ファルスタッフ》〜冗談にも程がある
音楽ライターの飯尾洋一さんが、現代の日本に生きる感覚から「登場人物の中で誰に共感する/しない」を軸に名作オペラを紹介する連載。第6回はヴェルディの最後のオペラ《ファルスタッフ》。主要登場人物の中で、飯尾さんが共感するのは誰?
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
名作オペラについて「心の主役」を探す連載第6回は、ヴェルディの《ファルスタッフ》。なんと、作曲者79歳にして書かれた最後のオペラである。
原作はシェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』。ヴェルディのオペラではほぼ唯一の喜劇だ。ヴェルディに限らず、19世紀の名作オペラは圧倒的に悲劇優位だが、この《ファルスタッフ》には決闘も殺人も出てこない。軽やかな笑いがあり、それでいて物語も音楽も味わい深い。観るたびに新たな発見がある傑作だ。
主人公は酒好き女好きで太鼓腹の老騎士ファルスタッフ。金持ちの人妻を口説こうとアリーチェとメグのふたりに同じラブレターを送る。送られた女性たちはカンカンになって、ファルスタッフを懲らしめようと策を練る。アリーチェの夫フォードも、ファルスタッフを罠にかけようと、偽名を使ってファルスタッフに会う。アリーチェとの逢引きを企んでフォード邸にやってきたファルスタッフだが、フォードが乗り込んできて大慌て。ファルスタッフは洗濯籠に隠れたところを川に捨てられて一同大笑い。
一方、フォードの娘ナンネッタは恋人のフェントンとの結婚を望んでいるが、父親は娘を医者と結婚させようと考えている。女たちは夜の公園にファルスタッフを呼び出してふたたび懲らしめると同時に、機転をきかせてナンネッタとフェントンの結婚を後押しする。
発表! 《ファルスタッフ》のキャラクター別 共感度
ファルスタッフ 共感度 ★★★★★
一見、この主人公はまったく共感できない。大酒飲みの小悪党でだらしがない。なんの魅力もないのに自分は色男だと思い込んでいる。ふたりの女性に同じ文面のラブレターを送るなど、騎士とは名ばかりの厚顔無恥ぶり。
ところが、だんだんこの人物が他人とは思えなくなってくる。ほとんどの男性は年齢と経験を重ねるに従って、多かれ少なかれ「ファルスタッフ」化してゆくことに気づくからだ。若い頃は他人にていねいに接するように気をつけていても、いつの間にか(特に自分よりずっと若い相手に対して)雑な態度を取るようになっていることに気づき、はっとする。そんなことをくりかえすようになる。
ファルスタッフは「ノーフォーク公爵の小姓だった頃は私もほっそりしていた」と歌う。これは外見上の肥満を嘆いて笑いをとるという体裁で、本質的には人のメンタリティの変化を歌っている(と思う)。ファルスタッフはとことんダメ男かもしれないが、作者が向ける眼差しは案外と温かい。
第2幕第2場、ファルスタッフがアリーチェ夫人に歌う「私が昔ノーフォーク侯爵の小姓をしていた時は」
フォード 共感度 ★☆☆☆☆
裕福な男性だが、ファルスタッフが妻アリーチェを狙っていると知って動転する。それはいいのだが、その後の言動がよくわからない。別人を装ってファルスタッフに会いに行き、お金を渡したうえで、「アリーチェに惚れているのだが振り向いてくれないから、代わりにあなたがアリーチェを口説いてほしい。そうすれば自分にもチャンスが来る」と懇願するのだ。ずいぶん奇妙な話ではある。
ここのくだりはシェイクスピアの原作「ウィンザーの陽気な女房たち」でも同様なのだが、当時の観客に違和感はなかったのだろうか?
第2幕1場、妻アリーチェに裏切られた(と勘違いして)嫉妬と自虐を歌う「夢か? 現実か」
フォード夫人アリーチェ 共感度 ★★☆☆☆
「ファルスタッフ」に登場する女性たちは、かなり辛辣だ。主人公の失礼さを考えれば当然のことではある。ただ女性陣の中にも濃淡があって、いちばんどぎついキャラクターはアリーチェだろう。「太った人間に税金をかけるように国会に提案しよう」と言い出すのもアリーチェだし、第2幕のおしまいで洗濯籠に隠れたファルスタッフを、籠ごとテムズ川に捨てるよう命じたのもアリーチェだ。これでファルスタッフが土左衛門になっていたら、第3幕の幕は上がらなかった。
ナンネッタとフェントン 共感度 ★★★★☆
若いふたりのカップルは、このオペラの清涼剤。ドタバタ劇の最中にも一貫して愛を語る。このふたりを見ていると、ファルスタッフや女性たちとの騒動など、まったくとるに足らないことのように思えてくる。プッチーニ《ジャンニ・スキッキ》のラウレッタとリヌッチョの先輩格。
第1幕終盤、殺気立つ周りをよそにキスを矢に見立てたゲームをはじめる若い2人。
クイックリー夫人 共感度 ★★★★☆
不必要に慇懃な態度をとるクイックリー夫人は、だれよりも上手にファルスタッフをおちょくっているように見える。ヴェルディの音楽も実におかしい。クイックリーの名に反してなんともじれったい感じの物言いをするのは、ディズニー映画『ズートピア』でナマケモノの名前が「フラッシュ」だったことを思い出させる。
オペラのフィナーレ、登場人物全員が「世の中はすべて冗談さ」とフーガで歌う。
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