最終回 ヴェルディ《仮面舞踏会》〜“マスク”を被った悲劇
音楽ライターの飯尾洋一さんが、現代の日本に生きる感覚から「登場人物の中で誰に共感する/しない」を軸に名作オペラを紹介する連載。最終回は人間関係を絶妙に描き出すヴェルディ中期の傑作《仮面舞踏会》。飯尾さんが共感する登場人物は誰だ!
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
この3年間ほど、外出時にマスクが欠かせなかった。うっかりマスクを忘れて外に出てしまったときのために、手持ちのあらゆるカバン類に予備マスクを忍ばせていたほど。マスクは感染症対策であると同時に、現代のドレスコードになっていた。
が、2023年春、ようやく人々はマスクの下の素顔を見せるようになりつつある。電車のなかでもコンビニでも、マスクを付けていない人がたくさんいる。今は付けている人と付けていない人が拮抗した状態だ。
そんなマスク時代にふさわしいオペラといえば、マスカレード、すなわち《仮面舞踏会》しかない。マスクで顔を覆った人々が集まり、そこで事件が起きる。復讐心に燃えたマスクの男が、別のマスクの男を刺す。
《仮面舞踏会》は多くの悲劇と同様に不条理な物語だが、決して心が痛むような話ではない。ある意味、安心して鑑賞できる悲劇と言えるかもしれない。たぶん、それは主人公リッカルドが「いくらでも引き返すチャンスはあったのに、そうしなかった」からだと思う。
ボストン総督リッカルドは、腹心の部下レナートの妻アメーリアに秘めた想いを抱いている。レナートは謀反の気配を察知して、リッカルドに警告する。
リッカルドは身分を隠して占い師ウルリカのもとを訪れる。そこにアメーリアがあらわれ、ウルリカに恋の悩みを告白する。ウルリカは悩みを消すために「真夜中に刑場に生える草を摘め」と指示する。これを盗み聞きしたリッカルドはアメーリアも同じ想いを抱いていたことを知る。ウルリカはリッカルドを占い、「これから最初に握手する者によって殺される」と告げる。怖気づいた周囲の者はだれもリッカルドに手を差し出そうとしないが、なにも知らずにあらわれたレナートが、リッカルドと握手する。
真夜中、アメーリアが刑場を訪れると、リッカルドが姿をあらわし、愛を告白する。そこにリッカルドを反逆者たちから守ろうとレナートがやってくる。レナートは妻とリッカルドが逢引きしていたことを知り、怒りに燃えて復讐を誓う。
仮面舞踏会でレナートはオスカルからリッカルドの仮装を聞き出し、リッカルドを短剣で突き刺す。瀕死のリッカルドはアメーリアが潔白であることを述べ、レナートの誤解を解いて事切れる。
発表! 《仮面舞踏会》のキャラクター別 共感度
リッカルド ★★☆☆☆
悲劇の主人公だが、あまり共感の余地はない。一見、愛と友情の板ばさみに苦しんでいるようでいて、実のところアメーリアに対する自制心と配慮が不足していただけにも見える。腹心の部下の妻を愛したらどうなるか。きっぱりあきらめるか、己の権力を利用して部下を破滅させるか、二者択一だろう。優柔不断ではっきりしない態度が悲劇を招いた。終場で刺されて致命傷を受けたと思ったら、そこからまだ延々と歌い続けるあたりも、きっぱりした態度のとれない男らしい。
第一幕冒頭、アメーリアへの密かな想いを歌う「恍惚とした喜びの中で」と、終盤に歌われる諦めのロマンツァ「もしも、私が永遠に」
レナート ★☆☆☆☆
リッカルドに対してこのうえなく忠実な部下だったのに、妻アメーリアの不貞を確信すると、その忠誠心はドス黒い憎悪へと変貌する。われを失う気持ちはわかる。だが、落ち着いてアメーリア本人の言い分に耳を傾けてはどうか。物事を1か0で理解する人物だが、真実には256くらいの段階がある。
冒頭、リッカルドへの忠誠を歌う「希望と喜びに満ちて」と、第3幕に一転リッカルドへの憤りを爆発させる「おまえこそ心を汚すもの」
アメーリア ★★☆☆☆
気の毒というほかない。早く息子と一緒に逃げてほしい。たとえ不貞の疑いが晴れても、あんな怖い夫とともに暮らせるとは思えない。
レナートに死を求められ、最後に子どもにだけは会わせてほしいと懇願するアメーリアのアリア「わたしは死にましょう」
ウルリカ ★★★★☆
ことごとく予言が当たる。こんなにも予言で未来を見通せるということは、幸せなことなのか、不幸せなことなのか、考えずにはいられない。世の中を陰謀論で解釈するなら、ウルリカは事件の主犯格かもしれない。アメーリアの悩みを聞き、「刑場に生える草を真夜中に摘み取れ」と指示したのはウルリカ。リッカルドが盗み聞きをしていることは承知の上だ。そして、現地でレナートが鉢合わせをするように企む……。そんなウルリカ首謀説はどうか。
ウルリカの呪文の歌「地獄の王よ、急ぎ給え」
オスカル ★★★☆☆
悲劇に軽やかさをもたらす貴重な存在。この小姓だけはひとり安全地帯にいる。ただ、よく考えてみれば仮面舞踏会でオスカルがリッカルドの仮装を教えてしまったから、事件が起きたのである。もうひとがんばりして、知らんぷりをしていれば、レナートはいったんあきらめて帰ってしまったのではないか。なんの悪意も善意もない人が事件の引き金を引く。いかにもありそうな話ではある。
クライマックスの直前、リッカルドの仮装を訪ねるレナートをからかいながらオスカルが歌う「どんな衣装か知りたいだろう」
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