読みもの
2023.04.15
「心の主役」を探せ! オペラ・キャラ別共感度ランキング

第10回 ブリテン《ピーター・グライムズ》〜明日は我が身

音楽ライターの飯尾洋一さんが、現代の日本に生きる感覚から「登場人物の中で誰に共感する/しない」を軸に名作オペラを紹介する連載。第10回はブリテン《ピーター・グライムズ》。現代的な重いテーマを持ち、飯尾さんが「最後に誕生した名作オペラ」と語る作品で、一番共感を得るのは誰?

飯尾洋一
飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

ブリテン《ピーター・グライムス》パリ・オペラ座ガルニエ宮における2023年2月の公演より

Opera de Paris
Photo : Vincent PONTET

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「最後の名作オペラ」誕生の秘密

20世紀イギリスを代表する作曲家ブリテンにオペラの作曲を提案したのは、ボストン交響楽団の指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーだった。ブリテンはオペラのような大作にかかりっきりになるのは経済的に難しいと答えた。同時代の作曲家たちに多くの新作を委嘱したことで知られるクーセヴィツキーは、それならばと自身の財団からまとまった資金を提供して、ブリテンにオペラを依頼した。

こうして1945年に書き上げられたオペラ《ピーター・グライムズ》は、当初、クーセヴィツキーが携わるタングルウッド音楽祭で初演される予定だった。しかし、戦争により音楽祭が中断されていたため、クーセヴィツキーは権利を放棄して、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ・オペラで初演することを許した。クーセヴィツキーは言う。「《カルメン》以降の最高傑作であるこのオペラは、自分のものではなく、世界のものだから」。

ベンジャミン・ブリテン(1913〜1976)
イングランド出身の20世紀イギリスを代表する作曲家。管弦楽、歌曲、オペラ、宗教曲など、あらゆるジャンルに重要作品を残した。
セルゲイ・クーセヴィツキー(1874〜1951)
主にアメリカで活躍したユダヤ系ロシア人指揮者。1942年に設立した財団からの委嘱によりブリテン、バルトークやメシアンの名作が誕生した。
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「名作オペラ」を100年後にも世界各地の劇場で上演されているであろうオペラと定義するならば、今のところ、最後に誕生した「名作オペラ」は《ピーター・グライムズ》かもしれない。音楽が並外れていて、台本も卓越している。そして音楽と物語が密接に結びついていて、オペラでなければ実現できないドラマがある。

物語の舞台はイングランドの架空の漁村。独り身の漁師ピーター・グライムズは共同体から疎外されており、見習いの少年の死について罪を問われている。ピーターは自身に対して唯一同情的な未亡人エレンとの結婚を夢見ている。ピーターは閉鎖的な社会の犠牲者のようにも見えるが、一方で、乱暴で身勝手な男であり、少年への(もしかすると性的な)虐待の疑いがある。そして、ピーターを取り巻く人々は、ひとりひとりを見れば、それぞれに弱き者であったり愚かな者であったりするが、集団となったときは断固として酷薄な存在となる。

このオペラの稀有な点は、登場人物のだれに対しても共感でき、同時にだれに対しても嫌悪することができるところ。そして、これだけ重いテーマを扱っているにもかかわらず、ブリテンの音楽はすこぶる詩的であり、ときにはコミカルですらある。

《ピーター・グライムズ》あらすじ

漁師のピーター・グライムズは、漁で見習い少年が死んだ件で裁判を受ける。裁判の結果は無罪。判事は少年は事故で命を落としたと認める一方、ピーターにもう少年を雇わないように命ずる。しかし、村人たちは乱暴なピーターを疑っている。

 

ピーターは判決を無視して、孤児院から新たな少年を見習いとして引き取る。ピーターに理解を示すただひとりの女性エレンは、少年の首に傷を見つける。ピーターは少年を無理やり漁に連れていこうとする。様子を見ていた村の人々が憤慨し、ピーターの家に押しかける。村人たちを見てピーターは少年を急がせるが、その際に少年は手を滑らせて海に落ちてしまう。

 

またも少年がいなくなり、ピーターが殺したのだという噂が村を駆け巡る。村人たちは群衆となってピーターを非難する。海岸をさまよい歩いていたピーターを、エレンとボルストロード船長が発見する。正気を失ったピーターに対して、ボルストロード船長は船を沖に出して沈め、けじめをつけるように忠告する。エレンの制止を振り切って、ピーターは沖に出て、船と運命をともにする。村人たちは沖で船が沈んでいると知ると、それ以上の関心を示さず、ふだんの生活へと戻る。

パリ・オペラ座ガルニエ宮における2023年2月の公演より第一幕の抜粋

発表! 《ピーター・グライムズ》のキャラクター別 共感度

ピーター・グライムズ ★★★★☆

「ピーター・グライムズはまるで自分のようだ」。このオペラを観る人たちの多くがそう感じるのではないだろうか。彼は疎外された者。人は些細なことからピーター・グライムズのような立場に置かれることがある。

ピーター・グライムズが乱暴な男であることはたしかだが、本当は有罪なのか無罪なのか、このオペラからははっきりしない。たまたま不運が続いて見習いの少年をふたりとも死なせてしまったのかもしれない。はみ出し者は誤解されやすく、色眼鏡で見られてしまう。もしそうならば、彼は純粋な被害者だ。

でも、おそらくそうではない(と考えたほうが味わい深い)。この物語には純粋な善人も悪人もいない。疎外される者として主人公には全面的に共感できる一方、少年に対する無慈悲さには1ミリも共感できない。

エレン ★★★★☆

村の教師で未亡人。ピーターのような不器用な人間に思わず手を指し伸ばさずにはいられないタイプ。この村でエレンだけがピーターに同情を寄せている。人間はそうありたいもの。エレンは共感できる人物だ。

でも、ピーターはいつかエレンと結婚したいと夢見ているのに対し、エレンの側にはそんな覚悟は見えない。一見、善良そうだけれど、行動が信念にもとづいていないので、孤児院から少年を引き取ってピーターに渡す役割を安易に引き受けてしまう。少年の運命に対して無責任すぎることは本人もきっとわかっているのだろうが、目の前の出来事に対応することで精いっぱいなのだ。

セドリー夫人 ★★★★☆

うわさ話が大好きで、犯罪に興奮し、野次馬根性を丸出しにする。叩ける相手は容赦なく叩こうという姿勢が見えるあたり、今風にいえば「ネット民」的なメンタリティの持ち主。それでいて自分はアヘン中毒になりかかっている。現代に生きる私たち一般大衆の姿そのものだ。

酒場に集う連中のことを軽蔑しているが、セドリー夫人は気をつけたほうがいい。彼女はこの村の「次のピーター・グライムズ」の有力候補にちがいない。

ボルストロード船長 ★★★★☆

退役した船長。人々からは一定の敬意が払われており、思慮深い人物に見える。裁判後、ピーターに対して別の場所で働いたらどうかと提案する。ピーターは村八分にされているが、違う場所でやり直せば、地域にとけこめるかもしれない。職場を変えるのは「別キャラ」になるチャンス。正しいアドバイスだ。

しかし、最後にピーターに船を沖に出して落とし前をつけろと諭すのもボルストロード船長。ピーターに対する姿勢は、排除の論理で一貫している。

Opera de Paris
Photo : Vincent PONTET
飯尾洋一
飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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