読みもの
2019.02.18
日々の生活に音楽が溶け込んだ奇跡の島へ

喜界島の音楽と“生の芸術”

奄美群島に属する人口6,800人ほどの小さな島、喜界島には、唄者(ウタシャ)のDNAが受け継がれている。生活のさまざまな場面に自然と音楽が溶け込んだ島には、“生の芸術”があった。その息遣いに触れてみよう。

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一色萌生
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一色萌生 作曲家

愛媛県生まれ。都留文科大学社会学科にて社会学・民俗学を学び、その後、東京音楽大学、および給費奨学生として同大学院に進学、作曲を学ぶ。在学中、作品《胎児の夢》で東京音楽...

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唄者(ウタシャ)のDNAが受け継がれた小さな島

“喜界島”。その語感の響きも神秘的で妖艶なこの場所は、音楽家にとって、奇跡の島だった。

喜界島は、鹿児島本土と沖縄のほぼ中間に位置し、奄美群島に属する小さな島だ。人口は現在6,800人ほど、 他の多くの島や田舎の集落がそうであるように、今も人口は減り続けている。つい最近、世界最高齢となった田島ナビさんのニュースなどで注目を集めた島でもある(ナビさんは2018年4月にご逝去された)

私がこの島を初めて訪れたのは、2017年4月。 作曲家の原田敬子氏を中心とする研究チーム(日本の音文化の源泉と、継承の実態を調査)の一員としてその調査に同行したのだった。以来、計6回にわたって訪島し、島の多様な音楽文化に触れてきた。
そこで感じたのは、島の人たちが身体で音楽を感じ取って表現しようとしていることだ。腰痛で座っているお爺さんも、三味線の音を聞くと自然と身体が動き出す。ダンサーがステージ上でパフォーマンスをしていると、お客さんがステージに上がって一緒に踊り出す。こんな光景が日常に溢れている。島の誰もがアーティストなのだ。それもそのはず、昔から喜界島は他の奄美の島々と同じく、あちらこちらに歌が溢れていた。夜中まで響く歌掛けの音(唄掛けとは、奄美の伝統的なシマ唄の歌い方のひとつで、即興で歌詞を作って歌の掛け合いをするもの)。男女の交流やお祝い事、争いの解決にまでこの歌掛けが使われたそうだ。仕事中にもイトゥと呼ばれる作業歌が歌われた。

こうした歴史を見ると、島全体が唄者(ウタシャ)(主にシマ唄の名手。その多くは、歌手業専門ではなく、別の仕事を持っている)のDNAを持っているのだろう。歌が、音楽が、生活の中に自然と組み込まれていて、決して特別なものではない。そこには“生(なま)の芸術”があるのだ。

タクシー運転手の宇陽さん。島の安田民謡教室にも顏を出し、島とシマ唄を愛する陽気な方。
志戸桶集落の伝統のシマ唄を継承している方々。伝統のシマ唄の唄者・菅沼節枝さん(写
真右手前)を中心とする。
上嘉鉄集落の「八月踊り」の練習の様子。本番の日は集落中から人が集まり大きな円となる。
「八月踊り」は、主に奄美群島などで旧暦の8月に踊られる。音楽は唄者(三線)、太鼓、笛からなり、大勢で輪になって踊る。
島のライブハウス「サバニ」で、三線片手に歌う西徹彰さん。普段の農業の傍ら「西商店」の名でロックからシマ唄まで、ジャンルを問わず音楽活動をしている。彼の作曲した「hocolasha」は、シマグチ(島の言葉)を歌詞にしている、情熱ほとばしる“生の芸術”だ。

西徹彰さんの《hocolasha》

アール・ブリュット――“生の芸術”がもつ底知れぬパワー

昨年のことだが、私は東京ステーションギャラリーで開催されていた『アドルフ・ヴェルフリ展』という展示に行った。
アドルフ・ヴェルフリは、精神病院に収容されていた患者である。暴力的行為が絶えなかった彼だったが、ある日突然絵筆を取った。今まで特に絵を習っていたというわけでもないのに、彼は取り憑かれたように大量の絵を描き、そのことによって暴力行為もなくなったのだそうだ。彼の中には「絵で儲けよう」「絵で評価されたい」といった野心や打算はなく、ただ自分の中にある何かを表現しようとしたのだ。描かずにはいられない、という状況だったのだろう。

私は、それらの絵を間近で見たとき、恐ろしいほどのパワーを感じた。モネやピカソから感じる洗練された魅力とはまた違った、もっと愚直で研ぎすまされた、霊感にも近いようなパワーだ。
ヴェルフリをはじめとするこうした芸術品を、フランスの画家ジャン・デュビュッフェは“アール・ブリュット(生の芸術)”と呼んだ。喜界島の音楽には、それに近いパワーを感じる。

アドルフ・ヴェルフリの1905年の作品

私は普段、音楽大学に勤務しており、自身も音楽大学の出身だ。アカデミックな空間にいると、まるでここにある音楽がすべてかのように錯覚してしまうことがある。西洋音楽の“作り込まれた芸術”の世界。喜界島では、こうした音楽とはまた違った、自然と涌き上がってきたままの状態に近い“生の芸術”を体験できる。喜界島のこれまで出会った島のアーティストたちは、身体から涌き上がってきた音楽を身体で表現する。また、島の聴衆たちも、こうした音楽を身体で受け止める。島の人たちにとって音楽は、ゲイジュツなんて大層なものじゃない。完全に生活の一部として溶け込んでいる、呼吸のような存在なのだろう。そして、こうした“生”の大切さを潜在的に知っている。

思えば、西洋のクラシック音楽でも絵画でも、本当に良いものはかならず“生”の部分がある。いかにその芸術作品や音楽が見事に作り込まれていても、そこに“生”がなければ、まったく心に響かない。この喜界島での体験は、“生”の大切さを改めて感じさせてくれたように思う。まさに、音楽家にとって奇跡の島だ。

筆者がお気に入りの場所“荒木遊歩道”からの海の風景。
荒木の海岸から見る夕日。サンゴが隆起して出来た喜界島ならではの、ゴツゴツとしたサンゴの海岸。
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一色萌生
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一色萌生 作曲家

愛媛県生まれ。都留文科大学社会学科にて社会学・民俗学を学び、その後、東京音楽大学、および給費奨学生として同大学院に進学、作曲を学ぶ。在学中、作品《胎児の夢》で東京音楽...

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