118年前の今日、マーラー自身の指揮で交響曲第3番初演!
1902年6月12日、マーラー自身の指揮によって、交響曲第3番が初演されました。マーラーの交響曲のなかで、もっとも演奏時間が長い作品です。
ハンブルクの劇場と契約していたマーラーは、この作品を作曲した1895〜96年にかけて、毎晩演奏会で指揮をするほど多忙な生活を送っていました。そのため作曲は、毎夏を過ごしたオーストリアのシュタインバッハで集中的に行なっていたそうです。
当初は第7楽章までの構想で、以下のような表題がつけられていました。
第1楽章 パン(牧神)が目覚める。夏がすすみくる。
第2楽章 牧場で花が私に語ること。
第3楽章 森の獣たちが私に語ること。
第4楽章 夜が私に語ること、あるいは人が私に語ること。
第5楽章 朝の鐘が私に告げること。あるいは天使が私に語ること。
第6楽章 愛が私に語ること。
第7楽章 子どもが私に語ること。
最終的に第7楽章は削除され、次に作曲する交響曲第4番の第4楽章に転用されています。
マーラーは、この《第3交響曲》を書きあげた年の1896年11月に友人の音楽評論家リヒャルト・バトカに宛てて、つぎのように書いたことがある。「私にはいつも奇妙なことと思われるのだが、多くの人たちは、自然について語るとき、ただ花とか小鳥とか松林の風景だけを思い浮かべている。ディオニュソスの神とか偉大な牧神のことを誰も知らない。そこなのだ。表題がある。つまり、どのように私が音楽をつくるかの範例だ。どこでもそしていつでも、それはただ自然の声なのだ。」
マーラーは、自然を心から愛したが、また現実からの逃避として自然に接近する傾向もあった。
『作曲家別名曲解説ライブラリー マーラー』(音楽之友社)43ページより
この作品には、1895年2月に起こった実弟のピストル自殺事件、そしてカトリックへの改宗を検討し始めたことなども影響しています。多忙な生活に加え、これらのことが重なり、自然に想いを馳せていたのでしょうか。
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