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2020.06.21
気まぐれ音楽カレンダー♪

130年前の今日、リヒャルト・シュトラウスの「ピアノと管弦楽のための《ブルレスケ》ニ短調」初演!

ウィーンの風刺画家テオ・ツァッシェによるリヒャルト・シュトラウスの指揮姿

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1890年6月21日、バッハの出生地アイゼナハの市立劇場でリヒャルト・シュトラウスの「ピアノと管弦楽のための《ブルレスケ》ニ短調」が初演されました。

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ピアノ独奏はリストやブラームスとも親交をもっていた当時の巨匠オイゲン・ダルベール。初演当時は作曲家としてよりも、むしろ指揮者として評価を得ていたリヒャルト・シュトラウス自身が指揮台に上がりました。

指揮者として順調なキャリアを築いていたシュトラウス。1885年にマイニンゲン宮廷楽団の首席指揮者として着任早々、モーツァルトの「ピアノ協奏曲 ハ短調」を演奏し、刺激を受け、自身もピアノとオーケストラの作品を書こうと考えます。

ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》などを初演した指揮の師匠で、高名なピアニストでもあったハンス・フォン・ビューローに弾いてもらおうと考えていたようです。

シュトラウスは、まず《スケルツォ》(ニ短調)を作曲し、ついて《ラプソディ》(嬰ハ短調)を書きはじめた。この2曲をピアノ協奏曲の楽章にする意志だったのかどうか不明である。2曲の調性関係からみて、おそらくシュトラウスは、2曲を独立的なものと考えていたのだろう。しかし《ラプソディ》は書きあげられず、シュトラウスは、その作曲を続けることに興味を失ってしまった。

『作曲家別名曲解説ライブラリー R.シュトラウス』(音楽之友社)115ページより

この《スケルツォ》が、のちに《ブルレスケ》になる作品です。《スケルツォ》はシュトラウス自身のピアノで試演された際、ピアノ・パートもオーケストラも相当な難曲で、改訂が必要と語っています。

しかし、結局大きな書き直しは行なわれず、ハンス・フォン・ビューローからは演奏を拒否され、4年放置されたあとに《ブルレスケ》(英語のバーレスク。元はユーモラスで、辛辣な劇を指す)と改題され初演されました。

27歳の誕生日を迎えたばかり、若きリヒャルト・シュトラウスの華やかな難曲です。

『作曲家別名曲解説ライブラリー R.シュトラウス』(音楽之友社)
作品別に、基本的な情報から創作背景までまとめられている。さらに、豊富な譜例による楽曲解説で、理解を深めることができる。

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