読みもの
2022.10.09
原田慶太楼の「Knock on the Door」

第2回 僕が指揮者という天職に辿り着くまで

指揮者・原田慶太楼はどのようにして作られたのか。キーワードは「英語」。原点は1歳から通っていたインターナショナルスクールの保育園にありました。

能勢邦子
能勢邦子 コンテンツディレクター

『anan』元編集長。『Hanako』『POPEYE』元副編集長。2018年まで約30年間、マガジンハウスで雑誌や書籍の編集に携わり、話題作を次々に生み出す。担当した...

撮影:岩本慶三

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原田 慶太楼(はらだ・けいたろう):1985年、東京都生まれ。2021年、東京交響楽団正指揮者に就任。インターロッケン芸術高校音楽科で指揮をF.フェネルに師事。指揮法をロシアのサンクトペテルブルクで学び、2006年モスクワ交響楽団を指揮してデビュー。シンシナティ交響楽団およびシンシナティ・ポップス・オーケストラ、アリゾナ・オペラ、リッチモンド交響楽団のアソシエイト・コンダクターを経て、2020年シーズンからアメリカジョージア州サヴァンナ・フィルハーモニックの音楽&芸術監督。第29回(2021年度)渡邉曉雄音楽基金音楽賞受賞。第20回齋藤秀雄メモリアル基金賞受賞。

僕にとって、「Knock on the Door(ドアをノックする)」というのは、子どもの時から自然と身についたことかもしれません。

1985年2月26日、東京の大井町で生まれた僕は、モンテッソーリ教育を取り入れたインターナショナルスクールの保育園に1歳から通っていたので、気づいた時には英語で話していました。一人っ子だったこともあり、自分で遊びをつくって、自分でなんでもやるようなタイプでした。そこにB型の凝り性も加わって、いつも何かに夢中になっていました。

小学校2年生の時は点字にハマりました。目が見えない人たちがどうやって文字を読んでいるんだろうって興味をもって、点字をつくるキットがあるんですけど、それを買って自分で文章を作ったりしていた。地道にコツコツやるのが好きなのね。誰に見せるわけじゃないのに、目が見えない人の助けになるかなぁと思って。手話も勉強したことがある。やっぱり、コミュニケーションに興味があったんだと思います。

スポーツもなんでもやりました。サッカー、野球、合気道、柔道、テニス、スキー、バレーボール、バドミントン……。野球はキャッチャーをやっていました。キャッチャーにしか興味がなかった。キャッチャーってピッチャーの投げる球からチーム全体をコントロールする役目でしょう?   いちばん好きだったのはテニスかなぁ。アグレッシブな勝負師タイプでしたね。

「自分はどういう人生を歩んでいくのか」ということは子どもの頃から考えていました。歴史が好きで、なかでも人の生き方に興味があって、ギリシャ神話や偉人たちの伝記を読んでいました。世界的なリーダーの共通点ってなんだろうって。リーダーになりたかったのかな、一人っ子だから自分が中心になって、人をコントロールしたいんでしょうね。

スポーツも勉強も学ぶプロセスはすごく好きでした。興味のあることを練習したり本を読んだり講義を聞いたりして吸収していくプロセス自体が楽しいなぁと思っていました。

こうして振り返ってみると、指揮者という職業に必要なパーソナリティは子どもの頃に形成されていた気がしますね。キャッチャーはまさに指揮者の役割だし、オーケストラとは適度な距離を保つというか、指揮者には孤独に地道にコツコツやる側面もあるし。

世界一いい音楽学校のドアをノックした

クラシック音楽との最初の出会いは、小学校5年生。須川展也さんのサックスのCD『Beau Soir』をジャケ買いしました。CDストアで『Beau Soir』のジャケットを見た瞬間に、「かっこいい〜」って。僕、青が好きなこともあって、とにかくこのジャケットに惹かれたの。それで聴いてみたら、ますます「かっこいい〜」って思っちゃった。それまで音楽を聴いて感動したことなんてなくて、もう、僕これやりたい〜、サックス奏者になりたい〜って。

それで吹奏楽を始めたのですが、それがなければ合唱部に行っていたかもしれない。歌も好きで、特に、ショークワイア(チームでつくる歌とダンスを組み合わせたパフォーマンス)が好きだったから。小学校1年か2年の頃に、高校生の先輩たちのショークワイアを見たり、ミュージカル『ウエストサイドストーリー』を見たりして、ミュージカルとかエンタテインメントの世界に憧れていました。

『ウエストサイドストーリー』にもサックスの印象的なソロがたくさん出てくるんです。だから吹奏楽部に入ってからも、コーラスもやったし、ミュージカルで歌ったり踊ったりもしたし、中学、高校とずっと音楽漬けの日々でした。もっともっとサックスを練習して、ブロードウェイミュージカルのピット・ミュージシャンになりたいと思っていました。

でもうちの学校で音楽家になった人はあまりいないんですよ。ハーバード行って金融マンとか、弁護士とか医者とか、そういう道を歩む人が多い。音楽で生きていきたいと思ったら、このままここにいても、どうしようもない。そこで僕は高校2年生の時に、アメリカのミシガン州にあるインターロッケン芸術高校(Interlochen Arts Academy)に留学しました。

もうすべて自分で決めて自分でドアをノックしています。インターネットで「世界一いい音楽学校」みたいに検索して、インターロッケンの卒業生を調べたらそれはもうすごくて、音楽をやるならここしかないと思っていたら、留学生を募集していて、だから自分でカセットテープに録音してエアメールで送りました。受からなかったらダサいから母にも誰にも言っていません。受かったあと、「行ってくるねー」という感じです。母も「あら、そんなことしてたの。行ってらっしゃーい」という感じ。

インターナショナルスクールって5月に1年が終わって、6月7月8月と3か月、夏休みなのね。僕は小学生の頃からずっと夏休みのたびに、アメリカのサマーキャンプに行っていたから、アメリカに行くことも、留学することも、自然な流れでした。ホームシックもないし、自由にのびのび、「思いっきり音楽やるぞー」という気持ちだけでした。

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