読みもの
2018.07.31
音楽ことばトリビア ~フランス語編~ Vol.4

大丈夫ですか?

藤本優子
藤本優子 文芸翻訳者

東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、マルセイユ国立音楽院に入学。パリ国立高等音楽院ピアノ科を卒業。ピアノは中島和彦、ピエール・バルビゼ、ジャック・ルヴィエ各氏...

イラスト:本間ちひろ

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Ça va?

サヴァ?

大丈夫ですか?

サバ缶が人気らしい。もともと好きな人はいたと思うが、栄養として優れているなどとメディアに取りあげられたり、味噌汁やパスタといった料理の具材に使う「絶品レシピ」が紹介されることで、一般的な認知度が急上昇したようだ。

たまたま立ち寄った駅構内の書店が、最近ときどき見かける「おしゃれなカフェ」が併設で、さらに「なぜかキッチン用品やスナック菓子を売るコーナー」が設けられていた。そこで目を吸い寄せられたのがカラフルなサバ缶。なんと「Ça va?(サヴァ)缶」という商品名。「元気?」というフランス語で、目の前のひとに「大丈夫?」と訊くときも、それに答えて「大丈夫(サヴァ)」と返事するのにも使う。時には「Non, ça va pas(ノン、サヴァパ/ダメかも)…」と応じて話を聞いてもらう、というパターンもある。

このサヴァ缶は、三陸の水産業を応援するという意味合いも兼ねて企画された商品だそうだ。個人的にはとても懐かしい語感。フランス語の学習者は、たいていこの語呂合わせで、サヴァ?(=鯖)と覚える。そしてイモヅルのように辞書を引く。フランス語で鯖はmaquereau(マクロー)というが、鮪(まぐろ)はthon(トン)であり、フランス語では魚介名を隠語に使うことが多い。俗語ではmaquereauは「女衒・ヒモ」で、thonにも「醜女・ブス」といった意味がある。覚えたところで、使う機会はないほうがいい、という裏の語彙なのでご用心。

さて、語呂合わせで外国語を覚えるのはフランス人も一緒だから、鮨を食べるときにトロと言えるフランス人は、ほぼまちがいなく頭の中でtaureau(トロー/雄牛)と関連づけているはずだ。

名教授として知られ、わりあいと高齢になってから名ピアニストとしてブレイクした巨匠、ヴラド・ペルルミュテールが、来日したときに「お好きな料理は?」と訊かれ、少し迷ってから「モシモシを食べたい」と答えたそうだ。質問した側は驚いて、それはどういうものですかとリサーチ。ようやく、しゃぶしゃぶのことだと判明した。

ヴラド・ペルルミュテール(1904-2002)
現在のリトアニア生まれで10歳でフランスに渡ったピアニスト。ラヴェル本人の前でラヴェル作品を演奏し、アドヴァイスを受けたことから「ラヴェル弾き」としても評価が高い。

この話を、パリ音楽院の第三課程でペルルミュテール門下だったジャック・ルヴィエに教えたところ、種明かしをしてくれた。
しゃぶしゃぶは、肉をお湯につけて(à l’eau/ア・ロー)食べる料理だ。つまり電話に出るときのAllô!( アロー)にかけて、日本語では「もし」ではなく「もしもし」と2回いうのと、しゃぶしゃぶが「しゃぶ」という音の繰り返しであることを関連づけて、ペルルミュテールは頭の中で「アローアロー」と変換、記憶しておこうとしたのだ。自分もそんなふうに、いろいろ覚えるようにしているからね、と。なるほど、と膝を打った。

こじつけめいてくるが、師匠ルヴィエは「ペルルミュテールはこうだった」とレッスンでよく、指使いやアレンジ(たとえば技巧的に難しい右手パートを部分的に左手で弾いたりすること)を検討しながら引き合いに出していた。自分の個性にあったうえで、できるだけシンプルに弾ける奏法をつねに模索すること、とも。暗譜が困難なシューマンの幻想曲の左手小指(バス)を、最終的には「1回目は白鍵・黒・白」で「再現部は黒・白・黒」などと、舞台で理論は頭から飛びやすいから実践的におぼえるのがいいよ、など。そんな記憶術は邪道だという理論家もいるだろうが、弾くのはそいつじゃない、自分がいちばんしっくりくるやり方を見つけること。

私はピアニスト稼業を完全リタイアして10年になるが、それでもレッスン室で言われたことはいまでも人生の宝だ、と思う日は多い。

ロベルト・シューマン: 幻想曲 ハ長調 op.17
ヴラド・ペルルミュテール (ピアノ)

藤本優子
藤本優子 文芸翻訳者

東京都出身。桐朋女子高等学校音楽科を卒業後、マルセイユ国立音楽院に入学。パリ国立高等音楽院ピアノ科を卒業。ピアノは中島和彦、ピエール・バルビゼ、ジャック・ルヴィエ各氏...

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