井内美香の「すべての道はオペラに通ず」第7回 ミラノの旅

私がミラノに戻ってくる理由――スカラ座でヴェルディとイカ墨のリゾット

読みもの
2019.02.03

オペラ・キュレーターとして東京で活動する井内美香さんにとってのセカンド・ホーム、イタリア・ミラノ。2019年1月、20年暮らしたミラノへの里帰りレポートです。

オペラの殿堂ミラノ・スカラ座への想い、客席での出会い、音楽家たちが愛する美食、ミラネーゼ御用達のカフェでエスプレッソ......。ミラノでオペラ旅の始まりです。

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ミラノ・スカラ座の一階ロビー(筆者撮影)
文・写真
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター
井内美香
文・写真
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

Back in Milan

なかなか行けない海外旅行なのだから、知らない国に行ってみたいと思いつつ、気がつくとイタリアへ、その中でも20年暮らしたミラノにばかり来てしまいます。その大きな理由の一つは、私が大好きな歌劇場、スカラ座の存在です。

ミラノに住んでいた頃は、オペラを観に行くときも自宅兼オフィスでぎりぎりまで仕事をしてあたふたと劇場に駆けつける日々でしたが、今ではスカラ座まで歩いてすぐのホテルに泊まります。オペラが大好きな私としては、この劇場の周りの道を歩くだけでワクワク。

今回、私が鑑賞したのはヴェルディが若いころに書いた、荒々しくて暗い魅力があるオペラ《アッティラ》。スカラ座の音楽監督リッカルド・シャイー指揮で、今シーズン開幕を飾った演目の最終日でした。

スカラ座の公演演目が書かれているポスター。

スカラ座のボックス席で出会ったカップル

スカラ座はイタリアの多くの歌劇場と同じく、客席が馬蹄形という円筒のような形をしています。この劇場の形は、舞台からの声やオーケストラの音が広がらずに、空間を満たすので音が良いという利点がある一方、ボックス席の後ろの列の人たちは舞台がよく見えない、という欠点があります。

昔は家族でひとつのボックス席を所有していたので、お互い譲り合って観れば問題がなかったのでしょうが、今では席にそれぞれ番号がふってあり、後ろの列の人は舞台が半分くらいしか見えないこともあるのです。

ボックス席から舞台を望む。舞台にあるのはヴェルディ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》の美術セット。
ヴェネツィアン・グラスのシャンデリアが、新古典派建築の客席を輝かせている。

私が選んだのはボックス席の一列目でした。一階席(平土間席)に座ると前の席の人の頭で舞台が見えにくいことがありますが、ボックス席は舞台とオーケストラを眼下に見渡せるだけでなく、音も上に昇って来るのでくっきりと立体的に聴こえます。

ひとつのボックス席には5人分の席があり、私と同行者の後ろの3席は開演まで誰もこなかったので、ゆったりオペラを鑑賞できると喜んでいたのですが、始まってしばらくすると、私たちのいるボックス席のドアががちゃっと開いて、イタリア人のカップルが入ってきました(ボックス席は上演中の入場が可能です)。私は邪魔されるのがいやだったので振り向きませんでしたが、お二人は椅子をガタガタやったりひそひそ声で話し合ったり、けっこううるさいのです。

しかし少したって気がつくと、男性の方は曲の後にかなり熱心に拍手をしたり、バリトンのエツィオ役の人がアリアを歌い始めると小声で一緒に口ずさんだり(これはちょっと迷惑行為でもありますが…)、私は「あれ?この人はオペラが本当に好きなんだな」と思ったのでした。

休憩時間に二人と話をしてみました。マッジョーレ湖の近くから車で来たので、慣れないミラノの交通渋滞に巻き込まれて遅刻してしまったそうです。「スカラ座のチケットは家族からのクリスマス・プレゼントだったんですよ」と嬉しそうに話す女性の笑顔に、さきほどムッとしていた私は心和やかになり、「椅子を移動させて真ん中くらいに置けば、少しは観やすいですよ」などと、その後は一緒に楽しい時を過ごしました。

いつでも最高の舞台を求めるオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座

新制作《アッティラ》の舞台を演出したのはダヴィデ・リーヴェルモル。本来5世紀の時代設定を、20世紀初頭に置き換えています。インタビューによるとイアン・マッケラン主演の映画『リチャード3世』のような意味で時代の読替えを行なったということでした。

Photo:Brescia e Amisano © Teatro alla Scala
Photo:Brescia e Amisano © Teatro alla Scala
迫力のある舞台装置の奥にはLEDスクリーンがあり、モノトーンの映像でストーリーの背景を語る手法です。シャイーの指揮は、音の響きの柔らかさに留意した音楽作りを感じました。歌手の中ではアッティラ役のロシア人バス、イルダー・アブドラザコフが声も音楽性も演技も一頭地を抜いていました。

オペラが終わり、歌手たちには拍手とブラヴォの声が贈られました。
皆と一緒に拍手しながら、なぜ自分はスカラ座が好きなのかな? と自問します。

世界の一流レベルの劇場だから? 自分が住んでいた街だから? それもあります。でも私がスカラ座が好きな一番の理由は、演奏する側も観客の側も、最高の舞台を求める気迫です。マリア・カラスを育てたスカラ座、デビューしたてのロベルト・アラーニャやファン・ディエゴ・フローレスを起用したスカラ座、そして全力を尽くさないアーティストには容赦しないスカラ座。

公演は日によって素晴らしいときも、それなりの日ももちろんあるのですが、私は、プライドが高く、最高峰であるために全力をつくすこの劇場の姿勢を深く愛するのです。

スカラ座ボックス席内での筆者。

オペラのあとは歌手も観客もレストラン「ガレリア」へ

スカラ座を出た後は、レオナルド・ダ・ヴィンチ像が立っているスカラ座広場を歩き、目の前にあるガレリアの中に入ります。この夜のミラノは近年珍しいことに霧が濃くたちこめ(須賀敦子が書いた「ミラノ 霧の風景」を思い出しました)、ロマンチックではありますがかなり寒い晩でした。

スカラ座側からガレリアに入ってすぐ右側にあるのはレストラン「ガレリア」です。

冬らしい飾りつけのレストラン「ガレリア」。

ここはスカラ座によく来る友人たちに教えてもらったお店です。どの料理も美味しいし、メニューにちゃんとした日本語訳もついています。ボーイさんたちもとても愛想がよく、2回くらい続けて行くと「また来たね!」と歓迎してくれます。

スカラ座に出演したアーティストが来る店としても知られていて、これまでも食事をしていて指揮者や主演歌手たちが入って来る場面に何度か出くわしました。この日も、フォレストを歌ったテノール歌手、ファビオ・サルトリさんが現れ、お客さんたちから拍手が湧き上がりました。

ここのお料理は、ミラノ風リゾット(サフランが入った黄色い米料理)や、ほうれん草のバター炒めなども美味しいですが、3回目に行ったときに食べたイカスミのリゾットも滋味深い、忘れられない味わいでした!

左: レストラン「ガレリア」内部。

上: イカスミのリゾット。

昼間のスカラ座、ミュージシャンも愛するカフェ「マルケージ」

あっという間にやってきた、寒いけれどよく晴れた滞在最終日。スカラ座の内部にあるスカラ座ミュージアムへ。スカラ座を設計した建築家ピエルマリーニと2002年から2004年に改修工事を設計したマリオ・ボッタに関する特別展をやっていました。博物館の入り口では窓口の人に「リハーサルをやっているから見られますよ!」と言われて、上の方の階のボックス席からヴェルディ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》の照明リハーサルを見学。ロビーにも入ることができました。夜の公演のときとは違う昼の顔の劇場、こういうのを見られるのが嬉しいのです。

スカラ座広場にそびえるレオナルド・ダ・ヴィンチ像
スカラ座正面玄関。かつては前面にあるアーチの下に馬車を止めて、雨に濡れずに中に入ることができた。

その夜には《椿姫》の初日がありましたが、残念ながら私はもう出発の日。チケット売り場に当日券目当ての人々が列を作っているのを、羨ましいな、と横目で見ながら通り過ぎました。

ミラノ滞在の仕上げはスカラ座好きの友人にすすめられたガレリアの中のカフェ「マルケージ」です。「マルケージ」はもともとサンタ・マリア・アッラ・ポルタ通りにあったお菓子屋さんで、この本店は1824年創業ですからヴェルディの時代にもあった老舗です。最近モンテナポレオーネ通りや、ガレリアの中にも店ができました。

上: カフェ「マルケージ」のパニーノとフレッシュ・ジュース。

右: 窓からはガレリア内を歩く人々が眺められる。この場所、昔は老舗楽譜出版社として有名なRICORDIの楽譜屋さんがあったところ。

ガレリア店はプラダ・ウォーモの上階にあり、薄いグリーンの内装が上品。パニーノとフレッシュ・ジュースで軽い昼食をいただきながら、席からはガレリアを歩く人々を見下ろす眺めが素敵です。会計に来た少し年配の女性に聞くと《アッティラ》を指揮したシャイーや、オペラ歌手たちもこのお店に来るそうです。

最後にエスプレッソを飲んで、ミラノに別れを告げました。またすぐに、この街に戻ってこられることを願いつつ……。

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