読みもの
2024.12.12

「第九」初演をめぐる様々な「伝説」~最新研究で明らかになった真実

演奏の出来がいま一つだった、ベートーヴェンには客席の喝采が聞こえなかった……等々、「第九」初演をめぐっては、これまで様々な伝説が語り継がれてきました。しかし、これらの伝説は、当時の演奏会や演奏形態の常識が現在とは異なることから生まれた憶測にすぎないということが、明らかになってきました。ヨーロッパ文化史が専門の小宮正安さんが、最新研究の成果から紐解きます。

小宮正安
小宮正安

ヨーロッパ文化史・ドイツ文学研究家。横浜国立大学(大学院都市イノベーション研究院・都市科学部)教授。著書訳書に、『ベートーヴェン《第九》の世界』(岩波新書)、『エリザ...

「第九」が初演されたケルントナー門(ケルントナートーア)劇場。右手に名前の由来となる城門「ケルントナー門」が見える

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ウィーンにまだ「コンサート」も「ホール」もなかった時代

「第九」、つまりベートーヴェン作曲「交響曲第9番」が初めて鳴り響いたのは、ケルントナー門(ケルントナートーア)劇場。中央ヨーロッパに大帝国を築いたハプスブルク家が、帝都ウィーンに構えていた2つの宮廷劇場の1つである。もともとは18世紀初頭に建てられ、火災による再建を経たのち、19世紀に入るとオペラを中心にした演目が上演されるようになった。

この劇場で、今からちょうど200年前にあたる1824年5月7日に初演されたのが「第九」である。といっても「第九」の初演は、あくまでケルントナー門劇場を「借りる形」でおこなわれた。

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そもそも「音楽の都ウィーン」というイメージとは裏腹に、19世紀初頭のウィーンには、演奏会専用のコンサートホールというものが存在しなかった。また現在のように、人々がチケットを購入し、自分たちが欲する作品や演奏者を聴きにゆくという「公開演奏会」の方式も、ウィーンではようやく始まったばかりだった。

ハプスブルク家の力があまりにも強く、同家をはじめとする貴族たちが自身の宮廷に優秀な音楽家を雇い、クローズを原則とした演奏会が催されるというスタイルが定着していたためだった。

「第九」が初演された1824年に描かれた、ベートーヴェンの肖像画

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