ミュシャが描いたスラヴ——モルダウの流れに誘われ、悲運の歴史を辿る
スラヴ民族の悲運の歴史を描いた一連の大作《スラヴ叙事詩》は、アルフォンス・ミュシャのライフワークでありながら、近年まで日の目を見る機会に恵まれなかった。奇しくも2018年はチェコスロバキア独立100周年、2019年は、ナチスによるチェコスロバキア解体(1938~1939年)から80周年となる。
日本人には馴染み深い、スメタナの「モルダウ」のメロディに耳を傾けながら、ミュシャ宿願の傑作にじっくり向き合ってみませんか。アートライターの藤田令伊さんがご案内します。
アートライター、大正大学非常勤講師。単に知識としての「美術」にとどまらず、見る体験としての「美術鑑賞」が鑑賞者をどう育てるかに注目し、楽しみながら人としても成長できる...
ミュシャとスメタナ——チェコを代表する2人の芸術家が描くスラヴ
今年が去りゆき、新年がやってくる時季になった。2018年と2019年は中欧の国チェコにとってともに特別な年である。2018年はチェコスロバキア独立100周年に当たり、2019年はナチスによるチェコスロバキア解体80周年に当たる。つまり、この2年間はチェコにとって意味深い年が続くわけである。
そのチェコを代表する芸術家といえば、私には2人の名前が頭に浮かぶ。ミュシャ(1860~1939)とスメタナ(1824~1884)である。かたや美術、かたや音楽ということでジャンルが異なるし、世代も若干違っているが、ミュシャにとってスメタナは語るに欠かせぬ存在である。
スメタナの代表作は《わが祖国》ということで多くは異論のないところだろう。6つの楽曲からなる《わが祖国》の第2曲が、かの「ヴルタヴァ」である。この曲は「モルダウ」と表記されることもあるが、「モルダウ」はドイツ語で、チェコ語では「ヴルタヴァ」となるのはONTOMOの読者ならご承知のことだろう。
プラハの街を流れるヴルタヴァ川は、チェコの人々にとっては母なる川である。私はプラハを一度しか訪れたことがないが、カレル橋からヴルタヴァ川の流れを眺めていたら、おのずとスメタナの「ヴルタヴァ」が脳裡に浮かんでくる。あの、どこかもの悲しく、なにか遠い時間の彼方を望むような気持ちにさせる旋律。聴く者の心に静かに入り込み、しっかりと根を張り、一度聴けば忘れられない楽曲の一つだと思う。そして、この曲を耳にすると思い出さずにはいられないのがミュシャの《スラヴ叙事詩》である。
《スラヴ叙事詩》は、ミュシャの集大成ともいうべき大作である。全20点からなるシリーズで、スラヴ民族の歴史と伝承が題材になっている。一つひとつが縦横5~6メートル四方もあるという巨大な絵で、その大きさにミュシャの並々ならぬ意欲のほどがうかがわれる。
ミュシャが《スラヴ叙事詩》を描こうと発意したきっかけは、一般に、1908年にボストン交響楽団による《わが祖国》の演奏を聴いたことといわれている。たしかにそれもあったが、実際にはもっと以前からミュシャはスラヴ民族の歴史と栄光を称える仕事を念願していた。すでに1880年頃、若きミュシャはモラヴィアへの旅でチェコのバロック絵画の伝統を伝えた最後の画家といわれる巨匠ウムラウフと出会い、彼のモニュメンタルな絵を見て深い感動を覚え、やがては自分もスラヴ民族の歴史画を描こうと決意していた。ボストンのコンサートは、ミュシャの願望にスメタナが明確なかたちを与えたということだったのだろう。
強国の支配に服従を強いられ、苦難の道を歩んできたスラヴの人々。それでも自由と独立への希望を捨てることなく、誇りをもって生きる彼らのありさまを広く世に知らしめたい、というのがミュシャの願いであった。
1911年頃からミュシャは《スラヴ叙事詩》の制作を始めた。「ミュシャ」が「ムハ」へとメタモルフォーゼするときがきたのである。日本で使われている「ミュシャ」の呼び名はじつはフランス語読みで、チェコ語では「ムハ」となる(現在でもチェコでは「ムハ」と呼ばれている)。《スラヴ叙事詩》が完成した暁にはプラハ市に寄贈し、プラハ市は常設の美術館をつくって広く展覧する約束が取り交わされた。ムハにとって《スラヴ叙事詩》はまさにライフワークとなった。
当初の計画では年に3点ずつ描き、1918年頃までには完成させるつもりだったが、いざ取りかかるとなったら、バルカン半島からブルガリア、ポーランド、ロシア、ギリシアなどスラヴ各地へ調査に出かける必要が生じ、思ったより時間がかかった。またムハは行く先々でスラヴ民族の結束を訴えるなどしたため、余計に完成が遅れてしまった。
結局、《スラヴ叙事詩》が一応の完成を見るのは1926年になってだった。遅れたとはいえ、ムハにとっては宿願がようやく成就した瞬間であった。
「時代遅れ」と見なされてしまった《スラヴ叙事詩》の辿った命運
しかし、《スラヴ叙事詩》を待っていたのは「状況の変化」であった。注意深い読者はお気づきかもしれないが、本稿冒頭で記したように、1918年にすでにチェコスロバキアは独立を果たしており、民族の自由と独立を唱えるという《スラヴ叙事詩》の趣旨は、いまとなってはアナクロなものになってしまっていたのだった。たとえていえば、明治維新を久しく経たあとで、「武士の誇り」を持ち出されたようなもので、人々は「いまさらそんなことをいわれても……」と当惑するばかりであったという。
プラハ市による常設美術館建設の約束も守られることはなく、時代遅れの《スラヴ叙事詩》は人目につかないところにしまわれてしまった。ムハには辛い成り行きであった。加えて、第二次世界大戦を前にしてナチスがチェコスロバキアを占領した際に、ムハは捕らえられ、数日間にわたってゲシュタポによって厳しく尋問された。老体のムハには耐えられるはずもなく、それがもとでムハは息を引き取る。享年78。
《スラヴ叙事詩》が日の目を見るのは、ようやく近年になってからといっても過言ではない。この作品が「ヴルタヴァ」の切なる調べと親密なものを感じさせるのは、ただスラヴ民族の悲哀をテーマにしているということだけではなく、《スラヴ叙事詩》そのものが悲しき歴史を秘めているからではないか、ムハの哀しみを宿しているからではないか、と筆者には思われてならない。ムハの胸中に想いを寄せつつ、「ヴルタヴァ」とともに改めて鑑賞していただきたい作品である。
会期 12月26日(水)~2019年1月7日(月)
会場 小田急百貨店 新宿店 本館11階=催物場
※12月31日(月)は全館夜6時まで、2019年1月1日(火・祝)は全館休業日
公式サイト http://www.odakyu-dept.co.jp/shinjuku/special/mucha/index.html
※本展覧会で《スラヴ叙事詩》は展示されていません(編集部・注)
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