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2025.06.27
音楽を奏でる絵 #7

【音楽を奏でる絵】ターナーからメンデルスゾーン、ワーグナーへ~「自然」への想像力

西洋美術の歴史の中から音楽の情景が描かれた作品を選び、背景に潜む画家と音楽の関係、芸術家たちの交流、当時の音楽社会を探っていく連載。第7回は、イギリスを代表する画家ターナーの風景画と、それに関連する楽曲を挙げながら、ロマン派時代における「自然」への想像力と、絵画・音楽における芸術表現を見ていきましょう。

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

ターナー「スタッファ、フィンガルの洞窟」(1831-32年、イェール大学英国美術センター)

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今年生誕250年を迎えたイギリス・ロマン派の巨匠ターナー(ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1775~1851)。雄大な風景に対する微小な人間といった彼の視座は、主観的な感情表現を拡げるロマン主義の芸術表現の一環として興味深い。

1. 「カルタゴを建設するディド」または「カルタゴ帝国の興隆」~オペラにもなった紀元前の帝国を描く

ターナー「カルタゴを建設するディド」または「カルタゴ帝国の興隆」 ( 1815年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)

古代ローマの詩人ヴェルギリウスによる長編叙事詩「アエネイス」に登場するカルタゴの女王ディドとトロイの王子アエネイス。パーセルのバロック・オペラ「ディドとエネアス」や、ベルリオーズのオペラ「トロイアの人々」には、二人の悲恋が歌われる。

▼パーセル「ディドとエネアス」

ターナーが描いた本作は、「アエネイス」第1巻からの一場面で、恋に落ちる前の二人が左側に立つ。兄に夫を殺されて逃れた北アフリカに新しく国を興した女王ディドが、トロイ陥落後に漂着してきたアエネイスにカルタゴ市建設を見せる情景。楽器は見られないが、左の古代建築の柱頭に竪琴の装飾が施されており、古代から社会で人々を鼓舞してきた音楽の象徴を画面に忍び込ませている。

入江で陽の昇りに向けて玩具の船を流す子どもたちの光景は、若い国の地中海進出と交易による発展を予告させると読みとれる。

ターナーはこの絵で帝国の栄枯盛衰を構想し、対として2年後に「カルタゴ帝国の衰退」を描いた。海洋国家で繁栄していた自国に向けての教訓も示唆しつつ、高遠な文明の歴史や異国への憧憬を描く。

2. 「スタッファ、フィンガルの洞窟」~メンデルスゾーンも描いた自然への畏敬

ターナー「スタッファ、フィンガルの洞窟」(1831-32年、イェール大学英国美術センター)

主題や画法が新古典主義的な前作と比べ、「スタッファ、フィンガルの洞窟」はよりロマン主義的に内面を喚起するような海景画だ。思想家バークは1757年の著書で「サブライム(崇高)」を論じ、巨大で激しい自然は脅威であるが、その壮大さや超越的なものは畏敬の念と心の高揚をもたらすとも説く。嵐、吹雪、風雨、波浪、洪水、雪崩など、人間の存在を遥かに超えた自然の威力も多く描かれるようになっていく。

また、18世紀後半に牧師で教育者のギルピンが英国各地の風光美を伝えた絵入り旅行記や、提唱した「ピクチャレスク(画趣に富む)」の美学は、芸術家たちに風景美を求める旅と作品創作を流行させた。ターナーが、スコットランド沖へブリデス諸島を1831年に訪れた時に描いたのが本作。その2年前にメンデルスゾーンも同地を訪れていた。

1829年の夏、家族ぐるみの友人で、ロンドンに駐在していた外交官クリンゲマンとともにスコットランドを旅した20歳のメンデルスゾーン。田園風景をスケッチし、文豪スコットの家を表敬訪問してきた。

1772年に発見されて以来、地学者や名高い作家、詩人や画家が訪れているフィンガルの洞窟を楽しみにしていたであろうが、スタッファ島への船旅は悪天候で酷い船酔いに苦しむ。

クリンゲマンは「玄武岩の柱群が巨大なオルガンの中のようで…… 拡張する海が出たり入ったりして鳴り響く」と洞窟の奇観を言葉にしているが、メンデルスゾーンの方はフィンガルの洞窟自体について手紙に書く余裕はなかった。

メンデルスゾーンはスタッファ島を訪れる前日に、ベルリンにいる家族への手紙で「へブリデス諸島がどれほど私に感銘を与えたか分かってほしい。次のようなものが頭に浮かびました」と書いた後に、21小節を記譜している。「フィンガルの洞窟」として親しまれる名曲の冒頭主題は、洞窟を見る前に着想されていたわけだ。

メンデルスゾーンの「へブリデス諸島」スケッチ(1829年8月7日付の手紙、ニューヨーク公立図書館音楽部門)

古代の伝説詩人が語る叙事詩として、スコットランドのマクファーソンが1760年代に発表した武勇伝「オシアンの詩」が、ヨーロッパ各国で反響を巻き起こしていた。洞窟の名は、語り手オシアンの父フィンガル王に由来する。

曲名は「へブリデス諸島」「孤島」「フィンガルの島」と何度か変更された。ターナーの絵画「スタッファ、フィンガルの洞窟」がロイヤル・アカデミーで展示されたのと同じ1832年に、メンデルスゾーンの序曲がロンドンで初演されたが、その時の曲名は「フィンガルの島」であった。

「へブリデス諸島:フィンガルの洞窟」や括弧つきの表記で出版されるようになったのは、孤島が点在する諸島の総称と、当時の詩人や画家が取り上げた伝説に因む洞窟、両名の併記を望んでのことだろうか。

メンデルスゾーンの演奏会用序曲は、さまざまな音型や響きで広大な自然の波や風のうねり、勇壮なファンファーレも聴かせて、大自然を背景に戦う伝説の武将たちを連想させる。ターナーの海景画は、太古の火山活動が造形した神秘的な洞窟を覆う霧と、産業革命時代の産物である蒸気船からの煙が、画面中央で交わり合うようだ。

楽曲にも画面にもスケールの大きい自然と時間が盛り込まれている。

ワーグナーはメンデルスゾーンのこの序曲を、「音楽風景画の傑作」と評した。

▼メンデルスゾーン「へブリデス諸島(フィンガルの洞窟)」

3. 「ナポリの漁師マサニエッロに指輪を渡すウンディーネ」~ワーグナーへつながる絵画的想像力

ターナー「ナポリの漁師マサニエッロに指輪を渡すウンディーネ」 (1846年、テート美術館)

渦巻くような水底、神秘的な光と指環のタイトルは、筆者にワーグナーの「指環」を連想させるが、これはまったく違う二つの物語から着想を得て描かれた絵である。

漁師マサニエッロは、1647年にスペイン支配下で新税の導入に反対したナポリの民衆反乱で、先頭に立った実在の人物。オベールのオペラ「ポルティチの物言わぬ娘」では、声を出せない娘の兄役で、テノールで歌われる。このオペラは1829年から35年にロンドンで上演され、45年に再演された。

かたやウンディーネは愛する男の裏切りにあう水の精で、フーケ原作ペロー振付のバレエ「ウンディーネ」が1843年から48年にかけてロンドンで上演されていた。ターナーは水に関連するこれらのオペラとバレエから霊感を受けて、この絵を描いたとされる。

オベール作曲のオペラ「ポルティチの物言わぬ娘」は、口がきけないヒロインの設定でパントマイムやバレエの場面が多い。全5幕で大合唱、火山噴火などの劇的な舞台効果も盛り込むグランド・オペラの先駆けの一つ。ワーグナーは後にオベールへの追悼文で、若い頃に合唱指導や指揮をしたこの作品から多くの影響を受けたと記した。

▼オベール「ポルティチの物言わぬ娘」~第2幕の二重唱「祖国への聖なる愛」

オペラは民衆の結束を彷彿とさせる合唱や第2幕の二重唱「祖国への聖なる愛」など、愛国心を駆り立てる場面も多い。ネーデルランド連合王国においてオランダ人支配に対する独立の気運が高まりつつあった中で、1830年のブリュッセル初演はベルギー独立革命の発端になったとされる。

ターナー「難波船」 (1805年、テート美術館)
ターナー「吹雪」(1842年、テート美術館)

ターナーは生涯を通じて自然の風景を描き続けたが、後期作品は抽象的な表現が多くなる。

音楽学者/美術評論家のロックスパイザーは「絵画と音楽」(1973年)でターナーの絵画的想像力はワーグナーの音楽の中に存在するとして、「ニーベルングの指環」や「さまよえるオランダ人」の中の川底、嵐、洪水、火の音楽などを挙げる。年代的にはターナーの晩年とワーグナーの初期のオペラが重なる。

ターナーの絵画で多く論じられる「ピクチャレスク」や「崇高」の概念。視座の参考にし、耳の目、目の耳で芸術作品を鑑賞するのも味わい深い。

▼ワーグナー「さまよえるオランダ人」序曲

野々山 順子
野々山 順子 音楽/美術ライター

桐朋女子高等学校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科(江戸京子氏に師事)を経て、コロンビア大学教養学部卒業(音楽、美術史を専攻)。マンハッタン音楽院でピアノ、イエール大学大学...

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