音楽ファンのためのミュージカル教室 第2回:佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019「オン・ザ・タウン」

アメリカで誕生したミュージカル・コメディ~バーンスタインのブロードウェイ・デビュー作「オン・ザ・タウン」

読みもの
2019.07.12

佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019「オン・ザ・タウン」が、7月12日より兵庫県立芸術文化センター、次いで東京文化会館で上演されます。ニューヨークでの24時間の上陸休暇を与えられた3人の水兵たちが巻き起こすミュージカル・コメディ。26歳の才気溢れるバーンスタインが、ブロードウェイ・デビューを飾った作品です。
今でこそさまざまな演目が上演されるミュージカルですが、もともとはミュージカル・コメディを指していました。ミュージカルの歴史とともに、アメリカらしさが凝縮された「オン・ザ・タウン」の魅力をご紹介します。

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写真提供:兵庫県立芸術文化センター/撮影:飯島 隆
ナビゲーター
山田治生 音楽評論家
山田治生
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山田治生 音楽評論家
1964年京都市生まれ。1987年、慶應義塾大学経済学部卒業。1990年から音楽に関する執筆活動を行う。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人 -ある日本人指揮者の...

19世紀末から20世紀初めのアメリカで誕生した「ミュージカル・シアター」

「ミュージカル」という形容詞が、華麗な音楽劇を表すようになって久しいが、もともとは「ミュージカル・コメディ」であり、いつのまにか「コメディ」が省略されて、「ミュージカル」となった。

ミュージカルの誕生は、諸説あるが、19世紀末から20世紀初めのアメリカと言ってよいのではないだろうか。ミンストレル・ショー(顔を黒く塗った白人が黒人を演じた見世物)、ヴォードヴィル・ショー(歌、踊り、手品、漫才などの演芸)、バラエティ(ヴォードヴィルとほぼ同じの演芸)、レビュー(舞踊などによる華麗なショー)、バーレスク(風刺や色気を伴うショー)、オペレッタ(例えば1907年に「メリー・ウィドウ」がブロードウェイで大ヒット)などの音楽による舞台、つまり「ミュージカル・シアターが統合されて成立したのがミュージカル・コメディ」であった。

最初がミュージカル・コメディであったのはよくわかる。誰もが舞台に笑いや楽しみを求めていた。演劇には大昔から悲劇もあったが、ミュージカル・コメディはあくまで喜劇だった。

しかしその後、人種問題を扱った大河ドラマ風の「ショー・ボート」(1927年)やシェイクスピアの悲劇をマンハッタンのスラム街に置き換えた「ウエスト・サイド・ストーリー」(1957年)などが現れ、ミュージカル・コメディは必ずしもコメディでなくなっていく。

そして、ミュージカルのなかでも、ストーリー性の強いものは「ミュージカル・プレイ」とも呼ばれるようになる。演劇が「ストレート・プレイ」と呼ばれることがあるが、それは「ミュージカル・プレイ」の対語である。また、「ジェローム・ロビンズのブロードウェイ」(1989年)のように特定のストーリーをもたない、ダンス中心のミュージカルもある。

26歳のバーンスタインがブロードウェイ・デビューを果たした「オン・ザ・タウン」

さて、現在、兵庫県立芸術文化センターでは、「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」としてミュージカル「オン・ザ・タウン」が上演されている。

佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019「オン・ザ・タウン」は、兵庫公演が7月12日(金)から兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホールで、東京公演が7月25日(木)から東京文化会館で行なわれる。

1944年に初演された「オン・ザ・タウン」は、レナード・バーンスタイン(1918~1990)のブロードウェイ・デビュー作。バーンスタインのミュージカルといえば、悲劇的な「ウエスト・サイド・ストーリー」が有名だが、この「オン・ザ・タウン」は、まさにミュージカル・コメディといえる、喜劇的な作品である。ジーン・ケリーやフランク・シナトラ出演のミュージカル映画にもなり(ただし、音楽は他の作曲家によって多少書き替えられた)、「踊る大紐育」(邦題)として、ヒットした。

7月12日からの「佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ」の「オン・ザ・タウン」ゲネプロ風景より。写真提供:兵庫県立芸術文化センター/撮影:飯島 隆

ニューヨークでの24時間の上陸休暇を与えられた3人の水兵たちの物語。彼らは、3人の魅力的な女性たちと出逢い、恋が芽生える。そして、博物館、ナイトクラブ、コニーアイランドを巡り、騒動が巻き起こる。

ニューヨークらしい活気に溢れた「ニューヨーク、ニューヨーク」のフレーズは一度聴いたら忘れられない。そのあとの、女性タクシードライバー、ヒルディが歌う「私は料理もできます」、恋に積極的な人類学者クレアの「われを忘れて」、いつかはスターになることを目指すアイヴィーが音楽教師と歌う「ドドレド、ドレミド」などは、バーンスタインのユーモアやウィットが冴える。「ロンリー・タウン」「きっといつか」は、哀愁を感じる、洗練された都会的なナンバー。ナイトクラブの歌手が歌うブルースもバーンスタインのオリジナルだ。

また、後の「ウエスト・サイド・ストーリー」でもタッグを組むことになる、振付家のジェローム・ロビンズとのコラボレーションだけに、ダンス・ナンバーが多く、見どころであると同時に、オーケストラ作品としての聴きどころともなっている。

「オン・ザ・タウン」は、26歳のバーンスタインの溢れ出る多彩な才能が満載のミュージカルである。

25歳で指揮者としてデビューしたバーンスタインが、再びミュージカルを手がけるまで

バーンスタインは、1943年10月に急病のブルーノ・ワルターに代わって、ニューヨーク・フィルを振り、指揮者としてのセンセーショナルなデビューを飾った。アメリカ生まれの25歳の指揮者のニューヨーク・フィル・デビューのニュースは、翌日のニューヨーク・タイムズの第1面に掲載されるほどだった。

1944年1月には自ら指揮して、交響曲第1番「エレミア」を世界初演。この交響曲はニューヨーク音楽批評家サークル賞を受賞した。

1944年4月には、ジェローム・ロビンズとの初めてのコラボレーションであるバレエ「ファンシー・フリー」が初演されている。「ファンシー・フリー」での水兵3人のニューヨークでの休暇のアイデアが、1944年12月開幕の「オン・ザ・タウン」へと発展したのであった。

バーンスタインは、「オン・ザ・タウン」の制作を通して、さまざまなジャンルの才能あるアーティストたちとの共同作業の楽しさを実感した。演出を担ったジョージ・アボットはバーンスタインのことを「彼はいつも自信満々だったが、とても協力的であった。ショーのためならなんでもやった」と述べている。

しかし、彼の指揮の師匠であるセルゲイ・クーセヴィツキーは、「オン・ザ・タウン」の初日を観たあと、バーンスタインに、才能ある指揮者はミュージカルなどに才能を浪費すべきではないと厳しく説教した。そして、バーンスタインはブロードウェイに近づくことを禁じられた。1951年のクーセヴィツキーの死後、1953年1月初演の「ワンダフル・タウン」まで、バーンスタインがミュージカルを手掛けることはなかった。

公演情報
佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2019「オン・ザ・タウン」

【兵庫公演】
日時: 7月12日(金)、13日(土)、14日(日)、15日(月・祝)、17日(水)、19日(金)、20日(土)、21日(日) 各日14:00開演
料金: A 席 12,000円/B席 9,000円/C席 7,000円/D席 5,000円/E席 3,000円(税込/全席指定)

会場: 兵庫県立芸術文化センター KOBELCO 大ホール(兵庫県西宮市高松町2-22)

 

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【東京公演】
日時: 7月25日(木)18:30開演、26日(金)14:00開演、27日(土)14:00開演、28日(日)13:00開演

料金: S席 15,000円/A席 12,000円/B席 9,000円/C席 7,000円/D席 5,000円(税込/全席指定)

会場: 東京文化会館 大ホール(東京都台東区上野公園5-45)

 

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