読みもの
2021.04.25
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.26

ストラヴィンスキー《火の鳥》とロシア民話──魔王カスチェイって何者?

音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第26回は、2021年に没後50周年を迎えるストラヴィンスキーの傑作《火の鳥》に登場する「魔王カスチェイ」をとりあげます。原作での驚きの結末にも注目!

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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

ロシア・バレエ団の舞台デザインを担当したこともあるイラストレーター、イヴァン・ビリビンによる『不死身のカスチェイ』(1903年)

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代表作で出世作!《火の鳥》

最近、気になっているのがロシア民話。前回はムソルグスキーの《展覧会の絵》で登場するバーバ・ヤガーを、前々回はストラヴィンスキーの《兵士の物語》の原作をとりあげたが、今回はストラヴィンスキーの出世作となったバレエ《火の鳥》とその原作との関係について。

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《火の鳥》といえば、ロシア・バレエ団を率いるディアギレフが若きストラヴィンスキーを抜擢した作品である。振付と台本はミハイル・フォーキン。1910年にパリ・オペラ座で初演された。バレエ《火の鳥》のあらすじを簡単にご紹介しておこう。

《火の鳥》あらすじ

イワン王子は魔王カスチェイの庭で、黄金のリンゴを食べに来た火の鳥を捕まえる。火の鳥は王子に逃がしてほしいと懇願する。王子は火の鳥を逃がす代わりに、1枚の羽根をもらう。これがあれば危機の際に助けてくれるというのだ。

 

王子は、カスチェイの魔法により囚われの身となった王女に出会い、恋に落ちる。城に入った王子は、魔物たちに捕らえられ、カスチェイの魔法で石に変えられそうになる。しかし王子が羽根を取り出すと、火の鳥があらわれて、魔物たちを眠らせる。王子はカスチェイの魂が入った卵を砕く。するとカスチェイは息絶え、魔法は解ける。王子と王女はめでたく結ばれる。

2012年にパリのシャンゼリゼ劇場で上演された《火の鳥》より

ふたつの民話が組み合わさって夢のような共演?

このバレエのおもしろいところは、複数のロシア民話が題材になっているところだろう。主たる題材となった民話はふたつある。ひとつは「イワン王子と火の鳥と灰色の狼」、もうひとつは「不死身のコスチェイ老人」(民話なのでさまざまな題で伝えられていたり、異なるバージョンもあるだろうが、ここでは群像社刊のアファナーシエフ『ロシアの民話』別巻に準拠する)。

『ロシアの民話 』(アファナーシエフ/金本源之助訳/群像社)

「イワン王子と火の鳥と灰色の狼」に登場するのが火の鳥であり、「不死身のコスチェイ老人」に登場するのがカスチェイ(コスチェイ)である。実は両者はもととなった民話では共演していない。伝説の超自然的存在がバレエ《火の鳥》で夢の共演を果たしている。

たとえるなら「キングコング対ゴジラ」、あるいは「ウルトラマン対仮面ライダー」的なドリーム感のある組み合せといってもいい。かなりざっくりとした言い方をすれば、物語の枠組みとなる設定は「イワン王子と火の鳥と灰色の狼」から借り、ストーリー展開は「不死身のコスチェイ老人」に拠っている。

音楽とは対照的な原作のカスチェイ

原作の民話を読んで、もっとも興味深く感じるのはカスチェイ(コスチェイ)のイメージの違いだ。ストラヴィンスキーの音楽からは、カスチェイは凶暴かつ強大な力を振るう魔王という印象を受ける。なぜなら、音楽がそう書かれているから。「魔王カスチェイの凶悪な踊り」ほど鮮烈なインパクトを持った管弦楽曲はめったにない。

カラフルな最強音の一撃にはじまって、スピード感あふれるスリリングな音楽が続く。カスチェイは次々と攻撃をくりだし、息つく暇もない。なんと恐ろしい魔王なのか。身長3メートルくらいの魔人がヒュンヒュンと跳ね回る姿を思い浮かべる。

ストラヴィンスキー《火の鳥》より「魔王カスチェイの凶悪な踊り」

ところが、原作でのカスチェイは老人なのだ。少なくともフィジカルで圧倒するタイプではないはず。彼の強みは不死身であること。どんな攻撃を受けても死なない。なぜかといえば、肉体と生命が別の場所にあるから。魂が隠してあるので、肉体をいくら傷つけられても平気なのである。

そこで、囚われの王女はカスチェイに尋ねる。

「あなたの急所はどこにあるの?」

カスチェイは、箒のなかだと答える。王女はカスチェイを大切に思うふりをして、箒をリボンと金粉で飾り立てる。

それを見たカスチェイは王女の浅はかさを笑う。そんな場所に急所を隠してあるはずがなかろう。急所は雄山羊のなかに隠してあるのだと教える。

アレクサンダー・ゴロヴィンがデザインした初演時のカスチェイの衣装。
(1910年)

すると今度は、王女は雄山羊をリボンと金粉で飾り立てた。カスチェイはまたも王女を馬鹿にして笑う。そして自分の急所は「大海原の小島に立つ一本の樫の木の下に小箱があり、その小箱のなかにいるウサギのお腹のなかにいるカモのそのまたお腹のなかにある卵にある」と真相を教えてしまう。それを王女は王子に教え、王子は卵を見つけ出してカスチェイを倒すのだ。

このパターン、どこかで聞いたことがあるような気がしないだろうか。前回の連載で触れた丸焼きにされるバーバ・ヤガーや、日本の「三枚のお札」で和尚さんに食べられるヤマンバと似て、魔物たちにはつい人を甘く見て破滅に至る傾向がある。

バレエでは不採用だった突拍子もない「その後」

ストラヴィンスキーの《火の鳥》では、カスチェイが倒れて王子と王女が結ばれて、ハッピーエンドとなる。しかし、民話「不死身のコスチェイ老人」には、その続きがある。王子と王女はカスチェイの妹たちから兄の仇と恨みを買って、報いを受けるのだ。

その結果、それまで王子を助けてきた忠実な勇士の体が石と化してしまう。勇士は多大な貢献を果たしてきたのに、王子は策略にかかって勇士を死なせてしまったのである。何年も自責の念に苛まれた王子だが、あるとき、石像となった勇士が声を発する。いわく、王子が息子と娘を殺してその血を私に注げば、私は生き返るであろう、と。

そんな無茶な……。が、なんと、王子と王女はその言葉に従うのだ。わが子を殺めて、その血で石像となった勇士を元に戻すのである。勇士が生き返ると、不思議なことに王子と王女の子どもたちも生き返り、最後は祝宴で終わる。

だが、そんな恐ろしい決断をさせておいて、ハッピーエンドと言われても。この展開は現代的価値観ではおよそ受け入れられるものではない。ディアギレフらがこの結末を《火の鳥》に採用しなかったのはもっともなことと言うほかない。

アレクサンダー・ゴロヴィンが初演のために描いた《火の鳥》の世界観。
(1910年)
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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