音メシ!作曲家の食卓#2 旅人モーツァルトが味わった、馬車の中でのナポリ飯
歴史料理研究家の遠藤雅司さんが、作曲家をその食卓からクローズアップ。毎回、実際に再現したレシピもご紹介します。人間の根源的な欲求=食のエピソードからは、大作曲家の人間くさい一面が見られるかも!?
歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...
演奏旅行で各国の宮廷料理を味わったモーツァルト
今回登場するのは、オーストリアが生んだ音楽家の一人、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)です。
1756年オーストリア西部のザルツブルク生まれで、父親はザルツブルク大司教の宮廷音楽家レオポルト・モーツァルトです。当時、ヨーロッパの宮廷音楽家は世襲制で、ヴォルフガング少年も熱心かつ絶対的な存在の父レオポルトの教育により、早くから音楽の道に進んでいきました。幼少より音楽の才能に溢れた彼は、父と共にヨーロッパをまたにかけた演奏旅行に明け暮れていました。
初めて作曲した音楽といわれるハ長調のアンダンテ K.1a は、父レオポルト・モーツァルト(1719~1787)のメモによると、1761年「5歳の最初の3か月に作曲され」ました。
モーツァルトの35年という短い生涯を食の面から紐解いてみると、同時代の音楽家よりもバラエティに富んだ料理を味わっていたことが分かります。
父レオポルトの質素倹約の家庭方針によって、食にお金をかけることはあまりなく、一家は日々庶民の料理と目されていた野菜のスープなどで腹を満たしていました。
一方、人生のおよそ3分の1を旅行に費やしてヨーロッパの各宮廷を訪れていましたので、貴族階級の晩餐に招待されることも数知れず。ヨーロッパの各宮廷料理も味わうことができました。つまり、庶民の立場から貴族の料理を体感していたと言っていいでしょう。
「旅行者」モーツァルト親子が体験したロンドン食事情
ヴォルフガングが父レオポルトとロンドンへ演奏旅行に赴いた時の、食にまつわる話を紹介します。
1764年4月23日から翌1765年7月24日までの1年3か月(モーツァルト8~9歳)、モーツァルト親子はロンドンで過ごすのですが、父レオポルトはザルツブルクの友人たちへの手紙にロンドンについて子細に記しています。
ちなみに、この時代の人口規模はというと、1750年頃のウィーンの人口は約17万人、パリの人口は約56万人、そしてロンドンの人口は約68万人だったので、ウィーンのおよそ4倍もの人口がある大都会ロンドンに赴いたことになるのです。
レオポルトは大都会ロンドンの食事情も子細に手紙にしたためていました。1764年5月28日の手紙では、「牛肉、仔牛肉、仔羊肉」の上等さやビールの豊富さ、その一方でワインの高価で消費税もかかる点、挽いたコーヒーにも消費税のかかる点、熱い紅茶を常時出せるよう火にかけてある釜など、大陸とイギリスの違いを驚きと共に伝えています。
また、このロンドン演奏旅行の1764年6月5日にモーツァルトは3時間の演奏会を行ない、100ギニーという大金を獲得しました。レオポルトが情熱的に手紙をしたためたのは言うまでもありません。
さらに、ロンドンで実際に食した料理にも触れています。1764年6月28日と9月13日の手紙から料理名だけを抜粋して紹介しましょう。
6月28日
「フィレンツェワイン、スープ、漬けた仔牛の肉、若鶏、砂糖、紅茶、牛乳、パン」
9月13日
「紅茶(ミルクかクリームいり)、バター・パン、ポーター[=アルコール強めのビール]、エール[=アルコール弱めのビール]、パール[=ニガヨモギを使った強いビール]、去勢雄羊の腿肉、ローストビーフ、煮たじゃがいも、豆、バター(じゃがいもや豆につけて食べる)、プラム・プディング、タマネギ、コーヒー、チョコレート、果実リキュール、アイスクリーム、りんご酒、果物ジュース、白葡萄酒、プンシュ[=リキュール]、水、ラム酒」
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