音メシ!作曲家の食卓#3 バッハが味わった一世一代のご馳走、ハレの宴とコーヒー愛
歴史料理研究家の遠藤雅司さんが、作曲家をその食卓からクローズアップ。毎回、実際に再現したレシピもご紹介します。人間の根源的な欲求=食のエピソードからは、大作曲家の人間くさい一面が見られるかも!?
歴史料理研究家。国際基督教大学教養学部人文科学科音楽専攻卒。2013年から世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト「音食紀行」をスタートさせ、実食イベントやレストラン...
1685年に生まれ、1750年に亡くなったドイツの大作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。
バッハの足跡を見ると、若い頃から大小さまざまなドイツの街にいたことがわかります。具体的には生地のアイゼナハに始まり、オールドルフ、リューネブルク、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ヴァイマール、ケーテン、ライプツィヒなど、現在のドイツの中央部、北部、北東部の都市を拠点にしました。
B. オールドルフ Ohrdruf
C. リューネブルク Lüneburg
D. ヴァイマール Weimar
E. アルンシュタット Arnstadt
F. リューベック Lübeck
G. ミュールハウゼン Mühlhausen
H. ドルンハイム Dornheim
I. ケーテン Köthen
J. ハレ Halle
K. ライプツィヒ Leipzig
L. ベルリン Berlin
M. ポツダム Potsdam
ドイツ料理の定番、ジャガイモはバッハの時代に広まり始めた
バッハと食の逸話を紹介する前に、ドイツの料理を確認しましょう。現代の料理といえば、ソーセージ、ジャガイモ、ビール、発酵キャベツ(ザワークラウト)、白アスパラガス、ハム、豚肉料理などを思い浮かべられると思います。
バッハが生きた17、18世紀の食生活や食文化はどうだったかというと、社会の上層階級の食事では、富裕層の特権だと言わんばかりに豚や牛などの肉が丸ごと出され、それに合わせてパンやビールなどが振る舞われました。
一方、下層の一般庶民の食生活は各種の穀物・野菜のおかゆやスープが中心で、付け合わせに黒パンが食べられていました。そして、バッハの生きた時代に広まり始めたのがジャガイモです。1500年代に新大陸から持ち帰られたジャガイモは、ドイツの地では東部フォークトラント地方で1680年に最初の栽培が始まりました。ようやく観賞用から食用として考えられるようになり、ファルツ地方(ラインラント=プファルツ州の南部地方)とフォークトラント地方(ドイツのバイエルン州、ザクセン州、テューリンゲン州、およびチェコ共和国の北西ボヘミアにまたがる地域)などの地域で栽培が始まりました。
18世紀後半以降は、プロイセン王フリードリヒ2世(1712~1786)が1756年の「ジャガイモ栽培令」を発令するなど、ジャガイモ栽培の普及に力を入れました。その後1770年代初頭に凶作が襲い、ドイツのみならず中欧の穀倉地帯で穀物生産に壊滅的な打撃を与え、ライ麦の生産量が激減しました。しかし、これまでジャガイモ栽培の奨励を受けて栽培を続けていた地域は、飢饉の影響を受けず食糧危機に陥らなかったので、ジャガイモの有用性に気づく人が増え、さまざまな地域での栽培が始まったのでした。
もう一つ、この頃のドイツに入り始め、流行を巻き起こしたものがあります。それは、バッハも大好きなコーヒーです。
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