読みもの
2022.10.22
【Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画】ピーター・バラカンの新・音楽日記 4

ラップ・スタイルのスライド・ギターで声帯を煙で燻したようなとてもソウルフルなかすれた歌い方をするケリー・ジョー・フェルプス

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。

Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。

●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

ドブロを手にするケリー・ジョー・フェルプス

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アメリカのインディで一発で好きになったミュージシャン

ぼくが2020年に出した『テイキング・ストック ぼくがどうしても手放せない21世紀の愛聴盤』(駒草出版)という本があります。2000年以降に出会ったアルバムを52枚紹介したものですが、そのうちの何枚かは、今はなきBuffaloレコーズに関係したものです。

そのBuffaloというレーベルを営んでいたのは当時日本在住のアメリカ人ダグ・アルソップでした。ダグとの出会いはたぶん1999年だったと思います。彼はおそらくぼくのラジオ番組を聴いてくれていたはずです。突然連絡をくれた彼はイヴェントの制作会社で働いていたのですが、仕事の内容に飽きてしまって、自分のイニシアティヴで音楽のイヴェントを企画したいと話してくれました。

お薦めのミュージシャンはいないかと相談を受け、彼の好みを聞いたらどちらかといえばオルターナティヴ・カントリー(最近あまり聞かない言い方ですね、ルーツ・ミュージックの中に含まれているのかな)と言っていたので、その接点を考えて頭に浮かんだのがケリー・ジョー・フェルプスでした。

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1990年代の半ばから後半にかけて、アメリカのインディのレコード会社ライコディスクの仕事をちょっと手伝った時期があって、新譜が出ると確実にCDが送られてきたものです。その中に初めて知る名前が多く、引っかかるものもそうでないものも当然ありましたが、このケリー・ジョー・フェルプスは一発で好きになったミュージシャンでした。

ケリー・ジョー・フェルプス

ラップ・スタイルのスライド・ギターを弾きながら、声帯を煙で燻したような、とてもソウルフルなかすれた歌い方をする人で、そのギターの腕はとにかくすごくて、一度聴けば絶対に忘れない印象でした。

ライコディスクでの2作目(全体では3作目であることを後から知りました)のアルバム『Shine Eyed Mister Zen』が出た直後にダグからの相談を受け、彼にアルバムを聴かせたらこれで行きたいという話にすぐ発展して、レコード会社から連絡先を聞いてとんとん拍子でことが進みました。

ライヴではより深く 心の中の感情がギターと歌から伝わった

12月に青山のCayをはじめ、何回かの公演が決まりました。しかし、来日は初めてだし、『Shine Eyed Mister Zen』の国内盤は出ていたものの、日本での知名度はゼロに近いので、果たしてお客さんが来てくれるかどうか、かなりの賭けでした。宣伝用にケリー・ジョーが作っていた教則ヴィデオを送ってもらって、それをどのように使えたかもう忘れましたが、何らかの効果はあったでしょう。ぼくのBarakan Beatでも何度も彼の曲を紹介したし、コンサートには予想以上に人が集まったのでぼくもダグもほっとしました。

アルバムで聴くよりもケリー・ジョーの存在感が大きく、何も派手なことはしませんが、彼の心の中の感情がギターと歌の両方から非常に強く伝わって、大物に出会えた時の感激がありました。

気を良くしたダグはその後Buffalo Recordsを設立し、日本で他では注目されないような面白いミュージシャンのアルバムを発売してはコンサートも次々と企画しました。彼のお陰でぼくの2000年代の音楽生活はとても充実したのです。

ケリー・ジョーはしばらくライコディスクに所属したままでしたが、離れた後は日本での権利をBuffaloでとって、2012年の『Brother Sinner & The Whale』までずっと発売していました。

そのアルバムが最後になって、2013年には手の病気のためにケリー・ジョーはしばらく活動を休止しました。回復したという情報を耳にしたのですが、その後話題がないまま、今年の5月31日に62歳で亡くなったことが分かって、愕然としたのです。アイオワ州の自宅で「静かに」死亡したとのことで、家族からの依頼で彼のアルバムをプロデュースしたことがあるスティーヴ・ドースンが発表した情報しかなく、死因は明かされていません。

ほとんどしゃべることなく真剣に演奏に打ち込む姿は強烈だった

登場した時(デビュー・アルバムは1994年)すでに30代の半ばだったケリー・ジョーはアメリカ北西部ワシントン州生まれで、最初はウッド・ベース奏者として10年ほどジャズを演奏していたそうです。スライド・ギターでブルージーな音楽を弾いても、その即興の感覚は、特にライヴでは顕著でした。

しかし、その絶妙なスライド・ギターをいきなりやめてしまって、それに負けない絶妙なフィンガー・ピキングをし始めたのです。そのスタイルで作った2006年の『Tunesmiith Retrofit』はフォーク寄りの名盤です。

2009年には『Western Bell』という意欲作というべきか、問題作というべきか、かなりの不協和音を含むアクースティック・ギターのインストルメンタル・アルバムを作り、評判は分かれましたが、演奏自体は抜群です。

その直後に再び来日して、ほとんどしゃべることなく真剣に演奏に打ち込む姿は強烈でした。

『Western Bell』の実験が過ぎたら、コリーン・ウェストという女性シンガー・ソングライターとの共演でミニ・アルバム(2010年)を発表した後、フィンガー・ピキングとスライドを組み合わせた傑作『Brother Sinner & The Whale』を出しました。音楽的にはフォーク・ブルーズ、歌詞はゴスペルのアルバムです。

ケリー・ジョーは18歳の時にいわゆるborn againのキリスト教徒になって、しばらくは離れたものの、再び精神の世界に戻ったようです。具体的な理由ははっきりしませんが、完全に音楽の活動を停止したのもおそらくそのことと関係していたのではないかと思います。

もう生で聴くことはできませんが、ケリー・ジョー・フェルプスの唯一無二のギターと歌をぜひ聴いていただきたいです。

ピーター・バラカン
ピーター・バラカン ブロードキャスター

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...

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