ザルツブルク音楽留学レポート~指揮科学生 Aoi Mizunoのある1週間
音大指揮科の学生ってどんな勉強をしているの? オーストリア国立ザルツブルク・モーツァルテウム大学に留学、今年卒業し、日本ではクラシカルDJとして活躍する水野蒼生さんが、6月のある1週間をレポート! モーツァルトが生まれ育ったオーストリアの小さな町、ザルツブルクや、隣国ドイツの風景を交えつつ、指揮科学生の等身大ライフをご紹介します。
2018年にクラシカルDJとして名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからクラシック音楽界史上初のクラシック・ミックスアルバム「MILLENNIALS-We Will C...
モーツァルトが生まれ育った街、ザルツブルク
ザルツブルクに留学して早くも5年間が過ぎた。
20代前半のほとんどの時間をヨーロッパの古都で過ごしてきたことは、この人生において決して小さくない意味を持っていると思う。ザルツブルクは人口15万人の小さな地方都市。周りを山に囲まれ、旧市街は世界遺産に指定された美しい街で、毎日観光客で賑わっている。初めて訪れたときは「あのモーツァルトが生まれた街」ということも相まって大感動したことを覚えているが、いざ住んでみると、その生活は平凡だった。小さい街ゆえに生活はとことんシンプルになる。家と大学、たまにスーパーに買い出し。「あのモーツァルトが生まれた街」という印象は、意外とすぐに「あのモーツァルトが出ていきたかった街」に変換されていった。
でもそれは「=退屈な日々」というわけではまったくない。街には何もないからこそ大学での音楽の勉強に専念できる。否、音楽を勉強することしかなかったのだ、この街では。そして大学でのカリキュラムはいつも多忙を極め、ひたすらインプットをし続けた、ある意味超貴重な5年間だったと今は思う。
もうすぐそんな生活も終わりを迎える。
昨年の7月から今年の3月まで、僕は一時休学して日本でのクラシカルDJの活動に専念していたが、4月から再び卒業のためにザルツブルクに戻ってきた。これが実質ザルツブルクでの留学生活最後の数ヶ月になるだろう。
そう思ったタイミングで「ザルツブルクに留学する指揮者のリアルな生活」を書き残しておきたいとONTOMOに提案させてもらった。
しかし、卒業を控えた今学期は、余裕のある日々を過ごしている。ほんの数単位の授業と、たまにレッスンがあるだけの日々だ。
それだと「留学生のリアルな生活」はあまり伝わらないと思ったので、ここにはちょうど1年前の6月の1週間を書いてみたい。過去のスケジュール帳をめくってみたが、この1週間の目まぐるしい日々はまさに留学生活のハイライトといえるだろう。これならきっと「ザルツブルクに留学する指揮者のリアルな1週間」を伝えることができると思う。
オーストリアの6月。その印象といえば、聖霊降臨祭の祝日、燦々と照らす太陽、そしてヴァカンスが待ちきれない楽しげな雰囲気。日本人が抱く6月のイメージとは真逆だ。そんな多幸感に満ちた特殊な季節の中で、指揮を勉強する学生がどんな生活を送っているのか。2018年の6月18日に戻り、100%ノンフィクションで書いていこうと思う。
2018年6月、ザルツブルク留学生活のハイライト
月曜日 6月18日
11:00 週明けの月曜日の朝は遅い。ゆっくりシャワーを浴びてコーヒーを淹れ、甘いものを少しつまみ、身体と頭を起こして、12時過ぎに大学に向かう。僕が住んでいるのは街の中心地にある聖セバスチャン教会に併設されている学生寮。街のちょうど中心にある大学までは歩いて5分ほどで到着する。
(上)オーストリア国立ザルツブルク・モーツァルテウム大学の外観
13:00 週初めの予定は本業のオーケストラ指揮のレッスン。きっかり13:00からキチンとレッスンは始まる。欧州では人によっては教授が30分レッスンに遅刻してくる……みたいな話がしばしばあるが、指揮科ではそういったことは滅多にない気がする。少なくともザルツブルクでは。
指揮科のレッスン室には、部屋の中心にグランドピアノが2台堂々と置かれていて、その2台のピアノと対面する形で指揮台と譜面台が置かれている。指揮台から向かってみるとピアノ2台の先には長机があり、そこには教授と助教授が鎮座していてこちらをギロッと鋭い目つきで睨んでいる。その周りを指揮科の学生たちが7人ほど取り囲み、振っている同期を眺めていたり譜面台に置いたスコアにかじりついていたり、というのが僕らのレッスンのオーソドックスな景色だ。
レッスンは、まず教授の楽曲分析の講義から始まる。どんな有名曲でも教授の分析は毎回「目から鱗」といった感じで、学生全員が食い入るように話を聞く。それから1人ずつ交互に指揮台に立ち、2台ピアノという仮想オーケストラ相手に指揮を振り、教授からのコメントをもらう。
17:00 4時間ほどそんな時間を過ごしてレッスンは終わる。その後は、大学の練習室で別のレッスンの準備に取り掛かる。
20:20 帰宅して晩御飯の準備。基本的に僕は1日に1食しか食べない。朝はあまり食欲がないし、お昼はランチを取る時間がないことが多く、知らぬ間に1日1食生活に慣れてしまった。その分、夕食は栄養にも気をつけてしっかりと料理をする。料理は僕にとって大切な気分転換だ。リフレッシュタイムの直後には美味しいものが食べられる、一石二鳥の大好きな時間なんだ。
(左)料理の時間は大事なリフレッシュタイム
21:30 夕飯を終えたあとでも外はまだ明るい。欧州の6月はサマータイムも相まって陽が長い。夏至の頃なんて、完全に真っ暗になるのは22:30頃だったりする。ゆっくりと太陽が沈んでいく間にまた少し明日の準備をして、寝る前は本を読んだりNetflixで映画を観たりして、0時ごろに就寝。
火曜日 6月19日
10:00 週の2日目、まだまだ元気な火曜日は、午前中から再びオーケストラ指揮のレッスン。前日にやらなかった箇所、昨晩レッスン後に復習したところを今日も長机にどかんと座る教授に披露する時間だ。14時にレッスンが終わったら一旦帰宅。ちょっと休憩を挟んで次の予定は夕方から。
17:00 僕は今、オーケストラ指揮と合唱指揮のダブル専攻をしている。欧州の音大で指揮科といえば、だいたいオーケストラ指揮科と合唱指揮科に分かれている。入試の段階からどちらか片方を受けることも併願で受けることもできる。この日は来たる日曜日のミサに向けた合唱のリハーサル。大学の必修授業の合唱を履修する、歌が専門ではない音楽科の学生で構成された合唱団を2時間リハーサルする。歌のプロが相手ではないからこその難しさ、オーケストラとはまた全然違うリハーサルの進め方に最初は戸惑ったなあ、と感慨深い。
19:15 リハーサルを終えたその足で、スコアリーディングのレッスンに向かう。オーケストラの譜面をピアノで弾くレッスン。自分でオーケストラの楽曲を選び、練習してレッスンに持っていく。先生がそれを初見でザーッと弾きながら、いろいろとコツを教えてくれる。「ここのクラリネットは左手で弾くといい」「このヴァイオリンはオクターブ下げて、その上でこのフルートのオブリガートを弾きなさい」「そこは金管は弾かなくていいから、弦の連符を弾いたほうがいい。こんなふうにね、ほら簡単じゃないか!」みたいな感じでかるーく言われるわけだけれど、こちとら1週間準備して持ってきているので、いきなり弾き方を変えるのは容易じゃあない。脳内フル回転でなんとか追いつこうと頑張って、45分後には脳の回路は焼き切れる寸前、だったりするときもある。
20:05 スコアリーディングのレッスンが終わって、火曜日の予定はすべて完了。昨日と同じような夜を過ごして次の日へ。
水曜日 6月20日
10:00 週の折り返しの一日。この日が終われば週末はもう目前! いつもならそんなテンションで乗り切るのだが、この週は違う。今日はお昼過ぎからザルツブルク近郊のドイツの街、バート・ライヒェンハルで現地のオーケストラとのリハーサルがあるのだ。まずは10時からの合唱指揮のレッスンに顔を出し、同期がプッチーニの「マダム・バタフライ」を振るのに合わせてスズキを熱唱(そう、合唱指揮科のレッスンではもっぱら「合唱が重要なオペラ」のレッスンをしている。そして僕らは全役の歌も歌わなければいけない)。それを早退して電車で30分ほどかけてオーストリアとドイツの国境をまたぎ、リハーサルへ向かう。
(右)バート・ライヒェンハル
12:00 この日のオーケストラ、「バート・ライヒェンハラー・フィルハーモニー」はドイツのプロオケのひとつで、うちの大学と提携を結んでいて年に数度は指揮科の学生がコンサートを指揮することができる。
実際に僕も何度か振らせてもらったオーケストラなので、そこまで緊張はしなかった、と思う。このバート・ライヒェンハルというのはバイエルン地方にある温泉地として有名で、療養のために訪れる人も多い。四方を山岳に囲まれた街で、景色も圧巻。
この日のプログラムはオール・ベートーヴェン。コンサート全体を僕を含めた4人の学生が順番に振っていく。僕はコンサート1曲目にフィデリオ「序曲」を任された。時には指揮科の助教授の助言ももらいつつも、基本的に一人でオーケストラ相手にリハーサルを進める。ドイツ語でのリハーサルも今では随分と慣れてきた。
15:45 リハーサルを終えてザルツブルクに戻ってきたら、今度はコレペティのレッスン。コレペティトールとは、リハーサル段階に、ピアノによるオペラ伴奏と歌手の指導をする役職のこと。指導もできなくてはいけないので、ただピアノでヴォーカルスコアを弾くだけでなく、歌の音程はもちろん、発音やフレージングまできちんと理解していないといけない。この役職も指揮者には必要不可欠なスキルのひとつ。そこでこのレッスンでは、1学期(4ヶ月)の間に「オペラを一本すべてピアノで伴奏を弾きながら歌う」ことが課題になる。そのオペラもドイツ語やイタリア語、時にはフランス語なんてときもあったりするので、一番準備に時間がかかる科目かもしれない。
16:30 食材の買い出しのために川を渡って旧市街にあるスーパーに向かう。といってもそれも徒歩5分ほど。本当に小さい街なんだ、ザルツブルクは。
17:00 帰宅。明日の本番に向けて今日のリハーサルを録画した動画をチェック。明日のゲネプロで確認したいことをメモしたら、僕の水曜日は終了、本番前日はあまりバタバタしたくないからね。
木曜日 6月21日
9:30 まずはこの学期唯一の座学、アナリーゼ(楽曲分析)に向かう。このクラスは作曲・指揮科だけでフォームされている特別クラス。分析のテーマの大半は、現代音楽などのオーソドックスなセオリーからは外れた作品。12音技法の分析なんてのはまだまだ序の口で、アメリカ帰りの教授による独自の分析法を試したり、まあとにかく朝の9:30から大ボリュームな90分。
11:00 授業が終わったら再びバート・ライヒェンハルへと急ぎ向かう。ゲネプロは12時からだ。
14:30 ゲネプロも無事に終わり一度ザルツに戻り、衣装など荷物を整理して、本番前最後のリラックスタイム。
18:00 本番にちょうどいい時間の電車がなかったので、ドイツ人の同期の車に指揮科みんなで乗り込み、再びバート・ライヒェンハルへと向かう。この日はこの年度の最後の本番なので、みんな異常にテンションが高かった。到着してからはそれぞれ衣装に着替えて、最後の楽譜とにらめっこの時間。ホールの後ろの窓から見える太陽は、まだ沈む気配がない。
19:30 いよいよ開演の時間。オーケストラのチューニングの音を舞台袖で聴きながら気分を高め、深呼吸をしてから舞台へ向かう。10分にも満たない短い序曲一曲だけれど、オーケストラのアクセルは全開。悪くないコンサートのスタートを切ることができたと思う。そのあとは同期たちが指揮をするピアノ協奏曲や交響曲を客席で楽しみ、終演後にはお互いを讃え合い、軽く打ち上げをして帰宅。深夜のザルツブルクは大雨だった。
金曜日 6月22日
13:20 本番の疲労もあって、目が覚めたのはお昼過ぎ。金曜日は大学はないけれど、ひとつ大事な仕事があった。ザルツブルクから電車でさらに北に70分ほど行ったところにある、人口2万人ほどの小さい街ブラウナウ・アム・イン、そこの市民たちによるアマチュアオーケストラの指揮者を僕は2年間ほど務めていた。毎週金曜日は夕方にその街ブラウナウへ向かい、20時から22時までリハーサルをする。この仕事を続けられたおかげでドイツ語でのリハーサルは随分と慣れることができた。
22:00 リハーサルが終了。もうこの時間になるとザルツブルクに帰る電車はないので、オーケストラの主宰をしている老夫婦の家に泊めてもらうことになっていた。親切で、音楽愛に満ちた素敵な夫婦。もうすっかり彼らは僕にとってオーストリアの祖父母のような存在だ。この日はリハが終わってから街の酒屋でオケのみんなで一杯。コントラバス弾きのじいちゃんが数日前誕生日だったそうで、結構な人数がテーブルを囲んでいる。この地方の人たちは方言がキツいので、仕事を始めた頃は意思疎通に戸惑ったけれど、もうすっかり飲みながらジョークで笑えるくらいにはなった。
土曜日 6月23日
7:00 ブラウナウの老夫婦の家の客間で起床。着替えてリビングに入るといつも立派な朝食を用意していくれている。カゴには何種類ものパンのスライス、コーヒーとオレンジジュース、ゆで卵にチーズとハム。食後、駅に向かうときにははおばあちゃんが焼いてくれた特製のケーキをタッパに入れて渡してくれる。本当に文字通り「オーストリアの祖父母宅」である。
9:00 ザルツブルクに戻ってきたら、そのまま家には帰らずに旧市街にある大聖堂へと急ぎ向かった。これから明日のミサに向けたゲネプロが始まる。大聖堂に入ってちょうど後方上部にあるバルコニー、巨大なパイプオルガンが堂々とそびえる手前のスペースに合唱が並び、僕はさらにその前に立つ。この日のゲネプロの目的はパイプオルガンの伴奏とのバランス合わせや、大聖堂の壮大な音響の中で音楽を作る最終調整。およそ100m以上離れた祭壇の前にいる教授と、電話で聴こえ方を確認しながらリハーサルをする。「アオイ、Allegro手前のフェルマータは切ってから時間をあけよう。俺がいる位置からだと残響が消えてないから雰囲気の変わり目が伝わりにくい」「了解っす。そこ、tの子音はちゃんと聴こえてました?」「それはパーフェクトだ、よくやった!」
11:00 ゲネプロが終わりようやく帰宅。ようやくまとまった自由な時間が取れる。日本での企画の構想を練ったり、読書をしたり、のんびりと夜まで過ごす。
日曜日 6月24日
10:00 再び大聖堂に向かい、ミサの本番。演奏したのはグノーのミサ曲。ザルツブルクの大聖堂はモーツァルトが洗礼を受けたことでも有名で、ここのパイプオルガンは欧州最大とも言われている。歌の響きは聖堂の特殊な建築によって広く拡張され何倍もの骨太なサウンドとなり、残響は長い時間、聖堂の中を泳ぎ続ける。そんな特別な環境で指揮が振れるのは本当に貴重な経験で、まさに至福の時間と言えるだろう。
12:30 本番を終えたら一緒にミサを終えた友人たちとランチを食べて、これで僕のザルツブルクでの1週間は終了。来週は少しだけれど試験もあるので、完全に気は抜けない。それでもなかなかに濃密なミッションをやり遂げた達成感と解放感に身をまかせる時間も、確かにこのときの僕には必要だった。試験の準備も早々に終えて、月曜の昼まで泥のように眠ったことは今でも確かに覚えている。
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