シューマンの生涯と主要作品
ローベルト・シューマンの生涯と主要作品を音楽学者の西原稔が解説!
文―西原稔(音楽学者)
シューマンの生涯
ドイツの作曲家,音楽批評家。ピアノ曲や歌曲の作曲家としてよく知られるが,交響曲や協奏曲,室内楽曲でも傑作を残している。音楽と文学が彼の創造の源泉で,それは彼の音楽創作や音楽批評に表れている。ドイツ・ロマン派の美学を最も深く受容するとともに,当時の教養市民階層の芸術および政治思想を最も反映した音楽家でもあった。シューマンにおいては,彼の独自の芸術思想を映し出した作品が多いのが特徴である。
1.若き日のシューマン
ローベルト・シューマンは1810年6月8日,ザクセン王国の小都市ツヴィッカウで書籍商を営む父フリードリヒ・アウグストと,軍医の娘である母ヨハンナ・クリスティアーネ・シュナーベルとの間に6番目の子供として生まれた。3人の兄は父親の書籍商を受け継いだ。父親は文学だけでなく音楽にも理解があり,シューマンは17年(7歳)頃から生地のオルガニスト,ヨハン・ゴットフリート・クンチュにピアノの手ほどきを受ける。20年,ギムナジウムに入学し,その翌年クンチュの指揮によるフリードリヒ・シュナイダーのオラトリオ《最後の審判》の演奏でピアノを担当する。この頃から作曲を試み,24年,ソプラノとアルト独唱,管弦楽とピアノという大編成の《詩編150》[Oeuv.1(作品1)と表記]を作曲したが,これは現存する中で彼の最も初期の作品である。少年時代のシューマンはフンメルの他に,ベートーヴェンやシューベルトの作品に深く親しんだ。25年,姉エミーリエが自殺し,翌年8月10日,父アウグストが没する。この頃からジャン・パウルの小説に心酔した。
2.ライプツィヒ大学への進学と,音楽への傾倒
1828年にギムナジウム卒業後,母の意思を汲んでライプツィヒ大学に進学するが,音楽への情熱はますます高まる。この時期に未完の《11の歌曲集》Anh.M2(1827-28)やピアノ四重奏曲ハ短調 Anh.E1(1828-29),ピアノ連弾のための《8つのポロネーズ》Anh.G1(1828)を作曲。《11の歌曲集》の2曲はピアノ・ソナタ第1番 op.11と第2番 op.22に引用され,ピアノ四重奏曲ハ短調はのちに交響曲に改作しようと試みる堂々とした作品であり,第4楽章の楽想は《パピヨン Papillons》op.2(1829-32)の第10曲に用いられる。《8つのポロネーズ》は彼のシューベルト受容の成果であり,この曲集中の2曲も《パピヨン》に引用される。この28年からヴィークにピアノの指導を受ける。翌年にハイデルベルク大学の法学者で,ア・カペッラの宗教音楽の賛美者でもあるアントン・ユスティヌス・ティボー教授に接し,同地でメータ・アベッグと知り合う。30年,シューマンはフランクフルトでパガニーニの演奏に接し,強い衝撃を受ける。このパガニーニ体験は,やがて《パガニーニの〈カプリス〉による練習曲》op.3(1832),op.10(1833)の作曲に結び付く。この年ライプツィヒに戻ると,トーマス教会カントルのクリスティアン・テーオドール・ヴァインリヒや,31年からはライプツィヒ宮廷歌劇場の音楽監督ハインリヒ・ドルンにも師事。このドルンのもとで対位法を学習した成果は,《パピヨン》や《クラーラ・ヴィークのロマンスによる即興曲集》op.5(1833)などの初期の作品に反映されている。また,交響曲ト短調 Anh.A3(未刊)を作曲し,同交響曲の第1楽章は33年に初演された。
3.1830年代前半の活動
1830年,シューマンは完成した《アベッグ変奏曲 Theme sur le nom Abegg varie》に改めてop.1という作品番号を付す。《アベッグ変奏曲》はモシェレスやショパンからの影響や独自の変奏曲の手法が見られる意欲的な作品であるが,批評家のヨハン・カール・フリードリヒ・レルシュタープから酷評を受ける。シューマンが理想の芸術を推進する架空の団体「ダーヴィト同盟」を構想するのは31年頃で,シューマンは自分自身の分身としてフロレスタンとオイゼビウスという人物像を作り上げる。31年から32年にかけて,《パピヨン》や,ピアノ・ソナタ ロ短調 Anh.F6の第1楽章である《アレグロ》op.8,33年にピアノ・ソナタ第1番の作曲が開始される。右手の中指に麻痺の症状が出たため前年から治療を試みるが改善せず,彼は深い絶望に陥る。33年10月に兄嫁ロザーリエが,11月に兄ユーリウスが死去し,精神状態が不安定になり投身衝動に駆られる。
1833年に《ベートーヴェンの主題による自由な変奏曲形式の練習曲》Anh.F25の作曲に取り掛かる。これは変奏曲と練習曲およびベートーヴェン研究と結び付いた作品で,《交響的練習曲 XII Etudes symphoniques(改訂版:Etudes en forme de variations)》op.13とも密接な結び付きを持つ。34年,ヴィークの生徒のエルネスティーネ・フォン・フリッケンと恋愛関係となり,結婚の意思を持つ。エルネスティーネの父フリッケン男爵は音楽愛好家であり,同男爵の作曲した旋律を主題として《交響的練習曲》の作曲を開始。またシューマンを主筆として《新音楽時報 Neue Zeitschrift für Musik》が創刊され,同誌は今日まで継承されている。36年にピアノ・ソナタ第3番 op.14の初稿版が《管弦楽のない協奏曲》の題で刊行され,前年,ヴィーク家でショパンおよびモシェレスと会う。私的な婚約を交わしたエルネスティーネとの関係を清算し,ヴィークの娘クラーラ(のちのC.シューマン)に強く惹かれる。
4.1830年代後半の活動
1836年,シューマンの母親が没する。ヴィークにクラーラへの愛を表明するが強く拒否され,完成間もないピアノ・ソナタ第1番を送付するものの父ヴィークの命によって返送される。同年から翌年にかけて極度の鬱状態に陥り,音楽活動もほとんど停止の状況になる。37年8月14日,シューマンは手紙の中でクラーラと婚約し,同年,自身とクラーラとの結婚式の前夜祭における舞踏会の状況を想定した《ダーヴィト同盟舞曲集 Davidbündlertänze》op.6を作曲。クラーラの誕生日(9月13日)に父ヴィークに彼女との結婚を申し込むが拒絶される。この年に《幻想小曲集 Fantasiestücke》op.12が作曲され,スコットランドのピアニスト,アンナ・ロベーナ・レイドロウに献呈。結婚をめぐる緊迫した中で38年に《子供の情景 Kinderscenen Leichte Stucke》op.15や,E.T.A.ホフマンの長編小説を題材にした《クライスレリアーナ Kreisleriana》op.16,ベートーヴェン記念碑の建立基金への寄付を意図しリストに献呈された幻想曲 op.17,ノヴェレッテン op.21などが完成されている。
ライプツィヒ以外の地に住むのであれば結婚を許すとのヴィークの画策を受け,1838年9月ウィーンに出発する。ウィーンではシューベルトの兄フェルディナントの知遇を得,シューベルトの交響曲ハ長調を発見する。翌39年3月,兄エードゥアルト危篤の知らせを受けてライプツィヒに戻る。シューマンとクラーラは改めて結婚への意思を固め,6月15日,ヴィークを相手取り裁判所に訴える。翌40年1月4日に判決が下るが,同月13日にヴィークが控訴,同年8月1日に裁判所から結婚の法的な許可が下りる。39年に作曲された《アラベスク》op.18,《花の曲 Blumenstück》op.19,《夜曲 Nachtstücke》op.23は,シューマンのウィーン滞在中に作曲され,《ウィーンの謝肉祭の騒ぎ Faschingsschwank aus Wien》op.26に登場する《ラ・マルセイエーズ》は,ヨハン(i)・シュトラウスのワルツ《パリ》に由来する。30年代を締めくくる傑作は《フモレスケ Humoreske》op.20で,39年ウィーンで完成された。シューマンとクラーラは40年9月12日に結婚式を挙げる。その前日にシューマンはクラーラに歌曲集《ミルテの花 Myrthen》op.25を贈っており,結婚式の翌日の9月13日はクラーラの誕生日である。
5.歌曲の年
1840年は「歌曲の年」と呼ばれ,シューマンの創作はピアノ作品ではなく歌曲に向かう。《ミルテの花》に加えて《リーダークライス Liederkreis》op.24,39,《詩人の恋 Dichterliebe》op.48,《女の愛と生涯 Frauenliebe und -leben》op.42などの曲が続々と作曲された。
6.管弦楽の年
翌1841年は交響曲第1番《春》op.38(初稿),交響曲第4番 op.120(初稿),《序曲,スケルツォとフィナーレ》op.52,ピアノと管弦楽のための幻想曲(のちのピアノ協奏曲イ短調第1楽章の初稿)などが作曲され,文字通り「管弦楽の年」であった。交響曲第1番は《春》というタイトルで呼ばれるが,その後改訂に際してタイトルは削除された。
7.室内楽の年(1842年)
1842年は室内楽が集中して作曲された。バッハやベートーヴェン研究が集中して行われ,3曲の弦楽四重奏曲 op.41に続いてピアノ五重奏曲 op.44が作曲され,その後ピアノ四重奏曲 op.47が連続して作曲された。43年にメンデルスゾーンによってライプツィヒ音楽院(現ライプツィヒ音楽・演劇大学)が創設され,シューマンは作曲およびピアノなどを担当した。この年の創作で最も重要なのは,オラトリオ《楽園とペリ Das Paradies und die Peri》op.50の作曲である。44年1月,シューマンはクラーラと共に5カ月に及ぶロシア旅行を行い,サンクトペテルブルクやモスクワを訪問する。帰国後,精神面で健康の悪化を訴えるようになり,12月13日にライプツィヒからザクセン王国の首都ドレスデンに移住する。
8.ドレスデン時代(1844-50年)
彼は改めてバッハ研究に専念するとともにペダル・ピアノ(足鍵盤付きピアノ)に関心を持ち,1845年に《バッハの名前による6つのフーガ Sechs Fugen über den Namen BACH》op.60や《ペダル・ピアノのための練習曲》op.56などを作曲。そして,41年に《幻想曲》というタイトルで作曲した作品に,第2,3楽章を付加してピアノ協奏曲イ短調 op.54(1845)として完成し,創作力を取り戻す。47年2月,ベルリンに旅行し《楽園とペリ》を指揮し,同地でベルリオーズと会う。またフリードリヒ・ヘベルの《ゲノフェーファ Genoveva》に基づく彼の唯一のオペラの作曲に着手する。この年は交響曲第2番 op.61を改訂し,ピアノ三重奏曲第1番 op.63,同第2番 op.80を完成させる。48年に入ると,《少年のためのアルバム Clavierstücke für die Jugend》op.68や連弾のための《オリエントの絵 Bilder aus Osten》op.66,バイロンの戯曲のための付随音楽《マンフレッド Manfred》op.115の完成を見る。子供のための作品はその後,53年に至るまで彼のピアノ音楽にひとつのジャンルを形成する。
1848年は,パリ二月革命に端を発してウィーン三月革命が起こり,49年5月に「ドレスデン蜂起」が勃発する。この蜂起の間,シューマンはドレスデン近郊のマクセンに避難する。49年はシューマンの創作力が大きな高まりを見せた年で,ピアノのための小協奏曲 op.92や4つのホルンのための小協奏曲 op.86,ホルンやクラリネット,オーボエなどの管楽器とピアノのための小品,数多くの歌曲や重唱作品の他に,《〈ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 Wilhelm Meisters Lehrjahre〉からの歌曲集》op.98aなどが作曲された。50年2月,オペラ《ゲノフェーファ》初演のためにライプツィヒに赴くが上演は延期となり,6月25日の初演では芳しい評価を得ることはできなかった。この年,《バッハ全集》刊行のためバッハ協会設立に参画。
9.デュッセルドルフ時代(1850-56年)
1850年9月,作曲家のF.ヒラーの招きでデュッセルドルフ市の音楽監督に就任する。この年に交響曲第3番《ライン Rheinische (Symphonie)》op.97とチェロ協奏曲 op.129を作曲する。しかし51年に入ると楽団や合唱団との軋轢が始まる。その中でヴァイオリン・ソナタ第1番イ短調 op.105,同第2番ニ短調 op.121が作曲される。この年は,オラトリオ《ばらの巡礼 Der Rose Pilgerfahrt》op.112や,シェイクスピアの《ジュリアス・シーザー Julius Cäser》への序曲 op.128,ゲーテの《ヘルマンとドロテーア Hermann und Dorothea》への序曲 op.136なども作曲された。51年にバッハの《ヨハネ受難曲》を指揮したのに続いて,翌52年にもミサ曲ロ短調と《マタイ受難曲》を指揮する。この52年で注目されるのは《ミサ・サクラ Missa sacra》op.147とレクイエム op.148で,バロック音楽やシューベルトのミサ曲からの影響が見られる。
1853年に入ると楽団との軋轢が増す。8月に行われたニーダーライン音楽祭でヴァイオリニストのヨアヒムの演奏に深い感銘を覚え,その後,彼のために幻想曲 op.131とヴァイオリン協奏曲 WoO 1を作曲。さらに9月30日にブラームスが来訪。彼の作品にドイツ音楽の新しい道を直感し,ブラームスを世に紹介する批評の筆をとる。11月に音楽監督を辞任。53年は上記に加えてピアノと管弦楽のための《序奏とアレグロ》op.134,3人の娘に献呈した《少年のための3つのソナタ》op.118,《フゲッタ形式による7つの小品》op.126,《朝の歌 Gesänge der Frühe》op.133,バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》と《無伴奏チェロ組曲》のピアノ伴奏付きを手掛ける。
1853年9月下旬からたびたび幻聴に悩まされ,彼は天使の歌う旋律をヴァイオリン協奏曲の第2楽章に用いている。54年に入るとシューマンの精神状態はますます悪化する。2月に上記の天使の旋律を基に《主題と変奏(精霊の変奏曲)》Anh.F39の作曲を始める。第4変奏を浄書した段階でライン川への投身自殺を企てる。救助された後,第5変奏を完成させる。54年3月4日,ボン近郊のエンデニヒの病院に移り,その後の人生をここで過ごす。56年7月29日死去。7月31日にボンの墓地に埋葬された。
10.作品の影響
シューマンは,バッハやベートーヴェン,シューベルト,同時代のルイ・シュンケやN.ブルクミュラーらからの影響を受けつつ,極めて個性豊かな作品を生み出した。シューマンが過去の作曲家を深く研究したことはその作品に反映されている。さらに同時代の作曲家から受けた刺激や影響は,彼が執筆した音楽批評から知ることができる。シューマンに師事したアルベルト・ディートリヒやテーオドール・キルヒナー,フォルクマン,ライネッケらは最初にその影響を受けた作曲家である。キルヒナーは《新子供の情景》や《フロレスタンとオイゼビウス》などシューマンにちなんだタイトルの作品を作曲し,ライネッケはピアノ四重奏曲第1番などの作品でシューマンの旋律の一部を引用しており,また,彼はシューマンの作品の編曲も手掛けている。シューマンによって音楽界にデビューしたブラームスの作品では,2曲の《シューマンの主題による変奏曲》やピアノ・ソナタ第3番などにシューマンからの影響が見られ,交響曲第3番についてもシューマンからの影響が指摘されている。
19世紀後半では,標題付きの連作ピアノ作品集を作曲したスメタナにその影響が見られ,彼の《記念帳のページ》第1曲が《ローベルト・シューマンに寄せて》である。シューマンのロマン主義的な標題の付いた様式は,イェンゼンなど多くの作曲家により通俗化した形で取り入れられた。シューマンの影響で注目されるのが近代フランスの作曲家である。C.フランクの初期のピアノ協奏曲第2番はシューマンからの影響を示しており,フォーレはシューマンの作品の校訂を手掛けているだけではなく,彼の初期の作品への影響が指摘される。スペインの作曲家グラナドスのピアノ作品にもシューマンの影響ははっきりとうかがえる。その意味では,シューマンは19世紀中葉から20世紀前期にかけての音楽表現のひとつの典型を生み出したといえる。
シューマンの主要作品
【オペラ】
《ゲノフェーファ》 op.81 1847-50
【付随音楽】
《マンフレッド》 op.115 1848
【交響曲】
No.1 B《春》 op.38 1841 ; No.2 C op.61 1845-46 ; No.3 Es《ライン》 op.97 1850 ; No.4 d op.120 1841改訂51 ; g Anh.A3 1832-33[未完]
【管弦楽曲】
序曲,スケルツォとフィナーレ e/E op.52 1841改訂45 ; 《メッシーナの花嫁》への序曲 op.100 1850-51 : 《ジュリアス・シーザー》への序曲 op.128 1851 ; 《ヘルマンとドロテーア》への序曲 op.136 1851-52
【協奏曲】
ピアノ協奏曲 a op.54[第1楽章原曲はピアノと管弦楽のための幻想曲] 1841-45 ; 序奏とアレグロ・アパッショナート――ピアノのための小協奏曲 G op.92 1849 ; 序奏とアレグロ d op.134(p, orch) 1853 ; ヴァイオリン協奏曲 d WoO 1 1853 ; 幻想曲 C op.131(vn, orch) 1853 ; チェロ協奏曲 a op.129 1850 ; 4つのホルンのための小協奏曲 F op.86 1849
【室内楽曲】
ピアノ五重奏曲 a op.44 1842 ; 弦楽四重奏曲 op.41(1.a 2.F 3.A) 1842 ; ピアノ四重奏曲 : c Anh.E1 1828-29, Es op.47 1842 ; ピアノ三重奏曲 : No.1 d op.63 1847, No.2 F op.80 1847改訂49, No.3 g op.110 1851 ; 幻想小曲集 op.88(vn, vc, p 1.ロマンツェ 2.フモレスケ 3.デュエット 4.フィナーレ) 1842 ; 幻想小曲集 op.73(cl/[vn/vc], p 3曲) 1849 ; 3つのロマンス op.94(ob/[vn/cl], p a, A, a) 1849 ; 民謡風の5つの小品 op.102(vc/vn, p) 1849 ; ヴァイオリン・ソナタ : No.1 a op.105 1851, No.2 d op.121 1851, No.3 a WoO 2 1853, F.A.E. ソナタ[合作作品,シューマンによる第2,4楽章はNo.3に含まれる] 1853 ; おとぎの絵本(va, p 4曲) op.113 1851
【2台ピアノ曲】
アンダンテと変奏曲 B op.46 1843
【ピアノ連弾曲】
8つのポロネーズ Anh.G1 1828 ; オリエントの絵――6つの即興曲 op.66 1848 ; 小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 op.85 1849 ; 舞踏会の情景 op.109(9曲) 1849-51 ; 子供の舞踏会 op.130(6曲) 1853
【オルガンまたはペダル・ピアノ曲】
バッハの名前による6つのフーガ op.60(B, B, g, B, F, B) 1845 ; ペダル・ピアノのための練習曲 op.56(6曲) 1845
【ピアノ曲】
ピアノ・ソナタ : No.1 fis op.11 1833-35, No.2 g op.22 1830-38, No.3 f op.14 第2稿1853[初稿《管弦楽のない協奏曲》1836]; パガニーニの《カプリス》による練習曲 : 第1集 op.3(6曲) 1832, 第2集 op.10(6曲) 1833 ; アベッグ変奏曲 op.1 1829-30 ; パピヨン op.2(12曲) 1829-32 ; 間奏曲集 op.4(D, e, d, h, a, C) 1832 ; ベートーヴェンの主題による自由な変奏曲形式の練習曲 Anh.F25 1833-35 ; クラーラ・ヴィークのロマンスによる即興曲集 op.5(10曲) 1833改訂50 ; ダーヴィト同盟舞曲集――18の性格的小品 op.6 1837 ; トッカータ C op.7 1829-33 ; アレグロ h op.8 1831-32 ; 謝肉祭 op.9(21曲) 1834-35 ; 幻想小曲集 op.12(1.夕べに 2.飛翔 3.なぜに? 4.気まぐれ 5.夜 6.寓話 7.夢のもつれ 8.歌の終わり) 1837 ; 交響的練習曲 op.13 1834-35改訂52 ; 子供の情景 op.15(1.見知らぬ国々と人々 2.珍しいお話 3.鬼ごっこ 4.おねだり 5.満ち足りた幸福 6.重大な出来事 7.トロイメライ 8.炉端で 9.木馬の騎士 10.むきになって 11.怖がらせ 12.子供は眠る 13.詩人は語る) 1837-38 ; クライスレリアーナ――幻想曲集 op.16(8曲) 1838改訂50 ; 幻想曲 C op.17 1836-38 ; アラベスク C op.18 1838-39 ; 花の曲 Des op.19 1838-39 ; フモレスケ B op.20 1838-39 ; ノヴェレッテン op.21(8曲) 1838 ; 夜曲 op.23(F, C, F, Des) 1839 ; ウィーンの謝肉祭の騒ぎ op.26(5曲) 1839-40 ; 3つのロマンス op.28(b, Fis, H) 1839 ; 少年のためのアルバム op.68(43曲) 1848 ; 4つのフーガ op.72(d, d, f, F) 1845 ; 4つの行進曲 op.76(1.Es 2.g 3.陣営の情景 B 4.Es) 1849 ; 森の情景 op.82(1.森の入り口 2.茂みの中で獲物を狙う狩人 3.孤独な花 4.気持ちの悪い場所 5.親しみのある風景 6.宿 7.予言の鳥 8.狩りの歌 9.別れ) 1848-49 ; 色とりどりの小品 op.99(14曲) 1834-49 ; 3つの幻想曲集 op.111(c, As, c) 1851 ; 少年のための3つのソナタ op.118(G, D, C) 1853 ; アルブムブレッター op.124(20曲) 1832-45 ; フゲッタ形式による7つの小品 op.126 1853 ; 朝の歌 op.133 1853 ; 主題と変奏 Anh.F39 1854
【管弦楽付き合唱曲】
詩編150 1821-24 ; オラトリオ《楽園とペリ》 op.50 1841-44 ; 悲しみの谷においても絶望することなかれ op.93 1852 ; ミニョンのためのレクイエム op.98b 1849 ; 夜の歌 op.108 1849 ; ばらの巡礼 op.112 1851 ; 王子 op.116 1851 ; 歌手の呪い op.139 1851-52 ; 新年の歌 op.144 1849-50 ; ミサ・サクラ op.147 1852-53 ; レクイエム op.148 1852
【女声合唱曲】
ロマンス集 : 第1集 op.69(1.タンバリンを打つ女 2.森の乙女 3.修道尼 4.兵士の花嫁 5.海の妖精 6.礼拝堂) 1849, 第2集 op.91(1.ローズマリー 2.陽気な狩人 3.水の精 4.捨てられた乙女 5.蒼白き女の夜の歌 6.海の奥深く) 1849
【男声合唱曲】
6つの歌 op.33(1.夢みる湖 2.ミンネゼンガー 3.ハスの花 4.空論を吐く大酒飲み 5.憩いなき愛 6.春の誘惑) 1840 ; 3つの歌 op.62(1.夜警の同盟 2.自由の歌 3.戦いの歌) 1847 ; カノン風旋律のリトルネッロ op.65(1.ばらは露に濡れ 2.リュートと杯を響かせて 3.花か雪か 4.私に飲ませろ 5.秋風を恨むな 6.夏の日に 7.海の奥深くに) 1847 ; 男声のためのカノン―― 一粒の葡萄の種に op.65 Anh.1 1847 ; 3つの自由な歌 WoO 4(1.武器をとれ 2.黒・赤・黄金 3.ドイツの自由の歌) 1848 ; ラウベの《狩りの日誌》から5つの歌 op.137(1.晴れの狩りの日 2.気を付けろ 3.狩りの朝 4.早朝 5.瓶を傍らに) 1849
【混声合唱曲】
5つの歌 op.55(1.ハイランドの乙女 2.歯の痛み 3.村へと心引かれ 4.古き良き時代 5.ハイランドの若者) 1846 ; 4つの歌 op.59(1.北か南か 2.ボーデン湖畔に 3.狩人の歌 4.おやすみ) 1846 ; ロマンスとバラード : 第1集 op.67(1.トゥーレの王 2.美しいロートラウト姫 3.野ばら 4.雷雨 5.ジョン・アンダーソン) 1849, 第2集 op.75(1.死は草刈り人のように 2.森で 3.悲しい狩人 4.新兵 5.負傷した少年) 1849, 第3集 op.145(1.鍛治屋 2.尼僧 3.うたびと 4.ジョン・アンダーソン 5.鵞鳥番の少年のロマンス) 1849-51, 第4集 op.146(1.花嫁の歌 2.大道歌手ウィリー 3.夢 4.夏の歌 5.小舟) 1849-51
【重唱を含む曲集】
3つの詩 op.29(1.田舎風の歌 2.歌 3.流浪の民) 1840 ; リュッケルトの《愛の春》より12の詩 op.37[No.2,4,11はクラーラ作曲] 1841 ; スペインのリーダーシュピール op.74(10曲) 1849 ; ミンネシュピール op.101(8曲) 1849 ; スペインの愛の歌 op.138(10曲) 1849
【二重唱曲】
4つの二重唱曲 op.34(S, T 1.愛の園 2.恋する者のセレナード 3.窓の下で 4.家族の肖像) 1840 ; 3つの2声部の歌 op.43(1.私が小鳥であったなら 2.秋の歌 3.美しい小さい花) 1840 ; 4つの二重唱曲 op.78(S, T 1.踊りの歌 2.彼と彼女 3.君を思う 4.子守歌) 1849 ; 乙女の歌 op.103([S, A]/2S 1. 5月の歌 2.春の歌 3.夜鳴きうぐいすに 4.夕べの星に) 1851
【歌曲】
11の歌曲集 Anh.M2(1.憧れ 2.泣いている女 3.思い出 4.つかの間の目覚め 5.歌の目覚め 6.アンナにI 7.アンナにII 8.秋に 9.羊飼いの少年 10.漁師 11.嘆き) 1827-28[未完]; リーダークライス : op.24(1.朝,目覚めると 2.僕の心はせき立てられ 3.僕は木々の下をさまよった 4.愛らしい恋人よ 5.僕の苦悩の美しい揺り籠 6.待ってくれ,荒き舟人 7.山々や城が見下ろして 8.初めは気力も失せて 9.ミルテとばらで) 1840, op.39(1.異郷にて 2.インテルメッツォ 3.森の語らい 4.静けさ 5.月夜 6.美しい異郷 7.古城にて 8.異郷にて 9.憂い 10.たそがれ 11.森で 12.春の夜) 1840 ; ミルテの花 op.25(1.献呈 2.自由な心 3.くるみの木 4.ある人 5.《西東詩編》酌童の巻よりI 6.《西東詩編》酌童の巻よりII 7.ハスの花 8.お守り 9.ズライカの歌 10.ハイランドのやもめ 11.花嫁の歌I 12.花嫁の歌II 13.ハイランドの人々の別れ 14.ハイランドの人々の子守歌 15.ヘブライの歌 16.謎 17.2つのヴェネツィアの歌I 18. 2つのヴェネツィアの歌II 19.大尉の妻 20.はるかに,はるかに 21.孤独な涙は何を望む 22.誰も 23.西方にて 24.君は花のよう 25.東方のばらより 26.終わりに) 1840 ; リートと歌 : 第1集 op.27(1.言っておくれ,ああ,僕のかわいい小鳥よ 2.僕の恋人は赤いばらのよう 3.何と言えばいいのだろう 4.ジャスミンの茂み 5.せめてただ優しいまなざしを) 1840, 第2集 op.51(1.憧れ 2.民謡 3.僕は放浪なんてしない 4.ライン川で 5.愛の歌) 1840-49, 第3集 op.77(1.陽気なさすらい人 2.私の庭 3.心の近さ 4.密やかな非難 5.言づて) 1840-50, 第4集 op.96(1.夜の歌 2.松雪草 3.あの人の声 4.歌われて 5.天と地) 1850 ; 3つの詩 op.30(1.魔法の角笛をもつ少年 2.小姓 3.スペインのだて男) 1840 ; 3つの歌 op.31(1.ライオンの花嫁 2.トランプ占いをする娘 3.赤毛のハンネ) 1840 ; 12の詩 op.35(1.嵐の夜の楽しさ 2.消え去れ,愛と喜び! 3.さすらいの歌 4.はじめての緑 5.森への憧れ 6.亡き友への杯に 7.さすらい 8.密やかな愛 9.問い 10.密やかな涙 11.誰にそんなに傷つけられたのか? 12.昔のリュート) 1840 ; 6つの詩 op.36(1.ライン河畔の日曜日 2.セレナード 3.この上ない美しさ 4.日の光に寄せて 5.詩人の目覚め 6.愛の使い) 1840 ; 5つの歌 op.40(1.匂いすみれ 2.母の夢 3.兵士 4.楽師 5.明るみに出た恋) 1840 ; 女の愛と生涯 op.42(1.あの方にお会いした時から 2.誰よりも素晴らしいあの方 3.私には信じられない 4.私の指輪よ 5.手伝って,妹たち 6.いとしい友よ,あなたはいぶかしそうにご覧になる 7.私の心に,私の胸に 8.今あなたは私に初めての痛みを下さった) 1840 ; ロマンスとバラード : 第1集 op.45(1.宝を掘る男 2.春の旅 3.夕べ岸で) 1840, 第2集 op.49(1. 2人の擲弾兵 2.憎み合う兄弟 3.尼僧) 1840, 第3集 op.53(1.ブロンデルの歌 2.ローレライ 3.哀れなペーター) 1840, 第4集 op.64(1.兵士の花嫁 2.捨てられた娘 3.悲劇) 1841-47 ; 詩人の恋 op.48(1.素晴らしく美しい5月に 2.僕の流す涙から 3.ばらよ,百合よ,鳩よ,太陽よ 4.君の目に見入れば 5.私の魂を沈めよう 6.聖なるラインの流れに 7.恨みはしない 8.小さな花がわかってくれるなら 9.あれはフルートとヴァイオリンの響き 10.あの歌が聞こえてくると 11.ある若者が1人の娘を愛した 12.輝く夏の朝に 13.僕は夢の中で泣いた 14.夜ごとの夢で 15.昔の童話の中から 16.昔の忌まわしい歌を) 1840 ; ベルシャザル op.57 1840 ; 少年のための歌のアルバム op.79(29曲) 1849 ; 3つの歌 op.83(1.あきらめ 2.恭順の花 3.世捨て人) 1850 ; 手袋 op.87 1849 ; 6つの歌 op.89(1.夕空に嵐が吹きすさび 2.密やかな失踪 3.秋の歌 4.森との別れ 5.野外へ 6.ばらよ,ばらよ) 1850 ; 6つの詩 op.90(1.鍛冶屋の歌 2.私のばら 3.出会いと別れ 4.牛飼いの娘 5.孤独 6.重苦しい夕べ 7.レクイエム) 1850 ; 3つの歌 op.95(1.イェフタの娘 2.月に寄す 3.英雄に) 1849 ; 《ヴィルヘルム・マイスター》からの歌曲集 第1部 op.98a(1.御存じですかあの国を 2.竪琴弾きのバラード 3.ただ憧れを知る人だけが 4.涙とともにパンを食べたことのない者は 5.私に語らせないで 6.孤独に身を委ねる者は 7.悲しい調べで歌わないで 8.私は戸口に忍び寄り 9.このままの姿でいさせて) 1849 ; 7つの歌 op.104(1.月よ,私の心が愛するもの 2.よい旅を,つばめさん 3.あなたは私を哀れな乙女という 4.ヒワ 5.私に手を伸ばして,おお雲よ 6.最後の花々がなえてしまった 7.私の小舟は戦った) 1851 ; 6つの歌 op.107(1.心の悩み 2.窓ガラス 3.庭師 4.糸を紡ぐ女 5.森で 6.夕べの歌) 1851-52 ; 4つの軽騎兵の歌 op.117 1851 ; 3つの詩 op.119(1.小屋 2.警告 3.花婿と白樺) 1851 ; 5つの快活な歌 op.125 1850-51 ; 5つのリートと歌 op.127(1.歌びとの慰め 2.君の顔 3.私の愛は輝く 4.私の老いた馬 5.道化師のお開きの歌) 1840-51 ; メアリー・スチュアート女王の詩 op.135(5曲) 1852 ; 4つの歌 op.142(1.歌による慰め 2.君の頬を寄せて 3.乙女の憂い 4.私の馬車はゆっくりと) 1840
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