読みもの
2024.01.03
大井駿がメンデルスゾーンの旅足を追う 後編

メンデルスゾーンが感激して曲にも表したハイランド地方、フィンガルの洞窟、湖水地方

大井駿さんがたどるメンデルスゾーンのスコットランド旅行、後編は《フィンガルの洞窟》が誕生するきっかけとなったヘブリディーズ地方を中心に、ハイランド地方や湖水地方での様子もお届けします。メンデルスゾーンは船酔いをしてしまったようですが、到着後は楽しめたのでしょうか……?

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

ポツンと海に浮かぶスタッファ島
右側にフィンガルの洞窟が見えます。
写真:筆者撮影

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初めての一人旅でスコットランドを訪れた、メンデルスゾーン。まずエディンバラで歴史に思いを馳せ、スコットランド交響曲の冒頭を書きました。そして次に向かったのは、大自然あふれるハイランド地方でした!

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どこまでも広がる森、ハイランド地方

中世からスコットランドの首都として栄えていたエディンバラを訪ねたメンデルスゾーンは、非常に文化的で、深い歴史をもつ都市に大きく感銘を受けました。7月31日、メンデルスゾーンはエディンバラの南部を訪ねたのち、北に向けて出発します。

次の目的地、スターリング(Stirling)では、具体的にどこへ立ち寄ったのかは語られていませんが、スコットランドの歴史において重要な位置を占めるスターリング城に立ち寄ったのではないかと言われています。

スターリング城
丘の上に建てられており、13世紀からの歴史をもちます。

翌8月1日には、スコットランド高地へ向かい、自然にあふれた森へ足を踏み入れます。ここでは大雨に見舞われながらも、シェイクスピア『マクベス』でも言及されている「バーナムの森」を含むさまざまな場所でスケッチを楽しみました。

バーナムの森(メンデルスゾーン作、1829年8月2日)©︎Mendelssohn in Scotland

船酔いに苦しみながらたどり着いたフィンガルの洞窟

8月6日まで、ハイランドの険しい自然を体感したのち、8月7日にスコットランドの港町オーバン(Oban)へ到着します。この地は、1794年に開業したウィスキー蒸留所によって発展した小さな港町で、おそらくメンデルスゾーンも飲んだでしょう。

到着した日に早速、オーバンの古城であるドゥノリー城をスケッチし、そのまま船に乗って隣のマル島(Isle of Mull)へ向かいます。

ドゥノリー城(メンデルスゾーン作、1829年8月7日)©︎Mendelssohn in Scotland
ドゥノリー城

スコットランド西部のヘブリディーズ諸島の中でも、かなりの規模を誇るマル島ですが、いくつかの港町は栄え、それ以外の地はほとんど手付かずの荒れた自然が広がっていました。

8月7日、蒸気船でマル島のトバモリー港に到着したメンデルスゾーンは、家族へ次のように宛てています。

小さい頃から、ヘブリディーズ諸島とヘスペリデス諸島を混同していたよ。この島には、果実が実っている木なんてどこにもないし、もしオレンジがあったとしても、ホット・ウィスキー・トディ(スパイス入りのホットウィスキー)の中にしか入っていないよ!(中略)しかし、ヘブリディーズ諸島は本当に素晴らしいところだ。そこで浮かんできた音楽を送るから、ここがどれだけ素晴らしくて、僕がどんな印象を抱いているのかをぜひわかってほしい。

ヘスペリデス諸島とは、ギリシア神話内に登場する、女神たちが住む世界の西の果てにある島で、オレンジや黄金のリンゴなどの果物が育つ果樹園があるとされています。スペインのカナリア諸島がモデルになったと言われていますが、メンデルスゾーンはこの島とヘブリディーズ諸島を間違えていたそうです。

そしてこのときに、両親に宛てた手紙の中で書いた音楽が、まさに演奏会用序曲《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》冒頭のスケッチだったのです! 実はこの曲の冒頭は、洞窟とは関係なかったのです。

演奏会用序曲《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》のスケッチ
当初は《孤島》というタイトルが付けられていましたが、のちに作曲者自身によって《ヘブリディーズ諸島》や《フィンガルの洞窟》と改名されました。

メンデルスゾーン:演奏会用序曲《ヘブリディーズ諸島(フィンガルの洞窟)》 作品26

この港町で1泊し、一行はさらに離れた無人島のスタッファ島(Isle of Staffa)へ。この島こそ、フィンガルの洞窟のある場所なのです。無人島のため桟橋がなく、メンデルスゾーンは、島の近くまでは蒸気船で向かい、そのあとは手漕ぎボートで島へ向かったそうです。

フィンガルの洞窟は、波の侵食によって削られてできた洞窟で、火山のマグマが急激に冷えることでできる六角形の柱によって形成されています。まさに奇岩の洞窟という名にふさわしい場所です!

メンデルスゾーンはひどい船酔いによって完全にダウンしていたようで、洞窟での記録は同伴のクリンゲマンによるものとなります。クリンゲマンは、その様子を次のように綴っています。

私たちは、海の波に振り回され、他の乗客たちは何度もバランスを崩し、床へ打ち付けられた。メンデルスゾーンはその中ではマシなほうで、胃の調子も(吐かないように)コントロールしようとしていたが……。音を立てるほどの強い波に揺られながら、フィンガルの洞窟に向けて上陸した。巨大なオルガンのパイプを思わせるような柱がたくさん立っている。洞窟内では音がワンワンと反響し、その下には灰色の海が出たり入ったりしていた。

メンデルスゾーンは、フィンガルの洞窟から戻ってきてから、「前回の手紙からどれだけのことがあったか! ひどい船酔い、スタッファ島への旅、見事な風景……クリンゲマンがすべて説明してくれていると思うので、短いメモ程度にとどめておきますが、これだけは言っておかなければいけません」と両親に送り、手紙を書く気にもなれなかったことがわかります……。

フィンガルの洞窟(海から)
洞窟内から

スタッファ島周辺の海域は、メンデルスゾーンの時代からすでに野生のツノメドリやアザラシが生息していることで有名で、筆者がフィンガルの洞窟を訪ねたときも、すぐそばでアザラシの子どもが出迎えてくれました。この海域には、アザラシ以外にもイルカやゴンドウクジラが多く生息しており、特別保護区にも指定されています。

フィンガルの洞窟の傍にいたアザラシ

そして再びハイランド、湖水地方へ

8月10日、フィンガルの洞窟から、アイオナ島を経由し、産業革命によって工業都市として栄えていたグラスゴー(Glasgow)へ到着したメンデルスゾーン。産業革命によって発展したこの都市の規模の大きさに感動し、紡績工場を見学したそう。

スコットランドの旅も終わりが近づいてきたものの、早速翌日には次の目的地である湖水地方へ向かい、ローモンド湖(Loch Lomond)トロサックス(Trossachs)に15日まで滞在します。

ローモンド湖では、手漕ぎボートを楽しんだそう。家族にも、「クリンゲマンには『ちゃんと注意して漕いで!』と何度も心配そうに言われつつも、無事に対岸へ辿り着いた」と宛てています。

その後、ローモンド湖とトロサックスを歩き回り、その素晴らしい自然と景色を味わうだけではなく、もうすぐ終わってしまう旅が惜しかったのか、クリンゲマンと2人でキャンプファイヤー、サバイバル飯を楽しみ、この大自然を心ゆくまで堪能しました。

ローモンド湖の船上から
「ボニー・バンクス・オー・ロッホ・ローモンド」という歌謡曲でも知られるローモンド湖

ボニー・バンクス・オー・ロッホ・ローモンド

キャンプファイヤー(メンデルスゾーン作、1829年8月13日)©︎Mendelssohn in Scotland

8月15日、グラスゴーに戻ったメンデルスゾーンは、両親へスコットランドからの最後の手紙を送ります。この手紙には旅の印象が総括されています。彼の書いた文からも、この旅が彼にどれほど影響を与えたか伝わってきます

スコットランドの自然はとても厳しかった。木々が倒れ、岩が崩れるほどの大雨が突然降り、現地の新聞では毎日そのことばかりが取り上げられている。田舎の惨めさや孤独さをここに書いても、絶対に時間が足りない。そして10日間、旅行者が絶対に足を踏み入れないような大自然を歩き続けた。現地に住む人間は非常に排他的で、何を質問しても「ノー」としか返答がなく、よそ者扱いされ、冷たくあしらわれる。飲み物はどこに行ってもウィスキーしかない。教会も大通りも庭園もない。多くの建物が廃墟になっている。この地が憂鬱な場所だと言われるのは、当然のことでしょう。それでも、私たち二人は本当に楽しい時間を過ごした。笑い合い、スケッチし、食べられるものはすべて食べ、大自然に向かって大声で叫び、毎日12時間泥のように眠りました。この日々の思い出は、死ぬまで決して忘れることはないでしょう。

メンデルスゾーンはのちに、イタリア、スイスを中心としたさまざまな場所へ旅行をします。イギリスの中でもイングランドには何回も足を運んだものの、スコットランドの旅はこれが最初で最後となりました。

しかし、実際にスコットランドを旅してから10年経って書かれた「交響曲第3番《スコットランド》」からも、彼の旅の印象や思い出が鮮明に残っていたことは明白です。スコットランドは、それほどまでに強く印象に残る場所だったのです。

ぜひメンデルスゾーンの作品に耳を傾けながら、彼の鮮烈なスコットランド旅に想いを馳せて見てください。彼のスコットランドの思い出、郷愁が、色鮮やかに浮かんでくるかもしれません。

トロサックスの大自然

メンデルスゾーン:6つのスコットランド民謡〜第2番 “Mary’s Dream”、第3番 “We’ve a Bonnie Wee Flower”

大井駿
大井駿 指揮者・ピアニスト・古楽器奏者

1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...

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