ワルツ:語源は中世ドイツ語の「回る」!「会議は踊る、されど進まず」で一躍有名に
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
日本でもお馴染みのニューイヤーコンサートで必ず演奏される、ワルツ。3拍子の踊りとして、とても有名ですね!
現在も冬になると、ウィーンでは舞踏会が開催され、たくさんの人たちがワルツを踊ります。この「ワルツ」という名前は、その踊り方に由来するのです。
田舎の踊りからワルツへ
ワルツは、男女が手を取り合いクルクルと回るように踊るのですが、その様子から、中世のドイツ語(中高ドイツ語)で「回る」を意味するwalzenが語源とされています(この言葉は、ラテン語で同じく「回転する」という意味のvolvareを借用したものです)。
ワルツの起源については、未だにわかっていないことも多いのですが、中世の時代には、すでにワルツのような踊りが存在していました。そのうちの一つに、レントラーという踊りがあります。
レントラーは、単に「舞曲」、もしくは地名とあわせて「〜の踊り」と呼ばれるような踊り全般を指します。ほとんどは、ワルツと同じく3拍子の踊りで、アルプスなどの農村で踊られていました。特に、スイスやチロルは速いテンポで、オーストリア東部はゆったりとしたテンポだったそう。さらに、ヨーデルのようにせわしなく動くメロディも、なかなかの聴きどころです!
ワルツの祖先たち
1. 作者不詳:ヨーデル・レントラー
2. ベートーヴェン: メートリンクの踊り〜レントラー WoO.17, Hess 20 (オーストリア東部)
3. シューベルト:17のレントラー D.366〜第1番 イ長調
4. モーツァルト:6つのドイツ舞曲 KV567〜第6番 ハ長調
「会議は踊る、されど進まず」
ワルツの祖先たちは一気に人気を集め、ポピュラーな踊りとしてオーストリアを中心に踊られるようになり、18世紀中頃から「ワルツ」と呼ばれるようになりました。
そのワルツがさらに有名になったのは、1814〜1815年に開催されたウィーン会議です。当時のヨーロッパは、ナポレオンによって多くの国々が侵略されたことで、混沌とした状態でした。しかし、ナポレオン軍が1812年のロシア戦役で敗退したことにより、ヨーロッパは空白状態に。支配されていた各国が、もう一度国境の線引きをしなければいけなくなりました。
それを話し合ったのが、ウィーン会議です。ヨーロッパの人たちも大注目です。
どの国も広い領土が欲しいですよね。なので、新しい国境を引く際に、少しでも広い領土を獲得するためにお互い譲らず、ギスギスした空気が漂っていました。
そこで、ワルツの登場です!
ウィーンではワルツが大流行しており、「みんなが仲良くワルツを踊ったら、きっと円満に解決するだろう!」と、各国代表は毎晩のようにワルツを踊ったのです。
みんな踊ってばかりだと、当然ですが、話し合いは全く進みませんでした……この出来事は、「会議は踊る、されど進まず」という有名な言葉で表現されますが、このおかげで、ワルツはウィーンを代表する踊りとして知られるようになりました。
特にウィーンで踊られるウィンナ・ワルツは、多くの作曲家にも愛されました。シューベルトは、ワルツが流行り始めた当初より、ウィンナ・ワルツの祖であるランナーのワルツを好んで聴いていたそう(シューベルトは踊りが下手だったらしく、踊らなかったそうですが)。
J.シュトラウス2世のワルツは、ワーグナーやブラームスに絶賛され、特にブラームスはワルツ《美しく青きドナウ》について、「僕の曲でないのが残念だよ」と評したほど。
シュトラウス家は、長男のヨハン・シュトラウス2世が大変な注目を集めたため、同じく作曲家の弟のエドゥアルトが生涯妬み、兄の死後に自筆譜をほとんど燃やしてしまいました。そのため、残念ながら自筆譜が残っていません。
さらにラヴェルは、オーストリア=ハンガリー帝国の繁栄と崩壊を、壊れゆくウィンナ・ワルツで描写しました。
ワルツは、作曲家や市民に愛されただけでなく、歴史をも翻弄してしまった音楽なのです。
ワルツを聴いてみよう
1. ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」 作品200
2. J. シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」 作品314
3. ブラームス:16のワルツ 作品39〜第15番 イ長調
4. R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」〜ワルツ
5. ラヴェル:ラ・ヴァルス
6. ジャック・ブレル:La valse à mille temps
7. ビル・エヴァンズ:Waltz for Debby
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