アッサイ:2つの意味があった? ベートーヴェンも翻弄された楽語
楽譜でよく見かけたり耳にしたりするけど、どんな意味だっけ? そんな楽語を語源や歴史からわかりやすく解説します! 第91回は「アッサイ」。
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
日本語では「十分に」と訳されることのある、アッサイ。日本語の用法と同じように、形容詞とくっつけて用いられる言葉です。その場合は、例えば「アレグロ・アッサイ(十分に速く)」や、「アダージョ・アッサイ(十分にゆっくりと)」と使われます。
でも、よく考えてみてください……「十分に」って、どういう意味なのでしょうか? 例えば、十分に速いって、どのくらい速いのでしょうか? 言葉の成り立ちや、使われてきた歴史から、その意味を探っていきましょう!
アッサイの語源
まず、アッサイ(assai)とは、イタリア語で十分に、という意味の言葉ですが、実は非常にという意味も持っているのです。例えば、イタリア語で“Ti amo assai.”は、「君のことは十分に好きだよ」という意味にはならず、「君のことが大好きだよ」という意味になります。
少し逸れますが、assaiの語源も見てみましょう。俗ラテン語で、「〜に向かって」を意味するadと、「十分に」を意味するsatisがくっついてできた言葉です。satisという言葉は、その後「満足させる」という意味の動詞satisficāreになりましたが、もうお気づきの方もいるかもしれません。英語のsatisfyの語源となった言葉です! もちろんsatisfyは、満足させるという意味ですが、「十分に期待や願望を叶えてやる」という意味合いから成立した言葉なのです。
さて、話題を音楽へ戻しましょう! アッサイが使われるようになったのは、バロック時代から。J. S. バッハも自身の作品に何度か用いています。
J. S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲第2番 へ長調 BWV1047〜第3楽章 自筆譜
フランス語的なアッサイと、イタリア語的なアッサイ?
このアッサイという言葉ですが、当時の音楽事典ではどのように紹介されているのでしょうか。
なんと、アッサイが音楽用語として使われ始めた頃は、ブロッサール(1703)は「どちらかというと、適度に」という意味で紹介しているのです! しかし、ほぼ同じ時代のヴァルター(1732)は「とても(ドイツ語でziemlich)」と紹介しています。
同じくレオポルト・モーツァルトは、自身の教本(1756年)の中で、「アレグロよりモルト・アレグロのほうが速く、アレグロ・アッサイはモルト・アレグロより速い」と書いています。
さらに例を示すと、レオポルトの息子W. A. モーツァルトは歌劇《フィガロの結婚》の序曲を、元々“Presto(急速に)”と書いていたのですが、のちに自分で目録を作る際に“Allegro assai”と書いているのです!
すなわち、レオポルトの中ではPrestoとAllegro assaiは、Prestoより遅いテンポだったとしても、モーツァルトの中ではPrestoに近いくらいの速さだった可能性があることがわかります。
ということは、同時期に2つの解釈が存在していたのです!!
W. A. モーツァルト:歌劇《フィガロの結婚》
これには一つの大きな理由があります。
イタリア語のアッサイ(assai)の指す「十分」は、「とても」という意味で使われます。しかし、当時のヨーロッパでの共通言語だったフランス語で、それに値する言葉はアセ(assez)なのですが、この言葉が指す「十分」は、どちらかというと「まあまあ」というニュアンスになるのです。
例えば、フランスの学校で成績が付けられる際、assez bien(十分に良い)は5段階評価中3つ目に当たります。可もなく不可もなくない成績につけられます。
こうして、フランス語が優位だった時代だからこそ、フランス語的な意味でのアッサイ(まあまあ)と、イタリア語的な意味でのアッサイ(とても)が混在することになりました。
そして、これに翻弄されたのが、あのベートーヴェンなのです!
ベートーヴェンも混乱した「アッサイ」
ベートーヴェンはドイツ人ではありましたが、共通言語だったフランス語は、完璧ではないものの使うことができました。
しかし、オペラやイタリア歌曲を書けるようになるために、サリエリのレッスンを受けていたベートーヴェンは、イタリア語があまりにできないことをサリエリに指摘されます。
そして43歳(1813年)から、ウィーン大学のイタリア語科教授のドメニコ・アントニオ・フィリッピに、イタリア語のレッスンをマンツーマンで受けるようになります。
すなわち、ベートーヴェンはイタリア語が本当に不得意だったのです! そんな彼は、アッサイをどのように使ったかというと、「まあまあ」や「どちらかというと」というニュアンスで使っていました。例をいくつか示しましょう。
ミサ ハ長調 作品86(1807)〜キリエ
“Andante con moto assai vivace quasi allegretto ma non troppo”
=「動きを持った歩くような速さで、度が過ぎない程度にやや速く、どちらかというと生き生きと」
交響曲第7番 イ長調 作品92(1812)〜第3楽章 中間部
“assai meno presto”
=「どちらかというと、それまでより速くなく」
この下線部が、アッサイに対応する部分なのですが、イタリア語的な意味の「とても」に変換すると、つじつまが合わない文になると思います!
しかし、1813年にイタリア語のレッスンを受けてから、ベートーヴェンのアッサイの用法が変わります。
1816年に作曲された、歌曲集《遙かなる恋人へ》作品98の第2曲の途中に、“Assai allegro”という指示が出てくるのですが、なんとその上にドイツ語で「かなり速く(Ziemlich geschwind)」と書き足しているのです! あたかも、assaiの用法をしっかり噛み締めるかのように…!
ベートーヴェン:歌曲集《遙かなる恋人へ》作品98〜第2曲
こうして作曲家によって、若干どころか、かなり意味が変わってくるアッサイ。みなさまもアッサイの使い方には、十分に気をつけてください!
アッサイを聴いてみよう
1. スカルラッティ:ソナタ へ短調 K.519 Allegro assai
2. J. C. F. バッハ:交響曲 ニ短調〜第3楽章 Allegro assai
3. ハイドン:交響曲第96番 ニ長調〜第4楽章 Vivace assai
4. W. A. モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番 へ長調 K.459〜第3楽章 Allegro assai
5. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第10番 ト長調 作品14-2〜第3楽章 Allegro assai
6. ブラームス:弦楽四重奏曲第2番 イ短調 作品51-2〜第4楽章 Allegro non assai
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