『ファンタジア』制作秘話! 香水、ラフマニノフ、スピリチュアル...... ストコフスキーが目指した超現代的な理想型
クラシック音楽とアニメの完璧なシンクロ......現代においてもその先進性を失わないディズニー映画『ファンタジア』。その制作には、2022年に生誕140年を迎えた指揮者ストコフスキーが深く関わっています。ウォルト・ディズニーとの制作過程において、あまりに先進的すぎたり、音楽家の性格の問題でボツとなってしまった、ストコフスキーのアイディアを、音楽評論家の増田良介さんが教えてくれました。
ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...
先進的なアニメ映画を作り出した3人の男
ディズニー映画『ファンタジア』(1940)は、いくつもの意味で時代の先を行く映画だった。クラシック音楽の名曲とアニメとを、セリフなしで組み合わせるコンセプトの斬新さは言うまでもなく、豪華にもレオポルド・ストコフスキーの指揮するフィラデルフィア管弦楽団が演奏を担当する妥協のなさ、そして、サラウンドを先取りした映画史上初の立体音響など、この作品がエンターテインメントの歴史において果たした役割はとても大きい。
この映画は、最初から長編として計画されたわけではなかった。ウォルト・ディズニーは、当初、デュカスの《魔法使いの弟子》だけを短編として制作するつもりだったのだが、これが後に、演奏会のように複数の曲を並べた長編映画へと拡大され、バッハ《トッカータとフーガ ニ短調》、チャイコフスキー《くるみ割り人形》組曲、デュカス《魔法使いの弟子》、ストラヴィンスキー《春の祭典》、ベートーヴェン《田園》、ポンキエッリ《時の踊り》、ムソルグスキー《はげ山の一夜》、シューベルト《アヴェ・マリア》という8曲が使われた『ファンタジア』となったのだ。
《魔法使いの弟子》以外の選曲を行なったのは、ウォルト・ディズニー、レオポルド・ストコフスキー、ディームズ・テイラーの3人だった。テイラーは当時、ラジオの音楽解説などで人気のあった作曲家・音楽評論家で、映画の本編にも出演している。彼らは、1か月にわたって何度も会議を繰り返し、何十枚ものレコードを聴いて検討を行なった。
4DXを先取り! ドビュッシー×香水で映画館を満たす?
当然のことながら、最終的に採用された8曲のかげには、ボツになったたくさんの案があった。たとえば、ドビュッシーの《月の光》は、アニメも作られたにもかかわらず、最終的に削除された。これは、《月の光》が一部のDVDに特典トラックとして収録されていることもあり、比較的知られているだろう。
会議の記録によると、ほかにも、ワーグナーの楽劇《ワルキューレ》から〈ワルキューレの騎行〉や〈魔の炎の音楽〉、ストラヴィンスキーの《ペトルーシュカ》、《きつね》、《火の鳥》、シューベルトの《セレナード》といった作品の名前があがっていたようだ。
しかし、実現しなかった案、特にストコフスキーの出した案の中には、さらに驚くようなものもあった。たとえば彼は、ドビュッシーの前奏曲《音と香りは夕暮れの大気に漂う》を使い、映画館に香水を噴霧してはどうかと提案している。視覚、聴覚に加えて、なんと嗅覚も刺激しようというのだ。
現代の4DXを先取りしたようなアイディアだが、これはその場だけの思いつきではなかった。ストコフスキーは、演奏会に嗅覚の効果を加えること、たとえば、戦いの場面で火薬のにおいを使うようなことができないかと、何年も前から考えていた。
ディズニーは、「《くるみ割り人形》の〈花のワルツ〉でならできるかもしれません」と応じた。彼は、映画館を香りで満たすことができても、それを短時間で消すことが難しいことを指摘したうえで、なにか花の香りの香水に特別な名前をつけて、宣伝としてメーカーに提供してもらえばどうか、と、かなり具体的な意見も言っている。ストコフスキーは、それならジャスミンの香りがいいなどと言っていたようだが、これは実現しなかった。
実現しなかったラフマニノフ登場
ストコフスキーは、ピアニストを起用することも提案していた。彼は、候補として、セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)、イグナッツ・ヤン・パデレフスキ(1860-1941)、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1957)の名を挙げている。当時最高の巨匠たちばかりだ。あまり音楽に詳しくないと認めていたディズニーも、ラフマニノフの名前は知っていたようで、実際に彼らは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番や、いくつかの小品のレコードをかけて聴いてみた。
ラフマニノフ自身のピアノ独奏によるピアノ協奏曲第2番
ただしストコフスキーは「ラフマニノフは、いい人なのだがとても変わっていて、やりたくないことは絶対にやりません。説得するのはとても難しいでしょう。ラフマニノフはラジオで弾いたことさえありません。何度も説得しようとしましたがだめだったのです」と、自ら留保意見を付けている。そんなこともあってか、ピアニストを起用する案も採用されなかったのだが、ラフマニノフ自身の弾くピアノ協奏曲第2番がもし使われていたらどんな映像が付けられていたのか、想像するだけで楽しい。
ストコフスキーが目指したダイバーシティ
歌手に出てもらう案もあった。メトロポリタン歌劇場のスターだったバリトン歌手ローレンス・ティベット(1896-1960)、やはりバリトンで、オペレッタなどで人気のあったジョン・チャールズ・トマス(1891-1960)、メトロポリタン歌劇場で活躍したソプラノ歌手ローズ・バンプトン(1907-2007)らが候補となったが、なかでも、偉大なアフリカ系コントラルト、マリアン・アンダーソン(1897-1993)に、スピリチュアル《深い河》を歌ってもらう可能性があったことは注目に値する。
アメリカ・ヨーロッパの主要なコンサートホールで歌い、アフリカ系歌手として初めてメトロポリタン歌劇場の舞台に上がった歌手。晩年まで音楽界の人種差別と闘い続けた。
これも、女性や非白人の音楽家を積極的に登用したり、ウィリアム・グラント・スティル(1895-1978)とか、ウィリアム・ドーソン(1899-1990)といったアフリカ系の作曲家の作品を取り上げてきたストコフスキーの提案ではないかと思われるが、人種的不寛容の強かった当時のアメリカにおいて、絶頂期のアンダーソンが『ファンタジア』で歌っていれば、意義深く、すばらしいことだっただろう。
参考文献:Oliver Daniel, Stokowski A Counterpoint of View, 1982, Dodd Mead & Company
ONTOMOナビゲーター増田良介さんがご出演のラジオ番組で、ストコフスキーについてさらに詳しく! 放送終了後の1週間は聞き逃し配信もあります。
日程: 2022年8月22日(月)~25日(木) 各日19時30分~21時10分
出演: 田中祐子(指揮者)、増田良介(音楽評論家)、東涼子(アナウンサー)
詳しくはこちらから
今年生誕140年を迎えた指揮者、レオポルド・ストコフスキー。イギリス生まれで主にアメリカで活躍したストコフスキーは、クラシック音楽を大衆に届けるべく、それまでの指揮者が取り組まなかった様々な試みに挑戦した。会場ごとによりよい響きを求めた楽器配置、ディズニーアニメとクラシック音楽のコラボレーション、最新の録音技術の採用などなど。クラシック音楽の伝統を受け継ぎつつ、新時代のクラシック音楽のありようを探求し続けた稀代の指揮者ストコフスキー。番組では4日間に渡って彼の残した録音を聴きながら、知られざる素顔に迫る。
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