皆川達夫さん追悼「下手でも自分で音楽をする喜びを一番大切にしたい」
音楽之友社刊「レコード芸術」1999年10月号に、先日逝去された音楽学者の皆川達夫さんの取材記事があります。この連載「私の仕事部屋」第22回で、当時同誌の編集部に所属し取材・文を担当した林田直樹さんに、取材の様子を振り返って追悼文を寄せていただきました。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
1927年4月25日東京生まれ。東京大学大学院美学専攻修了。イタリア政府カヴァリエーレ共和国勲章。立教大学名誉教授、全日本合唱センター名誉館長。中世音楽合唱団主宰。1967年1月号より「レコード芸術」誌月評「音楽史」を担当。かつてNHK FMの名番組「バロック音楽の楽しみ」の解説でも知られた。著書に「中世ルネサンス音楽史」など。2020年4月19日逝去。
「レコード芸術」1999年10月号 連載「私の仕事部屋」より
「私が最初に出会ったのは日本の伝統音楽でした。渋谷に住んでいましたから、中学生の頃から能や歌舞伎に熱中して通いました。昭和の初期の名優と言われる人たちはみんな見ています。十五代目の市村羽左衛門なんて、七十幾つなのに、白塗りの若侍でパッパッパッと花道に出てきたときには、あの広い歌舞伎座に光が差してきたような華があった。男の若々しい色気というのを七十幾つのおじいさんに教えてもらいました。今でもああいうおじいさんになりたいと思います(笑)。
戦争が始まった頃、十六、七歳のときに当時ほとんど手に入れることが不可能だったグレゴリオ聖歌とパレストリーナの外盤のレコードを聴くことができて、これは奇蹟といっていいと思うけど、運命的な出会いをしました。つまりヨーロッパの古い音楽には日本音楽と何か共通するものがあるのではないかと思った。そしてベートーヴェンやモーツァルトだけではなく、もっと音楽史をさかのぼって研究したいと願うようになったのです。
私は何でも楽しめるアンテナみたいなものをいただいています。例えば絨毯も好きですし 、スキー、飛行機、お酒、本も。嫌いなのはプロ野球くらいかな。スポーツは他人がやるのを見るよりは、自分でやるものだ、という考えを持っているんです。音楽だって、いい演奏を聴くことも大事だけど、下手でも自分でムジツィーレンする(音楽をする) 喜びを一番大切にしたいですね。ですから例えば中世音楽合唱団を四十七年間指揮していますし、学生オーケストラを指揮してワーグナーも演奏したこともあります。
バッハ以前の音楽の素晴らしさとは、アマチュアでもなんとかできる喜びが与えられること。そこが大切です。やっているうちに、これが平均律だの純正調だのという理屈抜きに『ああ、いい音!』となったとき、正しいサウンドが鳴っているんです」
皆川達夫さんを、個人的な師弟関係のなかで、先生として慕う人は多い。
けれど、私の場合は、「レコード芸術」編集部在籍時のこのときの取材が、唯一の出会いだった。それは、あまりにも忘れがたい、その後の人生に影響を与えるほどの、濃密な時間だった。
中世・ルネサンス・バロック音楽の専門家なのに、取材の最初に、開口一番おっしゃったのは、意外にも「僕はワグネリアンなんだ」という言葉だった。ワーグナーを語り始めると、熱いことこの上ない。最新の演奏や演出の事情にも鋭い関心を寄せておられた。
演劇や文学や歴史など、どんな分野でも、皆川さんの見識は想像をはるかに超えて豊かで広く、しかもそこには湧き出るような愉悦が感じられた。
「バロック音楽の魅力のうちの7割は、いや8割かな。オペラにあると思うね」ともおっしゃられた。「え?ではバッハはオペラを書いていませんけど、バッハを聴いていてもバロック音楽の魅力の2割にも達していないということなんですか?」と尋ねると、「うん。そうだと思う」とのお答え。このときの会話が、バロック·オペラをもっと本気で聴かなければいけないと思うようになった、大きなきっかけにもなった。
記事ができあがったあと、わざわざ電話を編集部にくださり、こう言われた。「ありがとう。僕の言いたいことが、あの2ページには全部含まれていたよ。今度葡萄酒飲もうね」
あれ以来、忙しさに紛れて、その機会を逸してしまったのが、残念でならない。あまりにも魅力的な、輝くような大教養人だった。
——林田直樹
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