せっかく部屋に来てくれた女の子が青ざめて逃げ出すゲンダイ音楽 “クセナキス”
音楽って本当に良いものなのか!? 『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』(飛鳥新社・刊)で、ポジティブ一辺倒の風潮にうんざりしていた人たちの心を鷲掴みにした頭木弘樹さんが、「トラウマな音楽」について語る連載。
第3回はクセナキス。ギリシャ系フランス人作曲家で、建築学も修めた現代音楽の旗手です。けれど、部屋に遊びにきてくれた女の子にいきなり聴かせるとちょっと危険かもしれない……!? その後の顛末が、また悲しい……。
筑波大学卒業。大学三年の二十歳のときに難病になり、十三年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文...
邪魔をしに来た男
今回は大学生のときのトラウマな音楽の思い出です。
1年生のとき、大学の宿舎に入っていたのですが、それはまさに監獄のようで、コンクリートの四畳半くらいの部屋に、鉄枠のベッドが固定されていて、あとはもうあまりスペースがなく、トイレやフロはもちろん共同でした。
洗濯物は共同の洗濯機で洗って、部屋の中にヒモをはって干すという感じでした。洗濯が終わると、すぐに取りに行かないと、洗濯物がたちまち窓の外に捨てられてしまうという、なかなか殺伐とした生活でした。
そんな部屋なのに、私は無理矢理、オーディオを置いていました。当時のオーディオは、今とちがって、サイズが大きく、ベッドの側にそれを置くと、もうカニのように横向きにしか歩けませんでした。
そんな部屋に、ある日、女の子が2人、遊びに来てくれることになりました。ベッドしか座るところはありませんから、ベッドに3人で並んで、オーディオに面と向かう感じです。
お酒なんか用意して、どんなレコードをかけようか選んでいると(当時はまだレコードでした。CDが出始めた頃だったかも)、男の友だちがやってきました。
今日は帰れと言っても帰りません。女の子たちが来るのを知っていたのです。
そして、私がヒモに干してあるパンツやシャツをとりこもうとすると、私と洗濯物の間に立ちはだかって、邪魔をするのです。「いいから、いいから。女の子が来るからって、洗濯物を片付けたりするのは、ダサイって」なとどわけのわからないことを言います(当時はダサイなんて言葉がまだ使われていました)。
これは妨害に来たなと、さすがにわかりましたが、かといって追い出すのもなんかかわいそうな気がして、女の子も2人で来るんだし、まあこっちも2人でいいかと、情けをかけたのがよくありませんでした。
それをかけてはいけないとは思っていたけれど……
部屋にやってきた女の子たちは、パンツがつるしてある下に座らされ、えっという感じでしたが、まあそこは、お互いに、「あはは」と笑ったりなんかして、なんとか乗り越えました。
しかし、それでカチンときた男友だちが、「こいつは日頃、こんな音楽、聴いてるんだぜ」と、私が絶対にかけまいと思っていた現代音楽のレコードを無理矢理取り出して、私が止めるのもふりはらい、かけてしまいました。
女の子たちも、「えーっ、どんなの?」と興味を示し、私が嫌がるから、ますます興味を持っていたのですが、おそらくはアイドルの曲でもかかると思っていたのでしょう。
現代音楽が流れ出したときの、女の子たちの表情は、こちらのほうが驚くほどでした。さっと真顔になり、さらに青ざめていき、2人で顔を見合わせて、ちょっと怯えるような目配せがあり、「あの、これから私たち用事があるんだった。ごめんね!」と逃げるようにして帰っていきました。
男友だちは、じつに嬉しそうに、ベッドで腹をかかえて、「ひゃひゃひゃひゃひゃ」と痙攣的に笑っていました。
現代音楽はマズイとは思っていたものの、ここまでの反応があるとは、現代音楽好きとしては、大変なショックでした。
まるで犯罪者あつかいです。
メロディのない音楽!
このときかけたのは、クセナキスという作曲家の《サンドレ》という曲です。
私が当時、もっとも好きだった現代音楽で、今でもベスト10に入ります。
私はこの《サンドレ》でクセナキスと出会いました。
何の予備知識もなく聴いたので、驚いたのなんの。
メロディがないんです!
音楽というものには、必ずメロディがあると思っていました。
だって、ある音がして、次の音がすれば、そこには嫌でもメロディができるわけです。これから逃れることはできないと思っていました。作曲するとは、基本的に、どのようなメロディを作るか、ということだと思っていました。
ところが、メロディのない音楽が存在したのです!
「こういう音楽もありえたのか!」という感動
どうなっているかというと、非常に微細なたくさんの異なる音が同時に鳴って、その音の塊(かたまり)のようなものが、全体としてゆっくり変化していくのです。これはメロディとはまったく異なります。
レコードの解説によると、このクセナキスという作曲家は、自分の部屋にいるときに、外から聴こえてくるデモ行進の声を耳にして、こういう音楽を思いついたのだそうです。
なるほどと思いました。デモ行進では、それぞれがいろんな声を出して、いろんなことを言っています。しかし、遠くで聴くと、それはぼんやりした音のかたまりが動いているような感じです。
音楽には、まだこういう別の可能性があったのかと、本当に目からウロコでした。
「デモ行進みたいな音楽を聴いて、面白いの?」と思うかもしれませんが、もちろん、これが面白いんです!
「サンドレ」というのは「もや」という意味で、まさにもやのように、細かい音がたちこめて、全体に動いていくのです。
その音のもやの中を、聴く者は歩いていくのです。
▼CD化されていない《サンドレ》の代わりに、《Metastaseis》をお楽しみ下さい。
オーケストラの全員がちがう動きを!
後にクセナキスのオーケストラ作品を聴きにコンサートに行ったとき、演奏が始まって、おおっとのけぞりました。
というのも、オーケストラの全員がちがう動きをするからです。なるほど、全員がちがう音を出すのですから、そうなります。
普通は第1ヴァイオリンとか、第2ヴァイオリンとか、それぞれのパートは同じ動きをするわけで、それに慣れていると、クセナキスの音楽は、目で見ても、ずいぶん面白いです。
踏み絵を、踏んでしまった……
この曲、エラートというレーベルから素晴らしい演奏のレコードが出ているのですが、なぜかいまだにCD化されません。大名曲なんですが。
私は仕方ないので、自分でレコードからハイレゾ音源を作って、今でもよく聴いています。
でも、ときどき、この大学生のときのことを思い出してしまいます。
この思い出がせつないのは、女の子たちが逃げていったからではありません。
翌日、その女の子たちと、大学で出会ったのです。そのとき、女の子たちから、こう問われました。
「あの音楽、本気じゃないよね?」
私の精神が大丈夫かどうか確かめるような、おそるおそるの聞き方だったので、つい私はこう答えてしまいました。
「本気のわけないじゃん!」
「ああ、よかった! それで安心したわ」と女の子たちも安堵の笑顔。
私は愛する音楽を否定してしまったのです。
踏み絵を、踏んでしまったわけです……。
そのことでいつも、ちくりと胸が痛みます。
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