音楽と演劇と舞踊が一体となった前衛的オペラ「浜辺のアインシュタイン」が、神奈川県民ホールで30年ぶりの新制作上演!
オペラ「浜辺のアインシュタイン」といえば、ミニマル・ミュージックの頂点ともいえる伝説的名作です。作曲のフィリップ・グラス、演出のロバート・ウィルソン、舞踊のルシンダ・チャイルズのコラボレーションによる舞台は、1992年の天王洲・アートスフィア(当時)での日本初演でも、今も語り草となっているほどの衝撃を当時の観客に与えました。
2025年に開館50周年を迎える神奈川県民ホールは、その記念オペラシリーズの一環として、30年ぶりとなる「浜辺のアインシュタイン」をこの10月に新制作上演します。かつての舞台をそのまま繰り返すのではなく、歌詞は原語で、セリフは日本語で、まったく新しい舞台を作るというこのプロジェクトは、一体どんな上演になるのか?
コンテンポラリーダンスの世界で活躍する、演出・振付の平原慎太郎さんに話をうかがいました。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
音楽と身体が拮抗するオペラだからこそ、ダンサーが中心となった新しい舞台を作る
——まず、今回の上演に至った経緯は?
平原 「オペラだけれど、身体と音楽が拮抗するような内容のものをやってもらいたい」とダンサーの僕に依頼をいただいたのです。どうしてこの作品を選んだのかは、神奈川県民ホール・神奈川県立音楽堂 芸術参与の沼野雄司さんのほうがしっかりお話できるかと思いますが、芸術総監督の一柳慧さんがフランス初演(1976年)をご覧になって、強い印象が残っているというのも選ばれた理由のひとつだと思います。
——1992年の日本初演を私は観ましたが、その研ぎ澄まされた舞台の美学は、今までの人生で観たオペラのなかでも5本の指に入るくらいの衝撃でした。明確なわかりやすいストーリーではなく、かなりシュールで幻想的な舞台で、裁判の場面が出てきたり、ぽつんとアインシュタインが舞台に出てきてヴァイオリンを弾いたり、ラスト近くでは巨大な光の柱がゆっくり立ち上がっていったり……視覚と音楽の組み合わせがとにかくユニークで……。そのあたりのイメージは、今回の舞台ではどのくらい意識されるのでしょうか?
平原 まったく新しいものにしますね。ただオマージュはしようと思っていて、いま考えているなかでは、「浜辺のアインシュタイン」ができた背景、ボブ(ウィルソン)やグラスが生きたアメリカンモダンの時代、文化的なムーヴメントに着目して作品を作ります。オリジナルの舞台のフィルターは通しますし、当時の舞台の構図は少なからずもってきたりしつつ、どうリスペクトを込めるかを考えています。
——今回の上演に際してフィリップ・グラスは、ああしろこうしろと細かく言ってこなかったのでしょうか?
平原 作品の権利を持っている方は、作品を護るためによく主張する傾向にありますが、グラスに関してはそんなにないです。
※註:神奈川県民ホールによると、グラス側からは「この表記を入れるべし」ということ、あとは日本語翻訳部分のチェックくらいで、舞台については演出も役者についても、こうでなければならないという指定などは一切ないとのこと。作品に時代の新たな息吹が吹き込まれて進化することを温かく見守るグラスの姿勢からも、過去・現在・未来が交錯するタイムマシンとなる今作への期待が高まる。
一定の短い音型を反復する「ミニマル・ミュージック」の旗手として知られる現代音楽の巨匠。「音楽は人間が耳で聴く世界に向かっての不断の探求だ」と話し、自身が「劇場音楽」と呼ぶ曲は、オペラや交響曲、ダンス、演劇、映画音楽と、ジャンルを問わない。インド音楽のリズム構造を取り込んだ旋律は、クラシックのみならず、ロックやポップスにも多大な影響を与えている。 1937 年 1 月 31 日、米メリーランド州ボルチモア生まれ。 15 歳でシカゴ大学へ進学し、卒業後はジュリアード音楽院で学ぶ。 65 年にパリへ留学してナディア・ブーランジェに師事するほか、インドでシタール奏者のラヴィ・シャンカールと出会って多大な影響を受ける。その後、インド、北アフリカ、アジアを旅して回り、67 年にニューヨークへ戻って電子ピアノに電気増幅された管弦楽器などを加えた「フィリップ・グラス・アンサンブル」を結成。以降、「浜辺のアインシュタイン」「サティアグラハ」「アクナーテン」などのオペラ、管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ作品、映画音楽で高い評価を得る。アレン・ギンズバーグやウディ・アレンら他分野の芸術家とのコラボレーションにも積極的で「成功を収めたアーティストが陥りがちなの は、守りに入って古い形式を繰り返し、見かけだけ新しく装ってしまうことだ。コラボレーションで新しい音楽の発想を得ることは、自分に課せられた使命」と述べている。
——ポスターに使われている大友克洋さんの絵はいいですね。よく観察すると、「これは一体?」と気づかされるところもあります。今回の「浜辺のアインシュタイン」に行こうか迷っている人にとっては、この大友さんの作品がひとつの取っ掛かり、ヒントになっているのですよね?
平原 大友さんと最初の話をする打ち合わせの前に、「ちょっと描いてみました」という話がありまして、それがうれしいことに、僕が抱いていたイメージとほぼ一緒だったんです。この絵はCGではなく絵具を使った手描きなんですよ。
——この絵を見てあらためて思うのですが……なぜ「浜辺」で、なぜ「アインシュタイン」なんだと思いますか?
平原 「アインシュタイン」なのは、やっぱり当時のベトナム戦争の背景が強いのかなと思います。第二次世界大戦が原爆で終わって、でもその10年後にすぐベトナム戦争(1955~75年)が起こった。戦争にどうしても科学がついてくる時代になった。このオペラは、それに対するグラスなりの考察ではないかと感じています。
「浜辺」は、リピテーション(=繰り返す)ということですよね。音楽が延々とリピートされるところは、波が永遠に打ち寄せる浜辺の様子によく似ているし、トランス状態のような……ずっとそれを見ていられますよね。科学も新しいものができて古くなって、また新しいものができて古くなって、を繰り返して常にアップデートされていくので、「アインシュタイン」と「浜辺」という2つの言葉は、リピテーションを内包していると思います。
——確かに、ミニマル・ミュージックには、浜辺に寄せては返す波に重なるものがありますね。繰り返しだけれど、ひとつひとつは全部違う……。
日本初演の舞台では、美しい夜の列車のイメージが出てきたり、裁判のイメージが出てきて、そのひとつひとつのシーンが詩のようにきれいでした。催眠術のような英語の繰り返しを聞いて……でもそんなに理解の壁は感じなかったのです。まるでうわごとのように、たとえばgun=銃という言葉を同じシーンのなかで何十回もうっとりと言うわけですよ。gun,gun,gun,gun,gun……と反芻し、少しずつ言い方を変えていく。そこに魔術的効果があった。
セリフを日本語に直すと、やっぱりそこはうわごとのような日本語になるんでしょうか?
平原 翻訳を鴻巣友季子さんに、意味がない言葉でも美しく聞こえたり、ちょっとした韻を踏めるような形で依頼はしています。人間の言葉が乱れるとき、ちょっと動揺しているときとか、衝撃的なことがあって悲しんでいるときとか、それでも人前に出なければならなくて何か言わなくてはならないときとか、子どもであったりとか、外国に行ったときとか、言葉が言葉として通じないシチュエーションをいま探しています。
僕は作品をDVDでしか拝見していないのですが、何箇所かは文章として言葉の意味が通じるところがある。そこをどう聞かせるかだと思うんですよね。ぼやけたキャンバスの上にすっと明確な線が引いてあるように……。
——ルシンダ・チャイルズの振付、とりわけロバート・ウィルソンの演出には、非現実的なスローモーションのような特徴があって、あの幻惑性に私はすっかり惚れ込んだんです。オペラというだけではなくて、演技も含めて視覚的にはダンスですよね。
平原 そのとおりだと思いますし、「オペラ」をいまの時代で言うなら「マルチメディア」みたいな再定義をしてもいいのかなと……。今回ダンサーは歌いませんが、オペラと呼ばれるこの作品を引っ張るのがダンサーであっても、全体が融合していればそれは「オペラ」たるものになるのではと思っています。
「浜辺のアインシュタイン」の世界観はどうリニューアルされていくのか?
——予告編の映像を拝見しましたが、今回の舞台では、まったく別の場所で撮った映像も、生の舞台に入ってくるのですか?
平原 映像はもしかしたら使うかもしれません。世界観にふさわしい使い方を探しながら、プロジェクターの光の力を借りて何かを表現するというのはあるかもしれません。
——「浜辺のアインシュタイン」の世界観は、この2022年にどのようにリニューアルされていくのでしょうか?
平原 アジア思想的なことや、日本の浮世絵の要素を入れたいですね。グラスもインドで音楽を学んだということもありますし。たとえば歌川広重の「東海道五十三次」には主役ってそんなにいなくて、町人たちがそれぞれの動きをしているじゃないですか。雨で急いでいる人もいれば、傘をさしている人もいれば、犬を連れて歩いている人もいれば、雨宿りしている人もいれば。その全体でひとつみたいなことです。バラバラなんだけど風景としては成立しているみたいな、ジオラマみたいな世界観ですね。
浜辺は大きいし、ひとりひとりの存在は小さい。人が点在している様子とか、そういう感覚を大事にしたいですね。なにせ劇場が広いので、フォーカスをぐっと集めるのは、なかなか難しい。それよりはこのままダイナミックに、いろいろなところで何かが常に行われているというような世界観で物語が進んでいくようにしたいと思っています。
——いいですね。そのほうが神奈川県民ホールらしいと思います。大ホールのステージはすごく左右に広いじゃないですか。
平原 そうなんですよ。初演でもそんなに大きなスペースを使っていなかったと思うので、あれをそのままここでやるというのはちょっと違いますよね。
——「東海道五十三次」の話がいま出ましたけれども、時代や国の舞台設定は?
平原 ないです。アブストラクトな、抽象的な空間で行われているように見せたいです。
——で、私もついこだわってしまうのですが(笑)、裁判の場面や列車の場面は出すのですか?
平原 僕なりに出します(笑)。僕なりに裁判をし、僕なりに列車を走らせ、僕なりに夜汽車に乘り……初演を観た人も「あっ、この構図覚えてる!」と、今風の言葉なら「胸熱」といいますか、マニア心をくすぐるような構図をもってきたいというのはありますね。
できる限り照明を美しく、そして多様なジャンルの出演者たちをどうまとめていくか
——これは舞台上演に関する全体的な傾向の話なんですが……オペラの舞台よりもダンスの舞台のほうがライティングに対して敏感なんじゃないでしょうか?
平原 おっしゃるとおりです。踊る身体はどういうふうに光が当たるかでまったく違って見えますから。光に対して敏感なのはやはりダンサーのほうです。もちろんすごく美しい照明のオペラもあるのですが。
——92年の「浜辺のアインシュタイン」はすごく美しい照明でした。リハーサルでは光の角度を数センチ動かすかどうかに1時間くらいかけて、徹夜仕事で直前まで調整しているのを見て、演出家ウィルソンの恐ろしいほどの光へのこだわりを知りました。
あの初演のときの舞台の美しさをもう一度と、私は心のどこかで思っているのですが、その期待は実はライティングにもかかっている。だからオペラの人ではなくてダンスの人が演出されるというのは、すごく期待しているのです。
平原 ありがとうございます。演劇やオペラの演出家の方は、どちらかというと「出来事」を演出していくのですけれども、僕らはどちらかというと「空間」を演出するタイプです。明かりのつく秒数だとか角度、作品の小道具とかが出てくる速度、それらが空間にどういうふうに入ってくるか……。ライティングにはすごく気を遣います。今回のライティングはいつも僕と一緒にやってくれる櫛田晃代さんが入ってくれたので、コミュニケーションは多くとっていきたいなと思っています。
音楽と身体と他者との創造によって、困難な状況下にあっても創意工夫を重ね、劇場やコンテンポラリーダンスの地位を取り戻したいと精力的に活動し続けている。
https://theorganworks.com/
——平原さんのダンスカンパニーOrganWorksが2020年に制作した「HOMO」の映像が公式サイトで公開されていますが、すごくよかったです。動きが画一的でなく、常套的でなく、ダンサーたちがそれぞれがそれぞれであろうとして、お互いが関わり合うなかで、びっくりするような新しい動きを作ろうとしていますよね。OrganWorksでこれまで作ってこられたようなものが、今回の「浜辺のアインシュタイン」にも、盛り込まれていくことに?
平原 そうですね、メソッドとして蓄積されているものはそのまま使おうと思っています。で、その先に新しいものがあると思うので、自分たちのなかで古いものをないがしろにはせず、さらにアップデートさせて、新しいものになるようにしていきたいです。
——今回の舞台もOrganWorksのダンサーたちは参加されるのですか?
平原 そうですね、あくまでオーディションをしてあまり身内にならないように僕以外にも判断してもらって、それでも残ったメンバーが出演します。
これは無意識にやっていたことでもあるのですけれども、振付家が動いて「教える」などということは、すでに「正解・不正解」やヒエラルキーができてしまうので、そうではない脱中心的な状態で作ろうとしています。
——ひとりのカリスマ的な振付家なり演出家なりが独裁者のようにふるまって、他の人たちはできるかぎり言いつけに従う、というのがあるひとつの典型的な形だとすれば、そうではないということですか?
平原 はい(笑)。うちの基本姿勢はみんなが僕を立ててくれているだけで、決して独裁的な感じではなくて(笑)。僕はリーダーシップは役割なのでしますし、判断もするんですけど、大事なのは「個人で動いていいんだよ」と伝えることだと思っています。本番のときに「何か思いついちゃったらやってもいいよ」と。ただ「変だったらみんなが怒るから」と(笑)。そのさじ加減なだけで、何か思いついたことにパフォーマーには悪意はないと思うので。そういう意味では、悪意を持たないダンサーを選んでいます。作品のテーマを理解した上で、思いついたこと、いま必要だと思ったことに関してはやるべきではないかと。
——今回の上演では、演奏家や合唱団だけでなく、バレエダンサーの中村祥子さんだったり、俳優の松雪泰子さんだったり、多様な人たちが集まってきますね。それをまとまるように演出するのは、大変ではないですか?
平原 まとまるといいなと思ってます(笑)。俳優のおふたりは、わかりづらいテキストのなかに唯一ある、ちゃんと通さなければいけない言葉、意味のある言葉のラインがあるので、そこをどれだけしっかり形にするかという役割です。
——つまり、ふつうに日本語でセリフを言う役割というわけですね?
平原 はい。声と風貌に特徴のある松雪泰子さんと田中要次さんは、踊るわけではないのですが存在として強いし、立っているだけでキャラクターがある。辻彩奈さんも、何人もの候補のなかでは、いちばん立ち姿がよく存在感のあるヴァイオリニストだったので、この人だったら存在で勝負している人たちのなかに入っていけるなと。中村祥子さんはクラシックバレエの表現者なので、アメリカンモダンの前時代の表現者という差別化として、バレリーナ然として出てもらいたいですね。
©Masatoshi Yamashiro
©Makoto Kamiya
——生の演奏家たちと同じステージに立つというのは、ダンサーや俳優にとっては決定的に重要な体験ですよね。
平原 すごくいい経験値になると思いますし、感性が変わります。僕もサイトウ・キネンでダンサーとしてオペラに出演したことがあって、そのとき小澤征爾さんが厳しい目をしていたのをいまでも覚えていますし、音圧がガンと前からくる。やっぱりあの経験はいいですよね、ダンサーとしてだけでなく、人間として。
——日本の舞台を、オペラもバレエも全部取っ払って考えたときに、いちばん大事なことって、生の音と生の身体が同じステージに立つということじゃないかと思うのですが。
平原 本当に!それをしないともうライブとか舞台なんて死んでいきますよね。映像があるんですから。
おっしゃってくださったことは、いま僕にも課題で、なぜここにミュージシャンがいないんだとか、なぜミュージシャンがもっとダンサーのことを知らないんだ、ダンサーはなぜもっとミュージシャンのことを知らないんだ、と思うことが多々あります。そこにひとつ石を投げるようなことをやりたい。今回は本当にいい機会をいただいたと思います。
——最後にひとつだけ……。「浜辺のアインシュタイン」の92年のときは、ノンストップで上演時間4時間以上でしたが、休憩が一切なくて、その代わりいつ途中で出ていってもいいし、いつまた再入場してもいいという“閉じない構造”になっていました。それがすごく新鮮で、のどが渇いたら黙って出て行ってジュースを飲んでこっそり戻るということを各自が自由にやっていたんですね。開かれている感じがすごく面白かったし、かえって集中できた。今回はそういうことをやるのですか?
平原 答えとしてはふたつあって、まず今回は途中で15~20分程度の休憩を入れようと思っています。その理由としてはコロナの問題もあって、全部自由に出入りOKというふうに打ち出すことが、なかなか難しいのです。
個人的には、基本舞台って自分の好きなときに水を飲みに行っていいよなと僕は思います。つまんなかったら退場して帰ってもいいし、でも何分かしてやっぱり戻ってきても。僕はあまりこだわりがない。
それを劇場内でアナウンスするだけで自由なところだなあと感じるわけじゃないですか。その精神を引き継いで、どういうふうにアナウンスしていこうかなというのは、いい課題だと思っています。ただ、いまのところはふつうの観劇スタイルで休憩があるという状態ではあります。
平原慎太郎さんのダンスカンパニーOrganWorksの公式サイトに過去の作品がいくつかあがっているのを取材の前に拝見した。どれも質が高くユニークな動きにあふれた素晴らしいものだったが、なかでも2019年の「聖獣~live with a sun〜」で、偶然の一致だと思うが、ルシンダ・チャイルズの「浜辺のアインシュタイン」の振付と似ている箇所を見つけた。何歩か前に出てまた同じように何歩か下がる、その繰り返しは、早送り・巻き戻しのような動きでもあった。
「あの動きはどういう意図ですか?」と平原さんにうかがうと、「何かをやった動きが巻き戻されると、“始まる前の時間が見えるようになる”という感覚があるから」という答えだった。
「時間は前にどんどん進んでいくのに、あたかも過去に戻っていって、知らないことにたどり着く。この技術は僕のなかで大事にしたい技術で、今回の舞台でもふんだんに使いたい」ともおっしゃっていた。
上演時間4時間以上の前衛的オペラというと、多くの方は警戒されるかもしれないが、それは杞憂に過ぎない。あの長大な時間を、生演奏によるグラスの音楽と、不思議な動きで踊る身体と、それを生かす繊細な照明と、一緒に味わえるのは、夢のように幸せな出来事なのだから。
美しさだけではない。「浜辺のアインシュタイン」は、戦争と科学についての、未来への警告ともいえる深いメッセージをはらんでいる。音楽と舞踊と演劇が真に拮抗しあう、この総合芸術的なオペラが、平原さんを中心とした多様なアーティストたちの手によって、どのように新しく蘇ってくるのかが、楽しみである。
林田直樹
日時:2022年10月8日(土)、9日(日)13:30開演
会場:神奈川県民ホール 大ホール
- 音楽:フィリップ・グラス
- 台詞:クリストファー・ノウルズ
サミュエル・ジョンソン
ルシンダ・チャイルズ
- 翻訳:鴻巣友季子
演出・振付:平原慎太郎
指揮:キハラ良尚
出演:松雪泰子、田中要次、中村祥子、辻彩奈(ヴァイオリン)、ほか
電子オルガン:中野翔太、高橋ドレミ
フルート:マグナムトリオ
バスクラリネット:亀居優斗
サクソフォン:本堂誠、西村魁
合唱:東京混声合唱団
料金:全席指定 S¥10,000 Sペア¥19,000 A¥8,000 B¥6,000 C¥4,000 学生(24歳以下・枚数限定)¥2,000
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