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2019.09.20
10月10日/第1回ラフマニノフ・コンクール覇者が来日!

巨匠リヒテルに絶賛されたシェルバコフの音楽~ロシア・ピアニズムの歴史を紐解く

1983年、モスクワで開催された第1回ラフマニノフ・コンクールで優勝したのは、コンスタンチン・シェルバコフ。その師弟関係を追えば、壮大なロシア・ピアニズムの潮流が見えてきます。
ロシアのピアノ文化の始まりから、渦中にいるシェルバコフの魅力、そして10月10日(木)東京芸術劇場のプログラムの聴きどころを、2015年の来日リサイタルを聴いている道下京子さんがナビゲート!

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道下京子
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道下京子 音楽評論家

2019年夏、息子が10歳を過ぎたのを機に海外へ行くのを再開。 1969年東京都大田区に生まれ、自然豊かな広島県の世羅高原で育つ。子どもの頃、ひよこ(のちにニワトリ)...

photo: Jen-Pin

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ショパンにもつながるロシアのピアノ文化の始まり

ロシアにヨーロッパのピアノ文化がもたらされたのは、19世紀の初めごろのことです。なかでも、アイルランド出身のジョン・フィールドは大きな役割を果たしました。フィールドは、ソナチネなどで有名な作曲家クレメンティの弟子で、ロシアのピアノ教育にも足跡を残しています。

ジョン・フィールド(1782-1837)。モスクワとサンクトペテルブルクに長く滞在、最初にノクターン(夜想曲)を書いた作曲家として知られている。

フィールドのノクターンのスタイルは、ロシア・リリシズム(抒情性)の源となり、チャイコフスキーやラフマニノフへと受け継がれていきました。ショパンの作曲したノクターンも、フィールドのノクターンに影響を受けています。このように考えると、ショパンとロシアのピアノ文化は源流を同じくしていると言えるでしょう。

ロシアの二大音楽院を創設したアントンとニコライのルビンシテイン兄弟は、ヨーロッパの音楽の受容と教育につとめ、のちのロシアの音楽教育の柱を築き上げ、この国から多くのすぐれたピアニストを輩出してきました。

兄のアントン・ルビンシテイン(1829-94)は、1862年にロシア初の音楽専門の教育機関、サンクトペテルブルク音楽院を創設。
弟のニコライ・ルビンシテイン(1835-81)は、1866年にモスクワ音楽院を開設し、初代院長を務めた。

チャイコフスキーも、創設されたばかりのモスクワの音楽学校(いまのチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院)で学生の指導にあたりました。彼の指導も受けた名ピアニスト、アレクサンドル・ジロティラフマニノフの従兄です。また、ラフマニノフの祖父は音楽愛好家でしたが、フィールドにピアノのレッスンを受けていました。

セルゲイ・ラフマニノフ(右/1873-1943)と、10歳上の従兄、アレクサンドル・ジロティ(1863-1945)。ジロティの勧めでラフマニノフはモスクワ音楽院に入学し、生涯にわたって関わりをもっていた。

コンスタンチン・シェルバコフ(1963-)も、長い歴史を誇るロシアの伝統的なピアニズムの流れを汲むひとりです。彼の師レフ・ナウモフ(1925-2005)は、伝説のピアニスト、ゲンリフ・ネイガウス(1888-1964)門下であり、その同門にはエミール・ギレリス(1916-85)スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97)らもいました。

シェルバコフは1963年、シベリア生まれ。モスクワ音楽院で伝説の教師ナウモフに学び、20歳にして第1回ラフマニノフ・コンクールで優勝。その後、巨匠リヒテルが彼の演奏を聴いて絶賛。世界の檜舞台へと駆け上っていきました。

また、彼はピアニストとして活動しながら、ショパン国際コンクールの覇者ユリアンナ・アヴデーエワをはじめ、優れたピアニストを輩出し、次世代のロシア・ピアニズムの育成に大きな功績を残しています。

コンスタンチン・シェルバコフ(1963-)。チューリヒ大学の教授でもあり、数々の国際ピアノコンクールで審査員を務めている。©Oli Rust

ロシア・ピアニズムの流れを汲むシェルバコフの音楽性

さて、ロシアのピアニストと言えば、バリバリの演奏テクニックや重厚で強い音をイメージされる人もいらっしゃるかもしれません。力強い卓越した技巧だけではなく、ロシア・ピアニズムは、音の細やかな美しさと、なによりも心に沁みるような情感あふれる表現が特徴です。シェルバコフも、そのような特徴を備えた典型的なロシアのピアニストです。

シェルバコフは、鍛え抜かれた強靭な指の持ち主で、どんな難曲も弾きこなす、堂々とした風格をたずさえています。2015年の来日では、ベートーヴェンとショパンを軸としたプログラムを披露、音楽と真正面から向き合い、熱いパッションを秘め、颯爽と弾き切った姿が印象的でした。

ベートーヴェンの時代のペダルは、今のピアノとはかなり異なる機能をもち、特に弱音ペダルがさまざまにありました。そうした音の響きをイメージしたペダリングをはじめ、音楽の骨格をしっかりと捉えたその演奏には、シェルバコフの知性を感じます。彼は、感傷におぼれるベートーヴェンではなく、孤高の作曲家の面影を私たちに示してくれました。

ショパンの演奏でも、透き通るような美しい音でドラマティックに音楽を描い上げ、聴く者を音の物語へと引き込んでいったのです。

得意な作品で組まれたシェルバコフの10月公演

この秋のリサイタルでは、ロシア・リリシズムとショパンによるプログラムが披露されます。

チャイコフスキー《18の小品》は、彼が亡くなった1893年の作品。

交響曲や《ピアノ協奏曲 第1番》の創作で知られるチャイコフスキーですが、ピアノのための曲もたくさん書き上げています。その多くは、子ども向け、あるいはピアノに親しむ人たちが演奏できるような比較的やさしい作品です。《18の小品》には、今回は演奏されませんが、ショパンの作風に倣った「少しショパン風に」という曲もあります。

ラフマニノフ《ショパンの主題による変奏曲》は、彼が精神の病から復活した直後の作品。ショパンの《24の前奏曲》作品28の第20番(ハ短調)を主題として、22の変奏が繰りひろげられていきます。

後半はショパン作品です。ショパンは作家ジョルジュ・サンドと恋に落ち、彼女の子どもたちと地中海のマヨルカ島で過ごしたのち、1839年にパリへ戻ります。その後の数年間、彼は季節のよい時期にはサンドの別荘のあったノアンに滞在し、創作にいそしんでいました。《幻想曲》と《バラード 第3番》は、その時期の作品です。

ショパンはパリに住む前、活躍の場を求めて楽都ウィーンに滞在していました。ところが、故郷ポーランドで起こった独立を求める蜂起のため、ウィーンも政治的に不安定な情勢におちいってしまいます。《アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ》の「華麗な大ポロネーズ」は、ショパンがウィーンを発つ1831年7月に書き上げられました。
1834年、パリで開催される演奏会のために、彼は「アンダンテ・スピアナート」を作曲し、「華麗な大ポロネーズ」に付け加えました。流麗な「アンダンテ・スピアナート」に導かれるように現われる「華麗な大ポロネーズ」は、光り輝く祖国ポーランドを映し出しているかのような音楽です。

シェルバコフの得意な作曲家でつづられたこのプログラム。深い叙情性に満ちあふれ、雄大でロマンティックなシェルバコフの音世界を堪能できることでしょう。

 

《アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ》2018年台湾にて。

information
コンスタンチン・シェルバコフ ピアノ・リサイタル

日時: 10月10日(木)

会場: 東京芸術劇場 コンサートホール

出演: コンスタンチン・シェルバコフ(ピアノ)

曲目(予定):

  • チャイコフスキー:『18の小品』Op. 72より 第14曲 “哀歌”/ 第5曲 “瞑想曲”
  • ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲 ハ短調 Op. 22
  • ショパン:幻想曲 ヘ短調 Op. 49
  • ショパン:バラード第3番 変イ長調 Op. 47
  • ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 Op. 22

料金: S席5,000円、A席4,500円、B席4,000円

問い合わせ: MIN-ONインフォメーションセンター Tel.03-3226-9999

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道下京子
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道下京子 音楽評論家

2019年夏、息子が10歳を過ぎたのを機に海外へ行くのを再開。 1969年東京都大田区に生まれ、自然豊かな広島県の世羅高原で育つ。子どもの頃、ひよこ(のちにニワトリ)...

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