イベント
2023.01.11
林田直樹の横断見聞録 File.19 ~1/29まで開催中。近代フランス音楽が生まれた背景を体感しに訪れたい

「ヴァロットンー黒と白」展~サティやドビュッシーが生きたパリはこんな街だった!

スイス・ローザンヌに生まれ、パリで活躍した画家フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)の木版画を中心とする展覧会「ヴァロットンー黒と白」(三菱一号館美術館、1月29日まで開催中)は、音楽好きにとっても見逃せない内容となっています。
会期は残り少ないですが、近代フランス音楽に関心ある人はぜひともご注目を!

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

フェリックス・ヴァロットン《怠惰》 1896年 木版 三菱一号館美術館

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近代都市パリをありのままに描く

芸術であると同時にジャーナリズムでもあること。ヴァロットンの木版画に接して、真っ先に思ったのはそのことであった。

ここには、19世紀末から20世紀初頭にかけての、近代都市パリのさまざまな場面がある。私たちが想像するような洗練された芸術文化の都というよりは、もっとありのままの群衆と雑踏、たくさんの無名の老若男女の表情に目が向けられている。

その中には、学生たちのデモ行進や暴動、取り締まる警官隊もあれば、にわか雨のなか傘をさして走る人々、馬車に轢かれた婦人とそれを取り巻く人々の姿もある。会社や家庭での一場面、商店や市場の様子、道行く女性たちのファッション、逮捕され連行されていく男を面白がってついていく可愛い子供たち、果ては自殺や処刑や埋葬まで、あらゆる人々の表情がリアルに描かれている。

ああ、なるほど、当時のパリはこういう場所だったのか! こんな騒がしい近代都市の中で、サティやドビュッシーは暮らしていたのか。そう体感できるだけでも、この展覧会には足を運ぶ価値がある。

黒と白の木版画から聞こえてくる濃密な音楽

なかでも目を惹いたのは、街中で歌っている人々の姿がしばしば見られることである。いまの現代社会では、こんなにも大勢の人々が路上で声を合わせて歌うことはない。

だが昔はみんな屋外で歌ったものなのだ。人々は歌を通じて連帯し、見知らぬ者どうし声をそろえ、気持ちを通わせていた。きっと歌は世の中を変える大きな力にさえなった。そんな時代の人々の歌声が、ヴァロットンの木版画からは聞こえてくる。

フェリックス・ヴァロットン《歌う人々(息づく街パリ II)》1893年 ジンコグラフ 三菱一号館美術館

肖像画家としてデビューしたヴァロットンは、芸術家たちの肖像も多く描いている。

今回はベルリオーズとシューマンの肖像版画が、ヴェルレーヌやイプセンやドストエフスキーやスタンダールら文豪とともに展示されている。

いずれも鋭いセンスとユーモアを感じさせる作品で、芸術家たちのキャラクターがよく伝わってくる。

フェリックス・ヴァロットン《シューマンに捧ぐ》 1893年 木版 三菱一号館美術館

ヴァロットンは、音楽そのものを題材とした作品も残している。

6点の木版画からなる連作《楽器》は、フルート、チェロ、ヴァイオリン、ピアノ、ギター、コルネットを演奏する人が、それぞれプライヴェートな室内空間で音楽に向かい合っている様子を描いたもの。

画面の大半を占める黒の豊かさが、音楽の濃密さを感じさせてくれる。この作品群からどんな響きが聞こえてくるのか、想像してみるのも楽しい。

中でも注目されるのは、当時の大ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)が暖炉の前に座って弾いている姿である。ソファに深く腰掛けて足を組み、炎を見つめながらヴァイオリンを奏でるイザイの横顔は、リラックスした雰囲気の中に孤独な一面をしのばせる。

フェリックス・ヴァロットン《ヴァイオリン(楽器 III)》 1896年 木版 三菱一号館美術館

《ペレアスとメリザンド》作曲時のパリの雰囲気を伝える

男女の親密な関係をテーマに制作された10点の木版画集〈アンティミテ〉は、今回の展示の中でも、もっともドラマティックで心理的な奥行きのある、深い印象を残す作品群である。

ちなみに、ヴァロットンがこの連作を制作していた1897~98年は、ドビュッシーとフォーレが《ペレアスとメリザンド》を作曲していた時期にもあたる。

絵柄だけではなく、ここはぜひタイトルとの関係を味わうのがいい。泣き崩れる男と勝ち誇る女を描いた《勝利》、ソファで濃密に絡み合う男女を描いた《嘘》など、思わせぶりで秘密めいた男女のドラマがそこにはある。

もっとも皮肉が効いているのが、冷淡な表情の女に向かって男が弁明しているようにも見える《お金》。画面の右半分を覆う黒の何と雄弁なことだろう。

フェリックス・ヴァロットン《お金(アンティミテ Ⅴ)》 1898年 木版 三菱一号館美術館

1900年にパリで開催された万国博覧会は、世界各地から過去最大の5,000万人が訪れる大成功となったが、そこでヴァロットンは展示内容そのものではなく、来場した人々の混雑や、道端に座り込んでレジャーシートの上で昼食をとる人々、花火を見上げる人々、機械仕掛けで動く歩道に乗る人々の様子などを生き生きと描いている。これもまたジャーナリズムである。

フェリックス・ヴァロットン《歩道橋(万国博覧会Ⅴ)》1900年 木版 三菱一号館美術館

作品に親しみ、理解するための工夫も随所に

展示の最後には、第一次世界大戦に取材したヴァロットンが制作した一連の作品群《これが戦争だ!》が配置されている。持ち前の風刺漫画のタッチで冷徹に描かれた塹壕戦や有刺鉄線や闇の中の監視兵の姿は、戦争の血なまぐささや醜さを、時代を越えて私たちに生々しく伝えてくれる。

今回の展示は、連作〈アンティミテ〉をアニメーションにした作品を鑑賞できる部屋を設けるなど、遊び心を凝らした工夫も随所にあった。それらがすべて作品に親しみ、理解するためのさりげない気遣いになっていたのも良かった。

世紀末のパリに関心ある人、近代フランス音楽が生まれた背景を体感したい人にとっては、必見の展覧会と言えるだろう。

イベント情報
「ヴァロットンー黒と白」展

会期:2022年10月29日(土)~2023年01月29日(日)

会場:三菱一号館美術館

開館時間:10:00-18:00(金曜日と会期最終週平日、第2水曜日は21:00まで/1月16日は休館)

問合せ:050-5541-8600

公式ホームページ

 

林田直樹
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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