インタビュー
2020.06.12
指揮者アンドレア・バッティストーニ インタビュー

芸術は死なない——バッティストーニ「コロナ時代の音楽」を考える

日本の音楽ファンや若者に「音楽を怖がらないで」という印象的なメッセージを送ってくれた若きマエストロ、イタリアの指揮者アンドレア・バッティストーニ。あれから2年、世界の状況は一変し、首席指揮者を務める東京フィルハーモニー交響楽団のための来日さえ見通しが立たなくなっている。世界的に見ても多くの犠牲者が出て、厳しいロックダウンを強いられたイタリアで、彼が何を考え、どんな未来を描いているのか話を伺った。

アンドレア・バッティストーニ
アンドレア・バッティストーニ 指揮者

1987 年ヴェローナ生まれ。アンドレア・バッティストーニは、国際的に頭角を現している同世代の最も重要な指揮者の一人と評されている。2013 年ジェノヴァ・カルロ・フ...

取材・文
井内美香
取材・文
井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

取材協力 東京フィルハーモニー交響楽団

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イタリアの厳重なロックダウン生活

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バッティストーニ来日時には、通訳として同行することもある井内さん。画面越しでも、久しぶりの再会に話が弾んだ。

——ヴェローナと東京を結ぶヴァーチャルなインタビューですが、元気そうなお姿なによりです! やっとイタリアでもロックダウンが解除されたそうですが、2ヶ月以上ものあいだ、どう過ごされていたのですか?

バッティストーニ このパンデミックはだれにとっても青天の霹靂だったと思います。幸いなことに僕自身は元気にしていますし、家族や直接の友人たちも病気にはかからずにすんでいます。ただ、イタリアのロックダウンはとても厳重なものでしたから、最初のうちは受け止めるのが難しかったです。

ロックダウンの前にはシチリアのパレルモ市で仕事をしていました。6月にはマッシモ劇場の来日公演に同行する予定だったので、その前に現地公演を指揮することになっていたからです。すでに北イタリアでは流行が騒がれていて、いつもはかなり混んでいるパレルモ行きのフライトにもほとんど乗客がいなかったのですが、僕は、みなが大袈裟に怖がりすぎなのでは? と思っていました。

ところがパレルモでリハーサルをしているうちに現地公演の中止が決まりました。劇場は日本公演の準備のために非公開ゲネプロを検討しましたがそれも叶わず、僕はロックダウンの2日前に、自宅のあるヴェローナに帰ってきたのです。

そして、その後はずっと自宅で過ごしていました。パートナーと僕は2ヶ月間、他の誰にも会わずに過ごしました。両親にも会いに行きませんでしたから。時々、近くに住む友人とだけは話をする機会がありましたが、それすら、彼は道端から窓を見上げ、僕らは窓から彼を見下ろしてお互い挨拶を交わす、というなんだかコミカルともいえる風景だったのです。

自分の気持ちとしては、オーケストラとのコンタクト、聴衆、公演などがなくなった欠乏感はありました。でも個人的には、この事態が僕の生活にもたらした望ましい変化もありました。特に、家でゆっくり過ごし、これまで時間がなくてできなかった多くのことができましたから。

閉鎖が終わったのは、国が経済的にこれ以上ロックダウンを続けられなくなったことも大きいと思います。生きていくのに不可欠なスーパーマーケットなどを除いた、すべての店や会社が閉まっていたわけですから。ロックダウン解除の告知はかなり唐突だったので、国民は驚きました。今後、流行の揺り返しがないことを祈っています。

ロックダウン中、チェロを演奏するマエストロ
ロックダウン中、窓から見ていた外の景色

ディスタンス問題がオーケストラにもたらす事態

——イタリアではヴェローナ音楽祭など、夏の大きな催し物の中止が発表されている一方、規模を縮小しての開催を発表している音楽祭などもあります。ご自身は、指揮ができない、という状況に苦しみやフラストレーションを感じていますか?

バッティストーニ いくつもの予定されていた仕事がキャンセルになってしまったのは残念でした。僕自身にとって大切な公演ばかりでしたから。日本で《ナブッコ》を指揮する予定だったマッシモ劇場との来日もそうですし、ジェノヴァ歌劇場では初めて指揮するはずだったプッチーニ《マノン・レスコー》も中止になってしまいました。ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場におけるオペラやコンサート、そしてこの夏にはヴェローナ音楽祭でも数多くの公演を指揮する予定でした。

失われてしまったのは主に、これまで慣れていたコンディションで音楽をするということです。奏者同士のディスタンス(距離)の問題は、オーケストラにとって困った事態を引き起こしています。なぜなら、世界のさまざまなオーケストラを指揮して僕が理解したことのひとつは、オーケストラは奏者同士が近ければ近いほど良い演奏が可能になる、ということなのです。

ウィーンのムジークフェライン、アムステルダムのコンセルトヘボウなども、大ホールのようですが実は舞台はとても狭く、接近して座っている音楽家はお互いをよく聴き合って、そのことにより音もコンパクトになります。ところが、隣の奏者と1メートル50センチ離れて演奏しなければならなくなったらどうなるか? 特に大編成のオーケストラの場合、必要なステージの面積も巨大になりますし、より安全とされる野外での演奏も、経済的な問題に加えて音響的、芸術的に良い結果が得られるかどうか疑問です。

復帰は最後? スマートワークから考える指揮者の在り方

——ここ数ヶ月間、METオンライン・ガラなどのテレワーク演奏が行なわれてきました。もしくはいくつもの素晴らしいオーケストラ奏者たちによる動画配信など。そこで感じたことは、楽器奏者よりも指揮者の方がスマート・ワーキングは難しいのでは? ということです。

バッティストーニ 残念ながらその通りだと思います。動画配信での演奏では良いものがたくさんありましたし、オンラインのマスタークラスも開催されました。なにより、聴衆とのコンタクトを失わずに音楽を継続していこうというアーティストたちの試みは意義があると思うのです。

しかし、テレワーク演奏における指揮者は象徴的な存在でしかないのでは、と思わされます。なぜなら私たちの仕事は、実際に生でグループを指揮することにあるのですから。だいたい、生の演奏のときでも、オーケストラのメンバーは僕らのことを少ししか見てくれないのですから(笑)、オンラインでは不可能に近い。

音楽家はそれぞれ役割をもっていますが、その中で指揮者の役割は、大きなグループをコーディネートすることなのです。大きなグループの演奏が不可能になれば、指揮者もしばらくのあいだは職を失うことになります。

僕の仕事は指揮ですし、この仕事を続けたい、という気持ちは変わりません。でも、僕の性格からいって、戦うために戦いに挑む、たとえば風車小屋に槍で突っ込むドン・キホーテのように行動することはできません。もしこの状況があまりにも長く続いたら他の仕事を見つけないといけないですね(笑)。

でも、僕が楽観主義なのかもしれませんが、この状況に対して焦ったり、悲しかったり、という気持ちはもっていません。予定されていた公演がなくなってしまったのは確かに残念ですが、誰が悪いわけでもありませんし、これもまた人生が我々に与えた試練です。

——まるで哲学者のようですね!

コロナで感じ、学んだことを忘れずに成長する

——ところで、2年前にONTOMOのインタビューで、「コンサートに若者が戻ってきた」と仰っていたのが印象的です。その後リリースされた、バッティストーニ×東京フィルハーモニー交響楽団の録音シリーズも、武満徹『系図』や映画音楽など、選曲に若い世代への意識があったと思います。

——ロックダウンの期間に、彼らのために何か新しい企画を考えましたか? 例えばあなたが教鞭を取るマスタークラスとか?

バッティストーニ 教えることには興味あります。でもそれはまだ先の話です。まだまだ自分が多くのことを学ばなければならない生徒のように感じていますから。この時期に、若い人たちのために特に何かを企画したということはありませんが、これからの新しい時代のための音楽については考えました。このような状況下において何ができるか?

まずは野外でなにか演奏する、ということですね。音楽をするのに適したスペースは、どの都市にも見つかると思うのです。公衆衛生に求められている新しい概念を守りながら、音楽をするのに適した場所があるはずです。

これはロックダウン中に気がついたことですが、都市部で交通量が劇的に減り、静寂が広がり空気がとてもきれいになっていました。そこで感じたのは、生活サイズの町、市民の必要に注意を向けている町は、生活の質を飛躍的に高めることができる、ということです。音楽や演劇も町の構造の中に組み込まれることができるはずです。

町の中のスペースを、すべての市民に向けた音楽のための場所にし、発展させていく。それが音楽家や芸術家たちにも活動の場を与えることになるわけで、政府が率先して取り組むべきです。イタリアは国から芸術文化への補助金が多く出ています。その補助金は、市民にとって「芸術」が大切だからあるのです。だとしたら、その「芸術」は人々に届かなければなりませんよね?

歌劇場という組織がそこに存在するから、以前からそうしているから自動的に補助金を払い続ける、ということではなく、人々の生活に関わる方向で正しく使われなければいけないはずです。劇場が閉ざされた空間で、これまで存在しなかった健康上の問題が発生するならば、音楽も芸術も町に出て、人々と共にあるべきです。

——日本でもニュースになっていましたが、ヴェネツィアで運河の交通量が減って、綺麗になった水の中を白鳥が泳いでいたそうです。そこに町中で奏でられる音楽が加わればさぞ美しいでしょうね。

バッティストーニ そう思います。心配なのは、このコロナ禍から学ぶことはたくさんあったはずなのに、実際はそのときに感じたことをとても早く忘れてしまう、ということです。

実はコロナの時代は、新しいことを学ぶための好機だったかもしれないのに。ロックダウンが終わり自由を取り戻した途端に、まるで断食のあと、ご馳走を腹一杯食べたがる人のようになってしまうのですね。社会を良くするためには、私たち自身も成長しなければならない。でもそれは難しいことです。

ロックダウン中は作曲も! また多くの音楽家が集うオーケストラ曲を演奏したい

——日本では、あなたが東京フィルハーモニー交響楽団を指揮したベルリオーズ の『幻想交響曲』がリリースされたところです。

——この巣ごもりの時期によく聴いた作曲家の中で、今後演奏や録音をしたい作曲家はいますか? もしくは、あなた自身の新曲は書きましたか?

バッティストーニ 譜面を勉強した曲はたくさんあります。なぜだか理由はわかりませんが、イギリスやアメリカの作曲家が多かったです。ウィリアム・ウォルトンの『交響曲第1番』、ベンジャミン・ブリテンの《ピーター・グライムズ》『シンフォニア・ダ・レクイエム』『戦争レクイエム』、それからヴォーン・ヴィリアムズの『ロンドン交響曲』は知らなかった曲ですが驚かされました。アーロン・コープランドの『交響曲第3番』は、アメリカの作曲家作品の中でも、ずば抜けた傑作だと思います。それに加えて、もっと最近の作曲家たち、ジョン・コリリアーノやデイヴィッド・デル・トレディチなども。

これらは、将来、機会があったら演奏してみたい作曲家です。僕はどうしても大編成のオーケストラが好きなので、これらの曲もそうで、そういう編成の作品を演奏することが可能になったら、ということになりますが。

自分の作曲としては合唱とオーケストラのための曲を書きました。僕の2番目の交響曲です。自分に正直になると、どうしても音色がカラフルで、パーカッションを多用した大編成の曲を書いてしまいます。

多くの人が一緒に音楽をするために集まる。僕にとってはそれがオーケストラであり、合唱なんです。

2020年1月、サントリーホールにおける東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会にて。
©︎上野隆文 

料理も上達したマエストロ、日本に戻るその日まで

——ロックダウン中は家事もしましたか? 料理とか、家の掃除、もしくは整理整頓ですとか?

バッティストーニ 掃除や整頓は苦手なのですが(笑)、料理はやりました。この時期、たくさん料理しましたよ。これまでトライしたことはなかったのですが僕が作るデザートは悪くないことを発見しました。クッキーやリンゴのタルトなど。とても楽しかったです。

デザート以外の料理はパートナーと一緒に作ることが多いのですが、世界を旅行して食べた恋しい味、例えばもう長いあいだ食べていなかったロシア料理のボルシチやビーツのスープなどを作りました。ジョージアのチーズ・パン、そしてインド料理も何品も。日本の料理では焼うどんや味噌汁! もうレストランに行く必要がないくらいの腕前です(笑)。

——早く日本に来て、また日本の料理を食べていただきたいです。

バッティストーニ 僕も早く日本に帰りたいです。日本で知り合いになった人たちと会いたいだけでなく、いつも僕を支えて、大きな喜びを与えてくれていた日本の聴衆と音楽を分かち合うために。皆さんに会えないのが寂しいです。どうぞ皆さん、音楽を忘れないでたくさん聴いてくださいね。このような奇妙な時代に、音楽は大きな慰めと助けを与えてくれると思います。そして再会したら一緒に音楽を楽しみましょう!

キッチンにて料理をしようとしているところ。

どこだって舞台に変えられる。芸術は決して死なない

——最後に一つ伺います。これはあなたに聞くべきことかどうかわかりませんが、今、日本のクラシック音楽界でも、危機に陥っている音楽家やオーケストラなどが多いのです。個々の状況は違うのでアドバイスは難しいかもしれませんが、何か彼らへの言葉はありますか? 音楽家たちの声に耳を傾けるべきなのは、これまで喜びを与えてもらっていた聴衆なのだとは思いますが。アーティストは自分たちの苦境について声を上げるのもなかなか難しいのではと思うのですが、いかがでしょうか?

バッティストーニ これはとても難しい話題です。国によっても状況はかなり違います。いくつかの国ではアーティストはコミュニティにとって欠かせないものとして大切にされており、例えばドイツではアーティストはより多くの援助を得られました。イタリアではドイツほどの大きなサポートはありませんでした。

ある意味、厳しく皮肉なものの見方をすれば、音楽家や俳優という仕事は歴史的に見ても、常に不安定なものでした。残念ながら。それゆえに多くの親は子どもに「音楽家なんかになってはいけないよ、普通の会社で働きなさい」と言うわけです(笑)。そのほうが安定した仕事だからです。

不安定さはこの仕事の特徴であり、魅力の一部だと言ってもいいのです。それを踏まえたうえで言えば、劇場やコンサートホールで仕事ができないのならば、国は芸術家に金を払え、とまでは言いませんが、彼らが活動するための新しい場を作るべきです。

音楽家は、場所を与えられて聴衆に囲まれさえすれば、いつでも音楽を奏でる用意はできているのですから。そのためには、国は安全な場所を指定して、ここなら公演をやってもいい、と言うべきです。それが公園の一角だっていいのです。そこを舞台に変えてみせるのがアーティストの腕前なのです。

あとは僕たちがなんとかします。芸術は決して死なないのですから。

アンドレア・バッティストーニ
アンドレア・バッティストーニ 指揮者

1987 年ヴェローナ生まれ。アンドレア・バッティストーニは、国際的に頭角を現している同世代の最も重要な指揮者の一人と評されている。2013 年ジェノヴァ・カルロ・フ...

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井内美香
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井内美香 音楽ライター/オペラ・キュレーター

学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...

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