ブーニンが語るショパンコンクール~ショパンが表現したかったことを演奏する使命
音楽コンクールの最高峰、ショパン国際ピアノコンクール、略してショパコン。連載「じっくりショパコン」では、2021年に延期となった第18回ショパン国際ピアノコンクールをより楽しむべく、ショパンについて、そしてコンクールについて理解を深めていきます。
第5回は、1985年に19歳で優勝し、一世を風靡したブーニンさんにオンラインインタビュー! ブーニンさんから見たショパンコンクールやショパンの音楽について、たっぷりとお届けします。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
モスクワの音楽一族に生まれ、ショパコン優勝で日本でも大ブームに
1985年の第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝、あわせてコンチェルト賞、ポロネーズ賞を受賞した、スタニスラフ・ブーニンさん。
当時、NHKでコンクールのドキュメンタリーが放送されたことにより、日本では「ブーニン・シンドローム」と呼ばれる爆発的なブームが起きました。一定年齢以上の方は、当時のことが記憶にあるでしょう。今またコンクール時のブーニンさんの演奏を聴き返すと、19歳と思えない堂々とした音楽、自然発生的な勢いなど、聴く者を高揚させる何かが感じられます。
ブーニンさんは、モスクワの音楽一族に生まれました。祖父はモスクワ音楽院の高名な教育者、ゲンリヒ・ネイガウス。ギレリスやリヒテルの師として知られる人物です。そして、父はピアニストのスタニスラフ・ネイガウス、母もピアニスト。
コンクール優勝当時、ブーニンさんはモスクワ音楽院在学中でした。ピアニストとして世界に羽ばたくチャンスをつかんだブーニンさんですが、まだソ連時代。西側での演奏活動には大きな制約がありました。そこで1988年、ブーニンさんは西ドイツに亡命。以来、祖国を離れて演奏活動を行ない、長らく日本を拠点としています。
そんなブーニンさんに、当時を振り返って何を思うのか、ショパンとショパンコンクールについてどんなことをお考えなのか、今改めて伺いました。
ちなみにこれらの話題に加え、音楽にとって大切なこと、亡命などを含むご自身のキャリアや、ロシアで学んだものなどについても伺っています。それはまた別の記事としてご紹介する予定ですので、どうぞお楽しみに!
今も変わらない評価基準
——ショパンコンクールで優勝されたのは、36年前になります。当時、そしてそれ以後のコンクールを振り返って、どうお感じになりますか?
ブーニン 36年前も今も、コンクールの評価の基準はそれほど変わっていないと感じます。ショパンコンクールでは、主に4つの要素を重視して審査がおこなわれていると思います。
1つめは、全体的なピアニズムのレベル。私はこれを“楽器の扱い方”と言い換えるようにしていますが、ピアニストがいかにその楽器を生かして演奏できるかの能力が見られます。
2つめは、ショパンが人生においてどんな価値観をもっていたか、どのように美を追求していたかの理解度です。
3つめは、これまでの経験。どこかの森の奥から急に出てきた人か否か、キャリアを積んでいける力を持っているかというところ。
そして4つめは、演奏に聴きごたえがあったか、ピアニスト自身も弾きごたえを感じ、舞台が充実したものであったかです。
これらを併せ持つピアニストのうち、優勝に値する人格や深みを持っている人が選ばれるのだと思います。前回のコンクールでも、私には、優勝するピアニストの演奏はすぐにわかりました。同じ評価基準がずっと続いているということですね。
優勝したショパンコンクールでのブーニンさんの演奏
——ショパンコンクールではよく、ショパンらしい演奏についての議論が聞かれます。とくにポーランドの審査員や聴衆はその点に厳しいように思いますが、改めて、ショパンらしい演奏とはどういうものなのでしょうか?
ブーニン ポーランドの審査員や聴衆がショパンらしさに重点を置くという見解は、部分的に正しくもあり、部分的に正しくないと反論したいと思います。おっしゃるとおり、ポーランドの審査員は、先ほどの2つめの要素を重視しているところはあります。そこにナショナリスティックな考えが反映される部分もあるでしょう。ただ、一般の聴衆と国際的な審査員たちは、ポーランドではなく世界を見て審査をしていると思います。
その意味で、コンクールに参加する人は、音楽をどのように感じ、自らの価値基準においてどんなふうに組み立てたいのかをしっかり考えてコンクールに臨むことが、まず必要だと思います。
——自分自身が良い聴衆になるためにも知りたいことなのですが、先ほどおっしゃっていた2つめの要素であるショパンの価値観や美学というものは、具体的にはどんなことでしょうか。
ブーニン ショパンの音楽で表現されているのは、私たち人類が生活の中で失ってしまったもののすべてだと思います。現代の生活はとても慌ただしいものです。経済的、技術的に豊かになったことは間違いありませんが、一方で失われたものは多い。
ショパンが生きた時代の人々の理想を、現代に見つけることは簡単ではありません。当時の大都市の社会生活は、常に芸術で満たされていました。人々は豊かな芸術に触れながら、深みのある精神生活を送ることができたのです。
現代の私たちは、ショパンに触れ、深く理解することにより、当時の人々が理想としていた美に、一歩、二歩、近づくことができるでしょう。
——それはつまり、ショパンの音楽には、同時代のたとえばシューマン、リスト、メンデルスゾーンとはまた違った特別な何かがあるということになりますか?
ブーニン そうです。ショパンは祖国を離れてパリに渡る前、ウィーン、ベルリンなどもまわりました。しかし、当時の西ヨーロッパの聴衆は、若いショパンを才能ある作曲家として受け入れませんでした。自分たちの芸術とは相容れない粗野なアクセントがあるとか、印象的な効果を狙っていて表面的だという批判もあったそうです。ポイントは、伝統と相容れない、ということだったのではないかと思います。
しかし、これはあくまで一般の見解で、当時の音楽評論家、文学者や詩人は、ショパンの中に繊細な美を見つけ出し、高く評価しました。当時ショパンと友好関係にあった人は、口を揃えて、ショパンがピアノに触れたら、一度音を聴いただけで一目惚れしてしまったと話しています。
ピアニズムの礎を築いたショパンの音楽を理解するために
——ブーニンさんは、ショパンをどういう人物として捉えていますか?
ブーニン ショパンと私自身のイメージを重ねるつもりはありませんが、彼が人生で歩んだ道は、私のこれまでの歩みと重なり合う部分が多い気がします。人生で直面した問題や苦悩を振り返ると、ショパンと似ているのです。彼は、常に自らに負荷をかけ、意志を持って生き続けた人だと思います。
また、ショパンは私たちがピアニズムとして受け継いでいることの礎を築いた人だと思います。もちろんベートーヴェンやバロック時代の作曲家たちも、高い水準で鍵盤楽器を扱っていました。しかし、ショパンの音楽には、今の私たちが知るピアノの扱いのほぼすべてがあります。ピアノという楽器の特性、響きと、彼の身体的な能力が融合したことで、現代のピアニストに受け継がれる財産のすべてができ上がったと思います。
——現代は物質的に豊かですし、戦争や、祖国を永遠に去る経験もめったにすることがありません。ショパンと近い経験が音楽の理解を助けるとすれば、それはつまり、現代のピアニストは、実体験なしにショパンの心情を想像しなくてはならないことになります。どうすれば想像で作曲家の苦しみに近づけるのでしょう。
ブーニン まず、若い世代が満たされた生活を送っているとおっしゃいますが、現代も理想の楽園ではありませんし、苦悩も多いと私は思いますよ。
ショパンの同時代人や彼らに教えを受けた世代は、すでに過去の存在となりました。現代に生きる我々は、当時の人たちとの直接的なつながりを失っています。
そのため私たちがショパンを知るには、歴史的な資料や文学に触れるしかないように思います。しかし、ここからがショパンの音楽に隠された大事なことです。
ショパンの楽譜には、人生そのものを理解するための鍵が隠されています。そして、渦巻く感情がそのまま表されている。それがどんな心情、体験を記録しているのかを見ていくと、自分の生活、人生と重なり合う部分が見つかるはずです。戦争や革命の経験でないにしても、似た感情を持つ体験というのは、必ずあると思います。
ブームのあとも日本の聴衆と大切な芸術を分かち合う
——ところで、ショパンコンクールのあと、日本ではブーニンさんシンドロームと言われるほどの大変なブームが起きました。日本での人気ぶりを、どんな気持ちでご覧になっていましたか?
ブーニン 衝撃的な体験でしたね。私たちの職業は、そういう大きな波を経験しないのが普通なので。でも、なにかの理由でたくさんの方が私の音楽を聴きたいと会場に足を運び、彼らの注目が私を励ましてくれました。
私自身もなぜあのようなブームになったのか、なかなか理解できないところがあります。どれほどの部分が恣意的に作り出されたもので、どれほどが自然に生まれたものなのかもわかりません。でも、私が嬉しかったのは、ブームが去ったあとでも多くの方が、私の創る音楽や努力を見守り続け、ポジティブな反応を示してくれていることです。自分にとってもっとも大切な芸術というものを分かち合うパートナーとして日本を選んだことは、間違いでなかったと実感しています。
——一方、日本の音楽市場には、ある部分でコンクール至上主義のようなところがあり、それは自分たちの耳で判断できないからではないかと言われることもあります。とくにショパンコンクールに関していえば、これほど優勝者に反応するのは、ポーランドを除けばおそらく日本くらいではないかと思うところもあります。そんな状況をどうご覧になりますか?
ブーニン 私はいつも、マーケットと芸術を分けて考えるようにしています。私が35年間日本で見てきた聴衆は、音楽をこよなく愛し、偉大なる音楽に触れようという明確な目的を持っている人々でした。もちろん、コンクールの優勝者だから聴きに来た人もいるかもしれませんが、むしろそれをきっかけにある音楽に出会うことができるのは、運の良いことです。そういう方々と出会えた私も、運が良かった。
真の愛好家は、自分の判断基準をもっていて、真の芸術とそれ以外を選り分ける審美眼を備えています。日本の聴衆は、年齢や社会階層にかかわらず、そういう人が1つの場に集まる有機的なエネルギーを持っていると感じますね。
コンクールはあくまで、若い才能に演奏の場を与えるための人為的な装置、いわば必要悪といえるものです。
芸術は、生命を持っています。そんな芸術自身が、活躍の場を与えられたある演奏家と関わりたいと思うか否か。それは、芸術そのものが決めることだと思います。
ショパンの音楽と向き合い続けて
——コンクールの頃と今で、ショパンの音楽に感じることは変わっていますか?
ブーニン ショパンに対する姿勢は変わっていませんが、たしかに経験がない若い頃は、完全に自分のものにできていない音楽を演奏していたこともありました。しかし、時間が経つにつれて、ショパンが何を語っているのかをより深く理解できるようになりました。
例えば、現代のピアノは、ショパンの時代よりも発展しているので、表現が難しいところもあります。しかし一方で、ショパンはこのようにピアノの音の規模が大きくなることを予期していたのではないかとも感じる。作品が要するエネルギーの大きさを見るにつけ、そう思わずにいられません。
ショパンの作品を古い楽器で演奏することや、それを通して研究することには意義があると思います。しかし、ショパンの書いた音楽を古い楽器にとどめておくことは良いことだと思いません。彼は、当時の楽器に制限される音楽を書いたのではなく、無限に続く来るべき時代のために作品を残したと思うからです。これは、バッハにも言えること。彼も、より表現の可能性が広い楽器を夢見ていたと思います。
その意味で、私たちは今、彼らの願いを叶えられるような時代を生きている。ピアニストには、ショパンが表現しようとしたことを楽譜から読み取り、今の楽器で表現する使命があると思います。技術の進歩によって生まれた新しい楽器で彼の音楽を表現できることは、大きな幸せです。
私たちの前にある楽器は、演奏家が世界と交流を持つための媒体です。その交流のためには、楽器をうまく扱う能力が求められます。もちろん伝統を知ることは大切です。そのうえで、自分なりの音楽を発信していくことが重要なのではないでしょうか。
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