インタビュー
2021.07.20
連載「じっくりショパコン」第7回

ヤブウォンスキが審査員としての胸中を語る~ショパンの音楽をリスペクトして

音楽コンクールの最高峰、ショパン国際ピアノコンクール、略してショパコン。連載「じっくりショパコン」では、2021年に延期となった第18回ショパン国際ピアノコンクールをより深く楽しむべく、ショパンやコンクールの本質に迫っていきます。
第7回は、審査員を務めるクシシュトフ・ヤブウォンスキさんにインタビュー! ショパンを演奏するうえで大切なことや審査員を務める際に考えていること、審査の難しさなどについて、たっぷりと語ってくださいました。

取材・文
高坂はる香
取材・文
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

カナダのご自宅とつないでのオンラインインタビューの様子。

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1965年ポーランドのヴロツワフに生まれ、20歳だった1985年のショパン国際ピアノコンクールで第3位に入賞した、クシシュトフ・ヤブウォンスキさん。1975年の優勝者であるクリスチャン・ツィメルマンさんの師だったアンジェイ・ヤシンスキさんのもとカトヴィツェ音楽院で学んだ、ポーランドを代表するピアニストの一人です。

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今回のコンクールでは審査員を務めるヤブウォンスキさんに、ご自身がコンテスタントとして参加したときの心境、また、ショパンの表現にとって大切なことについて伺いました。

クシシュトフ・ヤブウォンスキ
1985年ワルシャワにおけるショパン国際ピアノコンクールで入賞、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクールでゴールド・メダルを受賞したほか、ミラノ、パーム・ビーチ、モンツァ、ダブリン、ニューヨーク、カルガリーにおける各国際ピアノコンクールで数々の賞を受賞している。
30年以上にわたってソロ、室内楽、およびオーケストラ共演など、活発に演奏活動を行い、ベルリン・フィルハーモニーの「マスター・コンサートシリーズ」を始め、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、イスラエルの主要ホールで演奏している。
ヤニナ・ブートルとアンジェイ・ヤシンスキ教授に師事し、マスタークラスでは、ルドルフ・ケーラーとニキタ・マガロフの下で研鑚を積んだ。1987年にカトヴィツェ音楽院を優等で卒業し、さらに1996年には同音楽院で博士号を取得。2004年から2017年にかけてはワルシャワのフレデリック・ショパン音楽大学の教授を務めた。
現在は、カルガリーの音楽学校であるマウント・ロイヤル大学、カルガリー大学のピアノ課、モーニングサイド・ミュージック・ブリッジ・プログラムの教授を務めている。2016年から2017年にはレスブリッジ大学の芸術学部教授としても活躍。大学の任務のほかにマスタークラスや講演を行っており、数々の国際ピアノコンクールの審査員としても活躍している。 2020年ショパン国際ピアノコンクール審査員。
©Julia Jablonska

政治的なストレスのなか臨んだコンクールで入賞し、一夜にして状況が激変

——ヤブウォンスキさんがショパンコンクールに参加したときの思い出で、一番記憶に残っていることはなんでしょうか?

ヤブウォンスキ ストレス、ですね(笑)。このストレスというのは、演奏が審査されることに対してではなく、政治的なシチュエーションに対するものです。当時ポーランドは隔絶されていて、西側の国に自由に旅行をすることができませんでした。ただ政府はアーティストを大切にしてくれていたので、コンクール入賞が世界への脱出扉になりえたのです。

子どもの頃の私はとても旅がしてみたかったし、録音でしか知らないアーティストにも会ってみたかった。当時ポーランドに来てくれるピアニストはほとんどいませんでしたから。ただ、リヒテルだけは、私の故郷の町に何回も来てくれました。客席の1列目に座り、数メートルの距離で聴くことができたのは本当にラッキーでした。

1975年にツィメルマンさんがショパンコンクールに優勝する姿を見て、いつか自分も彼の成功を追うんだと思いました。それから10年間あたためた夢ですから、成功できれば世界が開ける、それが実現するか否かだという考えがプレッシャーになったんです。

当時、音楽院のピアノは壊れかけのものばかりで、私たちは毎日それで練習していました。コンクールで初めて良いピアノを弾き、練習では一度もうまくいかなかった表現が簡単にできるものだから、自分でもびっくりしてしまって。本番中に自分のできることを発見しながら演奏する状態でした。

インタビュー中の撮影許可をいただくと、背後にあった本の山を急いで片付けてくださるというお茶目な面も見せてくれたヤブウォンスキさん。

ヤブウォンスキ 3次のステージにはあまりいい思い出がありません。ポーランドの撮影クルーが、動いたり機材を落としたり信じられないほどの騒音を出して、気が散って大変だったんです。これは、当時映画館で本編が始まる前に流れるプロパガンダ・ニュースのための撮影で、私が唯一のポーランド人だから彼らは張り切って撮っていたわけだけれど。彼らのたてた騒音は、今もライブ録音で聴くことができます(笑)。

ファイナルには2つの記憶があります。1つは、ここまでくれば必ず入賞者だ! と心配するのをやめたこと。もう1つは、宿泊先が当時のワルシャワで最高のホテルだったソフィテル・ビクトリアになって、それだけで王様みたいな気分になれたことです(笑)。

コンクール以前の私は、政治的にも経済的にも良い環境にはありませんでした。それが入賞したとたん、一夜にしてブーン! 状況が変わり、2日後には、私はイタリアにいました。あの入賞は、本当に重要な出来事でした。

第11回ショパン国際ピアノコンクールでのヤブウォンスキさんの演奏よりノクターン第3番とエチュード第5番

ショパンが音符の間に込めた想いを理解しなければ、自分の能力を誇示するために利用することに

——ポーランド人として、ショパンらしい演奏、ポーランドの感覚を理解した演奏とはどのようなものだとお考えですか? 本当のショパニストを聴き分けるポイントはなんでしょうか。

ヤブウォンスキ ショパンの演奏については多くの記述が残っていますが、もっとも頻繁に使われている表現は、並外れた美を持っていた、ということ。繊細で詩的で、絶対に騒々しくならない。劇的だったり叫んだりする場面でも、野蛮さを感じさせてはいけない。彼は、心の中で苦しんでいても、静かに、美しさのうちにそれを表現したのです。

以前、ショパンの作品をショパンの時代に用いられていたピアノで録音する機会がありました。私はもともと、ピリオド楽器を使って広いコンサートホールで弾くことには懐疑的だったのですが、実際に録音に取り組むと、多くの発見がありました。

例えばダイナミクスについて、際限なく大きな音が出せる現代ピアノでしか弾いていなかった頃は、ショパンの「fff」が実際にどんな音だったかがわかっていなかったと思います。しかし今では、彼の「fff」は音量の問題ではなく、感情の問題だということが実感できました。もちろん現代ピアノが与えてくれる可能性を生かすこともいいのですが、力が過剰になりがちだということを知っていたほうがいいと思います。

ヤブウォンスキさんがピリオド楽器でショパンの作品を演奏したアルバム

ヤブウォンスキ 大切なのは、作曲家と作品をリスペクトすること、作品は自分が書いたものではないという基本を忘れてはならないということ。すべての音符、記号を勉強し、ショパンについて研究することで、音符の間に込められた想いを知れば、テクストに“違反”する表現は自ら受け入れがたくなるはずです。

ですが現実には、私たちはたくさんの“違反”を耳にします。ダイナミクスやフレージングの間違い。ショパンがスラーをどこで切っているかもわからないで弾く。スラーの終わりが物事の終わりであり、その最後にアクセントをつけるだなんて普通ありえません。でもそういう演奏が実際に聴かれるのです。ほかにも、汚いペダル、ハーモニーへの理解のない表現など、挙げればきりがありません。

ただし、こういう演奏に聴衆が盛り上がることはよくあります。そもそもピアニストにとって、聴衆から大きな拍手をもらうことに目標を定め、フェイクの音楽を作ることはそう難しくありません。

ただ、そういうタイプの盛り上がる演奏は、もはやショパンとは関係がない。音楽に仕えることとも両立しない。ときどき、すばらしい個性と才能の持ち主が、テクストに従わず間違った解釈で弾いていることもあります。ショパンの音楽を、自分の能力を誇示するために利用している状態です。

音楽愛好家がみんな必ずしも広範な音楽的知識を持っているわけではありません。一皮むけばただの自己顕示であるこのような演奏に熱狂してしまうことはよくあって、仕方ないですね。

——なるほど……。では、ピアニストは本物のショパンの表現をどのように求めていけばよいのでしょうか。

ヤブウォンスキ まず言えるのは、誰かの演奏を聴いてわかったつもりになって弾くことは危険だということです。今はYouTubeにあらゆる音源がありますから、みんな真似をして弾くことに長けています。だけどそれは、自分の知識や魂、心、イマジネーションから生まれた音楽ではないので、模造品にしか聴こえません。

ちなみに私は、そういう模造品の探知能力にものすごく長けていますからね! どんなにアーティスト風のジェスチャーをしようが、顔の表情をつけようが、真実がそこになければわかります。なぜならそういう演奏は、タイミングやエネルギー、フレージングや音色がちぐはぐになるからです。

もちろん、多くの聴衆にとって、そういう演奏のほとんどは何の問題もないように聴こえると思います。むしろ圧倒的な人気を集めることさえある。でもそういうときに私たち審査員は、なんだこれはという顔で見ていますよ。

派手な演奏で聴衆の人気を得る、でも審査員の支持は得られない。すると、大きな問題が生じます。……審査員はこの世で一番バカで、世の中の人がみんなわかっていることを理解していないと思われるんですね(笑)!!

審査員として自分の好みに関係なく、真の価値ある演奏を見極める

——その意味で、聴衆を教育しないといけないと思ったことはありませんか? というのもこの記事、本当に良いショパンを聴き分ける耳を育てようということも目的にしているので。

ヤブウォンスキ いや、一般の聴衆は、それぞれに好きな演奏があっていいとは思うんです。大きな音やスピード感のある演奏に圧倒されるのは当然でしょう。

だけど私には、正しい情報を伝える義務があると思っています。深く入っていくことをはなからあきらめている演奏というのが世の中にはたくさんあって、そういう演奏は審査員からは評価されません。

……と、こういうことを言うと、ショパンの音楽があなたなんかになんでわかるのか、という問いがくるでしょう。

私はこの人生、ずっと音楽を勉強してきました。なぜその演奏を評価しなかったのか、希望されたら、反対意見がある人とディスカッションしたっていい。私は自分の意見を自信を持って主張します。

そうはいっても、私は神ではありませんから、もしかしたら自分が間違っているかもしれないという気持ちはあります。特に審査にあたっては、瞬間的に点数を判断しなくてはなりませんし、何かのきっかけで気持ちが盛り上がって思った以上の点数をつけてしまうこともあるかもしれない。音楽には価値基準がはっきりしないこともあります。たとえば、自分は赤よりも緑が好きだからといって、緑のほうが優れた色だというわけではない。

そのなかで、できる限り正しく評価をしようとしていますが、難しいのは、プロフェッショナルな視点からみるとすべてがそろっている、なのに自分は好きじゃない、そういうときにどうするかということです。

大変優れた演奏だが、自分には語りかけてこないし、共感できない。こういうときは、個人的な感情は横に置いて、プロフェッショナルな感覚で審査に徹します。個人的に好きでないと思っても、高い点を入れることはできます。

——……そうなんですか!?

ヤブウォンスキ はい。それが私がいろいろな審査をしてきて学んだことです。真の価値ある演奏だったら、私の好き嫌いは関係なく、高いポイントを与えますよ……唇を噛みながらね。コンクールは私のためではなく、ショパンと優れた演奏者のためにあるものですから。

ただ問題は、すべての審査員が自分の感情をよそにおけるわけではないということ。一部の審査員は、聴衆と同様、感情に従って評価を下すでしょう。

あとでつけた点数が公開される状況では、この人にこんな点を入れるなんてひどいやつだと嫌われるかもしれませんから、本当に大変な作業です(笑)。審査をするより、コンテスタントとして参加するほうが気が楽なくらいですよ。

だいたい、長い目でみればコンクールの評価なんて関係ないことなんです。優勝しなくても好きなピアニストなら聴衆はチケットを買いますし、審査員が選んだ優勝者がスターになるとは限らない。入賞はキャリアを築くチャンスですが、誰もがそのチャンスを活かせるとは限らないということは、過去のさまざまなケースから見てとることができるでしょう。

長い時間をかけてショパンの作品を勉強すると、ショパンのスタイルや言語感覚がわかるようになる

——あと、楽譜の版の研究や選択も議論のあるところかと思います。ナショナル・エディションの推奨についてはどうお考えですか?

ヤブウォンスキ これはまた答えに気を使う質問ですね(笑)。

まずいえるのは、この新しいナショナル・エディション……パデレフスキ版もかつては“ナショナル・エディション”でしたから、あえてそう言いますが(笑)、その存在自体はすばらしいものだということです。ショパンが作曲する過程で心の中に何が起きていたか、そのプロセスを示してくれますから。

違いがほとんどわからない作品もありますが、ほとんど別の作品のように違いがはっきりしているものもあります。これによって多くのピアニストが混乱していることは明らかで、ポーランドのピアニストにも、一部の新しい見解に否定的な意見を明示している人もいます。ちなみに私は、新しいナショナル・エディションによる録音を依頼されたとき、違いが最小限の作品を選んで録音しました (笑)。

©Claire Chen

ヤブウォンスキ 長い時間をかけてショパンのほぼすべての作品を勉強してくると、ショパンのスタイル、ハーモニーやメロディの言語感覚がわかるようになります。その観点から、たとえショパンがこんな書き込みをしているといわれたところで、どうしてもそれが彼の最終的な決断だとは思えないことも出てきます。

ショパンは極めて注意深く、とくに出版社に最終稿を送る際には、とても慎重だったと思います。ですから、基本的に私が信用するのはそのバージョンだけ。彼が生徒のレッスンで楽譜に書き込んだ内容については、知ることには意味があるとは思いますが、最終的な決定としてとらえることはありません。これはよくいうジョークで、ショパンが自分より才能のない生徒のために書いたバージョンなんて、弾く必要ないに決まってる! と。逆に言うと、こうしたほかのオプションについて知ることで、最終版がいかにすばらしいかもわかるでしょう。

もちろんこれは私の意見です。新ナショナル・エディションに従って演奏することも、選択肢のひとつです。ただ、書かれているからという理由だけでなんでも受け入れて演奏するのではなく、知識を持って自分の選択をすることが必要だ、ということです。

審査していることを忘れて、美しい音楽とのコミュニケーションを楽しみたいと思わせる演奏に出会いたい

——では最後に、今度のコンクールではどんなピアニストを求めているかお聞かせください。

ヤブウォンスキ 私を涙させるピアニストです。私は普段、審査中に演奏についてのコメントをたくさんメモしておくのですが、すばらしい演奏に出会うと、ペンを置いてただ聴き入ります。そんなピアニストが現れてくれると、私の人生はずっと楽になりますよ。そうでないときには、果たしてこの演奏は平均からみてどうか、これは22点かな? いや23点かな? なんて点数のことを考えている間に、演奏の半分を聴き逃すというような、ばかばかしいことが起きかねませんから!

シビアな話題でも、やわらかい口調で笑顔がこぼれる。ヤブウォンスキさんの笑い声で取材の空気が和んだ。

——涙させるピアニストだという判断が、審査員みんな一致することを願いますよね。

ヤブウォンスキ ははは! 確かにその通りです。そう祈りましょう。

音楽的な嗜好が似ていて一つの方向を向いている、つまり、同じ音楽の神を信じているメンバーが審査員席に座っていれば、それは難しいことではありません。でも、それぞれ別の音楽の神を信じていた場合は大変です。全員が長らく同じ音楽というものを勉強してきているのに、どうしてこんなに意見が違うのだろうと思うこともありますよ。

優れた演奏の評価は、もちろん好みによるところもあるけれど、多くの部分については、明確に判断可能な基準があると思うんです。スラーの終わりは一つだし、スタッカートの書かれている場所は明らか、汚いペダルは汚い、いずれもまぎれもない事実です。それなのに、それぞれ意見に違いが出る場面に直面する。どうしてこういう基本的な部分すら全員の意見が一致しないのかなと思います。

いずれにしても私は今度のコンクールでも、自分の審査員としての立場を忘れ、美しい音楽とのコミュニケーションを楽しみ、その演奏家の心や人間性を感じ、一聴衆になれる瞬間を待っています

取材・文
高坂はる香
取材・文
高坂はる香 音楽ライター

大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...

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