ショパンコンクールでは音楽言語を理解し伝える奏者を期待——審査員ディーナ・ヨッフェ
音楽コンクールの最高峰、ショパン国際ピアノコンクール、略してショパコン。連載「じっくりショパコン」では、2021年に延期となった第18回ショパン国際ピアノコンクールをより深く楽しむべく、ショパンやコンクールの本質に迫っていきます。
第10回は、審査員を務めるディーナ・ヨッフェさんにメールインタビュー! ご自身がコンテスタントだったときの胸中をはじめ、ショパンの音楽の特色や音楽家の役割について教えていただきました。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
ラトビアに生まれ、モスクワ音楽院で名教師、ヴェラ・ゴルノスタエヴァのもと学んだイスラエルのピアニスト、ディーナ・ヨッフェさん。
1975年のショパン国際ピアノコンクールで第2位に入賞して以来、演奏活動に加えて教育活動にも熱心に取り組み、大きな国際コンクールの審査員もたくさん務めていらっしゃいます。
46年前のコンクールの記憶、そして音楽家が大切にすべき信念について語ってくださいました。
自分らしくコンサートに臨む気持ちで迎えたショパンコンクール
——ご自身がコンテスタントとしてショパン国際ピアノコンクールに参加されたときの思い出で、もっとも記憶に残っているのは、どの瞬間でしょうか。
ヨッフェ ワルシャワ・フィルハーモニーホールのすばらしい雰囲気と、とても熱心な観客のことは、よく覚えています。国全体がこのイベントにかかわっているという感じでしたね。ポーランドにとってショパンとショパンコンクールは、国の宝なのだと思います。私はこれまで、日本、アメリカ、イスラエル、そしてもちろんヨーロッパのさまざまな国際ピアノコンクールで審査員を務めてきましたが、ショパンコンクールの雰囲気は、ほかにはない特別なものです。
私が参加したときのことで今でも覚えているのは、結果発表の翌日、マルサルコウスカ通りを歩いている私をみんなが祝福してくれたことです。どうしてみんなが私のことを知っているのかしらと不思議に思ったほどで、まるで国民的ヒーローになったかのようでした(笑)。それから2週間、ポーランドでたくさんのコンサートを開きました。そしてさらに驚いたのは、帰国するとき、空港でも居合わせた人たちが祝福の言葉をかけてくれたことです。忘れられない経験です。
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