井上芳雄の生き方とは「歌、踊り、演技そしてトークと、技術は多いほどいい」
カウンターテナー歌手の藤木大地さんが、藤木さんと同様、“冒険するように生きる”ひとと対談し、エッセイを綴る連載。
第12回のゲストは、俳優の井上芳雄さん。前編につづき、後編は、藝大時代の思い出話やプライベートの過ごし方、本場ブロードウェイへの気持ち、そして、テレビ番組への出演など歌以外の仕事にも、藤木さんが迫っています。共演の具体的な企画案も手渡しした藤木さん、実現の日はいつになるのでしょうか!?
2017年4月、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場に鮮烈にデビュー。 アリベルト・ライマンがウィーン国立歌劇場のために作曲し、2010年に世界初演された『メデア』ヘロル...
Q4. 僕たちの大学時代の話を少ししてみたいと思います。『エリザベート』のオーディションに合格し、芳雄がスターになっていく様を同級生のひとりとして眩しく眺めていました。(あの頃、同級生はみんな、芳雄になりたかったと思います!)オーディションで勝ち抜いた様子をインタビューで読むと、自分のヨーロッパでの経験と重なることがあり、僕としては10年以上後にやっとその頃の芳雄に追いつけた感じです。仕事を始める前という意味では実質2年弱くらいの「キャンパスライフ」だったと思うのですが、その頃の藝大での思い出で話せることは何かありますか?
井上 同級生が僕のようになりたかったと言ってくれて、そうだったんだ! と今わかったけど、ほとんどの人はオペラやクラシックがやりたくて藝大に入っているから、ミュージカルってなんだ? という感じだと思っていた。
僕自身、ぎりぎり必要な単位を取って6年で卒業したから、声楽をやり尽くしたとは全然言えません。でも、デビュー前の1~2年ぐらいまではただの大学生で、合コンしたり飲んだり、楽しく過ごした思い出がありますね。
大地が住んでいた部屋にみんなで集まったりもしたし。僕の家ではキムチ鍋をしたことがなかったんだけど、大地の部屋でキムチ鍋を経験して、実家に帰ったとき、「お母さん、キムチ鍋、めっちゃ美味しいよ」って。そこからキムチ鍋を食べるようになりました。
藤木 あの頃、毎週末、キムチ鍋だったから(笑)。僕と芳雄は高校生のときから知り合いだったから、大学の家探しも一緒にやったよね。同じ物件も見て、結果的にどちらも違うところに住んだけど。そうそう、芳雄は背が高いから、僕が部屋を決めたばかりで椅子もテーブルもないとき、うちのライトつけてくれて。
井上 そういえば、僕たちがうるさくて苦情が来たことなかった?
藤木 芳雄が酔っ払って踊るんだもん。8畳ぐらいの部屋で大騒ぎして、次の日、大家さんから手紙が入ってた(笑)。
Q5. そのもう少し前、高校2年(1997年)の秋に大分県でのコンクールの全国大会で僕らは出会っています。その後コンクールや演奏会、東京での鈴木寛一先生のレッスンでよく会いました。藤木大地の第一印象、その後の印象を、得意の毒舌でお願いします。
藤木 高2のとき、芳雄は福岡出身、僕は宮崎出身で、お互いの県の独唱コンクールに挑戦し、そこで成績が優秀だった人たちが出られる全国大会が大分県竹田市であって、僕たちは出会ったんです。
その後も、僕が福岡のコンクールに出たときは会いに来てくれたし、一緒に出て九州大会で同じ2位だったことも。で、藝大を受けるときに別のルートで同じ鈴木先生を紹介してもらって、そうしたら鈴木先生が、「お前らは福岡と宮崎で同じ九州だから、東京のレッスンを前後にするから一緒に羽田に行って帰れ」と。それを月1くらいでやって。
井上 そうだったね。
藤木 僕が覚えてるのは、高校3年生のお正月に全日本学生音楽コンクールの福岡大会の受賞記念コンサートがあって、楽屋が一緒だったんだけれど、ゲネプロ後に、芳雄はアクロス福岡の本屋に行って、何を買うのかと思ったら、「月刊ミュージカル」を買ってきてずっと読んでいて。僕はそれを覚えていたから、数年後に芳雄がその表紙になったときはすごく感激して、とても嬉しかったです。
僕にはそういう思い出があるんだけど、芳雄はどうですか?
井上 僕は福岡では声楽をしている男子なんて他に知らなかったから、“井の中の蛙”的に、自分は福岡の男子の中ではきっとうまいなと思っていたんだけど、大地に会ったとき、こんなにうまい男子が九州にいるんだ! と。
それに、今もそうかもしれないけど、大地は人当たりがいいというか、人の懐に入り込んでいく能力がすごいから、その場の人みんなと知り合いみたいな空気を醸し出していて。皆が大地を知っていて、皆が大地の話をしていて、見たことがないようなコミニュケーション能力の人だなと思ったのを覚えています。
僕は人見知りとは言わないまでも人とコミュニケーションを取るには頑張らないといけないタイプだったから、オープンマインドな大地には羨望の眼差しを向けていた。大地が人も紹介してくれたし、音楽だけでなくも「この電気屋さんがいい」みたいなことを含め、すべてのジャンルで見たことのないエネルギーで人脈を開拓していく人。
それって、「自分が、自分が」みたいなことになりかねないけれど、表現者はそうでないとやっていけないから、大地は向いているんだと思う。大地も「俺の歌を聴けよ」みたいな感じで、実際聴いて「巧いわ、何も言えないわ」みたいな。
以前は、そのガンガン行く感じについていけない人もいたかもしれないけれど、年を取っていろいろな経験をする中で、大地の猪突猛進具合も少し変化してきて、なくなってはいないけれど、より冷静に周りを見ながら進むようになっていると思います。
藤木 3年間会っていなかったのに、よくわかるなあ。そう、僕は最近、「俺、俺」が減ったんですよ。
井上 「俺、俺」だなとは思っていたの?
藤木 思ってた。そうじゃないと仕事も生まれなかったから、すごく背伸びしていたし。
井上 この世界の難しいところだよね。僕は、「我が、我が」って見せずに「我が我が」したいと思っているタイプ。やっぱり、自分のことを知ってほしいし、好いてほしいし、使ってほしい。ただそのやり方が違うっていうか。より姑息で神経が必要なんだけど、やりたいことは一緒なんだろうね(笑)。
藤木 今売り出し中の人を見ると、昔の自分を見るようで。
井上 声楽界は多い気がする。
藤木 ミュージカル界は違いますか?
井上 もうちょっと、僕タイプが多いというか、そのまま出さない人のほうが多いんじゃないかな。でも、あんまりそういうのがない人は駄目だしね。
Q6. ブロードウェイでミュージカルの舞台に立ち続ける夢を今でも持ち続けているとお書きになっています。僕もオペラの本場での舞台を夢みていたのでよくわかるのですが、芳雄にとって、ブロードウェイやウェスト・エンド、(場合によって)ウィーンはどのような存在ですか? また、その夢の実現に向けて具体的に行なっていることはありますか? もし主役じゃなくてもやりたいですか?
井上 ミュージカルが生まれたブロードウェイの舞台に立つというのはもともとの夢だし、今でもその夢は持っています。ブロードウェイのトニー賞を紹介する番組もやっているし、外国人の演出家やスタッフともたくさん舞台をやって知り合いにもなったから、前よりは道筋があると思うんですが、出るというより、まず向こうで勉強したいな、と。
オペラもそうだけど、海外で生まれたものなので、勉強する上での理論、システムがある。僕はそこを通らず、それぞれの現場で自分なりに勉強し、勝手にドッキングしてミュージカルをやっているけれど、ノウハウは知らないより知っていたほうが良い。
日本のミュージカルは自分たち流にやって独自の進化を遂げたけれど、どこかでちゃんと勉強したら、また発明の材料がたくさん手に入ったり、あるいは、自分が発明したと思っていたことは何十年前に発明されていたり、そういうことがわかると思うんです。
藤木 ミュージカルが有名なところというとロンドンもウィーンもあるけれど、やっぱりニューヨークに行きたいですか?
井上 そうですね、ミュージカルならニューヨーク。お芝居ならロンドンもあるでしょうけど、歌や踊りだけでなくトータルでのエンタテインメントということなら、やっぱりニューヨークでしょうね。
そういえば、ウィーンで僕が旅番組のロケに行って、大地とホイリゲで飲む撮影もあったけれど、その旅で、日本人の方が出演されているオペラのリハーサルを聴かせてもらったんです。そうしたら、僕がイメージしているオペラの歌い方ではなかったんだよね。誰もわーっと歌い上げないし、でもちゃんと届く。(2014年当時のことは藤木大地オフィシャルブログにて)
一応、声楽科にも入ったのに、自分が知っているオペラと本場のウィーンのオペラの若い人でこんなに違うんだとびっくりしました。そういう本場で起きていることを、知りたいんです。
藤木 そのための時間は取れそうですか?
井上 なかなか難しいけれど、長くこの仕事を続けるためにもその時間は必要だと思うから、いろいろ画策しています。
藤木 ブロードウェイでチャンスがあったとして、主役じゃなくてもやりたいですか?
井上 主役で、といったこだわりは全然ないですよ。人種や言葉の問題があるから簡単ではないけれど、世の中も変わってきているから、可能性は昔よりあるのかな。今はコロナでぐちゃぐちゃですけど。
藤木 そこは、良くなると信じるしかないよね。ここで心を折ったら先に進めないから、自分ができることをしていくしかないな、と。
井上 そうだね、上の世代はもうキャリアも長く、コロナを機に辞めようかと考えてしまう人もいるし、下の世代は生きていくのが本当に大変だし、自分たちの世代が止まると、立ち行かなくなってしまうから。
Q7. テレビ番組などでお人柄を出して視聴者に親しみを持ってもらうことは、アーティストの仕事の一環として大事にされていますか? その影響をどう感じていらっしゃいますか?
井上 喋るのはもともと好きだけど、人前や電波に乗って喋るのには、技術が必要。最初は全然喋れなかったし、どうやったら面白い笑いが取れたり、楽しいトークができたりするのかなと悩みながら、さっきの話ではないけれど、一個ずつ発見し、経験を積み重ね、集約させていきました。
その結果、もしできるようになってきたのだとしたら、歌、踊り、演技に加えて、トークという技術も手にしたことになるよね。
技術は多ければ多いほうがいい。コンサートやトークショーでも喋る機会はあるし。それでお客さんが増えたかとかはちょっとわからないけれど、司会などの仕事もいただくようになっているのは事実です。番組では、僕のことを知らない視聴者がたくさんいるから、面白いお兄さんだと思われたいですよね。
藤木 どんどん経験値を積み重ね、発明し続けて自分の武器を増やすところ、尊敬します。
井上 負けず嫌いだからかな。誰かに負けるだけじゃなくて、うまく喋れなかった自分に、最初は負ける。で、二度とやるかと思うんだけど、なにせ負けず嫌いだから負けたままになるのがいやで、2回めのチャンスを与えてもらえるなら、怖いけれどやってみたいし、次も負けたとしてもまあまあ良い試合になっていたりもする。ミュージカルでも何でも、その繰り返しです。誰かが勝ち負けを決めるわけではなくても、自分ではわかりますから。
人には絶対、負けたとは言わないけどね。家に帰って奥さんに言う程度で(笑)。
藤木 僕も絶対、人には言わない(笑)。
井上 そこは、この仕事の孤独なところだよね。
藤木 いったん口に出したことが現実になってしまって、すごくそれがネガティブに作用することもあるから。
ところで、今、奥さんの話が出ましたが、可能な範囲で子育てについてもうかがいたいんだけど、高1と3歳の男の子がいらっしゃいますが、舞台に連れて行ったり習い事をさせたりということはされていますか?
井上 上の子は週6日バレエに通って、本気でプロになろうと頑張っています。でも、バレエダンサーにさせるんだという強い思いがあったわけではなく、結果的にそうなっただけ。
僕は自分の親をすごく尊敬していて、自分が子どもを育てるときが来たら、自分の親のように育てられるのではないかと思っていたんだけど、全然でしたね。少なくとも自分がやってもらったようにはできない。もちろん、これはやっちゃダメだよ、人を傷つけるよ、というのは言うけど、こうしなきゃ、みたいな子育ての目標があるというより、「元気ならいい!」みたいな感覚(笑)。
その中で、バレエを見つけてくれたり、下の子が歌を好きっていうのは嬉しいし、自分たちがやっていることを見ているんだなとは思うから、本人がやりたいと言えば自分が親にしてもらったように、できる限りの応援はしたいけれど、何かを強要しないようにしたいですね。
藤木 高1の息子さんは、お父さんお母さんの舞台は観に来るんでしょう? 環境的には、福岡で『キャッツ』を見た人より、舞台に近いところにいますよね。
井上 そうですよね。でも、きちんと自立できればなんでもいいんです。
藤木 3歳のお子さんは舞台を観に行くには小さいと思いますが、おうちでDVDを流すと喜んで見たりはしますか?
井上 今はマイケル・ジャクソンにハマっていますね。YouTubeを見続けて。マイケル・ジャクソンの服しか着ない(笑)。
藤木 3歳児用の?
井上 そういう服があるんですよ。下の子は、服を全部、自分で決めるの。その前はスパイダーマンの服しか着ない時期があって。この特化した感じは、僕に似ているのかな?
藤木 ご飯をパパが担当することもあるのですか?
井上 普段は全然しないですが、たまに夜ご飯を作ることはあります。鍋を一日かけて仕込むとか。いい材料で。牛スジを下茹でして串に刺してとか、お好み焼き作ったりとか、もともと料理してたから。大地はする?
藤木 僕はイタリア留学してたからカルボナーラとか作る。あと、イタリアにはないけどナポリタンも作る。
井上 そういえば、パヴァロッティも、どこに行ってもイタリアンを作って食べていたもんね。
Q8. ご著書を読んでいると「お客さま」への言及がたくさんあり、オーディエンスやファンを大事にしてらっしゃることがよくわかります。「プリンスロード」の逸話からも、多くのファンの方に愛されて続けていると思いますが、20年のキャリアの中で、ファンの皆さんとの触れ合い方に変化はありましたか? また、その距離感に悩むようなことはありましたか?
井上 ちょっと困ったようなことも過去にはあったけど、そういう方たちはそれぞれ事情を抱えていて、それを投影してそうなっちゃったり、あるいは現実から目を背けたいから、こちらに注力していたり。でも、それは僕にはわからないことだから、みんなに平等に接するしかないし、自分のせいだとは思わないようにしています。
藤木 でも、お客さんがいるからこその舞台芸術だという思いは、本にも何度も書かれていて、ファンの方を大事にしてらっしゃるから、握手も全員するんだよね。時間の制約もあるだろうし、なかなかできることではないと僕は思います。
井上 自分が素敵だと思うものを発信して、共鳴してくださった方には「ありがとう」と、手くらい取りたいですよね。
井上 僕のキャリアの初日から応援してくれている方もいるけれど、人間だから心変わりもするだろうし、こっちもいいけどあっちもいいと思ったりもするから、そのときその人に必要な自分だったらいいなとは思います。もう若くもないし、プリンス役ももうやってないから、若いときの僕が持っていたものそのままではないわけだけど、違うところを好きでいてくれるんだとしたら有り難いし、その人の毎日や人生に必要なものであったら、それが一番。「たまたま流れてきたのを聴いて泣けてきました」と言ってもらえたりすると、とても嬉しいですね。
抱えているものはそれぞれにあって、聴いたからって解決はしないけれど、一歩踏み出せなかったものが踏み出せたら、それだけで僕も嬉しいし、自分でもそういう芸術を欲してると思う。
藤木 僕は去年、村治佳織さんのラジオに出させていただいたとき、世の中と自分の状況に落ち込んでいて、歌う気がなくて、リクエストを聞かれて、芳雄の「瑠璃色の地球」を流させてもらったんです。「夜明けの来ない夜は無いさ」という歌詞が、今でもそうだけどあの頃にぴったりで、それを芳雄の声で聴きたくなって。
で、それから僕も自分のコンサートのアンコールで歌うようになりました。
井上 ありがとう。あの曲は最近またよく聴かれているらしいね。
井上芳雄『空に星があるように』から「瑠璃色の地球」
Q9. 2018年のNHKニューイヤーオペラコンサートで司会者とソリストとして共演できたのは本当に嬉しかったし、僕のアルバム『愛のよろこびは』のライナーノーツに寄せてくれた言葉にも泣きました。ありがとうございました。次はいよいよ舞台で共演させていただけたらとずっと願って言い続けていますが、芳雄と僕とで一緒にどんな楽しいことができるかな?
井上 でも本当にやりたいと思うし、大地が今出している声は、特別な声なわけじゃないですか。人間みんなそうだけど、永遠に出るわけじゃないんだよね。そのあとで歌える歌もあるんだろうけど。今がベストくらいなの?
藤木 今は調子が良くて、あと5年、今やっているような密度で仕事ができたらもう良いかなと思っています。
井上 すごいことですよね。ほとんどアスリート。その後も活動はできるんだろうけど、今の大地の声とやらないと、また違うことになってしまうもんね。
藤木 僕自身、声が出なくなってから、あのときこれやりたかったって思っても遅いから、調子がいいうちにやりたいことを全部やって、悔いなく引退して、次のキャリアにいきたいと思っているんです。
実は最近、風邪をひいてある日全然でなくなって、その週に公演があったから専門の病院に行って急いで治した経験があって。
井上 それは高い部分が出なくなったの? 全部?
藤木 低い声が出なくなって。高い声が出なくなるようなことは想像していたけれど、そうではなく下が出なくなったのは結構ショックだった。
井上 地声は出たんでしょう?
藤木 実はそのときは地声からスタートさせて、つなぎ目がわからないように低い声から高い声にもっていって、どうにか歌いました。あのときは本当に発明したな。身体を使った仕事だから、自分でどれだけケアしてもコントロールしきれない部分があって、年齢とともに抗えない変化もある。それでなおさら、やるべきことを早くやっておこうと考えたんです。
井上 僕がやっていることとはまた違う、価値のある、尊いものだよね。こちらは多少ごまかしたり音域下げたりしてやり続けるけど、それが基本的にはできない世界だから。じゃあ、この企画書は、あとでちゃんと読ませてもらいます。ただ僕がクラシックを歌うというのは技術的に難しいこともあるのでね。でも、やってみてもいいかな。今は何でもやってみようと思っていて、最近の目標は、こぶしが回るようになること。やったことある?
藤木 ん〜あんまりないかも。そういえば、学生の頃、レッスンで「こぶしを回すな」と言われなかった? オペラでそんな演歌みたいな唄い方をするなって当時言われて。
井上 でも、近くで見ていると、理屈ではなく身体がうう~んってなっていて。演歌歌手でも回せる人と回せない人がいるそうです。僕が回せるようになったら、また一個、できること増えるな! と思って(笑)。
藤木 ところで、僕は海外にいて芳雄の『エリザベート』のトートを観られなくて残念。早く観たいです。今朝は「あさイチ」で聴いたけれど、「あいうえお」にもいろいろな色をお持ちだと感じました。
井上 本当に上手い人は息を混ぜるとか曖昧に歌うとかできるんだけど、クラシックのレッスンではそれが良しとされない。そこはクラシックを学んだ弊害でもあって、僕は声が一色になりがち。でも、ポップスで息しか聴こえないような歌い方をする人を聴くと、いいなと思いますね。
藤木 でも僕はテレビで芳雄の歌を聴いて、単語単位でニュアンスを混ぜていると感じた。クラシックだって、シューベルトの歌曲を歌っても息を多く混ぜたりするし。意外と、高校や大学で習った、こうあるべきというものがすべてではないんだよね。
井上 そこが刷り込まれちゃっていて。でも、今クラシックを歌えば、また違う発見があるかもしれないね。
藤木 そして、芳雄だけのクラシック、芳雄だけのシューベルトが生まれると思う。
Q10. 井上芳雄さん、あなたにとって「音楽」とは?
井上 何でしょう……。ミュージカルにおいては、物語に音楽があることが一番大きな特徴というか強みで……。自分の人生を助けてくれるもの、なんじゃないかな。助けられているなと思う。僕たちは不要不急と言われがちな職種ではありますが、少なくとも自分にとっては、不要不急じゃないわけじゃない。音楽のおかげで生きていけます、みたいなところは今でもあるし。
あと、さっきも言ったように、僕はテレビで喋りも頑張って楽しくできるように多少なったし、一生懸命エネルギーも使うけれど、やっぱり1曲歌ったあとは、スタジオでも視聴者でも「この人はこういう人か」という反応があって、それにすごく助けられています。
だから、音楽は、「自分を助けてくれるもの」。食べ物や睡眠と一緒で、それがないと自分は生きていけないんです。
藤木 芳雄の音楽で助けられている人も、きっとたくさんいると思う。
井上 僕の音楽を聴いたから生きていける、という人が出てくるような力を、持てたらいいですね。
その日「あさイチ」でみていた芳雄にこれから会うと思うと、それはそれは緊張してきて、僕のよしお史上・最大にソワソワした。早朝から国民的番組の生放送で何曲も歌ってきたテンションについていけるのか!? と、いったん穿いたパンツを公演当日用の勝負パンツに穿き替えた。1時間後、対談会場に到着したのは、いつも通りのローギアな芳雄だった。ホッとした。
「長年の付き合い」以上に深まらない関係もあるし、知り合ってからは短くても濃密な関係もある。そういった意味で、彼とはとても良い距離感でいられていると思う。何しろ、20年以上メールのやりとりだったのが、今回、ついにめでたくLINEを交換できたのだ! 僕は記念に芳雄スタンプを買って使いまくっている。
次は舞台で会いたいです。一緒に歌おう。ありがとう。またね。
***
2年、12回にわたるこの連載の最終回に、当初からの念願だった井上芳雄さんとの対談が実現して、本当に光栄で嬉しいです。
また、これまでゲストに来てくださった、12人の各界のトップランナーの皆さん、スタッフの皆さん、ONTOMO編集部の皆さんに心から感謝いたします。そしてオーディエンスの皆さん、お読みくださりありがとうございます。
連載はいったんおわりますが、対談と時代の記録は残ります。思い出したときに読めるのが、Webのいいところですね。いつでもまた、このページでお会いしましょう。もちろん、劇場でも。その日まで、ごきげんよう! チャオ~!
藤木大地
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