インタビュー
2020.07.30
勤労者3000人への調査より、博報堂の森泰規さんに聞く

クラシック音楽に親しむ人は業務成績が高い!?音楽人がイノベーションを起こすヒント

2019年11月の記事「博報堂が企業のコンサルティングに室内楽を導入! アンサンブル型の組織をつくるための音楽ワークショップ」で取材させていただいた、博報堂 ブランド・イノベーションデザイン局ディレクターの森泰規さん。
クラリネットの鍛練に励みながら、それを仕事にも活かし、組織を活性化するワークショップを行なう様子を取材した。
今回はその後の博報堂の調査から見えてきたという、クラシック音楽と仕事の質との関係について、新社会人の音楽ライター桒田萌さんがオンライン取材!

お話を伺った人
森泰規
お話を伺った人
森泰規 ディレクター

1977年茨城県生まれ。2000年に東京大学文学部(社会学)卒業後、4月株式会社 博報堂に入社。PR戦略、公共催事・展示会業務を通じて、現在のブランディング業務に至る...

聞き手・文
桒田萌
聞き手・文
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。 夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オ...

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日本を代表する広告会社・博報堂には、室内楽のワークショップを用いて組織を活性化しようとする人がいる。ブランド・イノベーションデザイン局ディレクターの森泰規さんだ。

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彼は日本全国の働く3000人を対象に調査を行ない、その結果、どうやら「クラシック音楽のコンサートへ行く、録音・配信を聴いている」人は、業務パフォーマンスが平均よりも高い可能性があるとのこと。

調査は「自分自身の勤労意識と自分の職場の組織風土」に関する意識をリサーチしたもの(2020年3月実施)。その結果から、「クリエイティブで人間関係の質がよい企業は、業務パフォーマンスが上がるだけでなく、オープンイノベーションを起こしやすい組織風土の形成とも相関がある」ことを示した。

そんな「クリエイティブ」を支える行動のひとつが、「クラシック音楽に親しむ」というもの。調査を行なった森さんは、このような結果が出た要因は何だと考えているのか。実際にどのようにクラシック音楽に親しめば、業務パフォーマンスがアップするのか。そして、音楽業界発のイノベーションを起こすことは可能なのか……? 森さんに話を聞いた。

「不調和なものを組み合わせる」クリエイティブが成果を上げる

——ONTOMO読者には、クラシック音楽に親しんでいる方は多いです。そういった方のほうが、「業務成績が高い」という結果が出ているんですね。

 2020年の3月に全国3000名の勤労者を対象に調査を行ないました。ご指摘いただいている箇所は、「自分はクオリティの高い仕事をしている」とストレートに聞かれて、YESと答えている人についてのところです。それなりの実感がないといけないし、成果を挙げていない人がそう答えるとは考えにくいので、桒田さんの印象として「業務成績が高い」と読み替えても近いかもしれませんね。しかし、一応主旨を踏まえて正しいのは「業務評価実感が高い」という表現です。

それとクラシック音楽に親しむ人(「過去1年以内に、クラシック音楽のコンサートに行った、録音や配信を聴いた」人:全体の9.5%、286名)について見てみると、この層の人々は、調査対象者全体よりも1割ほど、この点で自己評価が高いのです。

このほかの趣味・文化行動についての実態は次のとおりでした。

——美術館に行っている人よりも、音楽に接している人のほうが業務成果の実感は高いんですか?

 その2つの比較では同じです。他にも、あまり知られていないような日本庭園に行っている人に、同じような結果が見られます

たとえば、有名な日本庭園についてみると、年齢が高い人はよく行く傾向にあるという「まあそうかな」という結果になるのですが、「知る人ぞ知る」というような庭園には、年齢には関係なく、むしろ「自分ならではの発想力や、創造力を高めるように日々励んでいる」と回答する人のほうが行っています。

クラシック音楽を聴いているかどうかには、そういったことと同じ傾向がみえてきます。つまり、何らかの形で本当に芸術に関心がある人たちには、同じ傾向があるといっていいでしょう。今回はクラシック音楽に注目してお話することになると思いますが、私はこれに限らず「美しい自然や芸術の価値」に自覚的な組織かどうかに注目していきたいと思っています。クラシック音楽は、あくまでその経過点のひとつです。 

一方で、「クラシックを聴く人」と「クラシック以外を聴く人」には、差が出ています。他にも、「カラオケに行く」「パチンコをする」などという行動とも「クラシック音楽」と同じ傾向は見えてこないので、ここに何かの違いがあるだろうと考えています。

また、趣味として楽器の演奏をする人(全体での6.8%、203名)では、クラシック音楽を鑑賞する機会は、演奏はしない人たちよりも多くなります。今回の調査では何の楽器を演奏するのかは訊いていませんが、何かの形で演奏しようと思うと、クラシックに触れる機会が多くなるのかもしれません。

ただ逆に、趣味で演奏する人も、7割程度の人はクラシックには触れていないとも言えます。

——クラシック音楽を聴く人のほうが業務成果の実感が高いことに関して、森さんご自身はどうしてだと思いますか?

 ピエール・ブルデューという社会学者が、70年代後半に「文化資本」という概念を発表しました。文化資本とは、日本の先生方の研究(SSM全国調査)で例を挙げると、美術品や楽器といったモノを所有するということ以外に、習慣を含めます。たとえば、「15歳のとき、家にピアノがあった」というだけでなく「子どもの頃に家庭でお母さんが本を読んでくれた」「クラシック音楽を聴く環境だった」などの経験を含めて示されるものです。そして、これらは学歴という形で影響が出てきます。こういったことは、片岡栄美先生の研究『趣味の社会学』(青弓社/2019)に詳しく紹介されています。

片岡栄美『趣味の社会学』(青弓社/2019)
芸術・音楽・読書などの趣味とジェンダー/ライフスタイルの関係、趣味を通じた友人のネットワーク形成、家庭の文化資本が学歴や地位の形成に及ぼす効果とその男女差などの分析を通して、日本における文化的オムニボア(文化的雑食性)という特性とジェンダーによる文化の差異を浮き彫りにする。そして、日本で文化の再生産が隠蔽されてきたメカニズムを解き明かす。

中でもブルデューは、音楽の趣味に注目して研究していて、「労働者階級が好んで聴く音楽と、知識階級が聴く音楽は違う」とも言っています。そもそも「階級」とか「階層」というものも国によって違いはありますし、後続の研究者ピーターソンの「文化的オムニボア(雑食)」仮説はこの傾向を批判的に検討し、「高級なものと大衆文化と両方に通じる雑食性」が現れる、としています。

私も、個人的にはオムニボア仮説を採ります。音楽家でも、超一流の方はジャンルを越えて活動していますし、聴く側も素地がありますね。ジャズクラリネットで知られるエディ・ダニエルスさんのモーツァルトは、ミュンヘン・フィルとの斬新な演奏を録音で聴くことができます。

エディ・ダニエルスによるモーツァルトの「クラリネット協奏曲」

メニューインの伝統を受けつぐナイジェル・ケネディさんのヴァイオリンは、どのジャンルをとってもそれぞれ素晴らしいです。

1989年のヴィヴァルディの「四季」のアルバムで、クラシック至上最高の200万枚以上を売り上げ、ギネス認定されたナイジェル・ケネディの動画

ただ今回の調査結果を見ると、ややブルデュー的な評価が当てはまる面がある、と考える必要があるかもしれません。

——今回の調査では、オープンイノベーションが議論として上がっています。そもそも、オープンイノベーションの定義とは?

 オープンイノベーションとは「Z軸」というたとえを内閣府のレポートで示していますが(2019)、今までひとつの領域で培われていたものを、他の領域や企業と結び付け、今までとは違う産業を生み出すことです。

私の理解では、たくさんの会社が同じ領域で価格競争に陥ってすり減っていくより、違う軸で新しいことに目をつけ、新しい産業を興して、成功したほうがいい、ということです。21世紀の今、供給より需要のほうが小さいからです。

音楽業界でも、東京近郊とニューヨークとでプロの管弦楽団を数えると、日本のほうが多いという話がありました。そもそもの環境が供給過剰なのだとしたら、同じことが求められているといえるのかもしれません。

——オープンイノベーションに必要なクリエイティブな行動が、業務成果の実感にどう有効なんでしょうか。

 クリエイティブにはいろいろな意味がありますが、「不調和なものを組み合わせる」という性格があります。斬新な組み合わせを見つけ、ダメでもそのチャレンジを楽しむという行動を続けている人は、イノベーションのコンセプトである「新結合」の実践者そのものですが、そういうことができると、うまくいくようです。

なお、「クリエイティブな」ということを捉えるときは、企業を対象とした議論の場合、ある経営者の方もおっしゃっていましたが、一定の割合でまったくダメなものが出てくるので、その前提でマネジメントしていく必要があります。結果うまくいったものだけを持ち上げるのは正しくありません。

音楽面でも例を挙げると、モーツァルトが発明されたばかりのクラリネットをオーケストラで使ったこと、チャイコフスキーがチェレスタをバレエ音楽で取り入れたこと、バルトークが民謡に取材して新しいテーマを作り、作品を完成させたことなど、今まで題材だと思われていなかった不調和なものを取り入れて、新しい世界を創り出してきました。

こういう試みも、発表当初から評価されたわけではなかったり、そのときはもてはやされても今は廃れたり、ということも多いはずです。

2017年にイリア・グリンゴルツさんがなさったヴァイオリン・リサイタルでは、これはザルツブルグ音楽祭で上演された形式、と主催者は説明していましたが、パガニーニの「24のカプリース」全曲とシャリーノの「6つのカプリース」全曲とを互い違いに入れ替えて演奏されていました。

ロシア出身で古楽にも傾倒しているヴァイオリニスト、イリア・グリンゴルツ

NHKで放送していたマルティン・フロストさんのクラリネット・リサイタルでも、シューマンとバルトークを入れ違いに演奏することをしていました。これらは作品の魅力を引き出す演出として、新しい発見でした。もちろん「そんなことをするの?」と理解できなかった方もおられたことでしょう。

ジャンルを越えて演奏活動しているクラリネット奏者、マルティン・フロスト

クラシック音楽をいかに聴き、学ぶか

——クラシック音楽に親しむうえで、業務成果に効果が出るための「聴き方」というのはありますか?

 お勧めしたい「聴き方」としては、ある程度の知識を持ったうえで、多少は「解析的に聴く」ということ、聴いたものを何かの形で振り返り「内省を深めること」が重要でしょうか。昨日聴いたオペラがなぜよかったのか、どのようによかったのか、同じ題材や形式でもどのように違うのか、そういうことを考えるほうが考察が広がりますし、余韻が広がるように思うからです。そのように、解析的に、あるいは内省的に聴くことの価値については、精神的な自己啓発として有効なのではないかと私は考えています。

ただ、子どもと海外のサッカー中継を観ていると、国ごとにこんなに動きが違うのか、と驚かされますので、解析的に、あるいは内省的に何かを、といっても、それだけならば別のジャンルでも同じことはできるはずです。

よって、私がこだわる点を掘り下げていくには、作曲家のピエール・ブーレーズが講義録に残していた一説が参考になります。

創意は必然的に〈演繹〉の手法を伴う必要がある……想像力(でさえ)この演繹の直感であり……創意は、ある種過剰な何かで——それはあいまいで、気前のよさにみちている——などということはできない。むしろそれは〈演繹〉にみちたものだ。職能はその際に、創意を受け止め、答えを返す役割にある。創意は様式の組み合わせに従って生じているものだ

※Pierre Boulez(1989), Jalons (pour une décennie), Paris: Christian Bourgois Éditeur, p52より
※上記は森さんの訳。訳書は『標柱 音楽思考の道しるべ』(ピエール・ブーレーズ 著、笠羽映子 訳/青土社

つまり、いくら発想があっても、一定の知識と書く力がなければいけない。これは、企画や開発の仕事でとても重要なことです。発想と説明の力が両方必要ですから。

また、クラシック音楽は「違う何かを結び付けつつ、元からある何かを活用している」という性格を持っています。それを理解することで、物事を構造的に捉える感性は養われやすい。まず既定の型があって、そこから発展していくというアイデアはとても重要で、この「創意は様式の組み合わせに従って生じているElle se produit selon des coordonnées stylistiques)」という一節はとても胸を打ちます。クラシック音楽に触れていくことでこの種の感性は磨かれると思います。他の何かについても、こういう捉え方ができるのなら、十分参考になるのではないでしょうか。

——クラシック音楽に親しんでいる森さんの知人の中で、「業務成果が高い」という実例はありますか?

 それは成果の定義によりますね。しかし、担当してきたクライアントや同僚・先輩を見渡すと、文化や芸術に対して関心がある人は、組織の中でその人なりの価値を置いて充実した職業生活を送っており、そういう人がまわりまわって、組織の活性化に貢献していることが多いです。今回の調査結果で、「クリエイティブな(人を許容する)組織風土はイノベーションを起こしやすい企業体質と相関する」と示している通りです。

芸術に触れることで、違う角度から物事を考えられるという人は確かにいます。そこがクラシック音楽に排他的に固有の事象なのか、現代美術愛好家にもあてはまるのか、などといった議論もありますが、私自身はあまりこだわっていません。ただ、クラシック音楽を拒絶しない方と、抵抗を示す方とでみていくと、芸術全般に通じている方は拒絶しない傾向にあると思います。

一緒にワークショップへのご出演をお願いしている演奏家の皆さんも、一流の音楽大学を出られた方ばかりですが、ふつうの若い方という目でみても「こういう人と仕事ができたらいいな」と思うことがあります。

——今、ちょうど音楽大学の話が出ましたが、音楽大学の学生が社会に出て、ビジネスの現場に入ったら、やはり業務成果の実感につながり得るでしょうか。

 皆さんそれぞれに解析的に物事を考え、目標に向かって自分の体と心を制御して表現する、という訓練を積んできていますから、その力は商談や企画でも生きてくると思います

もともと企業で活躍している「体育会」の人材はそういうところが優れていますよね。だとすると、同じ要素が音楽大学出身の方には実はありますので、そうだ、ということをご自身で自覚するともっとよいかもしれません。

しかし大事なのは、「音楽を学ぶ」ということで、それと「音楽大学に進学する」ということは完全に同じとはいえません。ジュリアード音楽院でクラリネットを指導しているチャールズ・ナイディックさんの大学時代の専攻は文化人類学です(イェール大学)。音楽は家庭で習っていたから大学では別のことをした面もあるとお話されていました。

「学ぶ」とは、ただ楽しむとは少し違います。作品の価値・意図を解析したうえで内省を深めていくことで、その作業は案外時間がかかります。よい指導者に師事し、鍛錬を続ける必要があるでしょう。そこまでするの、と思われるかもしれませんが、本来、日本の生活者の日常は、すでに芸術に近いものです。

美術史学者の高階秀爾先生が以前おっしゃっていましたが、それが証拠にと、外国のご友人に新聞の詩歌・俳句の投稿欄をお示しになるそうです。たしかにそうですね。週1回の紙面企画を拝読していますが、これはなかなかと心に残るものが毎回あります。相当な鍛錬を経ないとここまではこないだろうと思えるほど水準が高い週もあります。詩歌や俳句の創作をなさるという方は、今回の調査では3%台と楽器の演奏よりさらにボリュームの点では少ないですが、活動のクオリティは高いように思います。

クリエイティビティというと、何か特別な人の能力と思えるかもしれませんが、「芸術の日常化」ではなくて日常の芸術化」が、このようにもともと日本ではある面でとても進んでいるので、今取り組めば、世界をリードできる可能性があると、私は思っています。

コロナ禍に、音楽業界がオープンイノベーションを起こすには?

——今、新型コロナウイルスの影響で、音楽業界はとても厳しい状況です。ホールを満員にすることはできず、他に収益を生み出さないといけない。でも、やっぱりライブが一番……。その中で、演奏芸術やライブ演奏に携わる実演団体やホールなど、音楽業界に携わる人たちがオープンイノベーションを起こすには、どうすればいいでしょうか。

 ご質問の主旨からすると、まず「ライブができないこと」と「収益源が減る」ということとの関係に整理が必要です。

先日、あるオペラのライブ配信(2020年3月実施)に関する記事を読みました。「チケット収入が6000万円見込めるはずが、ゼロ」になってしまったという内容なのですが、「上演コストは1億数千万円」ともある。ということは、コロナ云々で上演収入がない、ということ以前に、上演して収入があったとしてもマイナスで、収益事業としてみるならば、実はもともとチケット収入単体では成り立っていない。

つまり、公的資金や協賛か、あるいは出演者自身が「ノルマ」として負担して補填する必要があるということです。となると、もともとの構造がおかしいのであって、こういうことが一般的なのだとしたら、感染症予防のため大規模顧客動員をできないということは、現象面での課題ではあるものの、決定的なものは以前から他にあったというべきです。

資金面でのショートについては、公益財団法人として活動している管弦楽団などが余剰金を繰り越せない、といった税制上の課題も合わせて検討する必要があります。

芸術家は職業か、生き方か

 この問題と切り分けて、「音楽業界発」のイノベーションそのものを考えるには、「職業としての音楽家」と「生き方としての音楽家」とを分けてみてはと思います。また、「音楽家」というより「芸術家」と呼んでみたほうが広がりがあってよいかもしれません。いずれにせよ、これは、生計を立てるという意味での職業と、創作活動をするということとを別にしながら、それでいて切れ目のない職業像を考えていくという前提です。今でもある程度そうなっている可能性がありますね。

クラリネット奏者だけをみても、アイスランド交響楽団で首席の方(Arngunnur Árnadóttir)は、ベストセラー作家ですし、先日オランダで聴いたロッテルダム・フィルの首席ブルーノさん(Bruno Bonansea)は、バルトークの《管弦楽のための協奏曲》で見事な演奏をなさっていましたが、フォトグラファーとしても活動しています。よって、彼らが実際のところ、何を「職業」だと思っているのか、わかりません。

一流の交響楽団の首席のポストというのは、全世界で見ても限られているので、そういうところにいる人でさえこうだ、ということは一つの兆候としてみるべきです。そして、たぶんですが、彼らの文筆活動と演奏活動、写真撮影と演奏活動とは、別々の職業原理でありながら相互にフィードバックがあるはずです

専門に音楽の勉強をなさった方が他の職業に就くときには、なぜか悲壮感が漂います。なぜでしょうね。そんなことはないと思います。生き方としてやっていることと、職業としてやっていることが別で、しかし、それでいて相互の往復がある、という人生は、相応に素晴らしいものではないでしょうか。「職業として」ではなく「生き方として」芸術家を貫くというのは、実はキャリアデザインとしてのイノベーションですね。そういうほうが案外、企業社会で次の時代を描く、イノベーションを起こしていくのではないかと思うのです。もちろん、音楽を専攻しなかったけれども学んできた方が産業界に入る場合は、そのままこの構造が当てはまります。

事業家でありながら芸術家でもある、相互に往復のある例としては、過去にも声楽家でいらしたソニーの大賀典雄さんや、小説家でもあったセゾングループの堤清二さん、現役でいうと、フルートの名手として知られる龍角散の藤井さんなどは、巨大すぎて稀有な事例ではないかと指摘されることが多いものの、身近な例として、個人的な友人にも音楽大学で学んだ経営者がいます。大学で英文を習った英国出身の教授、ロシター先生もサクソフォン奏者でした。ロシター先生はその後、定年退職前に出版社(Isobar Press)の起業をされたようですね。 

個人的には、何らかの形で西洋音楽に親しんだ人が、その感性を生かして企業に就職し、その中で産業をおこしていく、というイノベーションの方向性に着眼していきたいです。プロ演奏家によるレッスン動画、コンサートのストリーミング配信なども出てきていますが、それらは見せ方が変わっただけなのでイノベーションというよりはリノベーション(改善)と呼ぶべきでしょう。もちろん貴重な前進であるものの、いまここで考えているものとは、ダイナミクスの点で少し異なります。

一方で、他業界発で、音楽業界にもたらされたイノベーションの代表的な例はすでにあります。ある会社はもともと食品系の企業ですが、施設運営会社を立ち上げ、ホールや美術館も手掛ける一方、そこにとどまらず施設運営の外部受託もなさっていて、ホスピタリティを伴う劇場型の施設運営というと、まず思いつく会社です。

日本ではあまりオープンイノベーションの例がないといわれるのですが、私はこちらのような企業様こそ、その代表事例だと思っています。先ほどの内閣府レポートのたとえでいうと、まさしくZ軸の活動をなさっていますね。

——しかし、たくさんあるオーケストラやホールがなくなれば、もしかしたら業務成果の実感が高い人も少なくなるかもしれない。そう考えると、やはり音楽業界からイノベーションを起こす必要があるのかも。

 そうですね。まずは送り手側が自分の価値に自信を持つということが重要でしょう。ONTOMOの記事でも、神奈川フィルの川瀬賢太郎さんがそうした主旨のコメントを出されていて共感しました。

以前、小学校で室内楽のコンサートをしたときに、保護者の方から「チャイコフスキーやブラームスなんて、知らないからやめてください」「飽きてしまうから短い曲を」などというご指摘をいただきました。普通そう言われたら「相手の意向なんだから」と「子ども向けのみんなが知っている短い曲」(と親の視点で思う曲)に変えますよね。でも、そのまま上演しました。長く愛され、評価されてきた作品の価値、起用しているチーム(アミクス四重奏団)のクオリティに自信があったからです。

実際やってみると、きちんと聴いているし、終楽章のコーダで自然と拍手が出てきたのは子どもたちだけでした。終演後に「あの五重奏曲115番というのは何か、家でもう一度きちんと聴きたいので、正しい作品名を教えてほしい」とあるお子さま・お母さまが私のところへいらして、おっしゃっていました。

作品も演奏の中身も、「本物」を提供することを妥協しなければ、お客さんはむしろ理解してくださると思います。発信する側が、自分の価値を認識せず安易に相手に合わせてしまうと、本来の価値は伝えられない。本質に妥協しないほうが、この先の音楽業界を引っ張っていくと思います。逆に、提供している作品の価値、チームのクオリティに自信があるかどうか、ということは問われるでしょう。

いずれにせよ、この先しばらくは、ボリュームよりもクオリティを重視したほうが、かえって面的に広がる局面が多くなるはずです。

——ありがとうございました。

取材を終えて

ビジネスの一線で活躍されている一方、とても音楽に造詣が深い森さん。物腰柔らかに、複雑なデータ内容を細かく噛み砕いて説明していただきました。

ますます仕事に精進したい! と思っている私にとって、特に「音楽の聴き方」はとても刺激的なお話でした。

その一方、「音楽業界発」のイノベーションに関しても、まだまだ課題はありつつも、さまざまな着眼点から見出すことができるのではないかと考えさせられました。音楽業界の環境がますます厳しくなっている今だからこそ、業界外の方からの指摘や見方を取り入れ、アップデートを試みることが、イノベーションへの第一歩なのかも知れません。森さん、ありがとうございました!

お話を伺った人
森泰規
お話を伺った人
森泰規 ディレクター

1977年茨城県生まれ。2000年に東京大学文学部(社会学)卒業後、4月株式会社 博報堂に入社。PR戦略、公共催事・展示会業務を通じて、現在のブランディング業務に至る...

聞き手・文
桒田萌
聞き手・文
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。 夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オ...

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