インタビュー
2020.06.21
林田直樹のレジェンドに聞け! 第6回

唯一無二のマルチ音楽家ハインツ・ホリガーの音楽観と影響を受けた芸術家たち

バロックから現代にいたるまで、マルチ・ミュージシャンとしての多彩な活動が際立つ、唯一無二の存在――オーボエ奏者、作曲家、指揮者のハインツ・ホリガーが、林田直樹さんの連載「レジェンドに聞け!」に登場。
バーゼル室内管弦楽団を指揮して、現在進行中のシューベルト交響曲チクルス(全曲)レコーディングの話題をきっかけに、80歳を越えてなおも意気盛んなマエストロの音楽観へと話は進んでいった。
※この取材は2019年秋に来日した際におこなったものですが、シューベルト・ツィクルス全体の情報の確認をとって公開いたしました。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

Photos:青柳聡

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

シューベルトをあらゆる方向から知る「百科事典」のような全曲録音を

ハインツ・ホリガー(オーボエ奏者、指揮者、作曲家)
1939年、スイス・ランゲンタール生まれ。ベルン音楽院とバーゼル音楽院で音楽教育を受ける。ヴェレシュ・シャーンドルと、ピエール・ブーレーズに作曲を師事。オーボエはスイスでエミール・カッサノウ、パリ音楽院でピエール・ピエルロ、ピアノをイヴォンヌ・ルフェビュールに師事。 
オーボエ奏者として、1959年ジュネーヴ国際音楽コンクール、1961年ミュンヘン国際音楽コンクールでそれぞれ優勝。バロック音楽から現代音楽まで広いレパートリーを持ち、ホリガー木管アンサンブルとしての活動も行う。作曲と演奏両方を追求することによって、彼は自分の楽器上での技術的な可能性を引き伸ばし、また、同時に現代音楽に深く傾倒している。現代を代表する作曲家達がホリガーのために作曲をしている。
指揮者としては、長年世界の主要なオーケストラや室内楽団と共演している。例えば、ベルリン・フィル、クリーヴランド管、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ウィーン・フィル、チューリッヒ・トーンハレ管、スイス・ロマンド管、ローザンヌ室内管などがある。
作曲家としても国際的評価を得ており、作品は現在、ショット・ミュージック・インターナショナルからのみ出版されている。チューリッヒ・オペラで上演された彼が作曲をしたロバート・ヴァルサー作によるオペラ“白雪姫”は絶賛を博した。
続きを読む

――まず、新譜が先頃出たシューベルトの交響曲について質問させてください。なぜいま改めてシューベルト・チクルスを開始しようと思われたのでしょうか?

ホリガー: 本当にシンプルな理由からですよ。私の知っている限り、これまでの録音はみんな気に入らないのです(笑)。

最近の録音では、ドビュッシー管弦楽曲集、そしてシャルル・ケクラン管弦楽作品集は7枚組も出しましたし、シューマンは交響曲、協奏曲、序曲、声楽曲なども含むほぼ全部の管弦楽曲を録音しましたので、その続きとして、次はシューベルトにしようと。

――そう振り返ってみると、指揮者としても本当に充実した活動をされておられます。

ホリガー: シューマンもそうでしたが、シューベルトに関しても、これまでの録音を聴きましても「悪しき演奏の伝統」というものがあったと思います。(シューベルト解釈に、最初の校訂者として大きな影響を及ぼした)ブラームスは、結局のところシューベルトのことを全然理解できていなかったとさえ思います。信じられないくらい、ひどい扱いをされてきた。

これまで出版されてきたシューベルトの楽譜も、本来の姿を伝えるものはなかなか出ていなかった。今回の録音をお聴きいただければ、私がきちんと楽譜を再検証した成果がお聴きいただけるかと思います。まったくテンポは違いますよ。

――たとえば?

ホリガー: これまでの演奏は(と、交響曲第8番「ザ・グレート」第1楽章の冒頭を、重々しくゆっくりと歌い出す)、この調子で55分(笑)。

そうではなくて(同じ部分を軽やかに歌い出す)、このように、もう倍くらいテンポが違うものなのです。昔の指揮者はいつもゆっくり序奏を始めて、徐々に車の運転のようにテンポを加速していく(笑)。

もっと大切なのは、編成についてです。いままでは大編成のオーケストラが多かった。私は最多でも第1ヴァイオリンは10人がいいと思う。弦はガット弦、トランペットもトロンボーンもナチュラル管、ティンパニも当時のタイプのものを使って、バーゼル室内管弦楽団から透明なサウンドを引き出すことができたと思っています。

ハインツ・ホリガー指揮 バーゼル室内管弦楽団/シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレイト」

――拝聴しましたが、確かにテンポも響きも非常に新鮮な演奏でした。今回のシューベルト・チクルスの全貌は、どのようになるのですか。

ホリガー: 今回は交響曲だけでなく、いくつかの序曲も入れますし、現代作品を、私の作曲したものも含めて、組み合わせるつもりです。シューベルトが16歳のときに書いた初期の「埋葬曲」、ヴェーベルン編曲の「ドイツ舞曲」なども入れます。「岩の上の羊飼い」というクラリネットの入った晩年の歌曲を、若い素晴らしいソプラノ歌手のアンナ・ルチア・リヒターが歌ったもの、あとは「祈り」という歌曲も入れるつもりです。シューベルトは「私の夢」という文章を書いているのですが、それを私は使って作曲もしました。

※上記の構想のうち、実現したのは一部分のみ。詳しくは当記事の末尾の情報をご確認ください。

これまでのシューベルトばかり一色で占められた缶詰のようなものではない。今回私がやっているのは言わば、大きな百科事典のような行為です。シューベルトの全生涯、彼の抱えていた問題、彼の生きていた時代を、聴きとっていただくための……

たとえば、シューベルトが18歳のときに書いた交響曲第2番には、もうすでに「グレート」交響曲の核心がすでに含まれています。天才の作品です。スーパーマーケットでまとめて安売りしているようなボックスとは違う録音にしていきたいのです。

「ハ長調の和音で死んでいく......」シューベルトの天才を語る

――マエストロは、シューベルトやシューマンのような作曲家からインスピレーションを受けて、新しい作曲に生かしておられますね?

ホリガー: もちろん私は現代曲を多く書いていますが、そのルーツは常に過去の中にあるのです。古い音楽なしには、クリエイティヴなものはできません。

――マエストロにとって、いま改めて浮かび上がってくる、新しいシューベルトの意味は何だと思われますか?

ホリガー: 若い頃に私はピアノの勉強をして、シューベルトを随分と弾いていました。ピアニストとしてコンクールに入賞したこともあるくらいなのですよ。ですから、私にとってシューベルトはもっとも重要な作曲家の一人でもあるのです。15歳から20歳くらいまでは、特にそうでした。

作曲家としての私は、シューマンに近いと思っています。そういう意味では、ドビュッシーとベルクも重要です。

しかしシューベルトは、とても独特な存在といえるでしょう。どこから取り組んでいくべきか、なかなか難しい。シューベルトの精神状態はややわかりにくいところがあるのです。果たして、うつ病だったのか、陽気な人だったのか、よく飲んでよく踊るような人だったのか。

シューベルトは死に至る病にかかりましたが、連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」(1823年作曲)は入院中に書いたものでもあるのです。そのときは精神的にも病的で、ほとんど死ぬくらいの状態だったのです。

5年後にシューベルトは31歳(1828年)で亡くなりますが、26歳(1823年)で病気になったときに、ある意味、すでに全作品はできあがっていた。そして、そのはるか以前、16歳にしてシューベルトは「埋葬曲」を書いていたということも重要なのです。

――「ウィーン・モダン展」(20194月から8月に国立新美術館で開催)で、シューベルトが使っていた眼鏡が展示されているのを見ました。その説明によると、シューベルトは眠るときも眼鏡をかけていたそうですね。起きたらすぐに作曲できるようにと。つまり、シューベルトは何かに追われるように作曲していたということなのでしょうか?

ホリガー: しかし、その一方で、ゆっくり森を散歩したり、友だちとも楽しい時間をたくさん過ごしていましたから、ストレスだけというわけでもなかった。

奇跡のようなことですが、彼は自分の書いたものを、オーケストラが演奏しているのをほとんど聴いたことがなかったのです。にもかかわらず、オーケストレーションは完璧で素晴らしい。スケッチは何も残していないのに。

――驚くべきことですね。

ホリガー: まるでモーツァルトのようですよ。しかも、楽しい陽気な人物でもあったのに、死ぬほど悲しい曲も書いている。彼の精神は一体どんなものだったのか? おそらくその両極があったのでしょう。

――シューベルトの音楽は、あまりにも魅惑的な旋律が多くて、まるで花園のようで、永遠にそこで花を摘んでいたくなりますが、そこには冷たい小川が流れていて、案外深くて流れも速く、まるで、深淵に吸い込まれてしまいそうな気持ちになるのですが……

ホリガー: なるほど。私が思うに、シューベルトで大事なのは、確かに旋律は素晴らしいが、それはメインではないということなのです。特に、大規模な交響曲やソナタでは、いつも同じ、ひとつの舞台の登場人物のように、暗い光が当たったり、明るい光が当たったり、ちらちらするような光が当たったり、でも、旋律は一緒だという点が重要なのです。

たとえば(ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D9601楽章の冒頭を歌い出す。のどかな第1主題が不気味なトリルで中断し、転調しながら旋律が戻ってくるところを強調して歌いながら)、このように、同じ旋律を奏でながらも、まったく違う雰囲気、まったく違う世界へと変わっていきます。

それは照明の当たり方が変わるということであり……それがシューベルトの凄いところなのです。交響曲でもそれはまったく同じことです。これほど完璧な音楽を、私は知りません。

あのハ長調交響曲の中で、それぞれの楽章の鼓動(ビート)が関わり合っていることにお気づきですか?(第1楽章冒頭の旋律と、第2楽章の主題を続けて歌う)これらは、鏡に映したような関係にあるのです。まるでバッハのインヴェンションのようですよ。

――では、おうかがいしたいのですが、今回の録音で、第4楽章のコーダの最後の和音は、不思議に弱まっていくような終わり方をしていますね。あれは一体何なのですか?

ホリガー: それはシューベルトのゆっくりとしたアクセントなのです。(歌ってみせる)それは、死ぬときのような感じです。

――ええ? 死ぬときのような感じなのですか? ハ長調で終わるのに。

ホリガー: (同じ部分を醜く大げさに強調するように終わるように歌って、「ブラボー」と滑稽に拍手してみせて、微笑する)こうではないのですよ。

――ハ長調で解決するのに……死ぬんですか?

ホリガー: そういう風に書いているんです、シューベルトは。ああ……アーノンクールもそういう解釈で演奏していますよ。

――それは私も言おうと思っていました! ベルリン・フィルとの録音ですね。衰えていくように終わっていくところが同じですね。

交響曲第5番、第1番、『フィエラブラス』序曲
ハインツ・ホリガー(指揮)バーゼル室内管弦楽団(ソニークラシカル)
シューベルト:交響曲第4番&第6番、イタリア風序曲
ハインツ・ホリガー(指揮)バーゼル室内管弦楽団(ソニークラシカル)
ホリガーのシューベルト全集は、すでに発売された3枚に続いて、2020年秋発売予定の第4弾、2021年発売予定の第5弾で完結となる。

マエストロ・ホリガーによる「ブラームスとクララ・シューマン」考

――ところでマエストロ、シューマンについて、どうしてもうかがいたいことがあるんです。ECMにレコーディングした「ロマンサンドル」という作品のなかで、ブラームスとクララ・シューマンが、ロベルト・シューマンの大切な遺作を焼いたことに対する怒りをあなたは表明していらっしゃる……

ホリガー: あれはブラームスのせいなのです。クララに対してそうしろと彼が言ったのですから。それどころかブラームスは、クララとロベルト・シューマンとのあいだで交わされた、若い頃の手紙を全部焼き払おうとさえしている……

灰の音楽~シューマン&ホリガー:室内楽作品集

――マエストロがそうおっしゃるのであれば、聞かずにはおれません。あまりいい質問ではないかもしれませんが、ブラームスとクララとのあいだには、やはり性的な関係があったのでしょうか?

ホリガー: それはないと思います。シューマンにはホモセクシャルな傾向もあったし、ブラームスもそうだったかもしれません。クララとのカタストロフ(破局)のあと、ブラームスは髭を生やし始めました。クララはいつも黒づくめの服を着て、ブラームスよりも20歳くらい年上に見えるようにしていて、いつもブラームスには「Du(親愛な間柄の二人称)」ではなく「Sie(距離を置いて呼びかける一般的な二人称)」で話していたのです。

ブラームスにとっては、シューマンが「ブラームスこそが音楽の新しい救世主だ」と書いて世間に紹介したことに、内心では負担を感じていたのだと思います。両者は、18539月から翌年の2月までの間柄でしたから、その後のブラームスはまだ20歳過ぎで、とてもクララに頼っていました。ブラームスは非常に恥ずかしがり屋で、病床のシューマンは「いま楽譜がない。作曲するための五線紙が必要なのだ」と言ったのに、半年以上かかってそれを届けたのですよ。

失われた「チェロのためのロマンス」は、ヨーゼフ・ヨヒアム(ロベルト、クララ、ブラームスと親交が深かった、当時の大ヴァイオリニスト)が「天上のような音楽だ」と述べたものです。神秘的なイ長調で、素晴らしいものだったといいます。それをシューマンはブライトコップ社で出版したいと考え、それを託されたブラームスは写譜屋に渡さなければいけなかったのに、それをしなかった。

シューマンら「病んだ精神」へのシンパシー

――シューマンが入っていたエンデニヒの精神病院は、実際どんな施設だったのですか。

ホリガー: 素人以下の医者がやっていたところですよ。お金持ちだけを入院させて、そこからは誰も治って退院できた人などいない。そういうひどいところだった。

――つまり、シューマンはまだまだ作曲できるはずだったのに、その可能性を摘み取られたということですか。

ホリガー: ええ。2年後に亡くなったのは、飲んだものに毒が入っていたからだと思います。

――そこまでしてシューマンにこだわるのはなぜですか。マエストロはフリードリヒ・ヘルダーリン(1770-1843 ドイツの詩人・思想家)にもこだわっておられますね。ヘルダーリンの詩による《スカルダネッリ・ツィクルス》(2017525日、東京オペラシティ・コンサートホールで初演)もそうでしたが、病んだ精神にとても惹かれておられる。

ホリガー: ええ。影響を受けた芸術家として、ニコラウス・レーナウ(1802-50 オーストリアの詩人)、ロベルト・ヴァルザー(1878-1956 スイスのドイツ語作家。ホリガーのオペラ《白雪姫》の原作者でもある)も挙げておきましょう。私がヴァイオリン協奏曲でオマージュを捧げたルイ・ステール(1871-1941 スイスの画家)もそうです。彼は晩年に、精神病院ではありませんが、老人ホームに入れられて、そこで4000枚も絵を描いた人です。……彼らは、とても私と近いと感じるのです。

ホリガー作曲《スカルダネッリ・チクルス》(2013年アンサンブル・アンテルコンタンポラン)
ヘルダーリンの詩との関連について語る様子と演奏の模様。スカルダネッリはヘルダーリンのペンネーム。

神秘の作曲家ゼレンカについて

――マエストロは、オーボエ奏者としては、たとえばバッハやテレマンやゼレンカのようなバロック作品ですと透徹した端正な演奏をなさるのに、作曲家としては鳥肌が立つような狂気や幻想の世界に近づいていかれる…。そういう極端なところが、今挙げられたような破滅型の芸術家たちと通じているのでしょうか。

ホリガー: (微笑して)おお、ヤン・ディスマス・ゼレンカ(1679-1745)のことはぜひ話しておきたいですね。彼は私のような作曲家にとっては、もっとも重要な存在です。このボヘミア人作曲家には非常に影響を受けました。ゼレンカはヘブライのカバラ神秘思想に詳しかったし、ギリシャ語も話せたし、ほとんどシューマンかアルバン・ベルクを思わせるような、秘められたアルファベットの並びを彼の楽譜から読み取ることもできるのですよ。

ゼレンカの出生名はヤン・ルカス・ゼレンカでしたが、やがてヤン・ディスマス・ゼレンカという名前を名乗るようになった。そのディスマスというのはキリストが磔刑になったときに一緒に十字架に架けられた犯罪者の一人の名前なのです。つまりゼレンカは自分自身のことを、とても罪深い人間だと思っていた。だからディスマスという名前にしたのでしょう。実に興味深いことです。

――そこまでおっしゃるからには、ゼレンカはヨハン・セバスティアン・バッハに匹敵するバロック時代の重要な作曲家だと?

ホリガー: もちろんですとも。1832年に刊行されたフリードリヒ・ロホリッツによる音楽事典には、「偉大なバッハと同じ冠を天上でかぶっている人物」だと書かれているくらいです。

ゼレンカ:トリオ・ソナタ第1番-第6番

コンサートは、人間のもっとも深いところにある真の音楽を体験する場

――最後にマエストロから、若い人たちに向けて、より良い音楽家になるためのアドバイスの言葉をいただけますか? 

ホリガー: どんな人でも、赤ちゃんとして生まれたばかりのときには、素晴らしい音楽性を持っているものです。いい耳を持っているからこそ、たとえば中国語のような複雑なイントネーションの言語だって話せるようになるのでしょう。

残念なのはその後です。ヘッドフォンで聴く重低音ばかりの時計のようなビート(ボン、ボン、ボン、ボン、と醜く誇張して歌ってみせる)が、人間が本来せっかく持っているはずの音楽性に、損害を与えていると思うのです。

心臓の鼓動をちゃんと聞いたことがありますか? デジタルとは全然違いますよ。トゥクトゥルル、トゥクトゥルル(と不規則なリズムを軽く口ずさむ)。クリスタルだって花だって、シンメトリカルではないですよね。蝶々だって決して左右対称ではない。星と星の距離もさまざまです。それを同じように、限ってしまうというのが良くない。自然界のすべてのものは、均一ではないのです。

若い人たちには、音楽が、もっともっと、言葉よりも遠くに行けるものであり、精神的なものであり、言葉の奥にあるものだということを、知ってほしい。

人間の細胞にとって、音楽ほど、エモーショナルな部分に直接働きかけ、反応させてくれるものはありません。私たちの身体は、サウンドを鏡のように反映するものなのです。それを残念ながら現代人は失いつつあるような気がします。

音楽的な時間とは、必ずしも直線的なものではありません。たとえばアントン・ヴェーベルンの作品を聴いてみてごらんなさい。40秒くらいの短い曲でも、それは1年分くらいの意味だって持ちうるものなのです。日本の伝統文化、たとえば俳句や能のようなものは、15秒であってもそこに永遠を込めることだってできますよね。それは音楽にとても近い芸術と言えるでしょう。

コンサートとは、美しい服を着飾っていくようなお金持ちだけのためのものではありません。人間のもっとも深いところにある真の音楽を体験する場なのです。

取材を終えて

忘れもしない、ホリガーの演奏に初めて衝撃を受けたのは、高校生のころ、FM放送から流れてきたテレマンの「オーボエ協奏曲ホ短調TWV51:e1」だった。

 

あまりに気に入ったので、当時ロックバンドをやっていたような友人たちにも聴かせてみると、一様に「これはすごい」とみんな気に入ってくれたのを思い出す。

 

ホリガーの鋭く冴えた、透徹したオーボエの音色は、音楽好きであれば、聴き手を選ばず、耳からダイレクトに精神を覚醒させてくれるようなところがあった。

 

ホリガーはとても多面的な芸術家である。まずオーボエ奏者として無比の存在として知られるようになったが、指揮者としても作曲家としてもピアニストとしても、文学をはじめとするさまざまな芸術にも通じている点においても、途方もないスケールを持つ人なのだ。

 

作曲家の細川俊夫さんから、師であるホリガーの厳しい創作態度についての話をうかがっていたから、どれほど難しい人なのかと思っていたが、実際にお会いしてみると、笑顔とユーモアを絶やさず、少しも老成したようなそぶりを見せずに、あふれんばかりの情熱をもって話をされる方で、その人柄にはすっかり魅了されてしまった。

 

想像してみてほしい。すべての管楽器奏者の中でも別格とも言える、あのホリガーが、目の前で、口で歌ってみせるのだ、何度も! 音楽とはこういうものなんだよ、と誰にでもわかりやすく伝えようとする、そのていねいさ、相手を分け隔てしない優しさ。

 

しかし、その穏和なホリガーが、作曲家としては、「ロマンサンドル」や「スカルダネッリ・ツィクルス」のように、あれほど人間精神の暗部と狂気に直接メスを入れるような、謎めいた、容赦ない音を書いているのだ。

 

演奏も作曲もすべて含めて、ホリガーの音楽世界はあまりにも広大で魅力的である。

 

――林田直樹

ハインツ・ホリガー(オーボエ)イオナ・ブラウン指揮アカデミー室内管弦楽団/テレマン:オーボエ協奏曲集

ハインツ・ホリガー×バーゼル室内管弦楽団
シューベルト全集(全5枚)

Vol.1

劇付随音楽「魔法の竪琴」序曲D644
交響曲第8(9)番 ハ長調D944「ザ・グレイト」

Vol.2

歌劇「フィエラブラス」D796:序曲
交響曲第5番 変ロ長調D485
交響曲第1番 ニ長調D82

Vol.3

イタリア風序曲 D590
交響曲第6番 ハ長調 D589
交響曲第4番 ハ短調 D417「悲劇的」

Vol.4(2020年秋発売予定)

交響曲第2番 変ロ長調D125
交響曲第3番 ニ長調 D200
歌劇「アルフォンソとエストレッラ」 D732:序曲
歌劇「悪魔の別荘」 D84:序曲

Vol. 5(2021年発売予定)

交響曲第7番 ロ短調 D759「未完成」
アンダンテ ロ短調 D936a*[1828年晩秋に作曲された音楽素材をもとに/ロラント・モーザー編(1982年)]
6つのドイツ舞曲 D820[ヴェーベルン編]
木管九重奏曲 変ホ長調 D79 「小葬送曲」
ロラント・モーザー(b.1943):シューベルトの「小葬送曲」に寄せる「エコラウム」[世界初録音]

※インタビュー中にあるホリガー自作の「シューベルトの『小葬送曲』に寄せる作品(作品名未定)」は作品完成が間に合わず未収録。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ