インタビュー
2022.10.06
ドラマチックにする音楽 No.15

映画『百花』の網守将平に聞く、デジタル時代だからこそ時間をかけて触れてほしい作品とは

映画やドラマをよりドラマチックにしている音楽を紹介する連載。第15回は、2022年9月9日より公開している映画『百花』。これまで現代音楽や電子音楽を手がけてきた網守将平さんが音楽を手掛け、クラシック音楽を壊して再構築するという特殊な創作や、通常の映画音楽とは違う手法で制作を行うなど、実験的な姿勢を見せている。
その背景にあるのは、「時間をかけて作品を観て、聴いてほしい」という思い。制作の裏側や、その思いの意図についてインタビューした。

桒田萌
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オウ...

Ⓒ2022「百花」製作委員会

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網守将平(あみもり・しょうへい)

音楽家、作曲家。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。同大学院音楽研究科修士課程修了。学生時代より、クラシックや現代音楽の作曲家/アレンジャーとして活動を開始し、室内楽からオーケストラまで多くの作品を発表。 2010年以降は電子音楽やサウンドアートの領域においても活動を開始し、美術館やギャラリーでのライブパフォーマンス、映像作品への楽曲提供、マルチチャンネルによるサウンドインスタレーション作品などを発表。 近年はポップミュージックを含めて総合的な活動を展開し、大貫妙子、原田知世、DAOKOなど多くのアーティストの作編曲に携わる。NHKドラマ『17歳の帝国』やNHK Eテレ『ムジカ・ピッコリーノ』など、テレビ番組やCMの音楽制作も多数手掛ける。

クラシックの名曲を壊して再構築する

——映画『百花』、とても上質な映像体験でした。映像と音楽が緻密に一体になっている印象を受けましたが、川村元気監督からはどんなオーダーがあったのでしょうか。

網守:主に2つあって、「劇伴をなくしたい」、そして「登場するクラシック音楽の全曲を、『破壊』と『再構築』して作ってほしい」でした。

『百花』には、認知症の人が見ている世界として、記憶なのか現実なのかわからないようなシーンがいくつか出てきます。そういったシーンに当てるものとして「劇伴ではない音楽」というコンセプトを提示されました。

監督の意図は、「映画内で鳴っている音楽が、気がつくと劇伴に変容していく」といったもので、それが「いわゆる劇伴ではない」というものでした。またこの作品はほとんどのシーンが、1つのシーンを1回のカットで撮る「ワンシーンワンカット」なので、単にシーンを補完するような方向で作曲すると、逆にシーンに絡め取られ無効化してしまう。

それを避けるためには、シーンや登場人物に同一化した代替の効かない音楽を書く必要がありました。言ってみれば、登場人物の感情に寄り添う音楽ではなく、人物の状態そのもの。いわば実存としての音楽。そういう意味でも「劇伴ではない」んです。

網守:そもそも、他の映画音楽と制作方法も少し違いました。通常ならば、すでに撮影・編集されたシーンに合わせて音楽を作る「フィルムスコアリング」が一般的。しかし『百花』はストーリーや登場人物の設定に音楽がそもそも前提として存在していたので、「音楽がなければ脚本が完成しない」など特殊なプロセスが多く……。撮影で原田美枝子さんが演奏するための素材も直前で用意するなど、通常の「フィルムスコアリング」の前段階で多くの作業がありました。

——かなり特殊な制作方法だったのですね。もう一つのお題である「クラシック音楽を壊す」にはどうやって応えたのでしょうか。

網守:劇中では、シューマンの《トロイメライ》、ペツォールトの《メヌエット》、バッハの《プレリュード》をライトモチーフ的に使っています。トロイメライは葛西百合子(原田美枝子)、メヌエットは子供のころの葛西泉(菅田将暉)、プレリュードは神戸での百合子と浅葉(永瀬正敏)という形でそれぞれ密接に関わっています。

これらの音楽をリミックスやアレンジをするという意味でなく、いわば換骨奪胎・再構築する形で新たに音楽を作ってほしい……というのが川村さんからのオーダーでした。認知症である百合子の見ている世界の時間の流れを、そのままリプレゼンテーションするような音楽が求められていたわけです。

——確かに音楽を聴いていても、最初はただオリジナルのクラシック作品を聴いているつもりだったのが、だんだん「これはミスタッチなのか、それとも認知症の人間に聴こえる不協の音楽なのか……」と混乱してしまう音楽が多くありました。そう思わせるための工夫を施されていたわけですね。

網守:換骨奪胎・再構築」に関しては、大きく分けて3パターンの手法を設定しました。

1つ目は、意図的なミスタッチで劇中演奏と劇伴の連続性を作ること。映画冒頭に流れる《トロイメライ》を素材とした『Dislocation』と、《プレリュード》を素材とした『Disaster』では、いかにも下手な演奏やミスタッチを人工的に作りました。

網守:2つ目は、ストーリーや脚本の流れに沿わせながら、音楽を再構築する手法です。《プレリュード》を素材とした『Kobe』、《メヌエット》を素材とした『Cloudy Memory』、《トロイメライ》を素材とした『Recollection』は、オリジナルのメロディを徐々に壊しつつ、ワンシーン内の微細な変化に忠実に沿って曲の構成を作るやり方です。

網守:3つ目は、映像の編集に沿わせながら作る手法です。《メヌエット》を素材とした『Corridor』、そして《プレリュード》を素材とした『Disaster』が特にそうでした。編集のタイミングに合わせて、特定の音型やフレーズをループさせています。

網守:ループを作る作業は、孤独な戦いでもありました。というのも、原曲の特定のフレーズのループを成立させたい場合、ループの開始に向けて、他のフレーズも徐々に壊していく必要があります。そのためにフレーズの音程関係や上行/下行などの動きを細かく考慮してつなぎ合わせていくのですが、これは楽典や対位法を体得していなければできないこと。他のスタッフに相談するわけにもいかず、一人でかなり苦労しました。

——リテイクにも時間がかかったのではないですか。

網守:曲の音楽性に対するリテイクは少なかったのですが、編集の段階で微調整の作業は山のようにありました。フレーズ開始のタイミングや複数の音色のグラデーションをコンマ秒単位で調整するなど、針に糸を通すような作業ばかりでしたね。

特に、『Recollection』。これはクライマックスのシーンで流れる楽曲ですが、シーンの編集がとにかく何度もアップデートされるのでその度に調整する必要がありました。要望の内容も逐一変わるので、そこに対応するのも大変でした。

結果的に満足のいくものになりましたが、作りながら「この作業が終わる時は来るのだろうか」「音楽として良くなるのだろうか」と心配になるくらいで(笑)。最終的にはクライマックスにもかかわらず、かなり抑制の効いた音楽になり、それが結果的に劇伴としても成功したと思います。

葛西泉(菅田将暉)と葛西百合子(原田美枝子)が花火を見る様子
Ⓒ2022「百花」製作委員会

引き算で抑制された音楽。イメージはポスト・クラシカル

——6曲目に限らず、音楽全体に抑制的な印象を持ちました。あえて山場を迎えないような、感情に蓋をしているような……。

網守:『Recollection』は、脚本完成前にベーシックが必要だった曲というのもあって、元々はかなり情報量の多いものだったのですが、編集が変わるたびに音楽を引き算していきました。ドラマチックな要素を少しずつ削ぎ落として、エモーショナルな要素を引き立てたイメージです。

他の曲も苦戦しました。やはり「ワンシーンワンカット」という手法で撮影されているため、音楽もワンシーンの中で起こる微細な変化を拾って解像度を高めて、神経を研ぎ澄ますように作る必要がありました。一つの音が違えば、すぐに映像も壊れてしまう……そんな緊張感がありました。

——全曲ともピアノの音が使用されていましたね。しかしただアコースティックな音だけでなく、無機質なものや少しリバーブのかかったぼんやりした音まで、聴き手を困惑させるようなサウンドだったのも印象的でした。

網守:そもそも百合子がピアノの先生なので、ピアノ中心になることは最初から決まっていました。音色のグラデーションが非常に細かく、生音と打ち込みの音を混ぜていたり、ここぞという部分であえて打ち込みだけを使っていたりします。ピアノの余韻だけをシンセで作っていたりとか。

認知症を患った葛西百合子(原田美枝子)
Ⓒ2022「百花」製作委員会

——抑制的な音楽やピアノの特殊な響きなど、川村監督とイメージを擦り合わせる上で、他の映画作品や音楽などインスピレーションやヒントはあったのでしょうか?

網守:北欧のポスト・クラシカル周辺の音楽は、最初からお互いキーワードとして挙がっていました。ヨハン・ヨハンソンあたりが有名ですよね。

——確かに、アコースティックと電子的な音が混じり合うポスト・クラシカルの独特な響きと『百花』は、すごくマッチしていますね。

網守:僕自身も北欧のポスト・クラシカルから影響を受けているため、音色作りについては阿吽の呼吸で進められました。ストリングスも使っていますが、人の記憶や感情のヒリヒリとした繊細さに寄せたサウンドにするため、ヴァイオリンをゼロにしてヴィオラを大量に導入しました。少し土臭くしたかったというか。この方法もまた北欧の音楽の影響かもしれません。

時間をかけて触れるからこそ伝えられる作品を

——網守さんは、映画・ドラマなどの音楽の他にも、現代音楽や電子音楽など自作品も多く残されてきていますよね。こうしたいわゆる「クライアントワーク」と自作品、双方にアプローチやスタンスなどの違いはあるのでしょうか?

 

網守:発生しているとは思いますが、そのあり方といかに向き合うのかが、アーティストとしての裁量でもあるのだと思います。明確に「違いがある/ない」とはっきり言えませんね。

ただ、今回については、クライアントワークでありながらも、自分のいいと思うものを落とし込めたことがすごく良い経験だったと思っています。本来ならせめぎ合うはずのものが、自分もスタッフさんも含めて「いい」と思うものができた。すごく不思議な体験でしたね。

——つまり網守さんの本来の音楽性が発揮されたということだと思いますが、そもそもどうして川村監督は網守さんにオファーしたのだと思われますか?

網守:本当に、よく僕を見つけていただいたなと思っています。少しでも気になった人がいれば、その人がどんな活動をしているのか、どんなものを作っているのか、もしくは作れる可能性があるのかを、貴重な時間を割いてチェックされているのかと思います。

加えて川村さんは、「スマホ片手に映画を観る時代になったからこそ、映画館で観るのにふさわしい作品が作りたかった」と話していて。スマホやインターネットと常につながっている鑑賞環境に無自覚に陥ってしまう、そんな状況への問題意識もお持ちだと思います。それもまた僕を起用してくれた理由かなと。

——過去に網守さんも、現代の音楽の聴き方について問題提起されていたことがありました。おふたりの理想とする「観る」「聴く」姿勢に、何か通じるものがあったということでしょうか。

網守:いろんな意味で通じていると思います。つまるところ、「みんなちゃんと作品を観ようよ、音楽を聴こうよ」という至極単純な話ですが。

昨今、多くの人がスマホに張り付いてる中で、即効性と中毒性のある尺の短い音楽が溢れています。TikTokなどのSNSではそういう曲が早回しされ自動リピートされ……。世界中で可処分時間の奪い合いが行われているわけです。その中で、音楽は一瞬で消費されています。本質的に「聴かれている」かどうかもわからないレベルで。

それを否定する気はありませんし、「豊かではない」とも思いません。そういう状況だからこそ可能性を秘めた音楽も生まれています。その一方で、時間をかけて作られた映画や音楽は時間をかけて体験しないと得られない豊かさがある。そういう側面も守っていかなくてはいけないなと思うんです。

葛西泉(菅田将暉)は、認知症を患った母との関係についてもがいている
Ⓒ2022「百花」製作委員会

——確かに『百花』の映像や音楽は、いわゆる「キャッチー」なものとは相反するのかもしれません。

網守:僕自身、これまで「おもしろい音楽を作る人」みたいに捉えられてきた側面があるんですよね。それはおもちゃ箱をひっくり返すようなサウンドを作ったり、急に歌い出したり、時折そういった作風もあるので、それがキャッチーに聴こえるのだと思います。でも、それは「聴く」ことに関して言えば一過性の出来事でしかなくて、自分にとっては曲全体を体験してもらうことが本望です。

おもしろいサウンドの曲であろうがなかろうが、僕はメロディを作り込むタイプです。メロディって時間芸術であって、スタティックなものやドラマチックなものまで表現できるし、それこそ長いスパンで考えれば聴き手の人生を変えてしまう力だってある。でもそれは、時間をかけて最初から最後まで聴かなければわからないですよね。

網守:いわゆる「おもしろい音楽」って、言ってみれば点描的なんです。点描的だから、一瞬で消えてなくなる。いくら時間芸術としてメロディを紡いでも、そこにおもしろい音が散りばめられているとリスナーにきちんと届かなかったりする。点が線にならない。この問題はバランスが難しく、バランス自体が時代によって変容するのでそこもまた難しいのですが。

でも川村さんは、僕のおもちゃ箱をひっくり返してきた一面を知りつつ、時間をかけて聴く必要があるようなメロディにも気づいてくれたからこそ、オファーしてくれたんだと思います。川村さん自身、娯楽作品なども手がけられてきた中で、おもちゃ箱をひっくり返したことだってあるはず。一方で『百花』は、映画館という場を前提とした時間芸術としての体験をもたらす作品です。そういうアンビバレンスな部分は、自分も近いところだなと感じます。

映画館で時間をかけて作品に触れてこそ得られる感動がある」という考えを形にするべく、ロジカルに手法を練って作られたのが『百花』です。撮影手法でいうと「ワンシーンワンカット」、劇伴の手法でいうとクラシックの名曲の破壊と再構築、など。自分も制作サイドの人間で我ながらにはなりますが、讃えられるべき創作態度かと思います。何年もかけて、ゆっくり評価されていく作品になっていればよいなと思います。

映画情報
『百花』

出演:菅田将暉  原田美枝子
長澤まさみ / 北村有起哉 岡山天音 河合優実 
長塚圭史 板谷由夏 神野三鈴 / 永瀬正敏
監督:川村元気
脚本:平瀬謙太朗、川村元気
音楽:網守将平
原作:川村元気「百花」(文春文庫刊)
主題歌:KOE「Hello, I am KOE」(ユニバーサルミュージック/EMI Records)
制作プロダクション:AOI Pro.
配給:東宝
海外配給:ギャガ

桒田萌
桒田萌 音楽ライター

1997年大阪生まれの編集者/ライター。夕陽丘高校音楽科ピアノ専攻、京都市立芸術大学音楽学専攻を卒業。在学中にクラシック音楽ジャンルで取材・執筆を開始。現在は企業オウ...

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