バンドネオン奏者・三浦一馬——ピアソラへのリスペクトを胸に、発展させる挑戦者
若手演奏家のトップランナーの一角を担うバンドネオン奏者・三浦一馬さん。彼が2017年に結成した室内オーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」の活動は、アストル・ピアソラ亡きあと、いまの音楽家たちがピアソラをどう演奏するかというテーマに対する、おそらく最大規模の挑戦である。ピアソラ生誕100年の今年、新アルバム『ブエノスアイレス午前零時』リリースや、「東京グランド・ソロイスツ」のツアーと活躍する三浦さんに、改めてバンドネオンという楽器、そしてピアソラの魅力についてうかがった。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
危険な香りがする相棒・バンドネオンとの出会い
——バンドネオンという楽器は、やはり本物を目の前にすると、特別な雰囲気を感じますね。魔法の箱みたいです。両側のボタンは合理性なく並んでいるそうですね。
三浦 ええ。この楽器は1938年製なんですが、進化の途中で途絶えたみたいな形をしているなと思います。もっと直すところがあるんじゃないかと感じるし、実際弾きにくいことも多いんです。
——「進化の途中で止まった」というのは面白い言い方です。
三浦 そことともに生きざるを得ない宿命のようなものを抱えていますよね。
——この不合理なボタンの並びを自分の身体にインプットするのは、PCのキーボードを覚えてブラインドタッチできるようになるのと同じ感覚ですか。
三浦 そうですね。でも同じボタンでも、蛇腹の押し引きで音が変わるんですよ。すべてが指の届く範囲に収まっているので、どんなに五線でいうところの縦が離れていても、いっぺんに押さえられるとか、ボタン同士が近いから素早い動きが得意なんだとか、よく言われますが、だからといって簡単かというと、そうでもないです。
——いつも機嫌よくしてくれるんですか?
三浦 悪いことも多いですね。そこを何とかねじ伏せるんですよ。結構、じゃじゃ馬なところがありますが、それも含めて「相棒」だと思っていますから。相棒の今日の機嫌みたいなことも含めて、弾いているわけで、そこには何かしら人間らしさがあります。無機質な感じは全然しないです。
真偽は定かではないですけど、バンドネオンはもともと19世紀のドイツに生まれた携帯パイプオルガンとして、教会の儀式で弾かれていたことがあったと言われています。ブエノスアイレスに渡ったらナイトクラブ、キャバレーみたいなところで弾かれて、教会からの落差がすごいですよね。でも、そこが非常にマッチしたという……。
——三浦さんは10歳のときにバンドネオンを志すようになり、小松亮太さんのところに行って勉強されたということですけど、どうして小学生のときからバンドネオンをやりたいと思ったのですか。
三浦 もともとはテレビがきっかけでした。NHKの『N響アワー』で、池辺晋一郎先生と檀ふみさんが司会をしていたころ、ピアソラを取り上げる回があり、それをたまたま見ていたんですよね。ちょうど2000年でした。
食い入るようにテレビを観て、放送を終わった直後に、録画したVHSテープを巻き戻し、最初から観て、翌日から毎日観て、だんだんこれは弾いてみたいとなってきました。でも、最初に惹かれたのは、見たことのない箱が伸び縮みをして、なんだか大人びた音楽をやってるなあと。それは決して難解、不可解ではなくて、どこか自分が憧れをもてる対象だった。
楽器の見た目も、すごく興味をそそられる形だった。アンティークというか、骨董品屋の店先にあるような趣で、写真機みたいな雰囲気すら感じて。もともとメカ大好き少年で、工具箱が宝物で、中に入っているドライバー、ペンチ、スパナ、いろんなもので家の物を分解してみないことには気が済まなかった。そんなメカ好きの心もくすぐったのですね。
——ピアノとか他の楽器だと、業者の方にメンテナンスをお願いするじゃないですか。でもバンドネオンは自分で直す?
三浦 そうですね。だいたいのことを自分でやっていますし、メカの知識がないとちょっと厳しいですね、これは。逆にいうと、僕はメカ好きなので、奏者の中では楽器の内部には精通している方だと思っています。本番中に楽器がおかしくなったときでも、休憩時間中になんとかできる自信はあります。修理道具はいつも持ち歩いています。
——大人びた世界、というのはポイントだと思います。きれいな世界ではなく、人生の裏とかそういう香りがしたということですか。
三浦 大人からはだめだよと言われるようなことほど、子どもはやりたくなりますよね。そういう危険な香りのようなものすら漂うような音楽性を感じます。
編曲も手掛けた新作は、ピアソラが愛したキンテートの発展形
——今回の新譜を聴きました。室内オーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」は、シンフォニック・タンゴと言っていいくらい、厚みと深さを感じますね。この刺激は面白いです。三浦さんはアレンジもされていますね?
三浦 いや、わかっていただけてうれしい(笑)。確かにピアソラとキンテート(スペイン語で五重奏/五重奏団。バンドネオン、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、コントラバスの編成)というのは、いわば等式みたいなものです。ようやくピアソラがたどり着いた境地、唯一無二の編成ということを思って、僕もだいぶキンテートで弾いてきました。
でも、僕のフィルターを通した、頭にずっと鳴り響いていたサウンド。これをもっとやりたいという思いは、実はずっとあったんです。東京グランド・ソロイスツ(以下、TGS)の立ち上げは2017年だったのですが、その5、6年前から、原型となるようなサウンドでのコンサートをやっている間に、弦のサウンドとバンドネオンは溶け合うなと。心地よさ、マッチする感覚はずっと感じていました。
一言でいえば、TGSはキンテートの発展形という位置づけなんです。その証拠に、小さなオケですけど、各セクションに入っていただいていて、首席を形作るのがいつものキンテートに入っていただいている方々なんです(石田泰尚=ヴァイオリン、黒木岩寿=コントラバス、髙橋洋太=コントラバス、山田武彦=ピアノ、石川智=パーカッション、大坪純平=ギター)。先ほどシンフォニックと言っていただいたのがうれしかったし、自分の中でも一周回って腑に落ちたし、やっぱり目指すところは小さなオーケストラのサウンドなんです。
三浦一馬 presents 東京グランド・ソロイスツ『ブエノスアイレス午前零時“Buenos Aires Hora Cero”』
三浦 バンドネオンは蛇腹楽器と言われたりしますけど、中には金属リードが入っていますし、管楽器的な響きがする。弦楽器に、管を受けもつバンドネオンがいて、打楽器とピアノがあり、ギターはハープの代わりのような。これは絶対にまとまらないわけがないと。それはオーケストラの響きが頭のどこかにあったからなんです。
ピアソラの本家本元の演奏は揺るぎないものです。でも、ピアソラ・ブームを経て生まれてきたクラシックの解釈も大事なものだし、その両方を掛け合わせたいと思ってできたのがこの編成です。
——TGSのために、三浦さんはオーケストラ用の編曲も手掛けておられますよね?
三浦 一番大切なのは、ピアソラの真髄をなくしちゃいけないということです。ライトミュージックみたいなものにしてはいけないし、パレットの上にいろんな色があって、混ぜ方ひとつでどんな色にもできるように、楽器をどう組み合わせていくかには気を使います。ピアソラやタンゴよりは、クラシックのサウンドのイメージがありました。これだけ弦が中心ですから。弦のオーケストレーションが一番難しい。あとはソロイスツなので、みんながソリストになれるようなことも考えています。
迷いながらも決めていって、パート譜を作ってお送りするというところまでが、アレンジャーとしての僕の仕事です。毎年夏に定期演奏会をやっているんですが、その前の3、4か月はずっと譜面を日夜書いているんです。TGSは5年目になりますが、レパートリーも5、60あるんじゃないでしょうか。
——自分のバンドネオンのことだけでなく、全部のパートに精通しておられるわけですが、そこで鳴っている音すべてを知っているというのは、ソリストとして強いですね。
三浦 ピアソラの曲って、どれを聴いてもすぐにピアソラだとわかるのがすごいところで、この感じはピアソラだよねというのがある。悪く言ってしまえば“パターン”なのですが、それだけ「ピアソラ」という看板があるわけで、そういうところは絶対になくしてはいけないです。
バンドネオンを弾く人でピアソラに影響を受けていない人がいるんでしょうか?
——ちなみに、三浦さんが勧めるピアソラの名作は?
三浦 アルバムということで言わせていただくと、みなさんおっしゃいますけど『タンゴ:ゼロ・アワー』は、僕にとってもバイブルですし、どの曲をとってもピアソラの生涯で最も素晴らしい作品の一つだと思います。
ピアソラが晩年の1986年、最後の五重奏団となったキンテート・ヌエボ・タンゴで録音した作品。
僕には恐れ多くて弾けないのが「天使」シリーズなんです。「天使の復活」は別格すぎて、技術じゃなくて、壮大過ぎるストーリーと、起承転結。あれを弾くには、技術よりももっと別次元のものが必要な気がして、手が出せないんです。特にモントリオールでの演奏は素晴らしい。何百回も聴きましたが、自分で弾いたことはないです。
ピアソラ・キンテート「天使の復活」モントリオール・ジャズフェスティバルでのライブ録音
自分の演奏で、今回のCDに入っている曲では、「ブエノスアイレス午前零時」がおすすめです。昔は不気味でかなりアヴァンギャルドな印象がありました。同じ曲でも、83年にブエノスアイレスのコロン劇場でコンサートをやったときの別バージョンの「ブエノスアイレス」はさらにモダンになって、編曲としても壮大なものになり、出だしがコントラバスとピアノの低いオスティナートの不気味なところに始まり、またそこに戻っていく。唐突なたとえですが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の始まりと終わりを思わせます。ピアソラのコロン劇場のライブも気に入っていますし、我々の演奏も気に入っています。
三浦一馬、東京グランド・ソロイスツ「ブエノスアイレス午前零時」
——ピアソラが弾くバンドネオンの演奏スタイルからの影響はありますか?
三浦 逆に、バンドネオンを弾く人で影響を受けていない人がいるんでしょうか? 間の取り方、装飾の仕方、息継ぎの仕方にいたるまで、ピアソラらしさを出さないように演奏するほうが難しいくらいです。
片足を上げて立って弾くというのはピアソラが始めた形ですよね。みんなわかっているんです。座ったままで弾くほうが、合理的だし、体力的にもいいし、あれはかっこだけの話というと怒られるかもしれないけど、かっこいいんですよ。立ったほうが。僕も立って弾くこともあるんですが、アンコールの1曲で限界ですよ。頑張って20分弾いたことはあったかな。
ピアソラが立ちっぱなしで弾いたのは、信じられないくらいですね。いくらアルゼンチンの人で、肉を多く食べていても、そういうことじゃない。パワフルな、アグレッシヴな演奏です。だから、インタヴューで本人も言っているのは、演奏は本当に体力勝負で、1回の演奏で5キロ10キロ減ることもあると……。
——ピアソラの音楽って、どこか自己破壊的なところがあるような気がしませんか。愛にあふれているかもしれないけど、自分自身を傷つけているような。
三浦 なるほどね。確かにそうかもしれない。たしかにあの音楽は、少なくともデリケートというものではなさそうですね。そこに、いかにエネルギーを込めていたか。音楽を聴いても、彼の動きを見てもそうです。
本家本元のピアソラをリスペクトするんだけど、そこだけじゃないよねと思うんです。編曲をするということは、オリジナルに手を加えるということには変わりがないので、ピアソラに怒られないかなと思いながら(笑)。だけど、もし仮にピアソラが健在だったら、こういうアプローチをしたかもしれないなという想像もしながらやっています。
三浦一馬さんに初めてお目にかかったのは、2017年5月のラ・フォル・ジュルネで、OTTAVAの生放送にゲストで出ていただいたときのこと。とてもピュアな情熱が演奏や言葉の端々から感じられて、それ以来ずっと気になる存在だった。久しぶりにお会いして、一回りも二回りも大きな存在感を持つ人になったと思った。
ピアソラの音楽がこれからも未来に向かって生きていくためには、三浦さんのように、次代の演奏家たちの手に理解とリスペクトとともに引き継がれながらも、どう発展させていくかは、大きなカギとなるに違いない。
三浦さんにとっては、ピアソラ生誕100年の今年、TGSのツアーは大きな節目となる。また、NHKの大河ドラマ「青天を衝け」の紀行Iの演奏も担当しているので、その演奏を耳にする機会も多くなる。今後ますます注目度が高まることだろう。
林田直樹
日程・会場:
4月24日(土) 神奈川 ミューザ川崎シンフォニーホール
5月2日(日)りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館
6月6日(日) 鹿児島 霧島国際音楽ホールみやまコンセール
7月3日(土)東京 第一生命ホール
7月4日(日) 兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホール
7月6 日(火) 東京 浜離宮朝日ホール
その他、7月、8月に、三浦一馬を中心とするメンバーでピアソラ・メモリアルの演奏会を東京で開催予定。
出演(★印はキンテートのメンバー):
バンドネオン: 三浦一馬★
ソロ・ヴァイオリン:石田泰尚★ ヴァイオリン:塩田脩/丹羽洋輔/鈴木浩司/桜田悟/ビルマン聡平/奈須田弦/田村昭博ほか ヴィオラ:生野正樹/鈴村大樹/萩谷金太郎
チェロ:西谷牧人/門脇大樹ほか コントラバス:黒木岩寿★/髙橋洋太★ ギター: 大坪純平★
詳細はこちらから
関連する記事
-
石田泰尚と﨑谷直人のヴァイオリン・デュオ「DOS DEL FIDDLES」が抱く...
-
恍惚とした都会の天使に、ピアソラの音楽が寄り添う
-
誰もが聴けばわかる“ピアソラらしさ”とは?原田慶太楼×宮田大×三浦一馬による座談...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly