林田直樹のレジェンドに聞け! 第3回:葉加瀬太郎〈前編〉

「葉加瀬アカデミー」創設は、妻と娘のヴァイオリン練習風景がきっかけに

インタビュー
2018.09.09

音楽を取り巻く世界で伝説的な仕事をしてきた「レジェンド」とONTOMOエディトリアル・アドバイザーの林田直樹が対談! 音楽の世界をどう創っているのか、いい音楽とは、 子どもに何を伝えられるのか、といった次世代への思いを語ります。
第3回は、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さん。2018年4月にWebの学校「葉加瀬アカデミー」をスタートして、ご自身の音楽を動画で伝えている。そこに至るまでの思いをお伺いしました。

林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家
林田直樹
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

妻と娘の練習風景に感化されて練習を再開

林田 葉加瀬さん、以前から「子ども」ということを音楽活動の大事なテーマにしてこられましたよね。どうやって素晴らしい音楽を次の世代に伝えていくかということは、葉加瀬さんにとってすごく大きなことだと思うんです。

2018年の春からWebで「葉加瀬アカデミー」を開始されて、とても話題になっていますね。そこに至った思いを、ぜひうかがってみたかったのです。

葉加瀬 そもそも、僕はヴァイオリン弾きとしては、ひと言で言うと、割とロックンロールな人生を歩んでいると思うんですよね。普通のヴァイオリニストじゃないという自覚はあるし(笑)、でも、高校、大学に入るまでの道のりはそんなにみんなと変わらない、ヴァイオリン小僧だったし、クラシック・オタクだった。

ところが、藝大に入学するために東京に出てきたときから、随分と人生が変わって、大学のころにバンド(クライズラー&カンパニー)を組んで、そこからスタートして、ソロになって――単純にクラシック音楽を演奏するだけじゃなくて、自分が今生きているヴァイオリニストとしてできることって何なんだろう――ということはずっと考えてきた。

これまで僕は教えることをまったくせずに40のころまで来たわけですよね。せっかく自分で編み出した技を、人に教えてなるものかと思っていたから(笑)。

林田 それがどういう心境の変化で?

葉加瀬 31で結婚して、娘が生まれて、3歳くらいからヴァイオリンを弾くようになりました。これは家内がやらせたいといって。せっかくあなたの子なんだから、みたいな話ですよ、ぶっちゃけ。あなた教えてあげなさいと言われたんですが、僕は嫌だと言ったの。教えるとなると本気で教えなければいけないし、そうすると、親でも子でもなくなると。

林田 スパルタになってしまうと。

葉加瀬 そうなりますよね。それは嫌だといって、一切教えないと決めたんです。

でも、ヴァイオリンのお稽古って、先生との関係もありますけど、ほぼやっぱり練習というのは親との関係性じゃないですか。娘が小さいころなんて、家内が夢中になって教えていたんです、うちでも。

林田 そうなんですか。

葉加瀬 はい。かなりの時間をさいて。割と真剣にヴァイオリンをやっている子くらいの時間を使っていたんです、初めのころは。

となると、僕は仕事でヴァイオリンを弾いて、リハーサルやレコーディングをして、帰ってくると家の中でもヴァイオリンが鳴っているわけです。家で娘がヴァイオリンを練習している、かあちゃんが怒り狂っている、娘が泣き出す(笑)、その感じが懐かしかった。

林田 ああ……なるほど。

葉加瀬 心地よかった。思い出したんです、そのころの感覚を。スズキ・メソードで始めていたので、自分がたどってきた道です。で、僕自身も練習を始めたんです、感化されて。

ちょうど、その当時40手前だったのですが、実は僕の人生のプランでは、40歳くらいでヴァイオリンを「置く」予定だったんです。

林田 やめると!?

葉加瀬 音楽をやめるという意味じゃなくて、レーベルを始めてミュージシャンたちを育てたり、プロデューサーみたいなイメージをもっていて。まさか自分がヴァイオリンをそこまで続けるとは思ってもいなかったんです。

ところが気が付いたら、家で娘がヴァイオリンを始めたこともあって、僕もヴァイオリンを弾くことに、また、すごく興味をもち始めた。

古澤巌さんに導かれたヴァイオリン人生の転機

葉加瀬 ちょうどそのあたりで、僕のヴァイオリニスト人生にきっかけを与えてくれた古澤巌さんに再会するんです。僕にとっては中学生のころに憧れて、それこそ「音楽の友」に載っていた古澤巌の写真を切り抜いて下敷きに入れていたくらいの人です。

改めて古澤さんの演奏を聴いたら、めちゃくちゃヴァイオリニストとして進化していたんです。で、彼にもう一度憧れはじめた。僕より9つ上です。一つの楽器をずっとこれだけやると、こんなに面白いことが待っているんだ、と。

だったら、もういっぺん叩き直そうと思って、いまから11年ほど前にロンドンに移りました。日本にいたら時間がとれないから。

林田 ロンドンに行かれた理由は、ヴァイオリンをもっと弾きたいということだったんですか。

葉加瀬 練習したかったんです。40になったら弾かなくていい、という人生は間違っていたんだと思った。弾かなきゃならないし、それならいまのスキルじゃ絶対にもたない。自分の弾き方はできるけど、クラシカルなものは長い間やっていなかったので、本当に基礎的なこと――弓の持ち方、ヴァイオリンの構え方、ポジション・チェンジの仕方を先生についてもう一度教わりました。自分が一番上手だったのは、中3とか高1のころでしょうけれど、あのころのように弾きたいという気持ちでした。

林田 でも、もう一回習い直すというところがすごいですね。

葉加瀬 基本、相当なMだからね(笑)。

ロンドンで小野明子さん(英国メニューイン音楽院、ギルドホール音楽演劇学校ヴァイオリン科教授)に娘の先生として出会って、練習室から聴こえてくる娘のレッスンがあまりにも素晴らしいので、来週から僕も稽古つけてくれって頼んで、そこから始めているんです。

林田 それは良かったですか?

葉加瀬 良かったですね。クロイツェルやバッハ、全部基礎からやり直した。宿題というか目標がなきゃできないので、そのころからブラームスのソナタに取り組み始め、バッハのこの曲を仕上げるにはどうすればいいか、ということにもう一度向かい合えたので、楽しかったです。

林田 古澤さんがあのころ、「葉加瀬くんはとにかくずっと弾き続けているんだよ」と熱心に練習していることをおっしゃっていました。うれしそうに、かなり驚きながら。それだけヴァイオリンを熱愛している葉加瀬さんが、古澤さんにとっても、新鮮な刺激を与えていたんでしょうね。

葉加瀬 僕と古澤さんって、どこか運命でつながっていると思う。だって、まさか中学生のときに憧れた人と、18歳の夏で東京で出会えるなんて奇跡だし、ヴァイオリニストになりたいと思わせてくれたのが彼なんだし、ヴァイオリンをやめるかもしれないと思っていたときに出会ったのも彼だし。またヴァイオリンをふっと渡してくれたんです。

林田 ということは、葉加瀬さんは人生のなかで、もう一度ヴァイオリンに出会い直したんですね。

葉加瀬 そう、まさしく。ほぼほぼ興味を失っていたからね。

クライズラー&カンパニーは、竹下欣伸(ベース)、斉藤恒芳(キーボード)という2人のメンバーがプログラミングからアレンジから、何もかもしてくれている場で、僕はフロントマンとしてヴァイオリンを弾いていたけれど、解散した時点から、僕はそれを全部自分でやらなきゃならなくなった。

機材を買い込み、コンピュータを覚え、アレンジを始め、何から何まで自分で作り始めたのが、1996年ころ。単純に音楽はずっとやっているんですけど、使っている時間のほぼすべてはコンピュータに向かって打ち込みをし、曲を書き、アレンジをし……。ヴァイオリニストとしてのアルバムを作っているという意識はもっているから、最後に目玉を入れるくらいにヴァイオリンを弾いていたわけ。

林田 そうだったんですね。

葉加瀬 それで充分だと思っていたし、それが面白いと思っていたんです。それが、こんなちっちゃな楽器だけでさ、あんなにいろんなことができる楽器と、もういっぺん出会っちゃうと、やっぱり面白いんだなと思って。

練習再開から変化した音楽活動

葉加瀬 ロンドンに行って2年目くらいかな、藝大に行っていたときの僕の大先生、澤和樹先生、いま学長ですよ、突然電話がかかってきて、「メンデルスゾーンのコンチェルト弾いてくれ」って。「はあ? そんな無理ですよ、先生」「半年あれば大丈夫だよ」ってやりとりは、今から10年くらい前のことです。

僕にとっても澤先生にとっても、師匠は東儀祐二(1928-85)先生で、同じ門下なんです。つまり澤先生は僕の兄弟子。その東儀先生が作ったアマチュア・オーケストラ、千里フィルというのがありまして、その定期演奏会でメンデルスゾーンを弾いてくれという、ほぼ命令でした。

僕はその千里フィルの初代団員で、高校1年生のときに創立したメンバーなんです。先生が亡くなって20何周年かの大きなコンサートだから、「太郎くん、君しかいないから」と言われて。

林田 どうでした、協奏曲をやってみて、やり抜いたという感じがありました?

葉加瀬 いや、夢中というか、ぎりぎりでしたけどね。ただ、オーケストラと30分の曲を弾くということが、そもそもずっとやってこなかったことで、バンドと3時間のコンサートをやるのとは意味が違いますから、まったく新しい境地でしたよ。

たとえば、シャコンヌの20分間を弾ききるだけでも、「情熱大陸」を弾くようなテンションでは無理なわけですよ。フィジカルにも精神的にも。学んだこともたくさんあったし。結局ゴールはないんだなと思いながら、今になりますけど。

林田 葉加瀬さんが映画音楽やジプシー・ヴァイオリンやフィドルなど、いろんなジャンルの音楽と出会ってきたことが、いまもう一度クラシックに帰ってきたときに生かされるのでは?

葉加瀬 もちろん。ベートーヴェンとブラームスだけを演奏するのであれば、その道に行けばいいと思うんですけど、ヴァイオリンでできる音楽はいっぱいある。そういう音楽の旅はしてきているから、僕は。

林田 もっとも旅をしてきていますよね。

葉加瀬 食いしん坊だから。興味があってそこに飛び込んでいって自分の音楽の糧にして、それを自分の曲やショウに反映することが、自分の仕事。ゴールは藝大や桐朋なのか、あるいは日本音楽コンクールでプライズをとるということか、だけではないというのは、みんなうっすらわかってきているんです、最近。

林田 だから澤さんが電話をかけてきたんでしょうね。葉加瀬さんから何かが欲しかったんじゃないですか。

葉加瀬 そうなんです。

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