服部百音に50の質問!〈前編〉音楽家になると決めた瞬間は? 思い出の曲は? 最大の試練は?
鮮烈な存在感を放ち続けるヴァイオリニストの服部百音さん。音楽の原点や演奏への想い、家族や人間関係についてなど、50の質問でその素顔に迫ります。
前編では、幼少期のお話から緊張との向き合い方、さらには耳コピであの名曲を覚えてしまった驚きのエピソードまで、情熱と繊細さをあわせ持つ服部さんの魅力に迫ります。
フランス文学科卒業後、大学院で19世紀フランスにおける音楽と文学の相関関係に着目して研究を進める。専門はベルリオーズ。幼い頃から楽器演奏(ヴァイオリン、ピアノ、パイプ...
サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲をきっかけにヴァイオリンに夢中に
1. ヴァイオリンを始めたきっかけは?
服部 最初はバレリーナになりたくて、3歳からバレエを習っていました。ヴァイオリンは興味本位で触ってはいたんですけど、オイストラフのCDやサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番」の音源を聴いていくうちに、だんだん弾きたい曲ができて、それを弾くために練習をしてたら、結果的にヴァイオリンがどんどん上達していきました。バレエは本当に好きだったけど、最終的に6歳くらいのときにヴァイオリンと拮抗して、どっちをとるの? という話になったときに、ヴァイオリンをやるって自分で言ったらしいです。覚えてないんですけど(笑)。
——6歳でサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲を弾きたいと思われたそうですね。
服部 そうなんです、それが最初に惚れた曲だったんですよね。1楽章も3楽章も大好きで、フランチェスカッティとミトロプーロスの演奏も、毎日擦り切れるほど聴いていました。最初、譜面が届く前に耳で覚えてしまい、弾きたくなっちゃったんだけど、ヴァイオリンを始めて1年くらいだったから、やはり弾ける技量が全然なくて。アルペジオもできなければ重音を弾いたこともない。発表会で3楽章を弾くことに決めて、1小節100回ずつ練習して挑みました。
——1小節100回ってなかなかできないことだと思います。
服部 それができたのは、曲があまりに好きだったから。弾けるようになりたいという一心だったので、にんじんをぶら下げてもらってたからできたけど、好きではない曲を100回は絶対無理です。
1999年9月14日生まれ。5歳よりヴァイオリンを始め、幼少期より辰巳明子、ザハール・ ブロンに師事。
8歳でオーケストラと初共演し、2009年にポーランドでのリピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで史上最年少第1位並びに特別賞を受賞。10歳より演奏活動を始め11歳でミラノのヴェルディホールでリサイタルを行いグランドデビュー。ロシア、ヨーロッパに於いても演奏活動を始める。2013年にはヤング・ヴィルトゥオーゾ国際コンクールでグランプリ、新曲賞を受賞。また同年開催のノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールでは13歳でシニア部門に飛び級エントリーし、史上最年少グランプリを受賞。2015年にはボリス・ゴールドシュタイン国際コンクールでグランプリを受賞。2016年10月「ショスタコーヴ ィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ワックスマン:カルメン 幻想曲」でCDデビューし、レコード芸術の特選盤に選出される。2017年新日鉄住金音楽賞、岩谷時子賞、2018年アリオン桐朋音楽賞、服部真二音楽賞、2020年ホテルオークラ音楽賞、出光音楽賞を受賞し2021年1月にはブルガリ アウローラ アワードを受賞した。現在はN響、読響、東京フィル、東響、日本フィルをはじめとする数々の著名オーケストラ、指揮者と共演を重ね海外でもマリインスキー劇場をはじめ様々な演奏活動を行っている。
桐朋学園大学大学院修士課程修了。使用楽器は日本ヴァイオリンより特別貸与のグァルネリ・デル・ジェス。
2. もしほかの楽器をマスターするなら何がいい?
服部 チェロかな。同じ弦楽器だけど、ヴァイオリンでは絶対に出せない音域と音色が出るので、痺れるなぁと。室内楽でうまい人が隣で弾いていると、この音をヴァイオリンで出そうと思っても、全部G線で弾いてもシャウトになってしまって、余裕のある器の大きい音が出ないなぁと思っちゃうんですよね。あとはヴィオラも好きです。もう少し体が大きかったらやってみたかったです。
3. 音楽家になっていなかったら、何になりたかった?
服部 いろいろあります。バレリーナは、ベースがクラシック音楽で、携わっている要素が似ている部分があるので、3つ先くらいの人生でいいかな。次はスキーヤーになりたいです。去年病気をして復活したあとにスキーにどハマりして、定期的に行って練習してたんです。いろいろなことができるようになってきて、とにかく気持ちよすぎて。ダイレクトに自然を感じて、直滑降でスピードを出して風がぶち当たってくるあの感じがたまらないです。
あとは、海もいいですよね。ダイバーも憧れます。体を使って、音楽は音楽でとても素敵なんだけど、自然の中でずっと過ごせる職業はけっこう憧れます。人間より自然があるところで動物と共存して、損得とか考えないで生きていけたらいいなって感じ。
緊張とは開き直りと自分の軸で上手に付き合う
4. 本番前のルーティンは?
服部 舞台の扉が開いたら、必ず丹田を叩くことにしています。丹田をバンって力入れて叩くと、お腹に力に入って、エネルギーが集中します。私はそれをしないと、本番ですごく特殊な環境で2,000人に見つめられていると、どんどん上に力がいくんですよね。そうすると肩や首まで力んでしまってメンタルにもきて調子が出にくいので、下におろすように意識しています。
——緊張されますか?
服部 します。逆にしないほうが不安になってしまうし、一生いいように付き合っていくべき感覚なんだろうなと思います。舞いあがって頭が真っ白になってしまうような緊張ではなくて、ベストを出したいからこそ武者振るいというか、そういう力みは必要だなと思います。
練習のときとステージ上だと体の状態がまったく変わるので、それを理解しながらどう練習していくのかが大事です。本番で暴走しても崩壊しないようにとか、本番でこうなる可能性をはらんでいるからこうしとくとか、少し長いスパンでみた練習の仕方を徹底しておくと、舞い上がらないですむと思います。
5. 本番前に食べる物は?
服部 基本的に本番の前日はお肉を食べています。本番の直前は食べると血糖値が上がって眠くなって頭が回らなくなっちゃうので、そうすると指も回らなくなるので、前日までにわりと食べておきます。
6. 舞台に上がるときの気持ちは?
服部 気を散らさないように、いろんなことを考えないように心がけています。その本番で自分がどういう思いを込めていても、裏でどういうエネルギーを注いでいたとしても、その場の演奏で2,000人の人は判断するわけです。全員に対して都合のいい演奏はできないので、いちばん大事なのは、自分が曲という一つの山をどういうふうに登って、どこに魅力を感じていて、それをどれだけみなさんにわかりやすく伝えられるかだと思うんですよね。出ている音は本当になまものですぐに消えていくものなので、そこに全神経を集中させるモードに強制的に切り替えます。
——切り替えるコツはありますか?
服部 幼い頃は人の目が気になりすぎて怖かったので、すごく力わざでした。人の評価やジャッジが自分の存在意義を100か0にすると思っていたから。ブロン先生*の評価もあるから、先生に褒めてもらえたらOKだけど、だめって言われたら地に落ちるみたいな感覚もありました。でもその状態はあまり健全ではないと気づけたのが15〜16歳のときで、16〜20歳くらいまではどうするか試行錯誤して、捨身作戦みたいなものを考えました。「どうにでもなれ」みたいな(笑)。どう転んでも、別に死にはしない。舞台でどんな変な音が出て、観客からブーイングがとんでも、死にはしないわけだから、とりあえず持っているエネルギーを全部ぶちまけてくればいいんじゃない? って開き直っていました。
22歳くらいから、同世代を含めていろいろな音楽家と話すなかで、みんなそれそれのベクトルで開き直ってステージに上がっているんだなと思うようになりました。人がいれば楽しく会話ができるし、ぶつかっていったら相手が受け止めてくれて、返してくれることもあると気づけた。そういう化学反応みたいなものが舞台で展開されていくとスリルになって、恐怖がスリルに変わると刺激的ないい舞台になる。
いちばん厄介なのが、1人の舞台。1人+ピアニストのときには、ピアニストに集中していると私は意外と平常心でいられるんですけど、1人で出ると、今でも完全にコントロールできているわけではないと思います。なので、そのときのフェーズで自分が信じられる軸をもつようにしています。軸は変わるもので、毎回本番のたびに考えている気がします。ずっとこの軸でいきますと決め込むのも、変わることが怖くなってけっこう危ないなと思ったことがあって。難しいです。綱渡りです、いつも。
*註:ザハール・ブロン
ウラリスク(現カザフスタン)生まれのヴァイオリニストで、ノヴォシビルスク音楽院、リューベック音楽院、ケルン音楽大学、チューリッヒ音楽大学、ソフィア王妃音楽大学の教授を歴任。門下からはトップ・アーティストや、主要な国際コンクールの入賞者を多数輩出しており、世界3大名教授の一人とも言われる。
ワックスマンの《カルメン・ファンタジー》を耳コピ!?
7. もっとも衝撃を受けたコンサートは?
服部 コンサートを聴きに行くと、価値観をすごく刺激されるし、逆にその人が展開している世界観を見ると自分が何をやっているかわかることもあります。人のステージって私は色が見えるんです。エネルギーの量や流れ方と、その人特有の色を感じるから、出演者の色のステージになっていて、どれもスペシャルに見えるんですよ。全部が玉手箱みたいな感じで魅力的に映っているから、どのコンサートがいちばん良いとか悪いとかではなく、全部特別で面白いです。すごくカラフルなんですよね。
8. いちばんの思い出の曲は?
服部 好きな曲は数年かけて自分のベストが出るまでずーっと弾き続けたいタイプなので、何度も何度も同じコンチェルトやソナタを弾きます。だから、弾いた回数が多い曲ほど思い出が増えていきます。
それでいうと、プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」、プロコフィエフの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」、ショスタコーヴィチの協奏曲の1番と2番ですね。
あとは小品ではワックスマンの《カルメン・ファンタジー》。サン=サーンスは言わずもがな、初めてオーケストラと弾いた曲でもあるので思い出深いんですけど、ワックスマンはサン=サーンスの次にハマった曲でした。最初は耳コピで覚えちゃって、でも日本であまり出回ってなかったので譜面がなくて、2009年頃でしたが、海外に問い合わせて取り寄せなきゃいけなかったんですよね。それで楽譜が来るまでに、一通り覚えて弾き始めてしまって、届いてから答え合わせみたいな感じでした。あ、ここ音間違ってたね、みたいな(笑)。
ワックスマン:《カルメン・ファンタジー》、ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番
9. いちばんおもしろかった共演者は?
服部 舞台上で音楽をやっているときの印象だと、いちばん面白かったのは、井上道義さんですね。あとは、ファジル・サイかな。
音楽を本気でやるとなったら、その人の本質的な考え方が透けて見えちゃうし、自分もそれをさらけ出すことにもなります。1曲コンチェルトを一緒に演奏して、それを突き詰めたときには、その人との関係も突き詰まっているんですよ。だからそういう意味で、もうちょっと距離があったほうが“いい人”の印象で終われたのに、曲の力で距離が縮まっちゃったみたいなこともあります。良くも悪くもすごく濃密なので。みんなすごく個性的な人ばっかりなので、面白いです。演奏を通しての人間関係は、楽屋でちょっと話して楽しかったとか、そういうのとは濃さが違うんですよね。
——井上道義さんの面白さはどのようなところですか?
服部 忖度や遠慮のような、ある意味日本人の美徳とされている相手を気遣って察するようなことを、先生はステージの上でまったくしない。言葉ではなくて音を介して仕掛ける、それから仕掛けられたらやり返すみたいな、とても強烈なアプローチでジャブを打って下さったんですよね。最初に共演したときには、これだけリミッターを外してもOKなんだって思えて、すごく安心感がありました。だったら自分もいけるところまでの表現をこの人に投げたいと思わせてもらえた初めての指揮者だったと思います。
10. 共演してみたい人は?
服部 客観的な印象と、実際に一緒に演奏してみたときの印象っていつも全然違うんですよね。共演してみないとその人がどういう人なのかが全然わからないから、こういうイメージだからやってみたいっていうのはあんまりないんです。ご縁があって何かの引き合わせで同じ場を共にすることになったら、その人自身のこととその人の音から出るその人のエネルギーみたいなものを全力で私が感じたいなと思います。
過去に共演したことある方ともう一度共演したいっていうのは……ファジルとまたやりたいです。めちゃくちゃ楽しかったので。とにかく音が本当に生き生きしている人だと思っています。
11. 憧れの音楽家は?
服部 ブロン先生はもちろんずっと憧れていますし、あとはやっぱり、オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルの3人組ですね。
ブロン先生はオイストラフの孫弟子だから、ブロン先生から教わることには、オイストラフ・メソッドも入っています。オイストラフの指使いを教えてもらったり、オイストラフが言ったことを伝言してもらったり、先生から聞くオイストラフの話も多い。そして、母がオイストラフ大好き人間だったから、小さい頃からオイストラフの音源を聴いて育ってたんです。どんな技術でも余裕を持った豊かな音でこなしてしまうし、とにかく音も弾き方も綺麗なんですよね。全部自然だから、何も無理していないのに、すごいことをやっちゃってる。言語化するのは難しいんですけど、オイストラフは永遠のスターだなと思います。死んだら挨拶に行きたいです(笑)。
12. 音楽家になると決めた瞬間は?
服部 6歳でヴァイオリンかバレエを選んだときは、イコール音楽家になると決めたわけではなかったんですよね。長期的に人生を考えているわけではなく、どっちが今好き?みたいな感覚で選んだはずです。
8歳でブロン先生に出会って、そこからずっとくっついて歩いてレッスンを受けていって、そこでブロン先生に「君がここから長期的にディベロップしていくために、今これを教える」とか「今君がやらなきゃならないことはこれなんだよ」と言ってもらったときに初めて、「あぁ、私はこれからヴァイオリンを持って成長していくんだ」みたいに思いました。
コンクールやリサイタルも先生が決めて、先の目標に向けて逆算して、今これをやっていこうみたいな。当時9〜10歳だったので、わりと素直に「そうなんですか、わかりました」みたいな感じで。先生は長期的に私が大人になっていくまでの成長をイメージしてるんだなって感じたので、素直にそこに乗っかったって感じです。
今人生が終わるとしたらこれでよかったか? と自問して見えてきたもの
13. これまでで最大の試練は?
服部 一昨年の腸閉塞のときですね。慢性盲腸で白血球の値が上がらなくて手術できず、仕事は続けましたが、痛みと食べられない状態が続いて体重も落ちて、ギリギリな状態でした。本番前に楽屋で点滴をしてもらって、点滴を外してドレスを着て舞台に出て、戻ってきてまた点滴をして。さすがに衰弱のほうが危ない状態だと判断して手術したのですが、体重が落ちていたので、全身麻酔が効きすぎて目覚めなかったり、痛み止めのせいで意識障害もあったり。腸が止まっているから栄養がとれず、体重は28キロになっていました。
でも、演奏しているときは、体調のことを全部忘れられました。鍛冶場の馬鹿力でいい演奏ができちゃって、アドレナリンが心地よくて、仕事は絶対にやる! と言っていました。舞台から降りるとしんどくてダメージがきていたので、演奏活動を休むことにしましたが、それはそれで鬱っぽくなってしまいました。
そのとき、今まで歩んできた人生を振り返って見直すきっかけになりました。体重はけっこう危ない状態だったので、もしこれで本当に治らなくて終わるならと、ノートに書きながら「これでよかったですか?」と自問したことがあったんです。そうしたら、ヴァイオリンに関しては、自分の企画もできたし、いろいろな人と交われたし、ブロン先生にも出会えたし、思い残すことなく演奏してきたなって思えたんです。
でも、私って本当にヴァイオリン弾いてるばっかりの人生だったなーと思って(笑)。もっと地球のいろんな場所にヴァイオリンを持たないで旅したり、景色や自然を見たり、成功とか
失敗が関係ないところでぼーっとする時間をもったり、利害関係がない人と人間関係を営んでみたり……そういうことを、保留にしてていつかやればいいやと思ってたけど、全然やってない。もうちょっと、そういう喜びや楽しみを味わってから卒業したいなと思ったんです。
そうしたら俄然、治して生きる方向で頑張ってみるかって自発的に思えました。それからは回復が早くなりました。たくさん食べるように頑張って、ちょっとずつ回復して、歩いたりヴァイオリンを弾いたり。
去年の6月に大好きなショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の1番と2番の演奏会がありましたが、どうしても実現したかったので、夢を叶えるためにも、自分の体力を立て直さないとと思って頑張りました。
それから、行きたいところリストを作って、屋久島とかエジプトとかいろいろ書いて、片っ端から行ってみようと思いました。やってみたかったスキーも、治った2〜3か月後くらいに行き、レッスンを受けてどハマりしました。あとは料理を作るようになったり、ヴァイオリン以外の人間としての生活全般に興味を持つようになったんです。それまでは興味もなくて、必要ないと思っていた。ヴァイオリンだけいい音を保てていたら、それだけのために存在してればいいんじゃないかと思っていたので、それ以外の楽しみや喜びの味わい方がわからなかったんです。それが180度変わったタイミングでもありました。
14. 音楽家になって幸せを感じることは?
服部 ステージのときの感覚はもちろん幸せですが、いちばん幸せなのはやっぱり、ステージで芯から音楽的に気の合う仲間とプレイしていて、本音同士でやり合っているときですね。舞台の上ならではの感覚で、今どこにいるのかも忘れちゃうくらい恍惚とした気分で弾いているときはあります。
音楽家でも価値観は違うから、何を大事にするか、音楽が持っている力についてどう考えているかは人によってわりと違います。馬が合う人とは、音楽を演奏していないときでも、音楽の話をしょっちゅうすることになります。そうやって音のことを話し合っているときには、時間を忘れているから幸せなんだと思います。
ブロン先生時代の兄弟子たちとも幸せな時間を過ごしました。ブロン門下は音楽人間で、先生も隙あらば練習しなさいと言うんです。ファストフードだめ、タバコダメ、お酒ダメ、恋愛ダメ、練習しなさいなんですよ。だからみんな、遊ぶっていうと楽器で遊んでいました。
あるとき、本番が終わってホテルで打ち上げをしていたとき、みんなで楽器を出してきて、じゃあ今からモーツァルト風とか、ベートーヴェン風とか、作曲家のお題を出して、彼らの作風や癖みたいなものを真似しながらモチーフをみんなでリレーで繋いでいくゲームをしました。歳の差も言葉も関係ないし、みんなで遊べるからって。「じゃあ次はブロン」っていうお題が出て、ブロン先生の独特の音の出し方や極端な音程の取り方をみんなで真似しました。最後に先生のお決まりのツッコミのセリフをみんな覚えているから、そのセリフも真似して(笑)。そういう仲間たちと話していると安らぎます。
15. 音楽家として大切にしていることは?
服部 何回も同じ曲を弾くことになるので、回数を重ねても、惰性で流れで弾いてこなすようなやり方ではなく、毎回今携わっている音楽のことを新鮮に愛せたらいいなと思っています。
繰り返し演奏してきた作品って、20年来の良いところも悪いところも知り尽くしている人のようなものじゃないですか。初めて魅力を知ったときの喜びや新鮮さをもって、毎回対峙する。いちばん難しいことでもありますが、できたら素敵で、やらなきゃいけないことでもあります。
16. 10年後の音楽界がどうなっていてほしい?
服部 もっといろんな種類のいろんなアプローチの音楽が、いろんな人に知られて、愛されるっていう状態が理想だなと思います。今はチャイコフスキーやメンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」とかエルガーの《愛の挨拶》がクラシックの顔であり、ヴァイオリンの曲の良さみたいになっているけど、その曲を名曲にしたのは何ですか? っていうと、いい演奏を積み上げたからその曲が魅力的だと認知されて名曲になったわけですよね。作曲されてすぐに名曲だってカテゴライズされるわけではないから、名曲にするのは演奏家。チャイコフスキーだって、最初は悪臭を放つ音楽と言われていたのに、あれだけの名演が積み重なって今スタンダードになったわけです。だったら今、同じことを他の曲でもしたら、スタンダードのカラーパレットが増えるかもしれない。
だから私は、Storiaという自分の企画で、知名度や曲が持っている話題性に頼らないで、音楽の魅力だけで、いろんな面白い曲、マイナーだろうが関係なくバイアスをとったプログラムにして、絶対に面白くしようと思っています。そういうのを積み上げて、1人でも多くの人にその意識を共有して、開墾作業できたらいいなと思います。
17. 衣裳へのこだわりは?
服部 さっき人の演奏が色で見えるって言ったんですけど、実は小さいときから文字と数字が色で見えます。曲の印象でも、調性やドレミファソラシにも色があって、それを曲の雰囲気に変換して、同じまたは近い色のドレスを選択しがちです。
例えば、ドが黒で、レが黄緑で、ミが黄色。数字も、1が白で2が黄色で3黄緑。日付や年齢、誕生日も、それぞれの数字をもとにしたイメージカラーがあります。
18. 1日に何時間くらい練習する?
服部 決めてないですね……病気や腱鞘炎を経て、ただがむしゃらに弾けばいいってことではないという結論に至りました。スポーツの分野では、力を入れるときと休むときの配分を可視化して数値にして、システム化されているけど、クラシックも肉体労働なのに、そういうシステムは全然導入されていないから、自分の体感で測るしかないですよね。なので、集中的に練習したら、ちゃんと回復する時間を与えないと致命傷になりかねないので、腕を守りつつやっています。
かといって精度やクオリティやスピードが落ちるわけではなく、効率はむしろ上がっているんですよ。疲労って見えないけど確実に溜まっているから、たまると精度が落ちてくる。鈍ったと思ってまたさらうとまた感覚が落ちる。オーバートレーニング症候群っていうらしいです。それになってたことがあるので、やめようと思って。ちょっと休む、全然違うことをする、散歩に出かけるなどして、腕を休めてからまた戻る。さらったぶん上がった状態で練習を再開できるので、効率いいなと思います。
デビュー15周年を迎えて挑む3つの協奏曲
19. 9月2日にデビュー15周年を記念して、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ブラームスの協奏曲を1回の演奏会で弾かれます。この3曲の協奏曲を選ばれた理由は?
服部 プロコフィエフの「ヴァイオリン協奏曲第1番」は、思い出深い曲にも挙げましたが、11歳のときに初めて勉強しました。そのときにブロン先生が「プロコフィエフやショスタコーヴィチといったロシアものをこれから弾くにあたり、見せたいものがある」と連れていってくれたのは、ロシアにある戦勝記念公園でした。大きな戦車や本物のカラシニコフが置いてあって、「こういうもので争いをやっていた時代があって、その背景には政治とかいろんなものが絡んでいた。そういう時代をプロコフィエフやショスタコーヴィチは生き抜いてきたんですよ、その重みや痛みを肌で感じてないといけない」って言われて。幼ながらに冷たさを感じました。ほかにもいろんな共演者との思い出はあるんですけど、単純に、最近あんまり弾いてなかったので、弾き直したいなと思いました。
ストラヴィンスキーは今回初めて弾くんですけど、以前からすごく素敵な曲だからいつか弾きたいと思っていました。最初に決めたのがストラヴィンスキーで、あとはどう合わせていくのか考えました。プロコフィエフの1番は、おとぎ話のような、最初から最後まで詩があるような曲です。3楽章のレッスンで、ブロン先生にプーシキンの「冬の夜」っていう詩をロシア語で読み上げられて、明日のレッスンまでにこのロシア語を言えるようになってこいって言われて。ロシア語が全然わからないときだったから、カタカナで発音を書いて、暗記して、次の日のレッスンで言いました。今となっては、先生はこの曲が詩ですよって言いたかったんだと思います。
ストラヴィンスキーは、とても前衛的でモダンな響きだけど、色彩で言ったらカラフルでポップだから、そのニュアンスカラーの対比が出せたらいいなと思いました。全体を通して一つの絵が見えるようにしたくて、このプログラムにしました。
後半ブラームスを入れたのは、せっかくN響と広上さんをお迎えするので、昔からオイストラフの演奏で聴き込んでいた曲を私の15周年として弾かせてもらいたいという純粋な思いで選びました。
20. 一度の演奏会で協奏曲を3曲演奏するうえでいちばん大変なことは?
服部 体力ですね。体力が削られてきちゃうとパフォーマンスに影響が出ますし、細かいところまでのカラーリングって、元気のあるときでないと体がうまく動いてくれなかったりするんです。そうすると、曲の色の配置が曖昧になったり、形がちょっとヨレたりするので、それを徹底的に変えたいなら徹底的に体力つけておかなきゃと思います。これもまたチャレンジですね。
——聴かせどころや注目してほしいところは?
服部 前半はプロコフィエフとストラヴィンスキーの対比をちょっと俯瞰して楽しんでもらいたいです。楽曲の世界観の比較みたいな。並列したときにどういう違いがあって、どういう印象を受けるか、総合的な目線で捉えてもらえると、面白いかなと思います。
あとは純粋にN響がとても鋭敏な音で素晴らしく奏でてくださると思うので、とくにストラヴィンスキーをN響とできるのをいちばん楽しみにしています。音の爆発がいろんなところであると思うので、全身で何か感じていただけたらと思います。
後編は5月24日(土)公開!
日時: 2025年9月2日(火)19:00開演
会場: サントリーホール 大ホール
出演: 広上淳一(指揮)、服部百音(ヴァイオリン)
曲目: プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 作品19、ストラヴィンスキー/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調、ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
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