演出家ロベール・ルパージュが「日本・箱・音」から受けるインスピレーション
自らのカンパニー、エクス・マキナでの数々の演劇作品のほか、シルク・ドゥ・ソレイユの演出、メトロポリタン歌劇場のワーグナー「ニーベルングの指環」4部作をはじめ、世界各地の歌劇場でのオペラ演出も手がける、カナダ出身の演出家ロベール・ルパージュ。7月には、日本を題材に創られた7時間の演劇『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』を上演する。彼の創作の源や、日本文化が与えた影響、音・音楽に対する考えを伺った。
早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ、ダンス、ミュージカル、オペラなどを中心に執筆。『The Japan Times』『E...
以下のインタビューは2019年11月の来日時に行なわれたものです。記事内では2020年7月に公演予定の『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』のほかに、5月から9月までの公演が中止となった「鼓童×ロベール・ルパージュ『NOVA』」についても伺っていますが、今回はルパージュ氏の構想・芸術感をお伝えしたく、そのまま掲載いたします。予めご了承ください。
演劇とは“記憶の芸術”だから
——1945年の広島に始まり、さまざまな時代と都市を経て99年の広島で終わる『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』。今回は、94年に創作され、95年の日本公演時には5部作として上演された本作の、7部作日本初演です。2020年にこの作品を上演する理由を教えてください。
ルパージュ 根底にあるのは、演劇とは“記憶の芸術”である、という私の考えです。人々は今、20世紀に起きた重要な出来事を忘れてしまう傾向にある。特に若い世代は、第二次世界大戦、原爆、強制収容所について、なんとなくは知っていても、鮮明な記憶を持ちません。そうした状況下、ヨーロッパでは難民が収容所に押し込められ、極右政権が台頭している……。原子力もそうですが、自分たちが行なっておきながら、忘却してしまっているさまざまなことを、演劇は思い出させることができると私は考えています。それから、25年前に創った作品であるにも関わらずストーリーテリング(物語の伝えかた)の手法が古びていないことも、上演する理由です。
——創作時、固定の場所ではなく、川というものに注目した理由は何でしょう?
ルパージュ 太田川は今も広島を流れる一級河川ですが、創作当時、7つの支流に分かれていました。それが、広島を出発点にチェコの収容所テレージエンシュタットやニューヨーク、ケベック、大阪など、さまざまな場所の文化と反響し合って展開するこの作品を象徴するものになっています。
長時間観劇は“完璧な演劇体験”
——それを、実に7時間もかけて表現していくわけですね。
ルパージュ 私は9時間かかるお芝居を作ったことがあるので、それに比べれば短いですよ(笑)。この作品の最初のバージョンは3時間でしたが、ツアーをたくさんこなし、カンパニーの中で話し合ったり、観客の反応を取り入れていく中で、5時間のバージョンができ、6時間、そして7時間と、自然に発展していったのです。
7時間の演劇体験に不安を覚える方もいるかもしれませんが、実際にいらしたら、初めの1時間や1時間半の時点で、これだけ時間をかけるのは自然なことだと理解なさることでしょう。2時間ほどの芝居の場合、観客は“個人”のままで見終わって帰りますが、長時間の芝居では、観客は休憩時間に飲食しながら感想を語り合うなどし、一つの“共同体”になっていく。そこには、非常に心地よい、完璧な演劇体験が生まれるのです。
——そうした長時間の芝居の効能に気づいたのはいつ頃のことですか?
ルパージュ 『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』の前に作った、チャイナタウンがテーマの6時間の作品『The Dragon’s Trilogy』(日本ではそのスピンオフ作品『The Blue Dragon-ブルードラゴン』を2010年に上演)の経験を通して発見しました。ただし、それ以前からアリアーヌ・ムヌーシュキン(1939〜 フランス人演出家)や、ピーター・ブルック(1925〜 イギリス人演出家)の作品を観て感じていたことでもあります。彼らの作品は時として10時間以上かかるような超大作ですが、観ているうちに、観客と観客のあいだのみならず、観客と演者のあいだにも仲間意識が生まれる。1日かかるマラソンを一緒に走りきった、すごい1日を共に過ごした、という感覚が芽生えるのです。
——例に挙がった『The Dragon’s Trilogy』も『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』も、アジアという、あなたにとっての異文化を扱った作品です。そのことも、作品の長さに関係していると思われますか?
ルパージュ 演劇人としての自分は『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスのようなものだと思います。オデュッセウスは船でさまざまなところを旅し、幾多の出来事に遭遇する。自分たちについて語るだけではなく、他の土地に行って、他の人々を発見し、共感したり違いを見つけたりすることが、私にとっての演劇です。
さらに私は、文化的な接触の変化にも興味を持っています。例えば『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』の冒頭では、第二次世界大戦終戦直後のアメリカ兵が日本人女性と触れ合い、終盤では若いケベックのダンサーが年上の日本女性と恋に落ちる。この二つの出会いのあいだには30年近い年月が経過しています。こうした時代による人と人の繋がり方、接触のし方の変化を描きたいのです。
三代目市川猿之助の歌舞伎で日本文化に開眼
——文化的な接触の話が出ましたが、ちなみにルパージュさんが日本に接触した原体験とは?
ルパージュ 日本文化に最初に触れたのはカナダのコンセルヴァトワールの学生だった17歳のとき。課題授業のオーガナイズ担当になり、学校の外での観劇を企画しなければならなくなった私は、深い考えなしに、バスをチャーターし、モントリオールでの歌舞伎公演を観に行くことに決めたんです。そこで観たのが、三代目市川猿之助の『義経千本桜』四の切。古典劇なのに自由で色彩豊かでアクロバティックで、コンセルヴァトワールで教わる演劇より、よっぽど現代的なエネルギーに満ちていました。誰よりも企画者の私自身が取り憑かれてしまい、日本の古典や現代劇について夢中で調べて(笑)。2年前には、甥のかた(四代目猿之助)が主演する、同じ演目を観る機会にも恵まれたんですよ。
——『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』には実際に歌舞伎の要素が取り入れられていますし、「文楽」という言葉も出てきて、日本の伝統芸能への敬意を感じます。
ルパージュ おっしゃる通り、あの作品は日本がベースなので日本的なモチーフを散りばめていますが、実は他の作品、例えばシェイクスピア作品などの演出でも、日本文化から影響を受けているんですよ。西洋演劇の俳優は往々にして観客を存在しないものとして舞台上だけで演じますが、日本の演劇には舞台と客席を隔てる(舞台奥、左右舞台袖の3枚に加えた)“4枚目の壁”がなく、俳優は役の内面を演じつつ観客を意識して演じている。だからエモーションが客席にあります。そのことに17歳の私は驚きましたし、こうしたエモーションのあり方や日本の俳優の仕草、声の表し方などは、創作にあたって大きな参考になりました。
箱という小さな世界から
——日本を題材にした『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』では、障子を使った日本家屋をはじめとする舞台美術が、箱のように見えます。ルパージュさんの舞台にはそうした形状のモチーフが多いですが、そこにも日本の影響はありますか?
ルパージュ 影響を受けたことは確かです。日本人は箱が好きですよね。漢字も四角の中で練習しますし。日本文化には、古典でも現代作品でも、官能的で流動的なものが漂っているのと同時に、箱、枠に収めるという概念が見られる。
実際、何か現象を理解するとき、枠の中に入れると現象は理解しやすいものです。『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』のクリエーションでは俳優たちと、「1幕」「2幕」という言い方をせず、「箱1」「箱2」と呼んでいたのですよ。最初から箱で作ると決めてかかったわけではなく、自然発生的になったことなのですが。
——前回来日公演『887』では、ルパージュさんの子ども時代が描かれ、二段ベッドを兄弟で使っていたのが演劇の始まりだったことが語られます。二段ベッドもまた、一種の箱ですよね。つまり、箱への嗜好はもともとお持ちで、それが日本文化と出会って発展し、今に至ると言えるのでしょうか?
ルパージュ そうです。『887』では美術としても、箱が閉じたり開いたりするようなものを作りました。子どもの頃の私は、クリスマスプレゼントをもらうと、初めの24時間は中のおもちゃなどで遊ぶけれど、次第に箱のほうが面白くなり、おもちゃを置いて、箱を切るなどして夢中で遊んだものです。母は「おもちゃにお金を使ったのに、どうして箱にばかり興味を持つのかしら?」と嘆いていましたよ(笑)。子どもは、おままごとが好きで、世界を縮小して眼の前に作るものです。
そこで思い出すのが、かつて大阪歴史博物館に行ったこと。フロアが大阪の2000年前、1000年前、近現代……と分かれていて、模型の縮尺が、時代が遠くになればなるほど小さくなり、時代が近ければ近いほど等身大に近い形で再現されていたんです。江戸時代は、人は文楽の人形くらいの縮尺でしたよ。時代によって大きさが変わるというのはまさに、人間の記憶そのもの。『887』ではこれを取り入れ、記憶に応じて、舞台美術の縮尺を変えたのです。ぜひ一度、歴史博物館にいらしてください。日本の方に日本の博物館を勧めるのもおかしな話ですね(笑)。
オペラで演出家が担うもの
——創作にあたって、あらゆるものから刺激を受けておられることがよくわかります。「映像の魔術師」との異名も取るルパージュさんには視覚のアーティストというイメージがありますが、一方でオペラの演出を多数こなし、鼓童との新作も控えています。音楽はあなたにどういうインスピレーションを与えますか?
ルパージュ 初めてオペラの仕事をしたとき、発見したことがあります。演劇ではしばしば、稽古の最初に机の前に座り、サブテキスト、つまり戯曲には直接書かれていない登場人物の心理などを仮定したり推理したりしますが、オペラの場合、答えはすべて音楽の中に存在するのです。
オペラの現場では、指揮者という音楽のリーダーと、演出家という芝居のリーダーがいて、その二人が出す指示に矛盾があるとうまくいきません。オペラに“空間”と“時間”があるとして、そこでの演出家の仕事は“空間”の中でどんな姿でどう動くかを作ることであり、人物の心理を作るのは“時間”を扱う指揮者なのです。演劇畑の演出家がそれを理解せず、通常のように心理から作っていこうとすると、不幸な目に遭います。
これは、鼓童(新潟県佐渡島を拠点とする太鼓芸能集団)と新たに創作する視聴体感芸術『NOVA』にも当てはまります。今回は(鼓童のメンバー・住吉)佑太さんなど、作曲なり音楽面なりを担当する人がいて、彼らが私のアイデアや意見を取り入れて作曲し、それを私に示してくれ、次に私がそれを空間においてどう見せるか考える。やはりここでも二頭体制です。
世界を作り、変えていく音の世界、鼓童『NOVA』
——鼓童の『NOVA』では、太鼓の音に反応し、それをテクノロジーで可視化する“サイマティクス”が取り入れられます。つまり、音楽家の生の演奏が、視覚的な効果と通常以上に密接に結びつくわけですよね。
ルパージュ サイマティクスを鼓童に提案したのは私です。サイマティクスの理論では、宇宙のビッグバンとは音であり、今私たちを取り囲むすべての物質は、音の影響で出来たのだという発想をします。実際、オシロスコープ(電気的な振動をスクリーンに投影する装置)によって出来上がる曼荼羅や図形などを見ていると、納得のできる理論です。ということは、音楽は人を、感情レベルだけではなく分子レベルで変容させ得る。音あるいは音楽で、病気が治せる可能性もあるのです。
——鼓童体験もそうしたものである、と。
ルパージュ 実際、鼓童の舞台を観ていると、自分が変わります。その音、バイブレーション、エネルギーに無感覚ではいられず、劇場を出る頃にはエネルギーが満ちている自分を感じるのです。『NOVA』ではこのサイマティクスを用いて、実際に世界の創造、宇宙の創造を語り、同時に人間の創造性をも語りたいと考えています。人間の創造性は破壊につながることもありますから、それはポジティブで素晴らしい内容であると同時に、危険なものでもあるでしょう。言葉のない作品になりますが、視覚と音がインタラクティブに交差する中で、そうした物語めいた要素が現れてくることでしょう。
——『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』と『NOVA』。方向性の違う2作の上演を相次いで楽しめるのは嬉しい限りです。
ルパージュ でも、両作品には関連性もあります。『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』ではミシェル・F・コテというパーカッションのアーティストが手がけた音楽を、日本人の太鼓奏者(久高徹也)が生演奏します。つまり、作曲したのは欧米人ですが、日本の奏者によって日本的な音になっている。かつて日本で上演したバージョンではやっていなかったことなので、音楽としても今回は進化しています。ですから、2つの作品は奥底で繋がっていると言えるのではないでしょうか。
演出・構成:
ロベール・ルパージュ
製作: Ex Machina
日時:
2020年7月10日(金)、11日(土)、12日(日)
各日13:00開演
会場:
Bunkamura シアターコクーン(東京都渋谷区道玄坂2丁目24−1)
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