インタビュー
2025.05.14
6/11~18 チェンバーミュージック・ガーデンの核、ベートーヴェン・サイクルに登場!シューマン・クァルテットにきく

ベートーヴェン弦楽四重奏曲を理解する6つのキーワード~芸術と存在をめぐる内なる旅

室内楽の祭典「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン」(CMG)で毎年、その核となるベートーヴェン弦楽四重奏曲全曲演奏会。今年はドイツ最高峰とも称されるシューマン・クァルテットが8年ぶりに来日して挑みます。

今回注目されるのは、全6日間のコンサートにそれぞれ魅力的なタイトル――「アルファとオメガ(始まりと終わり)」「聖なる歌」「光」「影」「自由」「心より」――が付けられていること。これらはベートーヴェンの音楽を理解する上でのまたとないキーワードともいえます。

そこで、彼らへメール・インタビューを行ない、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を全曲聴くことから見えてくる、作曲家の生涯をかけた芸術と存在への問いを、さらに深堀りして伺いました。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

シューマン・クァルテット(弦楽四重奏)©Harald Hoffmann

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シューマン・クァルテット(弦楽四重奏)

「情熱とエネルギー。シューマン・クァルテットの演奏は驚愕としか言いようがない。きらめくような超絶技巧と、常に驚きを追求する姿勢を持ち、現在、無数に存在する弦楽四重奏団の中でも最高峰のひとつである」(南ドイツ新聞)

シューマン・クァルテットは、演奏から確定的な要素を排し、予想もつかない演奏を実現している。「作品が真に育つのは、生演奏のときのみであり、舞台では自然と自身に正直になれます。そうして初めて観客との絆が生まれ、音楽を通したコミュニケーションが可能になるのです」。

世界でも際立った注目を集めているのは、輝かしい受賞歴やCDのリリースのみならず、グループとしてのサウンド、アプローチ、スタイルが、コンサートの生演奏でこそ音楽を表現することができることに意義を見出しているからに他ならない。

マーク、エリック、ケンの3兄弟は幼少期から一緒に演奏しており、そこにヴィオラ奏者のファイト・ヘルテンシュタインが加わり、現在に至る。その開放性と好奇心は、師事したエバーハルト・フェルツやアルバン・ベルク四重奏団のメンバー、あるいはメナヘム・プレスラーのような共演者たちからも影響を受けている。

2007年にドイツのケルンで結成。「シューベルト&現代音楽」国際室内楽コンクールや、ボルドー国際弦楽四重奏コンクールで優勝。以降、ウィーン楽友協会、コンツェルトハウス・ドルトムント、ウィグモアホール、ベルリン・フィルハーモニー、コンセルトヘボウなどのヨーロッパ各地の名門ホールで演奏を重ね、クァルテットとしての国際的キャリアを築いている。18年にリリースされたCD『Intermezzo』は国内外で高い評価を得て、ドイツでもっとも権威のある「オーパス・クラシック賞」を受賞した。
©Harald Hoffmann
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弦楽四重奏曲全16曲は、ベートーヴェン自身の芸術や存在をめぐる内なる旅

――第1日のテーマ「Alpha and Omega(アルファとオメガ)-始まりと終わり」(6/11)は、単に第1番と第16番を合わせたというだけでなく、ベートーヴェンという存在そのものについての象徴的な意味を伝えているように思えます。もう少し詳しくご説明いただけますか?

シューマン・クァルテット(以下SQ) ベートーヴェンの最初の弦楽四重奏曲第1番(作品18-1)と、彼が最後に完成させた弦楽四重奏曲第16番(作品135)を組み合わせるというアイデアは、時代的な流れだけでなく、ベートーヴェン自身の芸術や存在をめぐる内なる旅を、象徴しています。

1798年頃に作曲された第1番は、ベートーヴェンがハイドンやモーツァルトの伝統と格闘しながらも、すでに自分の個性を主張し始めている様子を示しています。若々しいエネルギー、優雅さ、そして深い感情があり、とくに第2楽章は『ロミオとジュリエット』の墓の場面に触発されたものです。

対照的に、ベートーヴェンの生涯最後の年に書かれた第16番は、静けさ、機知、そして内省的な明晰さが際立っています。病いと孤独に苦しみながらも、ベートーヴェンは穏やかな受容の光を放つような弦楽四重奏曲を作曲しました。「ようやくついた決心」と記された終楽章で到達した音楽的な問い「そうでなければならないのか?」に対しては、簡潔に答えが示されます――「そうでなければならない!」。

このように、「アルファとオメガ」は、彼の弦楽四重奏曲創作の始まりと終わりだけでなく、ベートーヴェン自身の精神的な軌跡――内面の平和を求める努力――をも象徴しています。それは、音楽という普遍的な言語で表現された、人生、葛藤、そして決意についての深い考察です。

ベートーヴェンの「祈り」は彼自身の経験と密接に結びついている

――第2日の「Holy Song-聖なる歌」(6/12)というテーマはひじょうに魅力的ですね。他の作曲家にとっての祈りと、ベートーヴェンの祈りに違いがあるとしたら、それはどういう点においてだと思われますか?

SQ ベートーヴェンの「祈り」は、それが深く個人的、実存的である点で、多くの他の作曲家の「祈り」とは異なっています。

第15番作品132の緩徐楽章(「聖なる感謝の歌」)のような作品において、ベートーヴェンは単に宗教的なイメージや形式を想起させるだけでなく、音楽を通してそれを「生きて」います。この楽章は深刻な病の後に感謝の賛歌として書かれ、その副題(「病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌」)を見ただけでも、彼自身の経験とどれほど密接に結びついているかが分かります。

バッハやブルックナーのような作曲家は、典礼のような体系化された言葉で信心を表現することが多いのに対し、ベートーヴェンの祈りはより人間的で、より壊れやすく、より切迫感があります。それは苦しみや孤独、目に見える世界の背後に意味を見出そうとすることからきています。

彼の「祈り」は必ずしも平和なものとは限りません。緊張に満ち、問いを投げかけ、探求し続けています。しかし、そこにこそ独自性がある。それは高らかに宣言するものではなく、一つの過程としての精神的な音楽であり、超越へ向かう旅なのです。

シューマン・クァルテット ヴァイオリン:エリック・シューマン/ケン・シューマン、ヴィオラ:ファイト・ヘルテンシュタイン、チェロ:マーク・シューマン ©Harald Hoffmann

ベートーヴェンの音楽に差し込む「光」は、存在の異なる段階へと扉を開く

――第3日の「Light(光)-長調」(6/14)では、第10番作品74「ハープ」と第9番作品59-3「ラズモフスキー第3番」のいずれにおいても、第1楽章のはじめにゆっくりした序奏があり、そこから急に、まるで新しい気づきを得たかのように音楽が走り始めます。まるで、新しい世界への扉が開いて、光が差し込んできたかのような偉大な瞬間です。なぜベートーヴェンはそのような音楽を書こうとしたのでしょうか?

SQ 第10番(「ハープ」)と第9番(「ラズモフスキー第3番」)の開始は、何か深遠なものの入り口に立っているかのような印象を与えます。どちらの作品でも、音楽は瞑想的で時間が止まっているかのような雰囲気で始まり、その後、まるで障壁を突き破って光の中へ飛び立つかのように飛翔します。

この構成上のコントラストは、偶然に生まれたものではありません。ベートーヴェンは啓示、変容、あるいは覚醒を描くために、このような並置をよく用いました。そこには彼の深い内面世界――暗闇の中での苦闘を経て湧き上がる洞察や明晰さ――が反映されています。

この場合、「光」は単に美的なだけでなく、形而上的なものなのです。新たな音楽的アイデアだけでなく、存在の異なる段階へと扉を開くものです。

ベートーヴェンは、人間の精神が疑念から確信へ、影から光へと移り変わる、突然に訪れる啓蒙の瞬間を表現しようとしていたのかもしれません。

英雄的勝利ではない終わり方が示唆するもの

――第4日の「Shadows(影)―短調」(6/15)に集められた短調の3曲は、ベートーヴェンらしい闘争的な音楽ですが、終楽章の終結部において、急に長調に転じて終わります。曲の流れからすれば、悲劇性を強める終わり方にもできたはずです。とくに「セリオーソ」の最後は唐突でさえあって、闘争によって苦難を克服して勝利を得たのとは違う感じがします。この終わり方についての見解をお聞かせください。

SQ 4日目の短調の弦楽四重奏曲3曲―第4番作品18-4、第11番作品95(「セリオーソ」)、第14番作品131は、ベートーヴェンのもっとも激しく劇的な作品に入ります。実際、これらの終楽章は突如として長調に移行し、それは「ハッピーエンド」を示唆しているのかもしれません。しかし、これは従来の意味での勝利ではありません。

▼【演奏動画】ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第4番 ハ短調 作品18-4
(シューマン・クァルテット公式YouTubeチャンネルより)

とくに第11番(「セリオーソ」)では、結末があまりにも唐突で、ほとんど皮肉のようで、安易な解釈を拒んでいます。それはベートーヴェンの交響曲で聴くような英雄的な勝利ではなく、未解決で、ほとんど断片的なものです。絶望に直面したときの「反抗的な笑い」、あるいは予期された結末の意図的な転覆としてさえ読むことができます。

第14番では、終楽章は先行する楽章から有機的に生まれてきますが、それでもなお、困難を経た末のものとして感じられ、曖昧さを残しています。ベートーヴェンは単純な答えを示しません。これらの作品は長調で終わりますが、それは影を突き破って差し込む一瞬の光のように見えます。短く、不確かですが、その儚さゆえの感動があります。

ベートーヴェンのフーガは音楽で描かれた人間の葛藤そのもの

――第5日の「Freedom(自由)―フーガ」(6/17)は素晴らしいテーマですね。これは、形式の自由ということだけでなく、もっと広い人類的なメッセージを含んでいると考えてもよろしいでしょうか? また、あの緊迫感の強い「大フーガ」は、同じフーガでもバッハの永遠性とはまったく異なる性格を持つように思われます。ベートーヴェンならではのフーガの特徴とは何でしょうか?

SQ そうですね、この「自由」というテーマはいろいろなレベルで理解することができます。

ベートーヴェンの晩年の弦楽四重奏曲、とくに第13番作品130とそれに付随する「大フーガ」(作品133)は、形式、構造、表現において並外れた自由さを示しています。技法的革新を超えて、そこにはより深いメッセージ――人間的自由と真正さへの根源的な呼びかけ――があります。

大フーガ」はとりわけ印象的です。バッハのフーガがしばしば宇宙の秩序や神聖な調和を表しているのに対し、ベートーヴェンのフーガは激しく爆発的で、ほとんど反逆的です。それは対位法の音楽言語で描かれた人間の葛藤そのものです。ここでのフーガは、永遠の秩序ではなく、ダイナミックで劇的で、対決的でさえあります。

ベートーヴェンは音楽におけるもっとも厳格な形式を用いて、その枠を打ち破る――それによって、真の自由が規律の中から生まれ得ることを証明しています。この意味において、フーガは単なる作曲技法ではなく、外的・内的な限界に挑む個人の精神の象徴なのです。

▼【演奏動画】ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番変ロ長調 作品130 第5楽章(抜粋)(シューマン・クァルテット公式YouTubeチャンネルより)

晩年の弦楽四重奏曲で語られた、最後の、心からの真実

――第6日の「From the Heart(心より)―メランコリー」(6/18)というテーマは、「ミサ・ソレムニス」の冒頭にベートーヴェンが掲げた言葉「心より出で、願わくば再び心へと至らんことを」を意識していますね? あの晩年の巨大なミサ曲と弦楽四重奏曲を結びつけるものがあるとしたら、それは何でしょうか?

SQ はい。この言葉は、ベートーヴェンの芸術的信条の全体を凝縮したものと言えるでしょう。「ミサ・ソレムニス」は神聖な声楽作品であり、弦楽四重奏曲は器楽曲であるにもかかわらず、これらの間には深い情緒的・哲学的なつながりがあります。どちらにおいても、ベートーヴェンは真理を探求しています——それは教義としてではなく、深く個人的で、感情的な体験としての真理です。

公演最終日の弦楽四重奏曲――とくに第12番作品127――には、言葉のない、魂から魂へと直接伝わる、内なる語りかけのような感覚が含まれています。これら晩年の作品において、ベートーヴェンは自らの内へと向かい、外的なドラマをはぎ取って、感情と思考のありのままの本質を明らかにしています。

壮大な交響曲的な表現を通じて語り得る限りのことを語り尽くした後、ベートーヴェンはもっとも親密な媒体である弦楽四重奏を選び、彼の最後の、心からの真実を語っているかのようです。

現代的レパートリーに取り組むことで得た「耳」が、ベートーヴェン演奏に影響を与えた

――アルヴォ・ペルトや武満徹のような現代的なレパートリーにも取り組んでおられますが、そうした演奏経験は、ベートーヴェンの解釈にどのような影響がありますか?

SQ 現代の作曲家たちとの協働は、私たちのベートーヴェンへのアプローチに深い影響を与えてきました――それは時代様式を変えるということではなく、音楽の中の空間、緊張、そして内なる静けさに対する我々の感覚を洗練させるということなのです。

私たちは、アルヴォ・ペルト、アリベルト・ライマン、イェルク・ヴィトマン、ヘレナ・ヴィンケルマンといった作曲家たちとじかに協働する幸運に恵まれました。彼ら一人ひとりが私たちの耳を挑発し、豊かにしてくれました。彼らは明晰さ、意志、そして音と沈黙の関係に対するより高い意識を要求します。

偉大な武満徹とは、残念ながら直接仕事をする機会がありませんでした。彼は1996年に亡くなりましたが、私たちは彼の音楽――とくに、彼の驚くべき弦楽四重奏曲「ア・ウェイ・ア・ローン」――をとても敬愛しています。

これらの作曲家たちとの経験は、聴くという行為がつねに新鮮で、鋭敏で、深く個人的でなければならないことを思い起こさせ、私たちのベートーヴェン演奏に影響を与えてきました。ベートーヴェンの作品における沈黙は決して受動的なものではなく、それは意味に満ちています。第13番作品130の休止、第15番作品132の宙に浮いたような静けさ、あるいは第14番作品131の幽玄な始まり――これらはすべて、現代音楽の耳でアプローチすると、違った響きに感じられます。

現代のレパートリーはまた、私たちに曖昧さを受け入れ、音楽をリアルタイムで息づかせることを教えてくれました。これは、明確な答えを示さず、深く、進化しつづける問いだけを示すベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を演奏する際に、不可欠な資質です。

このような意味で、ペルトやヴィトマンのような作曲家たちの声は、我々のベートーヴェンの中で、様式的にではなく精神的にこだまし続けています。

取材を終えて

クラシック音楽のさまざまな名作の中でも、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、精神的な深みにおいて、真に人類最高の宝物ともいえる作品群である。

そこには悲劇も喜劇も、闘争も歓喜も、ユーモラスな対話や遊びもある。哲学的でもあり、敬虔な祈りもあり、あらゆる人間的要素が盛り込まれている。

それらは決して難しいものではなく、ライブな場で体験してこそ、ベートーヴェンの語ったように「心から心へ」とダイレクトに伝わってくる。

今回のシューマン・クァルテットによる全6回のベートーヴェン・サイクルは、各回のテーマ設定がとても好奇心をそそるもので、プログラム構成の意図も理解しやすい。

筆者のメール・インタビューにも最大限誠意を尽くして答えてくれたが、それは彼らの今回のコンサートに賭ける意気込みそのものでもあるのだろう。

林田直樹

 

サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン(CMG)2025
シューマン・クァルテット ベートーヴェン・サイクル
出演
弦楽四重奏:シューマン・クァルテット
ヴァイオリン:エリック・シューマン/ケン・シューマン
ヴィオラ:ファイト・ヘルテンシュタイン
チェロ:マーク・シューマン

会場:サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

 

6月11日(水)19:00開演
Ⅰ Alpha and Omega
第1番、第7番「ラズモフスキー第1番」、第16番

6月12日(木)19:00開演
Ⅱ Holy Song
第2番、第8番「ラズモフスキー第2番」、第15番

6月14日(土)19:00開演
Ⅲ Light
第3番、第10番「ハープ」、第9番「ラズモフスキー第3番」

6月15日(日)14:00開演
Ⅳ Shadows
第4番、第11番「セリオーソ」、第14番

6月17日(火)19:00開演
Ⅴ Freedom
第5番、大フーガ、第13番

6月18日(水)19:00開演
Ⅵ From the Heart
第6番、ヘ長調 Hess 34(作曲者によるピアノ・ソナタ作品14-1の編曲)、第12番

 

問合せ:サントリーホール 0570-55-0017 

シューマン・クァルテット:ベートーヴェン・サイクルの公演詳細はこちら

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 音楽之友社社外メディアコーディネーター/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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