ソプラノ歌手・田中彩子が考える音楽の可能性——ビジネス、教育、社会での役割とは
持続可能な開発目標——SDGs(Sustainable Development Goals)。この言葉を音楽の世界で目にすることは少ないように思います。
ソプラノ歌手の田中彩子さんが、11月20日(金)に世界初演されるモノオペラ《ガラシャ》の在り方を、SDGsの考えに見合うものにするべく奮闘していることは、インタビュー前編でお伝えしました。後編では、音楽のミライにどのような可能性を見出しているのか、ビジネスや教育、社会的役割などの観点からも伺っています。
子どもたちのために社会のシステムを考える
芸術を通した社会活動に力を注ぐ田中さんの熱意の発端は、すべての子どもたちが夢に向かって羽ばたけるような社会を創りたいという気持ちだった。
田中 音楽に限らず、何かを目指して学びたいと思っている子どもたちに、人生の選択肢がたくさん広がるような環境があればと思います。学びたいことにアクセスできなかったり、自分の意志に反して夢をあきらめなければならない原因は、必ずしも家庭の経済的状況にあるとは限りません。多様な原因を取り除いていくことが、結果的によりよい社会につながっていくのではないでしょうか。
大人の役割は、子どもたちに新たなきっかけを、日々差し伸べることだと思います。
そして、未来の音楽界を背負っていく若者たちが、「食べていけないから、音楽の道はあきらめる」というような状況にならないために、どういう社会のシステムを作っていけばいいのかを考えています。10代の子どもたちですら不安なんですね。「音楽家ってなれるんですか?」「生きていけるんですか?」などと質問されること自体が、悲劇だと思うんです。
いまだに〈音楽家=ピアノやヴァイオリンを弾くお嬢さんの趣味〉的なイメージがありますよね。歌なんて、楽器奏者のような技術面が目に見えにくいので、カラオケの延長みたいに思われていると感じることもあります。よりよい環境で、今後音楽家が育っていくためには、演奏の場を増やし、そして、お客様もお金を払って聴くことが当たり前だと思ってくださるような社会を作っていかなければなりません。そこまで視野にいれられたらなと、勉強している最中です。
異文化から何かを感じとってほしい
人々の役に立つことをしたいという願いは、一般社団法人Japan Association for Music Education Programの設立につながっていった。そのプロジェクトの一つが、アルゼンチン国立青少年オーケストラを招致し、日本の子どもたちとの国際交流を実現することだ。
田中 アルゼンチン国立青少年オーケストラを日本に招致するために、昨年10月ごろにクラウドファンディングを募りました(関連記事:アルゼンチンと日本の青少年たちを繋ぐ架け橋)。私自身、演奏旅行でいろいろな国を巡っているうちに、本当に多くのことを学びました。知ることって財産なんです。日本とアルゼンチンの子どもたちに、異文化から何かを感じとってほしい。両国の子どもの交流が、彼らの心に何かを開花させるかもしれない。
今は海外との渡航制限がある状態ですから、下準備期間と考えています。コロナの影響で、スポンサー獲得はますます大変になるかもしれませんが、この企画は必ず実現させます。私の法人活動を、もっと発展させることができたら、彼らをよりよい形で招致する可能性も広がるかもしれませんから。
人は原始時代から音楽を奏でていた
コロナ禍で、田中さんもさまざまな国で予定されていた演奏会を失ったが、その期間、法人のスポンサー獲得など、水面下での仕事は着々と進めていた。
文化事業の活動制限も徐々に緩和され、彼女がプロデュースしたモノオペラ《ガラシャ》は、11月20日の世界初演が待たれるのみ。理念は「SDGs×芸術」、彼女の法人の柱となる、もうひとつのプロジェクトである。
田中 よりよい社会を目指して、一人ひとりができることはたくさんあります。SDGsで目標とされている項目を見ていると、何も肩肘はることない、ごく当たり前のことばかり。誰でも実行できることがSDGsなら、芸術もSDGsでできるはず、音楽家としてSDGsをからめてどういうふうに活動できるかと考えたのがきっかけです。
《ガラシャ》のチケットは、さまざまな要因から比較的高めのプライス設定されていたが、全席が1か月で売り切れ、やはりどんな状況でも芸術は必要とされていると確信したという。
田中 いろいろな方からお話を伺って思ったことは、「このようなときこそ音楽が絶対必要」と言う人と、その真逆の考えの人と、完全に二極化しているということです。
パンデミックで世界中の多くの方々が命を落としている状況で、「音楽なんて……」という声のほうが大きいかもしれない。そんな時代に、いかに必要性を見せていくかが難しいところですが、もともと私にとって、音楽・芸術とは生命の存在意義そのものなんです。
原始時代から、人は歌い、踊り、リズムを叩き、音楽を奏でていたと言われていますよね。今、私たちが芸術と呼んでいる音楽は、太古から人間が人間らしく感情を表現する行為、いわば人間の一部だったわけです。また現実として、私たちは生活の中で、常に芸術に触れています。自然や花を見て、匂いや風を肌で感じて、美しいと感じる心、それも一つの芸術です。「芸術など無用」という人は、それに気づいていないだけ。気づくきっかけを作ることが、音楽家の使命だとも思うんです。
音楽がクリエイティブな脳を創る
誰もが社会における音楽の在り方を模索している今、田中さんは「異分野が交錯するところに、新たな形が生まれていくはず」という。
田中 「芸術を捨てた国は亡びる」と言われます。私が今発信したいのは、〈芸術〉と〈ビジネス〉という、一見関係なさそうな分野が、実は結びつき、高め合う関係にあるということです。
例えばアメリカでは、音楽鑑賞や演奏がクリエイティブな脳を創り、それが仕事の結果につながるという考えから、ビジネス・マーケティングを専攻する学生に、芸術分野の授業も選択させる大学が増えています。芸術と無関係な仕事をしていても、クリエイティブなセンスは必要で、またその人にとって強みとなります。こういう形でも、音楽は威力を発揮するんです。
筆者も、LVMH(モエ・ヘネシー・ルイヴィトン)グループのCEOで、自身もアマチュアピアニストであるベルナール・アルノー氏が、「どれほど高学歴な応募者でも、脳の2つの部分、つまり〈論理的な部分〉と〈創造的な部分〉が、バランスよく機能している人しか採用しない」とラジオで話しているのを耳にしたことがある。しかし現実問題として、日本の学校では、部活動の時間はもとより、音楽の授業枠さえ減る傾向にあるという。
田中 そんな話を聞くと、私としては「文部省にいかなきゃ!」と思います。母は子ども時代、小学校で狂言の公演を見せてもらったと話していました。このような非日常の時間が、学校で経験できるなんて、素晴らしいと思うのです。このようなイベントこそ、勉強以外で脳を活性化する教育そのものですから。
音楽家が音楽だけ考えていればいい時代は終わった
田中さん自身、ビジネスの世界を垣間見ながら「ガラシャ」の企業スポンサーをひとつずつ獲得していった過程に、多くの気づきを得た。
田中 興味を持っていただけるよう、アポイントには、相手の会社について綿密に前調べして臨みます。皆さんがお忙しい方ばかりですし、いろいろな鎧を着ていらっしゃるので、鎧を開いていって心臓までたどり着くためには、スポンサーになっていただくことでどんなメリットがあるか、手短に明確に伝えなければなりません。
まずは行動あるのみです。気合いも必要だと思います。私自身を歌手として売り込むのは苦手ですが、目的が子どもや若い音楽家たちの将来など自分以外なら、いくらでも厚かましく押し売りができます!
「音楽家が音楽だけ考えていればいい時代は終わったのでは」という田中さんの言葉が印象的だった。
田中 私は〈音楽〉〈SDGs〉〈ビジネス〉、全部つながっていると考えます。相互にコミュニケーションしたら、きっと面白いものが生まれます。音楽家でも最低限ビジネスの仕組みを勉強するべき時代になったのではないでしょうか。一見音楽とは無関係でも、さまざまな分野について学んでいく過程で、私自身も目指すものに一歩ずつ近づけるのではと思っています。
自分の専門分野を超えて視野を広げ、社会の一員としての役割を考えること、微力に思えても誰かのためにアクションを起こすこと。田中さんのお話は、混沌とした現代に立ち向かい、時代と共に進化していくためのヒントに溢れるようだった。
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