音楽ジャンルを越境する魅惑の最強ディーヴァ、アレサ・フランクリンを知るためのプレイリスト
2018年8月16日、アメリカ・デトロイトの自宅で亡くなったアレサ・フランクリン(享年76歳)の追悼プレイリスト。相当な熱量をもって、音楽ライターの東端哲也さんが、ジャズ・ファン&クラシック・ファンに向けて「これだけは聴いてほしい」選曲をしています!
1969年徳島市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。音楽&映画まわりを中心としたよろずライター。インタビュー仕事が得意で守備範囲も広いが本人は海外エンタメ好き。@ba...
女性初のロックの殿堂入り、アレサ・フランクリン
2018年8月16日、ミシガン州デトロイトの自宅で亡くなったアレサ・フランクリン(享年76歳)は、黒人の大衆音楽が、米国ポピュラー音楽シーンでメインストリームになっていく過程で大きな役割を果たしたスター歌手。
合唱団をバックに歌と説教で信者を熱狂させる高名なカリスマ牧師の父に育てられ、ゴスペルをベースにした力強い歌声に恵まれて、1960年代後半から「クイーン・オブ・ソウル」「レディー・ソウル」と呼ばれて活躍。アトランティック・レコード時代の〈リスペクト〉(1967年)や〈シンク〉(1968年)といったヒット曲は、アフリカ系アメリカ人の尊厳を象徴し、女性の権利や自由を強烈に訴えるシンボル・ソングとして、社会を変える大きな力となった。
これまでにグラミー賞を20回受賞しているほか、女性アーティスト初の「ロックの殿堂入り」を果たし、クリントンやオバマ大統領の就任式でも歌った彼女は、ローリング・ストーン誌で「歴史上もっとも偉大なシンガー」第1位にも輝く、真に偉大なるディーヴァ(神のごとき歌姫)である。
加えてアレサは、その圧倒的な歌唱力でジャンルの壁を乗り越え、全ての音楽を自分のレパートリーにしてしまう、驚異のヴォーカリストでもある。
以下でご紹介するのは、そんな不世出の歌姫の越境ぶりを知ってもらうためにセレクトしたプレイリスト。R&B/ソウルの名曲を集めた、所謂「グレイテスト・ヒッツ」なプレイリストとは趣を変えて、ジャズのスタンダード・ナンバーやミュージカルのために書かれた曲、クラシカルな楽曲などを敢えて取り揃えてみた。
そんな、ソウルの女王としてはちょっぴり上品な選曲でも、やはりスケールの大きな滋味たっぷりの歌唱を聴かせてくれるのが彼女の凄さであり、魅力。特に、これまであまりアレサに馴染みのなかった、コアなジャズ・ファン&クラシック・ファンに楽しんでいただけたら幸いである。
歌姫の越境ぶりを知ってもらうためのセレクト!
[01]Over The Rainbow『Aretha: With The Ray Bryant Combo』(1961)
アレサが最初に契約したメジャーなレコード会社、米コロムビアからリリースされたデビュー・アルバムの冒頭を飾るのがこのスタンダード・ナンバー。
1961~1965年のコロムビア在籍時に、アレサは8枚のオリジナル・アルバムを発表しているが、後の時代と比べると残念ながら大きな注目を集めるには至らなかった。その理由としては、同レーベルがクラシックやブロードウェイに強い会社で、アレサの天賦の才能を見誤って、白人好みのジャズ/ポピュラー路線で売り出そうとしたからだと云われている。
しかし最新の評伝本、デイヴィッド・リッツ 著/新井崇嗣 訳『アレサ・フランクリン リスペクト』(シンコーミュージック)によると、この曲の収録にこだわったのはアレサと父親のほうだったとか。あらゆるタイプの優れた歌い手のファンだった二人が「もっと広い層の耳に届かせる」ために「ジュディ・ガーランドに敬意を払うのはそのための手段」と考えたのも納得できる。
実際、この歌唱も素晴らしい!
[02]It Ain't Necessarily So『Aretha: With The Ray Bryant Combo』(1961)
同じく米コロムビアのデビュー・アルバムより。
ジャズとクラシックの両面で活躍した作曲家ガーシュウィンの傑作オペラ《ポーギーとベス》で、ベスを誘惑する遊び人のスポーティング・ライフによって第2幕で歌われる、聖書を茶化したような内容の軽快なナンバー。
ゴスペルとクラシック両方の素養を持つ歌伴奏に長けたジャズ・ピアニスト、レイ・ブライアントのトリオによる演奏もいい。
[03]Just for You『The Electrifying Aretha Franklin』(1962)
米コロムビアからの2ndアルバムより。
前作にも5曲提供していた熟練ソングライター、レスリー・マクファーランドの書き下ろし曲。エラ・フィッツジェラルドとの名コンビで知られるジャズ・ピアニストのトミー・フラナガンによる繊細な伴奏も聴き処。
『リスペクト』の作者リッツ曰く「ここでのアレサは齢20歳にして、何十も年かさの女性が有する豊かな情感を表現している」と。
[04]Try a Little Tenderness『The Tender, the Moving, the Swinging Aretha Franklin』(1962)
米コロムビアからの3ndアルバムに収録。「彼女に少しだけ優しくしてあげて」と歌う典雅なバラード曲。
『リスペクト』によると、このアレサによる歌唱がオーティス・レディングを大いに刺激して、後にあのソウル・シンギングなカヴァー・ヴァージョンを録らせることになるのだとか。
[05]Skylark『Laughing on the Outside』(1963)
米コロムビアからの4thアルバムに収録。〈スターダスト〉や〈ニアネス・オブ・ユー〉で知られるホーギー・カーマイケル作曲の名スタンダード。
『リスペクト』でも「アレサが録ったあらゆるジャンルのあらゆる曲のなかでも、一二を争うほど忘れえぬ解釈が刻まれている」と大絶賛されている。
[06]Ol' Man River『Laughing on the Outside』(1963)
ブロードウェイ・ミュージカルを確立した、ジェローム・カーン(作曲)&オスカー・ハマースタイン2世(脚本・歌詞)のコンビによる傑作大河ドラマ《ショウ・ボート》(1927年初演)から。
公民権運動が巻き起こる遙か昔の時代に、アフリカ系アメリカ人の人種差別問題を提示した点でも画期的だった、同舞台を象徴するナンバー。ミシシッピー川の大いなる流れに託して、黒人水夫が自身の人生観を語りかける。
[07]What a Diff'rence a Day Made『Unforgettable: A Tribute to Dinah Washington』(1964)
前年に逝去した、R&B感覚を持った名ジャズ・ヴォーカリスト、ダイナ・ワシントンへのトリビュート盤となった5thアルバムに収録。
ダイナがとりわけ得意としていた彼女の代名詞的なナンバー。
[08](You Make Me Feel Like)A Natural Woman『Lady Soul』(1968)
ソウルの女王として大ブレイクを果たしたアトランティック・レコード時代(1967~1979年)の、3作目にあたるアルバムに収録。白人女性シンガー・ソングライター、キャロル・キングの作品(当時夫だったジェリー・ゴフィンとの共作)としてあまりに有名。
元々は「あなたと一緒にいることで、飾らない自分でいられる」と歌うラヴ・ソングだったが、アレサの歌唱によって、現在では女性を「ありのままの自分でいていい」と肯定するフェミニズム・アンセムとなっている。
[09]I Say a Little Prayer『Aretha Now』(1968)
こちらも白人系を代表する稀代のメロディー・メイカー、バート・バカラックの作品としてあまりに有名なナンバー。元々は黒人女性歌手のディオンヌ・ワーウィックのために書かれた曲。
バカラックもアレサの歌唱を評価し、『リスペクト』によると「彼女はあの曲にずしりと重たいソウルを吹き込み、はるかに深いところまで連れて行ってくれた」と絶賛していたとか。
[10]Let It Be『This Girl's in Love with You』(1970)
ビートルズ・ナンバーを歌っても、アレサはアレサ!
[11]Bridge over Troubled Water『Aretha Live at Fillmore West』(1971)
サイモン&ガーファンクル・ナンバーを歌っても、アレサはアレサ!
[12]Amazing Grace『Amazing Grace』(1972)
アレサにとって4番目のライヴ盤に収録。同盤は彼女のキャリアで最大のセールスを記録したアルバムであり、史上最も売れたゴスペル・アルバムでもある。
この曲は米国で生まれ、今や世界中で愛唱されている信仰の歌。一説には「奴隷貿易」に手を染めていた18世紀の英国人船乗り、ジョン・ニュートンの作詞によるもので、激しい嵐から奇跡的に生還した彼は後に改心して船を降り、牧師となって信仰に身を捧げたといわれている。
クラシックの声楽家によってとりあげられることも多いが、この10分超えの本格的なゴスペル・ヴァージョンの前には、どんなスター・オペラ歌手も脱帽では?
[13]Nessun dorma『Jewels in the Crown: All-Star Duets with the Queen』(2007)
続いてこちらも、オペラ・ファン脱帽の「音楽ジャンルを越境する偉大な歌姫」を象徴する歌唱を。
いわずと知れたプッチーニのオペラ《トゥーランドット》の中で歌われる、このテノール屈指の名アリアを、アレサは1998年の2月にあるチャリティ基金の慈善イヴェントで披露するべく、オペラ・コーチの指導のもとで数ヶ月前から練習を重ねていたという。
当日は(このアリアを得意とした)3大テノールのひとり、ルチアーノ・パヴァロッティも同席する中で見事に歌い、スタンディング・オベーションで迎えられた。
しかし、事件は3日後の2月25日の夜、彼女も出席したグラミー賞の授賞式に起こった。同授賞式のステージでこの曲を歌うはずだったパヴァロッティが体調不良で土壇場のキャンセルを決め、その代役としてアレサに白羽の矢が立ったのだった。数日前に既に歌っているとはいえ、グラミーのステージはオーケストラの規模も遙かに大きく、クワイア付きでアレンジも異なる。しかも本番まであと20分もないという状況。そしてアレサは決意する。スティングによる紹介の後、舞台に歩み出た彼女は落ち着きを払ってこの「勝利」のアリアを高らかに、誰にも真似のできないスタイルで歌い上げた。
後に、アレサと名だたるシンガーたちとのデュエットばかりを集めた2007年リリースのコンピレーション盤の最後を飾るトラックとして、この時の模様は収録された。
[14]Ave Maria『This Christmas, Aretha』(2008)
バッハ/グノーの聖母マリアを讃えるこの曲を歌ってもアレサはアレサ!
[15]People『Aretha Franklin Sings the Great Diva Classics』(2014)
最後に紹介するこのナンバーは、かつてアリスタ・レコードでアレサの80年代の黄金期を築いた名プロデューサー、クライヴ・デイヴィスと久し振りにタッグを組み、古今東西のディーヴァたちの名曲・名唱をとりあげた2008年リリースのカヴァー・アルバム(※オリジナル・アルバムとしてはアレサのキャリアで最後のアルバム)に収録。
アレサが在籍していた時代から現代まで、米コロムビアに白人女性ヴォーカリストの頂点として君臨し続けている女王バーブラ・ストライサンドの持ち歌(※1964年のミュージカル版、1998年の映画版共にバーブラが主演を務めた《ファニー・ガール》の主題歌)である。
実はバーブラこそ、アレサが生涯に渡って執拗に(恐らく一方的に)嫉妬の炎を燃やし続けていた、最大のライバル。60年代に歌った録音もあるが、最後のアルバムで再びこの曲と向き合った、当時72歳のアレサは何を思っていただろうか……。
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