怖いは美しい……? 恐怖と美を同時に感じるプレイリスト
ゾッとするほどの美しさなのか、はたまた怖いものに美を感じているのか。
クラシック音楽ファシリテーターの飯田さんがおすすめする「コワ美しい音楽」と、ときどき飯田さんの仕事部屋でトイピアノを弾いているという、市松人形の雪子さんの美しい写真とともに、夏のひとときをお楽しみください......。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
三善晃:響紋〜童声合唱とオーケストラのための
とにかく、怖い。いきなり子どもたちの声で「よ〜あ〜けのばんに〜 つるつる す〜べった〜……」と聴こえてくる。しばらくその歌声に耳を澄ませていると、突然ヒステリックな弦楽器が鳴り、さらには、強い光が放射されるかのような、眩惑的なオーケストラの響きに包まれる……。
三善晃の「響紋〜童声合唱とオーケストラのための」(1984)は、作曲者の「死生観」を物語る「レクイエム」(1971)、「詩篇」(1979)と並んで、声とオーケストラによる三部作の完結編的作品だ。そこには「怖い」ほどの気迫と、そして美しさがある。震えながら聴き進むうちに、独特の美にいつのまにか取り込まれてしまい、終曲の頃には感動しきってしまう。
「響紋」は1984年の作品だが、日本の前衛的な「現代音楽」シーンの曲は、「怖い」と感じさせるものが多いと思う。60〜70年代なんかはとくに。調性がないし、楽器の新しい使い方で不思議な響きを出したり、電子音響的な技術を駆使したりして、とにかく「今までにない響き」が追求されている。結果、次に何が起こるか予測のつかない音が鳴り響いて、怖い。聴いていて、不安になるくらい怖い。でもかっこいい。
邦人作品は、当時の作曲家たちの「気概」——西洋音楽の「今」に追いつけ追い越せという気概——、そして「もはや戦後ではない」(1956年の経済白書序文の言葉)日本の国自体の勢いも反映された、ある種の緊張感というか、スピリットをも反映していたのだと思う。黛敏郎、武満徹、三善晃らをはじめとするエネルギッシュな作曲家たちは、最新の作曲技術や表現の可能性を、あの手この手で拡張し、みずからの音世界を広げながら、音楽創作の「今」を開拓していたのだ。
ゾッとするような怖さも、そんな当時の「日本の元気」なのだと思うと、怖がりつつもあらためて作品に敬愛の念も抱いてしまう。
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 op.144〜第2楽章
なんというかもう、全体的に怖いのだが、第2楽章が特にオススメ。カルテットなのに単音ずつ提示される冒頭が怖さをそそる。切れ味の鋭い刀やナイフを眺めているかのよう……その冷たい輝きは、怖いが美しい。
これはショスタコーヴィチが最後に残した弦楽四重奏曲。1974年の作品だ。翌年、作曲者はこの世を去った。
シェーンベルク:月に憑かれたピエロ Op.21
怖い音楽の鉄板と言っていいかもしれない。シェーンベルクによる1912年初演の作品。なにしろ独特なのは、声の表現。シュプレッヒシュティンメと呼ばれる、語るような、歌うような、なんとも言えない表現技法が使われていて、まずその響きからして怖い。怖いのだが、惹きつけられるような美しさもあるから不思議だ。
詩はアルベール・ジローというベルギーの詩人のテクストを用いているのだが、内容は血生臭く、グロテスクで、ほぼホラーだ。言葉の意味は聴いただけではわからなくても、タイトルから狂ったピエロの歌う血なまぐさい光景が想像されてしまう。
筆者がこの曲を初めて聴いたのは10代の頃、LP録音だったと思う。針から再生されるちょっとパチパチする音の向こうから、第1曲が聴こえてきた瞬間にはもう、震え上がって泣きそうだった。大人になった今聴いても、やっぱり怖い。
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